第65話 外れスキルと色の兆し
相原ユウから連絡が来たのは、低ランクダンジョン相談窓口で話をした翌日の夜だった。
『黒瀬さん。先輩たちに聞いてみました』
端末に表示された文章は、それだけだった。
続きは、すぐには来なかった。
俺は画面を見たまま、少し待った。
急かすべきではないと思った。
言葉を選んでいる時に、横から返事を求められると、人は本当に言いたかったことを飲み込んでしまうことがある。
相原には、昨日こう伝えた。
深い階層へ行くなら、先に条件を確認した方がいい。
何階層まで行くのか。
自分の役割は何なのか。
負傷した時はどうするのか。
誰が撤退を決めるのか。
自分が戻りたいと言った場合、本当に戻れるのか。
どれも、特別なことではない。
むしろ、本来なら事前に決めておくべきことだ。
でも、低ランク探索者の現場では、そういう確認が「空気を悪くするもの」として扱われることがある。
仲間を疑っているのか。
怖いなら来なくていい。
そんな細かいことを言っていたら強くなれない。
俺たちを信じろ。
そういう言葉は、たぶん全部が悪意ではない。
むしろ、善意で言われることの方が多い。
だからこそ、危ない。
悪意なら避ければいい。
罠なら暴けばいい。
でも、善意の中にある危うさは、本人たちにも見えにくい。
しばらくして、端末が震えた。
『ちょっと、変な空気になりました』
やっぱり、と思った。
続けて文章が届く。
『リーダーの先輩に、撤退条件を先に決めたいって言ったら、そんな大げさなことじゃないって笑われました』
『俺たちが守るし、経験になるからって』
『それでも、もし俺が戻りたいって言ったら戻れるんですかって聞いたら』
そこで、また途切れた。
俺は端末を握る手に力が入るのを感じた。
相原は弱い。
本人もそれを分かっている。
でも、弱い人間が危険を怖がるのは当然だ。
それなのに、「怖い」と言うだけで、自分が情けないことをしているように感じてしまう。
探索者の世界には、そういう空気がある。
強くなりたいなら危険へ行け。
怖がるな。
慣れろ。
経験を積め。
間違ってはいない。
危険を避け続けていれば、探索者として成長できないのも事実だ。
でも、戻る道を決めずに進むことを、勇気とは呼びたくなかった。
画面に続きが表示される。
『そんなに怖いなら、今回は来なくていいよって言われました』
俺は、しばらくその文章を見つめた。
責められたわけではない。
むしろ、無理をさせないための言葉だったのかもしれない。
怖いなら来なくていい。
表面だけ見れば、優しい。
でも、相原にとっては違ったはずだ。
行きたい。
強くなりたい。
でも怖い。
だから条件が欲しい。
そう言ったつもりなのに、「怖いなら来なくていい」と返された。
それは、相原にとっては「お前はまだ仲間として数えられない」と言われたように聞こえたかもしれない。
また端末が震えた。
『すみません。やっぱり俺が怖がりすぎなんですかね』
俺はすぐには返さなかった。
違う、とだけ打つのは簡単だった。
でも、それだけでは足りない。
相原の先輩たちは、おそらく悪人ではない。
相原も、それを分かっている。
だから迷っている。
自分が怖がりすぎなのか。
先輩たちが雑なのか。
それとも、その両方なのか。
俺は少し考えてから返信した。
『怖がりすぎではないです』
『ただ、先輩たちが悪意を持っているとも限りません』
『大事なのは、相原さんが安心して進める条件があるかどうかです』
『可能なら、明日もう一度話を聞かせてください』
送信する。
返事はすぐに来た。
『分かりました。行きます』
俺は端末を置いた。
部屋の中は静かだった。
窓の外には、いつも通りの夜がある。
S級ダンジョンの暴走が止まった後も、世界は何もかも綺麗になったわけではない。
管理局は揺れ続けている。
神楽坂は公聴会に立ち続けている。
セイラは財団の立て直しに追われている。
リアは配信の形を変えようとしている。
ミナトはどこまで信用していいのか分からない動きを続けている。
カナタは新人探索者の訓練に顔を出している。
大きな問題は、まだいくらでも残っている。
でも、今の俺の目の前にあるのは、相原ユウという一人の新人探索者の相談だった。
世界全部ではない。
でも、誰か一人の戻る道にはなるかもしれない。
翌日、低ランクダンジョン相談窓口へ行くと、相原はすでに来ていた。
ただし、一人ではなかった。
相談室の前に、四人分の気配がある。
相原。
そして、おそらく彼の先輩探索者たち。
俺が近づくと、相原がすぐに立ち上がった。
「あ、黒瀬さん」
顔が硬い。
