「作者です」
「作者です」
今日、初めて街中でサインを頼まれた。
正確には、本当に初めてなのかは分からない。イベントや編集部を通した場では何度か書いているし、書店で関係者に頼まれたこともある。ただ、何の予定もなく歩いていて、突然知らない人から声を掛けられたという意味では、たぶん初めてだった。
しかも、最初は自分に話しかけられていると思わなかった。
◇
午後、資料を探すために少し大きな書店へ行った。
次の話で使えそうな本を何冊か見て、結局予定になかったものまで買ってしまった。資料を買いに行くと毎回こうなる。
袋を提げて店を出たところで、後ろから、
「あの、すみません」
と声を掛けられた。
道でも聞かれるのかと思って振り返ると、大学生くらいの男性が立っていた。
「時根先生……ですよね?」
そこで一度、後ろを見た。
「何で後ろ見るんですか」
相手が笑った。
「いや、時根先生って呼ばれたから」
「先生ですよね?」
「一応、時根ですけど」
答えた瞬間、その人の顔が明るくなった。
「やっぱり! 『ビーストギア』読んでます!」
「あ、ありがとうございます」
こういう時、漫画家は何と返せば正解なのだろう。
ありがとうございます、以外に思いつかない。
男性は鞄の中を探し始めた。
「すみません、もし迷惑じゃなければサインって……」
「今?」
「駄目なら全然大丈夫です」
「いや、駄目じゃないですけど」
問題は書く物だった。
「何に書けばいいですか?」
相手もそこで気づいたらしい。
二人で少し黙った。
単行本を持ち歩いているわけでもない。
「……手帳でもいいですか?」
「僕のサインでいいなら」
「もちろんです!」
差し出された手帳の空いているページに名前を書く。
イベント用に少しだけ練習したサインだ。最初は普通に名前を書いていたら、ミドリから「もう少し何かないの?」と言われて作った。
自分の名前を格好よく崩して書くという作業には、今でも若干の恥ずかしさがある。
「ありがとうございます!」
彼は本当に嬉しそうだった。
「ずっと応援してます。次も楽しみにしてます」
「あ、はい。頑張ります」
そこで別れた。
僕はしばらく、その場に立っていた。
◇
別に嫌だったわけではない。
むしろ嬉しかった。
読んでくれている人から直接「好きです」と言われる機会なんて、そう多くない。感想の手紙とはまた違う。
ただ、妙な感じがした。
『ビーストギア』を知っている人がいる。
それはもう分かっている。
キッドを知っている。
サクラを知っている。
紀人を知っている。
それも分かる。
でも、僕まで知っている人がいる。
そこだけ、まだ頭が追いつかない。
漫画家なんて、普通は作品の後ろにいるものだと思っていた。
読者が毎週見るのはキャラクターであって、僕の顔ではない。テレビに出ているのも役者さんたちで、僕ではない。
それなのに、どこかで顔写真でも見たのだろう。
今は雑誌のインタビューもあるし、特撮化してからは以前より取材も増えた。イベントへ出たことだってある。
考えれば不思議ではない。
でも、理解できることと慣れることは別だった。
◇
その話をミドリにしたら、予想通り笑われた。
「良かったじゃない」
「良かったけど」
「何が不満なの?」
「不満じゃないって。最近そればっかりだな」
「時根君が嬉しい時まで困った顔するからでしょ」
編集部で、ミドリは僕の買ってきた資料を勝手に確認していた。
「また予定より増えてる」
「必要そうだったから」
「この料理の本も?」
「何かに使えるかもしれない」
「旅行ガイドも?」
「背景資料になる」
「昆虫図鑑」
「怪人に使える」
「昭和家電大全」
「いつか使える」
「全部そう言うのやめなさい」
没収はされなかった。
「それよりさ」
僕は椅子に座った。
「何で僕の顔まで知られてるんだろうね」
「そりゃ、最近出てるからでしょ」
「僕、そんな出てる?」
「自覚ないの?」
「テレビにはそんなに出てないよ」
「雑誌、イベント、公式の写真、取材記事。あとネットにも写真出てるし」
「ネット怖いな」
「今さら?」
ミドリは呆れている。
「そのうちもっと声掛けられるかもね」
「困るな」
「嫌なの?」
「嫌ではないけど、対応間違えそう」
「今日ちゃんとサインしたんでしょ?」
「した」
「なら十分じゃない」
「急いでる時とかどうすればいいの」
「普通に事情を説明して断ればいいでしょ」
「断って嫌われない?」
「そこまで全部背負わなくていいの」
またそれだ。
最近の僕は、何でも背負おうとしているように見えるらしい。
◇
「それにしても」
ミドリが僕を見た。
「時根君、先生って呼ばれるのまだ慣れないのね」
「慣れるわけないだろ」
「もう何年漫画家やってるのよ」
「年数の問題じゃないよ」
「じゃあ何?」
「僕より上手い漫画家、いくらでもいるし」
「そりゃいるでしょ」
「即答しないでよ」
「だっているもの」
