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第64話 最弱鑑定士の次の依頼

 佐伯ユズルから届いた依頼に返信したのは、翌日の昼だった。


 急ぎではありません。


 そう書かれていた。


 だから、急がなかった。


 昨日は澪の墓へ行った。

 帰って、カナタに言われた通り飯を食べて、少しだけ眠った。

 眠りは浅かった。


 夢は見なかった。


 いや、見ていたのかもしれない。

 ただ、覚えていない。


 朝起きて、しばらく天井を見ていた。


 何かが劇的に変わった感じはなかった。


 澪の墓前で言葉にしたからといって、胸の中の重さが消えたわけじゃない。

 神楽坂を許せたわけでもない。

 管理局への怒りが整理されたわけでもない。


 でも、昨日より少しだけ呼吸はしやすかった。


 それくらいの変化だった。


 端末を開き、佐伯に返信する。


『今日行けます』


 すぐに既読がついた。


『ありがとうございます。場所は第七低ランクダンジョン相談窓口です。戦闘案件ではありません』


 戦闘案件ではありません。


 わざわざそう書くあたり、佐伯らしい。


 俺は短く返した。


『分かりました』


 準備をして、家を出る。


 電車に乗り、乗り換えて、低ランクダンジョンの管理施設へ向かった。


 都心から少し外れた場所にある、古い施設だった。


 S級ダンジョンの対策本部とは違う。


 派手なモニターもない。

 緊急警報も鳴っていない。

 出入りする探索者たちも、どこか生活感がある。


 装備は古く、表情には緊張が残っているが、それでも空気は穏やかだった。


 低ランクダンジョン。


 かつての俺にとっては、それでも十分怖い場所だった。


 清掃バイトとして、深夜の通路を歩いていた頃を思い出す。


 雑用扱い。

 戦闘力なし。

 スキルは《鑑定》だけ。


 剣も振れない。

 魔法も使えない。

 配信で人気があるわけでもない。

 ギルドの後ろ盾もない。


 ただ、嘘を見るだけ。


 それも、昔は今ほど見えていなかった。


 それでも、ここから始まった。


 受付で名前を告げると、職員が少し慌てたように立ち上がった。


「黒瀬透真さんですね。佐伯から伺っています」


「はい」


「こちらへどうぞ」


 案内されたのは、小さな相談室だった。


 机と椅子が二つ。

 壁には低ランク探索者向けの安全ポスターが貼られている。


【違和感を覚えたら報告】

【単独行動禁止】

【契約書は必ず確認】

【低ランクでも油断しない】


 どれも当たり前のことだ。


 でも、当たり前のことほど軽く見られる。


 部屋には、先に一人の新人探索者が座っていた。


 年は俺より少し下くらいだろうか。


 緊張した顔。

 安物の防具。

 手入れだけは丁寧な短剣。

 膝の上で握りしめられた手。


 俺が入ると、彼は勢いよく立ち上がった。


「あ、あの、黒瀬さんですか」


「はい。黒瀬透真です」


「すみません、わざわざ来てもらって」


「大丈夫です」


 俺が座ると、彼もぎこちなく腰を下ろした。


 職員は一礼して部屋を出ていく。


 二人きりになると、新人探索者はますます緊張した顔になった。


「えっと、俺、相原ユウって言います。Eランクです。まだ登録して二ヶ月で」


「はい」


「その、変な相談かもしれないんですけど」


 彼は言葉を探すように視線を落とした。


「パーティーのことで」


 よくある相談。


 仲間が嘘をついている気がする。

 契約に罠があるかもしれない。

 報酬配分がおかしい。

 危険を隠されている。


 配信禁止区域事件の後から、そういう相談は何度も来た。


 俺は多くを断ってきた。


 全部に関われば、自分が壊れると思ったからだ。


 でも、今は目の前の一件を見る。


 全部を救うのではなく。


 目の前の戻る道を探す。


「どんなことですか」


 俺が聞くと、相原は小さく息を吸った。


「最近、パーティーに入れてもらったんです。先輩探索者三人のところで。みんな優しくて、装備も貸してくれて、狩り方も教えてくれて」


「はい」


「でも、次の探索で、ちょっと深い階層まで行こうって言われてて」


 相原の指が震える。


「俺、まだその階層に行く自信なくて。でも、先輩たちは『大丈夫』『俺たちが守る』『経験になる』って言うんです」


 大丈夫。


 その言葉に、少しだけ胸が反応した。


 神楽坂の「大丈夫」。

 リアが言わなかった「大丈夫」。

