閑話「デートだったんだけど」
閑話「デートだったんだけど」
「それで?」
向かいに座った友人は、コーヒーのカップを置くなりそう言った。
「それで、って?」
「行ったんでしょ。時根君と」
「……行ったけど」
「二人で?」
「二人で」
「仕事じゃなく?」
「仕事じゃなく」
「じゃあデートじゃん」
あまりにも簡単に言われて、ミドリは少しだけ視線を逸らした。
「私は、そのつもりだったんだけどね」
「その言い方だと、相手は違ったのね」
痛いところを突かれた。
少し前にも、この友人には同じような相談をしている。
高校時代から知っている相手が、そのまま漫画家になり、自分がその担当編集になった。仕事では毎週のように顔を合わせる。電話もする。原稿が遅れれば家まで行くことだってある。
距離だけを見れば近い。
普通の男女なら、もう少し何かあってもよさそうなくらいには近い。
なのに、何も進まない。
前にその話をした時、友人には呆れた顔で言われた。
「昔から知ってるからって、ずっと向こうが気づくの待ってるだけじゃ駄目でしょ。もっと大胆に行かなきゃ」
その言葉が頭に残っていたからこそ、今回は自分から誘った。
仕事でも打ち合わせでもなく、ただ外へ。
それなりに服だって考えた。
普段、編集部へ行く時より少しだけ時間をかけた。
なのに。
「待ち合わせでね、服がいつもと違うって気づいてくれたの」
「お。いいじゃん」
「『編集部にいる時よりちゃんとしてる』って言われた」
友人が黙った。
「……何その感想」
「私もそう思った」
「褒めてるつもりなの?」
「本人は完全にそのつもり」
「重症じゃん」
「知ってる」
でも、気づいてくれたこと自体は少し嬉しかった。
普段と違うと分かった。
そこまでは良かったのだ。
言い方が壊滅的だっただけで。
◇
「で、どこ行ったの?」
「最初は適当に歩いて、本屋とか雑貨屋とか。お昼食べて、そのあとゲームセンター」
「普通にデートじゃん」
「だから私はそのつもりだったって言ってるでしょ」
「時根君は?」
「たぶん『担当編集に外へ連れ出された』と思ってる」
「……よくそれで心折れないね」
「昔からだから」
高校時代から知っている。
漫画の話になると周囲が見えなくなることも、自分のことになると妙なところで鈍いことも。
他人の感情が分からない人ではない。
むしろ漫画の中では、驚くほど細かい感情を描く時がある。
紀人が黙った理由も、サクラが何を隠しているのかも、脇役がたった一コマで何を考えたのかも、作者である時根はちゃんと考えている。
なのに現実になると、どうしてここまで駄目なのか。
「漫画の女の子の気持ちはあんなに考えるのにね」
ミドリがそう言うと、友人が吹き出した。
「それ本人に言えば?」
「絶対『何の話?』って返ってくる」
「想像できる」
そこは二人とも同意した。
◇
「でも、何かあったんでしょ?」
友人が身を乗り出した。
「何かって?」
「わざわざ呼び出してまで話したいくらいなんだから」
「別に、それだけで呼んだわけじゃないけど」
「はいはい」
こういう時の「はいはい」は、全然信じていない時の言い方だ。
ミドリは少し迷ってから、スマートフォンを取り出した。
写真を見せる。
机の上に置かれた、小さなぬいぐるみ。
「あ、かわいい」
「ゲームセンターで取ってくれた」
「時根君が?」
「うん」
「へえ」
友人の顔が急に楽しそうになる。
「それ、かなりいいじゃん」
「そうなの」
そこは、素直に認められる。
クレーンゲームの前で立ち止まった時、欲しいとは言っていない。
ただ少し見ていただけだった。
それに時根が気づいた。
自分から財布を出して、何度も失敗しながら、最後まで取ろうとしてくれた。
「『欲しかったんでしょ』って渡してくれたの」
「いいじゃん!」
「そのあと『僕が持ってても仕方ないし』って」
「……一言余計だなあ」
「でしょう?」
それでも嬉しかった。
たとえ本人にロマンチックな意図が一欠片もなかったとしても、自分が見ていたものに気づいてくれたことは変わらない。
何度失敗しても途中でやめずに取ってくれたことも。
だから帰ってから、ぬいぐるみを机の上に置いた。
写真も撮った。
「それで、私から『今日は楽しかった』って送ったの」
「おお。前より頑張ってる」
「で、返事がこれ」
メッセージの画面を見せる。
『僕もいい気分転換になった』
友人が数秒黙った。
それから、額を押さえた。
「気分転換」
「気分転換」
「デートじゃなく」
「本人の中では完全に気分転換」
「時根君さあ……」
自分のことではないのに、本気で頭を抱えている。
ミドリは苦笑した。
「だから私も『そう』って返した」
「それだけ?」
「それ以上、何送ればいいのよ」
「『私はデートのつもりだったけど』」
「送れるわけないでしょ!」
「前に言ったよね。もっと大胆に行けって」
「大胆にも限度があるの」
「その限度が低すぎるのよ」
即答された。
◇
「そもそもさ」
友人はカップを持ちながら言った。
「時根君って、ミドリが自分のこと好きかもしれないって、一回でも考えたことあるのかな」
「ないと思う」
「即答なんだ」
「だって、あの人だよ?」
「知らないけど」
