第32話 意外な提案
ティエラは自分の迂闊さを悔いた。
“結婚”と言うものを軽く考えていたし、実際すぐに離婚する気満々であった。
しかし、ここで大きなミス。
夫(一時的)であるモロコスが、馬鹿正直に扶養控除や育英助成金の手続きをしていたのである。
基本的に各地の領主が開設している役場に、住民として陳情したり、各種手続きを行ったりするものなのだが、“戸籍”に関する案件だけは王国中央政府が絡んでいる。
戸籍は全て『個人証明札』に記憶させるため、これに関してだけは中央が関わって来る。
戸籍の“謄本”は中央省庁の『賢者の御座』に記憶され、同時に各領主の方にも自領の住民に関する分の“副本”が城館に保全されている。
そうした事情もあって、出生届や死亡届、あるいは養子縁組などは、領主と中央政府の出先の窓口の双方に提出するのが通例だ。
また、先王リシャールからの制度であるが、“扶養控除”や“育英助成金”は中央から支出されるため、補助金の手続きは中央政府に提出する。
そこが今回のミスを生じさせる状況に繋がった。
膨大な数の養子縁組の手続きをティエラが引き受け、他の簡単な手続きをモロコスに任せた。
モロコスも読み書きはできるので、簡単な署名やらは普通にできるが、それが裏目に出た。
窓口の役人にしても、“善意”で子供の有無をモロコスに聞いて手続きをしたのだろうが、その“善意”と“正直さ”が面倒を引き起こした。
(しくじったわ! あの時、全部の書類に目を通しておくべきだった!)
婚姻届を出しに行った時、ティエラは同時進行で養子縁組の申請手続きをやっていた。
それも“300人分”の申請であるから、役所に提出する書類の量は膨大。
それを1人で片付けたのはさすがの手腕ではあったが、その他の簡単な手続きなどは、モロコスに任せたのは大きなミスだ。
金勘定や頭脳労働、事務仕事に疎いモロコスでは、そこまで先々の事にまで気を配っていなかったのだ。
善意が裏返り、悪意に乗っ取られた。
ペコニアが指摘した以上、これは逃れられない状況だ。
「んで、どうするのティエラちゃん? 結婚詐欺の嫌疑を受けてでも、離婚しちゃう? しちゃうの?」
「あんた、余計な事を……!」
「余計な事をって言うのなら、それはモロコスに言うべき台詞じゃなくって?」
ニヤニヤ笑いながらペコニアはモロコスに視線を向ける。
モロコスも事態の深刻さをようやく理解し、冷や汗ダラダラだ。
「な、なあ、ティエラ」
「事前に話していた計画は破棄。今の状況なら、モロコス、あなた牢獄行きよ!」
「恩赦の取り消し、か」
「テンプル騎士団の件で睨まれているしね。恩赦を受けた身で、禊も済んでないような短時間の内に、明確な犯罪行為ではないにしても、それに近い手口に手を染めたとなると、お上の心象最悪よ」
「す、すまん。そんな事になるなんて」
「悔いても仕方ない。これからの善後策を考えないと……!」
こういう時にこそ、気持ちの切り替えは重要だ。
周囲が熱を上げていても、心を冷ややかにして考えてきたのが今はまでの自分のはず。
そう言い聞かせて、ティエラは次策を考え始める。
だが、それを許さない悪魔が目の前にいる。
「でも、それを考えてる時間、ないわよ。ねえ、伯爵様?」
「まあ、そうなるな。陛下が難色を示されているのだ。あまり時間をかけられるのは、こちらとしても困る」
シャルルもキッパリとそう言い切る。
せっかく、建設ラッシュの恩恵を受け、領内の産業が好景気に沸いているのだ。
それに水を差されるのは、好ましくはない。
「まあ、結局のところ、国王陛下はあなた方が怖いんじゃない? 魔王を倒した勇者パーティー、扱いを間違えれば大爆発するかもしれない。それを宥めておくコストも、バカにならないと考えているかもしれないわ」
「俺達はそんなつもりなんかないぞ!」
「フフッ、ねえねえデビィドちゃん、合法的に素寒貧にされて、あなた、いつまでも大人しく黙っていられるかしらね」
ペコニアの高笑いはどこまでも響く。
本当に悪魔らしい嫌な性格だ。
そして、デビィドもかなり苛ついているし、モロコスに至っては機会さえあれば殴り込んでやるとも密かに考えていた。
しかも、その気になれば“殴り返せる実力”を持っているのも、警戒される一因だ。
それだけに、ペコニアの嫌みは的を射ていた。
もちろん、失うものが多すぎるティエラとしては、最悪を回避するために動く。
「領主様は何をお望みで?」
「頭の良いお前にしては、愚策を用いるな、ティエラ。その手の発言は交渉事において、足元を見られる事になるぞ」
「愚策なのは承知です。ですが、下策で下がってしまった信用を取り戻すのには、例え愚策であろうとも用いねばなりません」
「形振り構わず、か。まあ、必死さは買う。だが、こちらが買ってほしいのは、それではない」
買う、という単語が出てきて、ティエラの警戒心は一気に増した。
何かを買わせ、押し付けて、以て今回の不手際をチャラにする。
そういう話なのだろうが、問題は“何を買わせるのか”という点だ。
そして、ここには“悪魔”がいる。
勇者パーティーへの嫌がらせに全力を出しているこの悪魔が、“合法的手段”で仕掛けているのは間違いない。
シャルルが乗り気になって動いているので、そちらの利益にもなる提案である事も。
それだけに警戒し、ティエラも、デビィドも、モロコスと表情は固い。
そして、ニヤリと笑いながらシャルルが口を開く。
「ティエラよ、お前に“男爵号”を授ける」
「……へ?」
「だから、お前を男爵にして、貴族に列するという事だ」
「あたしを、男爵に!?」
意外過ぎる提案に、ティエラは目を丸くした。
デビィドやモロコスも思考が追いついていないのか、表情が強張ったままだ。
だが、ティエラはその提案の意味を即座に思考し、結論を導き出した。
そして、冷や汗をかく。
これまた面倒な事態になる、と。
「……領主様、暗に我が家との契約更新を狙っているのではないですか?」
「いいや。ティエラを男爵に任じ、当家とは独立した貴族家を新たに創設する。男爵領はそちらが開墾してきた土地を“買い取る”という形で良い」
「独立した貴族……。では、伯爵家への上納も無し、と言うことで?」
「ああ。ただし、土地の買い取り価格はそれなりになるがな」
そう言ってシャルルは“土地の譲渡・売買契約書”を差し出してきた。
そこには、今までティエラの実家が何代にもわたって開墾してきた土地の区画が、事細かに描き込まれており、それを余さず譲渡・販売すると書き記されていた。
「あ、これもね。どうぞ♪」
次にペコニアが出してきたのは、“新たな貴族家に任ずる辞令書”であり、現国王ジャンの署名捺印が記されていた。
(って事は、陛下も了承済み!? 伯爵様と結託してる!?)
嫌な事実が積み上がる。
ティエラの汗の量はますます増えるが、それ以上に警戒したのは、更に追加で出された“土地売買に関する契約書”だ。
そこに記されていた金額は、ティエラの一族が保有する“土地以外の全財産”に相当する金額であった。
更にニヤつくペコニア。
まるで、「全部把握してるわよん♪」とでも言いたげに。