 ナギが与えようとした、壊れない物語。


 相原は続ける。


「本当に優しいんです。たぶん、悪い人じゃないと思います。でも、なんか……」


「違和感がある」


「はい」


 相原は顔を上げた。


「俺が怖がってるだけなのかなって思って。低ランクのくせに、せっかく誘ってもらったのに断るのも失礼かなって」


 俺は少し黙った。


 昔の俺なら、どう答えただろう。


 危険なら行くな。

 怖いなら断れ。

 仲間を信じるな。

 契約書を見せろ。


 どれも間違いではない。


 でも、それだけでは足りない気がした。


「その先輩たちは、具体的に何階層へ行くと言っていますか」


「第六層です」


「相原さんのこれまでの最高到達階層は?」


「第三層です」


「報酬配分は?」


「先輩たちが七割、俺が三割です。装備を貸してもらうので、それでいいかなって」


「撤退判断は誰が?」


「リーダーの先輩です」


「相原さんが戻りたいと言った場合は?」


 相原は言葉に詰まった。


「……そこは、聞いてないです」


 俺は頷いた。


「なら、まずそこを聞いてください」


「え」


「行くかどうかを決める前に、撤退条件を確認した方がいいです」


 俺は机の上のメモ用紙を引き寄せた。


 そこに書く。


・第六層へ行く理由

・相原ユウの役割

・撤退条件

・相原ユウが戻りたいと言った時の対応

・負傷時の責任

・報酬配分

・貸与装備の破損時の扱い


「この辺を、先に聞いてください」


 相原はメモを見て、少し驚いた顔をした。


「これ、聞いていいんですか」


「聞いていいです」


「でも、疑ってるみたいになりませんか」


「なります」


 俺は正直に答えた。


 相原の顔が強ばる。


「でも、疑うことは悪いことじゃないです。相手を悪人扱いすることとは違います」


「違う……」


「はい。信じるために確認することもあります」


 相原は、メモを見つめた。


「でも、先輩たち本当に優しくて」


「優しい人でも、判断を間違えることはあります」


 俺は言った。


「守るつもりで、相手に選ばせないこともある」


 その言葉は、澪にも、神楽坂にも、ナギにも向いていた。


 相原は、何かを考えるように黙る。


 俺は彼を鑑定した。


 対象:相原ユウ

 嘘:自分が怖がっているだけ

 危険:撤退条件の未確認

 祈り:見捨てられずに強くなりたい


 見えた。


 嘘だけじゃない。


 祈りも。


 彼は、単に疑っているわけじゃない。


 仲間を悪者にしたいわけでもない。


 怖い。


 でも、強くなりたい。


 見捨てられたくない。


 先輩たちに認められたい。


 その祈りがある。


「相原さん」


「はい」


「怖がっているだけ、というのは嘘です」


 彼の目が見開かれる。


「え」


「怖いのは本当です。でも、それだけじゃない。相原さんは、見捨てられずに強くなりたいと思っている」


 相原の表情が揺れた。


「……そう、です」


 声が震える。


「俺、弱いんです。戦闘も下手で。だから、先輩たちに置いていかれたくなくて。大丈夫って言われると、信じたくなるんです」


「信じたいなら、確認してください」


「確認」


「はい。戻る条件を決めて、それでも一緒に行けるなら、行けばいい。条件を聞いた時に怒るようなら、行かない方がいい」


 相原はメモを握る。


「それって、逃げじゃないですか」


「戻る道を確認することは、逃げじゃないです」


 俺は言った。


「戻る道があるから、進めることもあります」


 相原は、しばらく黙っていた。


 やがて、小さく頷く。


「聞いてみます」


「はい」


「もし、それで嫌な顔されたら」


「その時はまた相談してください」


 言ってから、自分で少し驚いた。


 また相談してください。


 以前なら、そんなことは言わなかったかもしれない。


 関わりすぎるのが怖かった。


 全部引き受けることになる気がした。


 でも今は違う。


 全部を救うわけではない。


 ただ、戻る道を一つ残す。


 それくらいなら、できるかもしれない。


 相原は、少しだけほっとした顔をした。


「ありがとうございます」


 彼は立ち上がりかけて、ふと俺を見た。


「あの、変なこと聞いていいですか」


「はい」


「鑑定って、戦えない外れスキルですよね?」


 あまりにも昔の自分に刺さる言葉だった。


 相原は慌てる。


「あ、いや、悪い意味じゃなくて! 俺も似たような補助スキルで、戦闘向きじゃなくて、その、周りからそう言われてて」