「原稿持っていったら担当だから。電話したら担当だから。家に行っても締切だから。ご飯に誘っても、たぶん担当が体調管理してると思ってる」
「便利な言葉だね、担当」
「本当にね」
仕事上の関係であることは事実だ。
担当編集として心配していることだって嘘ではない。
締切を守ってもらわなければ困るし、体調を崩されればもっと困る。
けれど、それだけなら、休日にわざわざ服を選んで二人で出かけたりはしない。
ぬいぐるみ一つで、帰ってから何度も眺めたりもしない。
「高校の時からでしょ?」
「うん」
「長いよね」
「長いね」
「その間、何してたの?」
「普通に友達してた」
「それが長すぎたんじゃない?」
言われてみれば、そうなのかもしれない。
友達としている時間が長すぎた。
そのあと担当と作家になって、さらに別の理由で一緒にいるのが当たり前になった。
今さら少し態度を変えたくらいでは、時根には「いつものミドリ」の範囲から出ないのだろう。
「だから大胆に行かなきゃ駄目って言ってるの」
「……何すればいいのよ」
「それを私に全部聞く?」
「相談してるんだからいいでしょ」
「手くらいつなげば?」
「無理」
「即答するな」
「突然そんなことしたら時根君固まるよ」
「固まらせればいいじゃん。そこで初めて何か考えるかもしれないでしょ」
確かに、あの人は分かりやすく何か起きなければ気づかない可能性が高い。
でも。
「……仕事しづらくなったら嫌なのよね」
思わず本音が出た。
友人の表情が少し変わった。
からかう顔ではなくなる。
「そっか」
「担当だから毎週会うし。もし変なことになったら、仕事までおかしくなるでしょ」
「それはあるね」
「今の関係だって嫌いじゃないの。むしろ楽だし、あの人の漫画に関われるのも嬉しいし」
だからこそ、壊すのが怖い。
長い付き合いだから失いたくないし、担当編集としても離れたくない。
何もしなければ今のままでいられる。
ただ、それではずっと今のままだ。
「面倒だね」
「前に時根君のこと、面倒な人って言ってなかった?」
「似た者同士なんじゃない?」
「それは嫌」
「お似合いじゃん」
「褒めてないでしょ」
「褒めてるよ」
絶対に半分は面白がっている。
◇
話が一段落したところで、ミドリはもう一度ぬいぐるみの写真を見た。
「でもさ」
「何?」
「これ取ってくれたんでしょ?」
「うん」
「服が違うのにも一応気づいた」
「言い方は最悪だったけど」
「一日一緒にいて、楽しかったとも言ったんでしょ?」
「『いい気分転換』だけどね」
「そこはもう忘れなさい」
「無理」
友人は笑った。
「ゼロじゃないと思うけどな」
「何が?」
「可能性」
その言葉に、ミドリは少し黙った。
「単に鈍いだけなんじゃない?」
「それは間違いない」
「だったら、待ってても駄目だよ。ああいう人には分かるようにやらないと」
「……分かるように」
「次はもう少しだけ大胆にね」
前にも聞いた言葉だ。
あの時は、それで二人きりの外出へ誘った。
自分としては十分大胆だったつもりなのに、結果は「気分転換」である。
次は、どこまでやればデートだと認識してもらえるのだろう。
「『今日はデートだから』って最初に言うとか?」
友人が言った。
「無理」
「じゃあ腕組む」
「もっと無理」
「手つなぐ」
「順番逆じゃない?」
「注文多いなあ」
「こっちは真剣なの」
「私も真剣に面白がってる」
「やっぱり面白がってるじゃない!」
店の中なので、大声になる寸前で抑えた。
◇
友人と別れて帰宅したあと、ミドリは机の上のぬいぐるみを見た。
昨日置いた位置からほとんど動かしていない。
自分でも少し大事にしすぎだと思う。
ただのゲームセンターの景品だ。
しかも、取った本人は渡したことに大した意味なんて感じていないだろう。
それでもいい。
少なくとも、あの時は自分を見ていてくれた。
欲しいと言っていないものを、欲しそうだと気づいてくれた。
漫画以外のことになると鈍い人にしては、かなりの進歩なのかもしれない。
「……気分転換、か」
思い出すと、やっぱり少し腹が立つ。
スマートフォンを手に取った。
時根とのやり取りを開く。
何か送ろうかと思って、やめた。
次に会うのは仕事だ。
原稿の話になる。
いつも通りになる。
それで終わったら、また何も変わらない。
友人の言葉が頭に浮かぶ。
もっと大胆に。
「簡単に言ってくれるわよね……」
ぬいぐるみを持ち上げる。
丸い顔がこちらを見ている。
「次はもうちょっと頑張るから」
誰に宣言しているのか、自分でも分からない。
ただ、その直後に思い直した。
「……いや」
ぬいぐるみを机へ戻す。
「私ばっかり頑張るのおかしくない?」
少しくらい、向こうから気づいてくれてもいいはずだ。
高校から何年付き合っていると思っているのか。
漫画の登場人物なら、一コマの表情から何を考えているのか散々悩むくせに。
「現実の女の顔も、もうちょっと読みなさいよ」
本人がいないので、言いたい放題だった。
当然、返事はない。
ミドリはぬいぐるみをもう一度見て、小さく笑った。
まあ、次に会った時はいつも通りでいい。
その次くらいには、少しだけ。
本当に少しだけ。
前より分かりやすくしてみよう。
それでも気づかなかったら。
その時は、また友人に相談する。
たぶん、もっと無茶なことを言われるだろうけれど。




