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時根の手記  作者: 時根脱才 


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「締切」

「締切」


 締切というものは、作品がどれだけ売れても待ってくれない。


 テレビになろうが、子供向けの漫画が出ようが、サクラを返してくれという手紙が山ほど届こうが、原稿の締切だけは昔と同じ顔をしてやって来る。


 むしろ最近は、昔より少し厳しくなった気すらする。


「あと何ページ?」


 電話の向こうでミドリが聞いた。


「聞かないで」


「聞くのが仕事なの」


「じゃあ、その仕事今日は休まない?」


「休んだら時根君の原稿が落ちるでしょうが」


「分かってるよ」


 分かっているから困っている。


 机の上には、描きかけの原稿が広がっている。ネームは通っているし、大筋も決まっている。何も浮かばなくて一文字も進まない、という最悪の状態ではない。


 それなのに、手が遅い。


 理由は自分でも分かっていた。


 最近、一コマ描くたびに余計なことを考えるようになった。


     ◇


 紀人の顔を描く。


 少し険しすぎる気がする。


 直す。


 今度は柔らかすぎる気がする。


 また直す。


 吹き出しの台詞を読む。


 以前なら、そのキャラクターがその場で言うと思った言葉を入れて、それで終わっていた。


 今は、


 ――テレビでこの台詞を言ったらどう聞こえるだろう。


 ――小さい子が聞いたらどう受け取るだろう。


 ――読者は今、紀人に何を期待しているんだろう。


 そんなことが、勝手に頭へ入ってくる。


 誰にも考えろと言われたわけではない。


 ミドリにも、編集部にも、テレビ側にも、「世間の期待を全部背負って描け」なんて言われていない。


 僕が勝手に背負っているだけだ。


 それが一番面倒だった。


     ◇


「今日の時根君、遅いわね」


 夕方、原稿を見に来たミドリが言った。


「普通」


「普通じゃない。いつもならこの辺まで終わってる」


「よく覚えてるね」


「担当だからね」


 机の横から覗き込まれる。


 僕は反射的に原稿を隠しかけた。


「何?」


「いや」


「見せなさいよ」


「まだ途中」


「途中を見るために来たの」


「完成してから見てくれればいいのに」


「完成してから全部描き直しになったら泣くの時根君でしょ」


 もっともだったので、諦めて原稿を渡した。


 ミドリは何枚か黙って見る。


 こういう時だけは、高校時代から知っている相手には見えない。ちゃんと担当編集の顔になる。


 数分後、原稿を机へ戻した。


「別に変じゃないけど」


「そう?」


「むしろ丁寧。でも、なんで同じ顔三回描き直してるの?」


 ばれていた。


「ちょっと気になっただけ」


「何が?」


「紀人の顔」


「それは見れば分かる」


 ミドリは椅子を引っ張って座った。


「具体的に何が気になったの?」


 答えようとして、少し迷った。


「……格好よくした方がいいのかなって」


「は?」


 予想通りの反応だった。


「今の紀人じゃ駄目って話じゃないよ。ただ、この前子供向けの漫画読んだだろ。あっちの紀人、分かりやすく格好よかったし」


「それで?」


「テレビでも、役者さんがやると僕の絵より表情が伝わりやすい時があるし。今、見てる人も増えてるから」


 言いながら、自分でも何を言いたいのか分からなくなってきた。


 ミドリはしばらく黙っていた。


「つまり、人気が出たから紀人を変えようとしてるの?」


「変えたいわけじゃない」


「じゃあ何?」


「期待されてるものとズレてないか気になる」


 ようやく、それらしい言葉になった。


     ◇


 読者が増えた。


 テレビを見る人がいる。


 子供向けの漫画から入る人もいる。


 サクラのように、僕が予想していなかった人気の出方をするキャラクターもいる。


 その人たちが原作を読んだ時に、「思っていたのと違う」と感じることは当然あるだろう。


 それ自体は悪いことではない。


 頭では分かっている。


 それでも、これだけ『ビーストギア』を好きだと言ってくれる人が増えると、今度はその人たちが求めているものを外すのが怖くなってくる。


「前はさ」


 僕は言った。


「面白いかどうかだけ考えてればよかったんだよ」


「今もそうすれば?」


「簡単に言うなあ」


「難しくしてるの時根君でしょ」


「そうなんだけど」


 連載を始めた頃は、そもそも先の心配をする余裕がなかった。


 次の話を面白くする。


 次のページを読んでもらう。


 人気が落ちたらどうしよう、連載が終わったらどうしよう、そんな怖さはあったけれど、少なくとも「社会現象になった作品として正しい一話を描こう」なんて馬鹿なことは考えていなかった。


 今は、自分が勝手に「大きな作品らしいもの」を描こうとしている。


 その結果、紀人の眉毛一つで三回描き直している。


 我ながらかなり馬鹿らしい。


     ◇


「読者が何を求めてるか知りたい?」


 ミドリが聞いた。


「知れるの?」


「無理」


「じゃあ聞くなよ」


「一人ずつ違うもの」


 ミドリは机の上の原稿を指で軽く叩いた。


「キッドにずっと勝ってほしい人もいる。もっと苦戦してほしい人もいる。紀人の日常が好きな人もいるし、怪人戦だけ読みたい人もいる。サクラを戻してほしい人もいれば、あの終わり方が良かったと思ってる人だっているでしょ」