昨日よりも緊張している。
「すみません。先輩たちも、一緒に話した方がいいかなと思って」
「大丈夫です」
俺は、相原の後ろにいる三人を見た。
一人目は、リーダーらしき男だった。
二十代半ばくらい。
短く刈った髪に、使い込まれた革鎧。
体格はいいが、威圧感を出そうとしているわけではない。
二人目は弓を背負った女性。
軽装で、表情は柔らかい。
ただ、こちらを探るような目をしている。
三人目は盾役らしい大柄な男。
寡黙そうで、腕を組んでいる。
リーダーの男が、軽く頭を下げた。
「どうも。石動レンです。ユウが相談してるって聞いて、俺たちも来ました」
「黒瀬透真です」
「有名人に相談してるって聞いて、正直びっくりしましたよ」
石動は苦笑した。
敵意はない。
だが、少し困っている。
自分たちは悪いことをしたつもりがないのに、外部の人間を呼ばれた。
そんな空気だ。
相談室へ入る。
机を挟んで、俺と相原たちが向かい合う形になった。
相原は先輩たちの横に座っているが、体は少し縮こまっている。
石動が先に口を開いた。
「まず言っておくと、俺たちはユウを無理やり連れて行くつもりはありません」
「はい」
「第六層って言っても、安全ルートです。俺たちも何度も行ってる。ユウには経験を積ませたいだけで」
弓使いの女性が続ける。
「ユウくん、慎重すぎるところがあるんです。悪いことじゃないけど、そのままだとずっと前に進めないかなって」
盾役の男も短く言った。
「守るつもりはある」
たぶん、嘘ではない。
少なくとも、彼らは相原を使い捨てようとしている顔ではなかった。
俺は三人を順に見た。
鑑定する。
対象:石動レン
嘘:俺たちなら守れる
危険:色相不一致
祈り:後輩に失敗してほしくない
知らない言葉が表示された。
色相不一致。
目の奥が、わずかに熱を持ったような感覚がある。
色相。
その意味は分からない。
でも、今までの鑑定表示にはなかった言葉だ。
続けて、弓使いの女性を見る。
対象:高峰サナ
嘘:怖がらせなければ大丈夫
危険:危険共有不足
祈り:相原ユウに自信を持ってほしい
盾役の男。
対象:熊谷ダイチ
嘘:盾役がいれば崩れない
危険:撤退判断の遅延
祈り:誰も置いていきたくない
やはり、悪意はない。
けれど危険はある。
石動の「俺たちなら守れる」。
高峰の「怖がらせなければ大丈夫」。
熊谷の「盾役がいれば崩れない」。
どれも、本人たちは本気でそう思っている。
その本気が、現実から少しずれている。
俺はゆっくり口を開いた。
「石動さんたちが、相原さんを使い捨てようとしているとは思いません」
三人の表情が少し緩む。
相原も、ほっとしたように俺を見た。
「ただ、安全かどうかは別です」
空気が止まった。
石動が眉を寄せる。
「安全ルートですよ」
「安全ルートでも、相原さんにとって安全かは別です」
「でも、俺たちがつきます」
「それが嘘として出ています」
石動の顔から笑みが消えた。
高峰が少し強い声で言う。
「嘘って、私たちが騙してるってことですか?」
「違います」
俺は首を横に振った。
「嘘は、悪意とは限りません。本人が本気で信じていても、現実とずれていれば出ることがあります」
何度も見てきた。
自分のための嘘。
誰かを守るための嘘。
善意の顔をした嘘。
本人すら嘘だと思っていない嘘。
その全部が、悪だとは言えない。
でも、危険であることはある。
「石動さんたちは、相原さんを守りたいと思っている。それは見えます」
石動は黙っている。
「でも、守れる条件が決まっていない。相原さんが戻りたいと言った時、本当に戻るのかも決まっていない。誰が撤退を判断するのかも曖昧です」
熊谷が低く言う。
「怖いなら、今回は外れればいい」
相原の肩が小さく動いた。
俺は熊谷を見る。
「その言葉は、相原さんには『怖がったから置いていかれた』と聞こえます」
熊谷は口を閉じた。
高峰が相原を見る。
「ユウくん、そうなの?」
相原はうつむいたまま、少し迷った。
それから、小さく頷いた。
「……はい」
声が震えている。
「俺、行きたくないわけじゃないんです」
石動たちが相原を見る。
「怖いです。正直、第六層はまだ怖いです。でも、強くなりたいです。先輩たちに置いていかれたくないです」
相原は膝の上で拳を握っていた。
「だから、戻る条件を決めておきたかったんです。怖くなったら逃げたいっていうより、戻れるって分かってたら、行けるかもしれないと思って」
相談室が静かになった。
石動は、ばつが悪そうに髪をかいた。
「……そういう意味だったのか」
相原は小さく頷く。
「はい」
「俺たちは、怖いなら無理させない方がいいと思ってた」