そこは慰めてほしかった。
「それに、僕まだ全然だよ」
「何が?」
「漫画家として」
「社会現象になる作品描いてる人が言うと嫌味に聞こえるわよ」
「そういう意味じゃなくて」
上手く説明するのが難しい。
売れていることと、自分が立派な漫画家になったと感じることは別だ。
今だってネームで悩む。
構図を失敗する。
台詞を一晩考えて、翌朝全部消す。
描き上げたページを見て、もっと上手くできたんじゃないかと思う。
締切直前になれば、二度と漫画なんて描かないと心の中で思うこともある。
そして原稿が終わると、次の話を考えている。
そんな人間が「先生」と呼ばれても、自分の中にいるのは昔と大して変わらない。
「僕が思ってる僕と、外から見えてる僕が違いすぎるんだよ」
そう言うと、ミドリは少し考えた。
「それは、たぶんずっと一致しないんじゃない?」
「そうなの?」
「自分で自分を見るのと、他人が見るのが完全に同じになる方が変でしょ」
「また簡単に言う」
「難しく考えてるのが時根君なの」
それも最近よく言われる。
◇
その日の帰り、コンビニへ寄った。
レジへ向かう途中、雑誌の棚に『ビーストギア』の記事が載っている本を見つけた。
自分が取材を受けた号だった。
表紙の端に、小さいけれど作品名が出ている。
何となく手に取ってしまった。
自分のインタビューを自分で立ち読みするという、かなり恥ずかしい行為だったと思う。
記事の横に僕の写真も載っていた。
「……これか」
たしかに、これなら顔を覚える人がいてもおかしくない。
写真の僕は、実物より少し立派に見える。
プロが撮るとすごい。
少なくとも、締切前に三日くらい寝不足だった人間には見えない。
そのページを見ていたら、横から、
「あ」
と声がした。
嫌な予感がした。
見ると、高校生くらいの二人組がこちらを見ていた。
一人が雑誌と僕の顔を交互に確認する。
「……時根先生ですか?」
今日はそういう日らしい。
◇
結局、二人にもサインをした。
今度は一人がたまたま『ビーストギア』の単行本を持っていた。
「何で持ってるの?」
思わず聞いてしまった。
「友達に貸すんです」
「ああ」
なんだか嬉しかった。
自分の漫画が、人から人へ渡っている。
「先生、サクラってもう出ないんですか?」
来た。
最近、本当によく聞かれる。
「それは言えないです」
「ですよね」
相手も分かっていたらしく、笑った。
「でもサクラめっちゃ好きなんで」
「ありがとうございます」
「復活したら泣きます」
「……それも何とも言えないです」
「分かってます!」
危ない。
何を言っても情報になりそうで、最近はこの話題になると急に口数が減る。
二人と別れてから、自分でも少し笑った。
街中で読者に会うというのは、こういうことなのかもしれない。
嬉しい。
恥ずかしい。
気を遣う。
そして油断するとネタバレしそうになる。
かなり忙しい。
◇
家に帰って、今日のことを書こうと思って手帳を開いた。
昼間の大学生。
コンビニの高校生。
一日に二回。
偶然だと思う。
毎日こうなるとは思っていない。
でも、たぶん以前よりは増えていく。
僕自身まで『ビーストギア』の一部として知られ始めている。
それは少し怖い。
今までは、作品がどれだけ大きくなっても、僕はその外側にいられるような気がしていた。
机へ戻れば、ただの漫画家だった。
街へ出れば、もっとただの人だった。
でも作品が大きくなれば、その作者にも少しずつ光が当たる。
僕はどうやら、そのことを考えていなかったらしい。
とはいえ、今日サインを頼んでくれた三人は、みんな嬉しそうだった。
その顔を見て嫌だと思うほど、僕もひねくれてはいない。
だから、できる範囲ではちゃんと応えたいと思う。
ただし一つだけ困る。
先生と呼ばれるたびに、いまだに一瞬だけ、
「誰のことだ?」
と思ってしまう。
今日だけで三回あった。
たぶん、これに慣れる日はまだかなり遠い。
本作品を含む、凛監修×生成AI合作作品は、同じ世界観の中でつながるシリーズ作品です。
それぞれ単独でもお楽しみいただけますが、同じ出来事が別作品では異なる視点から描かれたり、一方で起きた出来事が、もう一方の物語へつながったりすることがあります。
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ぜひ、それぞれの物語をあわせてお楽しみください。
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企画・原案・設定・ストーリー構成:時根脱才
文章制作・構成補助:ChatGPT(OpenAI)
本作品の世界観、キャラクター、各エピソードの原案・展開は作者が制作し、それをもとにAIと相談・推敲を重ねながら、小説として文章化しています。
本作品は「小説家になろう」「カクヨム」の両サイトに掲載しています。