「まあ……そうだね」


「全部叶える?」


「無理」


「じゃあ考えても仕方ないじゃない」


「ずいぶん乱暴だな」


「読者を無視しろとは言ってない。反応を見るのも大事。でも、それを全部次の原稿に入れようとしたら、何も描けなくなるって言ってるの」


 悔しいけれど、たぶん正しい。


「じゃあ僕の好きに描けばいい?」


「それで面白ければね」


「最後に圧かけるのやめてくれない?」


「担当だから」


 便利な言葉だ。


     ◇


 ミドリが帰ったあと、描き直していた紀人の顔をもう一度見た。


 最初の絵。


 二枚目。


 三枚目。


 並べてみる。


 結局、最初の絵が一番その場面の紀人らしかった。


「……何やってるんだろ」


 全部消して、最初の表情に戻した。


 少し険しくて、でも完全に怒っているわけではない。迷っていることを隠そうとして、隠しきれていない顔。


 テレビの紀人なら、役者さんがもう少し細かく表現するかもしれない。


 子供向け版なら、もっと分かりやすくするかもしれない。


 でも僕の漫画では、これだ。


 ようやくペンが進み始めた。


     ◇


 不思議なもので、一か所を諦めると、その後は早かった。


 台詞も直しすぎない。


 コマ割りも、最初のネームから大きく変えない。


「これが人気作品として正しいか」ではなく、「この場面でこの人が何をするか」に戻す。


 そうすると紀人も、周りのキャラクターも急に動き始めた。


 別に本当に動いたわけじゃない。


 漫画家がよく言う、キャラクターが勝手に動くというあれだ。


 昔は少し大げさな表現だと思っていたけれど、長く描いていると何となく分かる。


 この人ならここで黙る。


 この人なら一言余計に言う。


 これはやらない。


 そういう積み重ねが、考えるより先に手を動かしてくれる時がある。


 そこへ「今の視聴者は」とか「商品展開的には」とか余計なものを大量に入れれば、動かなくなるのも当然だった。


 夜が深くなった頃、ようやく最後のページまでたどり着いた。


     ◇


 完成した原稿を送ったあと、ミドリから電話が来た。


「見た」


「早いね」


「締切だからね」


「感想は?」


「普通に面白かった」


「普通に、って何」


「褒めてる」


「もっと編集者らしいこと言えないの?」


「さっき散々面倒くさい相談聞いたんだから、今日はもういいでしょ」


 確かに。


「紀人の顔、元に戻したのね」


「分かった?」


「そりゃ分かる」


「最初のが一番良かった」


「でしょうね」


「分かってたなら止めてよ」


「自分で気づかないと、次もまたやるでしょ」


 そういう教育方法だったらしい。


 腹が立つけれど、たぶん次に同じことをやりかけたら今日を思い出す。


     ◇


 電話を切ってから、机の上を片づけた。


 ボツにした紀人の顔が何枚か残っている。


 せっかくなので、一枚だけ取っておくことにした。


 作品が大きくなったことは、たぶんもう元には戻らない。


 これからもっと人が関わるかもしれないし、僕の知らない『ビーストギア』も増えていくだろう。


 そのたびに、読者の期待や周囲の意見が気になると思う。


 全部気にしないなんて、僕には無理だ。


 でも、全部に応えようとするのも無理だと今日分かった。


 だったら、自分が描く一話くらいは、自分が一番そのキャラクターらしいと思うものを選ぶしかない。


 それが外れることもある。


 読者に嫌われることもあるだろう。


 漫画家としては、そこから逃げられない。


 作品が大きくなったからって、急に正解が分かるようになるわけじゃないのだ。


 むしろ逆かもしれない。


 正解らしく見えるものが増えるだけで、本当にどれが正しいかは昔より分からなくなる。


 そういう時に最後に残るのが、自分がどう描きたいかなんだろう。


 ……などと、少し格好いいことを書いてみたけれど。


 今日一番学んだのは別のことだ。


 締切前に同じ顔を三回描き直すのは、本当にやめた方がいい。


 精神論より先に、時間がなくなる。

本作品を含む、凛監修×生成AI合作作品は、同じ世界観の中でつながるシリーズ作品です。

それぞれ単独でもお楽しみいただけますが、同じ出来事が別作品では異なる視点から描かれたり、一方で起きた出来事が、もう一方の物語へつながったりすることがあります。

一つの作品だけでも楽しめる。

けれど、複数の作品を読むことで、初めて見えてくるものもある。

ぜひ、それぞれの物語をあわせてお楽しみください。

【人間×生成AIによる合作作品】

企画・原案・設定・ストーリー構成:時根脱才

文章制作・構成補助:ChatGPT(OpenAI)

本作品の世界観、キャラクター、各エピソードの原案・展開は作者が制作し、それをもとにAIと相談・推敲を重ねながら、小説として文章化しています。

本作品は「小説家になろう」「カクヨム」の両サイトに掲載しています。

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