4話:カラスの素顔
刃と異形が噛み合い、飛び散る火花が夜の闇を白く焼き焦がす。
「く、あぁぁぁッ!!」
クロウは喉が千切れるほどの咆哮を上げ、簒奪の魔力を爆発させた。
だが、ジークヴァルトは一歩も退かない。国に力を奪われ、わずか一割の出力しか出せないはずの肉体。
それでありながら、元近衛兵団長が持つ絶技と圧倒的な質量は、まさに「怪物」そのものだった。
死角からステラが放った渾身の矢は、彼の肉体に触れることすらできない。
衣服の数センチ手前で目に見えない不可視の壁に阻まれ、虚しく弾け飛んだ。
この世界における魔法や異能は、総じて『神秘』と呼ばれる。
特定の限られた血族の『魔核』に刻まれた『刻印』によってのみ発現する特権である。
その優位性を決めるのは、他者に構造を知られていないという【秘匿性】だ。
ジークヴァルトが纏う無敵の障壁は、アヴァロン聖王国が数百年間秘匿し続けてきた究極の未知。
その絶対的な力の前に、三人は完全に攻め手を欠いていた。
本来なら、エレニアの金の瞳『神秘看破』でその刻印の術式を読み解き、無効化するしかこの場を切り抜ける術はない。
しかし、先ほどの消耗でエレニアは衰弱しきっていた。これ以上の能力の使用は、彼女の命に関わる。
「下がっていろ、二人とも……!」
クロウが前に出る。
右腕に巻かれた包帯を引きちぎると、カラスの羽毛に似た漆黒の鱗に覆われた、人間のものではない腕が剥き出しになった。
ジークヴァルトが白銀の剣を構え、地を蹴る。
一瞬で間合いを詰めてくる死神の猛攻。クロウは漆黒の腕を掲げ、魔弾で迎え撃とうとした。
彼の『簒奪』の能力は、対象を殺害して魔核を直接取り込むことで初めて成立する。
生きたジークヴァルトから、その障壁を奪うことは不可能なのだ。
無敵の障壁に爪を弾かれ、ジークヴァルトの容赦のない一撃がクロウを吹き飛ばす。
なんとか受け身を取り体勢を立て直したが、クロウを真に絶望させたのは敵の追撃ではなかった。
「が、はっ……あ、あああああああッ!!」
突如、クロウが激痛に叫び声を上げ、その場に崩れ落ちた。全身を凄まじい黒い衝撃が駆け巡る。
これまで多くの魔核を奪い、自らの肉体に取り込み続けてきた『簒奪の呪いの反動』。
そのツケが、最悪のタイミングで噴出したのだ。
彼の肉体内では、乱雑に奪い合われた複数の魔核の刻印がぐちゃぐちゃに絡み合い、制御不能な混沌と化していた。
内側から崩壊を始めた身体から、ボロボロと血が流れていく。
ジークヴァルトが冷酷に剣を振り上げる。
「やめて――っ!!」
助けてくれたクロウを死なせたくない。
その一心で、エレニアは自身の限界を無視して、眩い黄金の瞳を見開いた。
「……根源回帰。調律開始......」
エレニアの視界に、クロウの肉体の中で暴れ狂う魔核の術式が映し出される。
今の消耗しきった力では、彼の中に絡み合う膨大な呪いのすべてを解呪することは到底できない。
(お願い……届いて……っ!)
意識が遠のくほどの激痛に耐えながら、エレニアは絡み合った刻印の糸の奥へと、必死に意識を伸ばす。
そして、今まさに彼の命を蝕んでいる反動の根源を、奇跡的に手繰り寄せた。
「ほどけ……なさいッ!!」
『神秘看破』
世界が反転するような鋭い衝撃が走り、一時的ではあるが、完璧な『解呪』が成された。
次の瞬間、彼の全身を苛んでいた激痛が嘘のように収まっていく。
それと同時に、彼の右腕を覆っていたカラスの漆黒の鱗が剥がれ落ち、禍々しい異形の姿が、見慣れた人間の少年の姿へと戻っていった。
その横顔を見た瞬間、エレニアの脳裏に、失われていた古い記憶が鮮烈に蘇る。
あの日、病気がちだった自分を優しく治療してくれて、父親の研究をずっと手伝ってくれていた、あの男の子。
「……ル、シアン……? あなた、ルシアンなの……!?」
ずっと行動を共にしていた、漆黒の異形『クロウ』。その正体が、かつて自分の傍にいてくれた、ずっと探していた大切な幼馴染のルシアンだったことに、エレニアはこの極限状態で初めて気がついたのだ。
「エラ……お前、気づい……」
ルシアンが息を荒くしながらエレニアを見る。しかし、その衝撃の再会を噛み締める時間は、一瞬すらも残されてはいなかった。
「話は後だ! ステラ、エラを連れて走れッ!」
「言われなくたって――あそこよ、二人ともアタシに続いて!!」
野生の勘を尖らせたステラが、荒野の先に激しい水音を立てて流れる巨大な急流を見つけ、叫ぶ。
背後からは、爆煙を切り裂いた白銀の死神が、障壁の光を撒き散らしながら恐るべき速度で肉薄してくる。一歩でも足を止めれば、次の瞬間には首が飛ぶ。
「捕まっていろ、エラ!」
ルシアンはエレニアの身体を強く抱きかかえると、反動で軋む足に鞭打ち、最後の力を振り絞って地を蹴った。
ステラがジークヴァルトの足元へ牽制の矢を放ち、一瞬の隙を作る。
目の前に迫る、激しく渦巻く漆黒の濁流。
一歩間違えれば溺死しかねない危険な賭けだったが、躊躇する選択肢はなかった。
「――飛べぇッ!!」
ルシアンの怒号と共に、三人の身体が夜の虚空へと投げ出される。
「ルシアン……っ!」
エレニアが彼の胸に強くしがみついた直後、凄まじい衝撃と共に、三人の身体は冷たい激流へと呑み込まれていった。
全身を叩く激しい水流が、彼らの身体をジークヴァルトの届かない遥か下流へと、一気に押し流していく。
「……チッ。川に逃げたか」
岸辺に辿り着いたジークヴァルトが白銀の剣を収め、冷徹に濁流を見下ろす。
川の水によって完全に足取りと匂いを消され、流石の死神も追撃の手を一度止めざるを得なかった。
「だが、どこまで流されようと無駄だ。実験体ども……必ずや、我が主の元へ回収してやる」
冷たい夜風が、ジークヴァルトの執念を乗せて荒野に吹き荒れる。
大切な人の正体を知った衝撃、そして九死に一生を得た混沌の夜の中、ルシアンたちは激流に身を任せ、暗闇の先へと流されていくのだった。