 俺は少しだけ笑った。


「そうですね」


 相原が固まる。


「そうなんですか」


「剣より分かりやすくはないです」


 俺は言った。


「魔物を一撃で倒せるわけじゃない。派手な配信映えもしない。守ってくれる鎧でもない」


 相原は真剣に聞いている。


「でも、嘘を見ることはできます。危険を見ることもあります。最近は、祈りも少し見えるようになりました」


「祈り?」


「本人も気づいていない、奥にある願いみたいなものです」


 相原は目を丸くする。


「すごいですね」


「すごいかどうかは分かりません」


 本当に。


 まだ、俺にもよく分からない。


 この力で全部が救えるわけではない。


 むしろ、見えたせいで苦しくなることもある。


 それでも。


「でも、外れかどうかは、使い方次第だと思います」


 相原はメモを握りしめたまま、深く頭を下げた。


「ありがとうございます。聞いてみます。ちゃんと」


「はい」


 彼が部屋を出ていく。


 扉が閉まる。


 相談室には、俺一人が残った。


 静かだった。


 S級ダンジョンの中心でもない。


 公聴会の壇上でもない。


 配信の画面でもない。


 ただの低ランクダンジョン相談窓口。


 でも、俺にはここが少しだけ始まりの場所に見えた。


 端末が震える。


 リアからだった。


『相談どうだった?』


 俺は短く返す。


『戻る条件を確認するように言いました』


 すぐに返信が来る。


『黒瀬さんらしい』


 セイラからも通知が来る。


『財団の契約相談窓口に、その確認項目を共有しなさい。使えます』


 ミナトから。


『その新人、パーティー名分かったら教えて。黒い噂ないか見る。無料で』


 カナタから。


『第六層に行くなら撤退訓練が必要だ。連れてこい』


 少し遅れて、神楽坂からも届いた。


『公聴会が一段落した。低ランク探索者向け安全講習に協力できる』


 俺は画面を見て、少しだけ笑った。


 誰か一人が救うわけじゃない。


 でも、誰も見捨てない仕組みを作る。


 大きな言葉にすると恥ずかしい。


 けれど、たぶんこういうことなのだと思う。


 小さな相談。

 確認項目。

 契約窓口。

 情報確認。

 撤退訓練。

 安全講習。


 一つ一つは地味だ。


 英雄譚にはならない。


 配信で派手に盛り上がるわけでもない。


 でも、誰かが戻る道になるかもしれない。


 俺は端末に返信する。


『共有します』


 そう打ってから、ふと視界の端に表示が出た。


 対象:相原ユウの依頼

 嘘:なし

 危険:未確認の善意

 祈り:見つけてほしい


 見つけてほしい。


 その文字を見て、胸の奥が少しだけ熱くなった。


 嘘がない依頼。


 でも、危険はある。


 善意の中にある未確認の危うさ。


 そして、祈り。


 見つけてほしい。


 それは、相原の祈りなのかもしれない。


 あるいは、これから関わる誰かの祈りなのかもしれない。


 俺は立ち上がった。


 相談室の窓から、低ランクダンジョンの入口が見える。


 小さく、目立たないゲート。


 S級ダンジョンのような圧倒的な威圧感はない。


 でも、その奥にも嘘はある。


 危険もある。


 祈りもある。


 俺は、仲間たちへの共有メッセージを送った。


『新しい相談です。手伝ってください』


 リアから、すぐに返事。


『もちろん。配信はしないやつだよね?』


 セイラ。


『内容次第です。契約書があるなら送付しなさい』


 ミナト。


『無料って言ったの後悔し始めてる』


 カナタ。


『訓練場を押さえる』


 神楽坂。


『必要なら行く』


 俺は、その返事を見ながら小さく息を吐いた。


 一人ではない。


 でも、誰かに全部預けるわけでもない。


 それぞれが、それぞれの形で関わる。


 そんなチームになった。


 外れスキル。


 戦えない鑑定士。


 そう呼ばれていた頃から、何が変わったのか。


 戦闘力は、今でも高くない。


 剣で魔物を斬れるわけでもない。


 魔法で道を開けるわけでもない。


 でも、見えるものがある。


 嘘。


 危険。


 本音。


 そして、祈り。


 剣より分かりにくくても。


 それを見つけることには、きっと意味がある。


 俺は相談室を出た。


 廊下の先に、低ランク探索者たちがいる。


 不安そうな顔。

 強がった顔。

 誰かに認められたい顔。

 怖いのに進もうとしている顔。