「分かってます」
「でも、置いてくみたいに聞こえたんだな」
「……はい」
石動は深く息を吐いた。
「悪かった」
相原が驚いたように顔を上げる。
高峰も申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんね、ユウくん。私、自信つけてほしいと思ってたけど、怖いって言いにくくしてたかも」
熊谷も短く言った。
「置いていく気はない」
相原の目が少し赤くなる。
それだけで全てが解決したわけではない。
謝罪は万能じゃない。
実際にダンジョンへ入れば、また別の危険が出る。
でも、少なくとも一つ、言葉になった。
怖い。
強くなりたい。
置いていかれたくない。
そこからなら、条件を作れる。
俺は机の上にメモを置いた。
「第六層へ行くなら、条件を決めましょう」
石動が少し苦笑した。
「契約書みたいですね」
「契約書ほど大げさでなくてもいいです。でも、決めておいた方がいい」
俺は書き始めた。
一つ目。
「相原さんの役割は、前衛ではなく後方観察と記録補助。魔物の癖、通路の変化、撤退地点を確認する」
高峰が頷く。
「それならユウくんに合ってるかも。細かいところ、よく見てるし」
二つ目。
「撤退条件。相原さんが二回連続で危険を訴えたら、一度停止。負傷者が出たら撤退。第六層に到達してから十五分で必ず戻る判断をする」
石動が少し悩む。
「十五分は短いですね」
「初回なら短い方がいいです」
熊谷が言う。
「戻る練習にもなる」
石動は熊谷を見て、少し驚いたようだった。
「ダイチがそう言うなら、まあ」
三つ目。
「撤退判断をリーダーだけにしない。石動さん、高峰さん、熊谷さん、相原さんの誰かが撤退を要求したら、一度全員で止まる」
熊谷が聞く。
「戦闘中は?」
「その場合は、合図を決めて後退。止まる場所も事前に決めておく」
俺は地図を広げた。
低ランクダンジョン第六層の安全ルート。
俺は戦闘職ではない。
細かい戦術判断は、俺だけでは危ない。
だから、昨日のうちにカナタへ送っていた。
端末には、短い返事が来ている。
『第六層安全ルートなら退避地点は三か所。B-2、C-4、旧補給室前。前衛が崩れたらC-4へ下がれ。十五分で戻す判断は妥当』
短い。
だが必要なことは全部入っている。
「御影カナタさんからです」
その名前を出すと、石動たちの姿勢が少し変わった。
カナタの名前は、低ランク探索者にも知られているらしい。
石動が地図を覗き込む。
「御影さんがそう言うなら、確かに……」
少し現金だと思った。
だが、納得する材料になるならそれでいい。
俺は英雄でも指導者でもない。
使えるものは使う。
「最後に」
俺は相原を見る。
「相原さん自身も、自分が何を怖がっているのか言葉にしてください」
「何を……」
「魔物が怖いのか。迷惑をかけるのが怖いのか。置いていかれるのが怖いのか。全部かもしれません。でも、名前をつければ少し距離ができます」
相原は、しばらく黙っていた。
それから、絞り出すように言った。
「俺は、失敗して、やっぱり使えないって思われるのが怖いです」
誰も口を挟まなかった。
「魔物も怖いです。でも、それより、先輩たちにがっかりされるのが怖いです」
石動は、静かにそれを聞いていた。
高峰は少し泣きそうな顔をしている。
熊谷は腕を組んだまま、目を伏せた。
俺は、相原を鑑定した。
対象:相原ユウ
嘘:自分は怖がっているだけ
危険:未成熟な色相発現
祈り:見捨てられずに強くなりたい
また、色相。
未成熟な色相発現。
その表示が出た瞬間、相原の指先に淡い光が滲んだ。
緑。
いや、ただの緑ではない。
若葉のような、青みを帯びた翠。
一瞬だけ。
相談室の蛍光灯の下で、相原の手元が微かに光った。
誰も反応しない。
俺だけが見えているのか。
それとも、あまりに短くて気づかなかったのか。
分からない。
表示が続く。
色相:翠
備考:一度目の失敗を、二度目の手順へ変換する傾向あり。
俺は息を止めた。
翠。
その言葉の意味を、俺はまだ知らない。
だが、相原の祈りと妙に噛み合っていた。
見捨てられずに強くなりたい。
一度失敗しても、次に進みたい。
二度目の手順。
相原の弱さは、ただの弱さではないのかもしれない。
相原が不安そうに俺を見る。
「黒瀬さん?」
俺は、表情を整えた。
「すみません」
「何か、見えましたか?」
答えるべきか迷った。
知らない言葉を、そのまま伝えていいのか。
色相。
翠。
未成熟な発現。
俺自身も理解していない。
分からないものを、分かったように言えば、それもまた嘘になる。