 その中を歩きながら、俺は思う。


 世界は綺麗にはならない。


 嘘もなくならない。


 それでも、戻る道は作れる。


 休む場所も、選び直す場所も。


 そして、誰かの祈りを見つけることはできる。


 最弱鑑定士は、今日も誰かの嘘の奥を見る。


 その先にある、小さな祈りを見逃さないために。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。


これにて、第一部完結です。


黒瀬透真は、戦えないFランク探索者として始まりました。

スキルは《鑑定》だけ。

剣で魔物を倒せるわけでもなく、派手な能力で誰かを救えるわけでもない。

周囲からは外れスキル扱いされ、本人も自分の力に大きな価値を見出せずにいました。


けれど、配信禁止区域で白峰リアの嘘を見抜いたことから、透真の物語は大きく動き始めました。


配信の嘘。

裁判の嘘。

契約の嘘。

記憶の嘘。

英雄の嘘。

妹を守るための嘘。

そして、誰かを救おうとする優しい嘘。


この第一部で何度も問い続けてきたのは、

「嘘はすべて悪なのか」

ということでした。


嘘は人を傷つけます。

隠蔽は誰かから選ぶ権利を奪います。

優しさの形をした嘘であっても、時に人を閉じ込めてしまいます。


けれど同時に、人は嘘や物語に支えられることもあります。

強がり、演技、見栄、祈り、まだ受け止めきれない真実から一時的に休む場所。

それらすべてを否定してしまえば、人は立っていられないこともある。


だから透真が最後に選んだのは、嘘をすべて壊すことではありませんでした。


嘘に休むことはあってもいい。

でも、そこから戻る道を失ってはいけない。

本人が選び直せる道を残す。


その答えにたどり着いたところで、第一部は一区切りとなります。


そして、第二部では物語が大きく変わります。


第一部で明らかになった「嘘」「祈り」「願望」は、次の物語で新たな形を取ります。


その名は、八色能力プリズムコード


紅、蒼、翠、金、黒、白、紫、透明。

探索者たちの能力には、それぞれの嘘、祈り、生き方に応じた“色”があることが判明していきます。


白峰リアの配信は、なぜ人々を熱狂させたのか。

九条セイラの所有権は、なぜ社会的承認に左右されるのか。

神楽坂レイジの正義は、なぜ大衆の信頼で強くなったのか。

灰原ナギの願望世界は、なぜ人の心に深く入り込めたのか。

そして、黒瀬透真の《鑑定》はなぜ“透明”なのか。


第一部で起きた出来事の意味が、第二部で別の角度から見えてきます。


第二部では、色相能力を巡って、探索者、管理局、四大名家、アルカディア残党、関西の半グレ組織、国家非公式チーム、そして新世代の能力者たちが入り乱れます。


味方だった者が敵になり、敵だった者が一時的に手を組み、正しいはずの組織が誰かの自由を奪い、危険なはずの人物が誰かを救う。


黒瀬透真は、もう「嘘を見抜くだけ」ではいられません。


透明であること。

中立であること。

見ているだけでいること。


そのすべてが、次の物語で揺らいでいきます。


第二部のサブタイトルは、


PRISM CRISIS


です。


ここからは、八色の能力者たちによる、より高度で、より危険で、より予測不能な戦いが始まります。


ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。

第一部を最後まで追っていただけたことが、とても励みになっています。


もし少しでも「続きが気になる」「第二部も読んでみたい」「ここまで読んでよかった」と思っていただけたら、ぜひブックマークと評価で応援していただけると嬉しいです。


ブックマークが増えると、第二部の更新を続ける大きな力になります。

評価を入れていただけると、この作品をまだ知らない読者さんにも届きやすくなります。

本当に、ひとつひとつの応援がとても励みになります。


第二部では、第一部以上にキャラクターも陣営も増え、戦いも読み合いも一気に加速していきます。

黒瀬透真、白峰リア、九条セイラ、鴉羽ミナト、御影カナタ、神楽坂レイジ、灰原ナギ。

そして、新たに現れる八色の能力者たち。


彼らがどんな色を持ち、どんな嘘を抱え、どんな祈りを隠しているのか。


ぜひ、第二部も追いかけていただけると嬉しいです。


ここまでの応援、本当にありがとうございました。


第二部は7月11日から投稿を開始します。初日は冒頭5話を一挙公開します。

第二部 PRISM CRISISもよろしくお願いします。

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