「確定したことは言えません」
俺はそう前置きした。
「ただ、相原さんには、一度失敗した状況から二度目に学ぶ力が強い可能性があります」
相原は目を丸くした。
「俺が、ですか?」
「はい」
「でも、俺、戦えないです」
「戦うだけが役割じゃありません」
その言葉は、自分にも返ってきた。
戦えない鑑定士。
外れスキル。
そう呼ばれた俺が、今もここにいる。
剣を振れるわけではない。
魔物を正面から倒せるわけでもない。
それでも、見えるものがある。
なら、相原にもあるのかもしれない。
「相原さんは、前衛に出るより、観察役として動いた方が力を発揮できるかもしれません」
石動が少し考える。
「じゃあ、第六層は一回延期します」
相原が驚いた。
「え」
「まず第三層で、ユウの観察役を試す。それと、撤退条件の練習をする」
高峰が頷く。
「いいと思う。戻る練習って、私たちもちゃんとやったことなかったし」
熊谷も短く言う。
「撤退訓練は必要だ」
相原の表情が、少しずつ変わっていく。
不安が消えたわけではない。
でも、置いていかれる顔ではなくなった。
「ありがとうございます」
相原は小さく言った。
その声には、まだ震えがあった。
でも、昨日より少しだけ前を向いていた。
話し合いは、それで終わった。
大きな事件ではない。
敵を倒したわけでもない。
誰かを断罪したわけでもない。
ただ、低ランク探索者のパーティーが、第六層行きを一度延期し、撤退訓練をすることになった。
それだけだ。
でも、たぶんそれでいい。
誰かを救うことは、いつも派手な逆転だけではない。
危険に行く前に、一度立ち止まること。
怖いと言えるようにすること。
戻る条件を決めること。
それもまた、救いの形なのだと思う。
相談室を出ると、廊下は静かだった。
窓の外には、低ランクダンジョンの入口が見える。
小さなゲート。
S級ダンジョンのような圧迫感はない。
けれど、その奥にも危険がある。
嘘がある。
善意がある。
祈りがある。
そして、今はもう一つ。
色がある。
相原の手元に見えた、淡い翠。
あれは何だったのか。
能力なのか。
祈りの形なのか。
それとも、俺の鑑定がまた変わり始めているのか。
分からない。
分からないまま、端末を取り出した。
佐伯へ送る。
『相原ユウさんの件で、新しい表示が出ました』
少し迷ってから、続ける。
『色相:翠』
送信。
返事はすぐには来なかった。
その間に、廊下の向こうで相原たちの声が聞こえた。
「じゃあ、次は第三層で撤退訓練な」
「はい」
「怖かったら言っていいからね」
「……はい」
「二回言ったら止まるんだったな」
「はい」
ぎこちない会話だった。
でも、悪くなかった。
端末が震えた。
佐伯からではない。
差出人不明。
本文は短かった。
『翠は、育つと面倒だよ』
俺は画面を見つめた。
誰だ。
なぜ、相原の色を知っている。
廊下の空気が、少しだけ冷たくなった気がした。
相談室の中では、相原たちがまだ話している。
その声は、さっきより少し明るい。
俺は端末を握りしめた。
小さな相談は、確かに一歩前へ進んだ。
だが、その足元に、もう別の視線が伸びている。
第一部は終わった。
嘘の奥にある祈りを見た。
でも、祈りはそこで終わらない。
祈りは時に、色を持つ。
その色を、誰かが狙っている。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
第二部、始まりました。
今回は、第一部の最後に登場した新人探索者・相原ユウの相談から物語が再び動き出します。
大事件ではありません。
世界を揺るがす戦いでもありません。
ただ、低ランク探索者の少年が「怖いけれど強くなりたい」「置いていかれたくない」と言葉にする回でした。
けれど、その小さな相談の中で、透真の鑑定には新しい表示が現れました。
色相。
そして、相原ユウに見えた淡い翠。
それが何を意味するのかは、まだ透真にも分かっていません。
ただ、第一部で見えていた嘘、危険、祈りのさらに先に、何か別の仕組みがあることだけは確かです。
第二部では、この「色」が大きな鍵になっていきます。
ただし、いきなりすべてが明かされるわけではありません。
透真たちも読者の皆さまと同じように、少しずつその意味を知っていくことになります。
ここからまた物語は加速していきます。
第二部も追いかけたいと思っていただけたら、ぜひブックマークと評価で応援していただけると嬉しいです。
ブックマークや評価が増えると、本当に大きな励みになります。
続きを楽しみにしていただけるよう、ここからさらに面白くしていきます。




