第62話 それぞれの嘘
白峰リアの復帰配信は、拍子抜けするほど静かに始まった。
派手な告知はなかった。
カウントダウンもない。
復活を煽るサムネイルもない。
涙の謝罪配信という形式でもない。
画面に映ったリアは、いつものように整えた髪で、いつものように明るい顔をしていた。
けれど、笑顔の作り方が少し違った。
以前のリアは、画面の向こうにいる全員を一気に掴もうとしていた。
かわいく。
明るく。
怖がらせず。
飽きさせず。
次の切り抜きになる一言を、どこかで探しているような熱があった。
今のリアは、少しだけ肩の力が抜けていた。
『こんばんは。白峰リアです』
コメント欄は、いつもより遅かった。
いや、遅いというより、少ない。
以前なら配信開始直後に流れきれないほどコメントが走ったはずだ。
今は、ひとつひとつ読めるくらいの速さだった。
『戻ってきてくれてありがとう』
『無理しないで』
『待ってた』
『また配信して大丈夫なの?』
『まだ説明足りないと思う』
『応援してる』
『正直複雑』
好意だけではない。
批判もある。
疑問もある。
心配もある。
でも、リアはコメント欄を閉じなかった。
全部を拾うわけでもない。
都合のいい言葉だけ選ぶわけでもない。
ただ、画面を見て、少し息を吸った。
『今日の配信、盛り上がらなくてもいいです』
その一言で、コメント欄が一瞬止まった。
リアは続ける。
『ちゃんと見てくれる人だけ見てください。途中で見るのがしんどくなったら閉じてください。私も、全部をうまく話せるわけじゃないです』
以前のリアなら、こんな言い方はしなかったかもしれない。
視聴者を引き止めること。
離脱させないこと。
盛り上げること。
それが配信者としての勝ち筋だったから。
でも、今のリアは違った。
『私は、見せることを武器にしてきました。配信があったから助かったこともあります。でも、見せたせいで傷つけたこともあります』
俺は、その配信を管理局の休憩室で見ていた。
隣にはセイラがいる。
正面のソファにはミナトが足を組んで座り、カナタは壁際で腕を組んでいた。
神楽坂はいない。
公聴会に出ている。
リアは画面の中で、まっすぐこちらを見るように言った。
『だからこれからは、何を見せるか、何を見せないかを考えながら配信します。前よりつまらなくなるかもしれません』
コメント欄が動く。
『つまらなくても見る』
『それでいい』
『いや配信者としてどうなの』
『無理に戻らなくてもよかったのに』
『でも必要な配信だったと思う』
リアは少し笑った。
『うん。そういうコメントもあるよね』
それだけ言って、彼女は逃げなかった。
『今日は、S級ダンジョンで起きたことのうち、公開していい部分だけ話します。公開しない部分もあります。それは隠蔽じゃなくて、個人の記録や傷を守るためです。でも、必要な検証から逃げるために隠すことはしません』
セイラが、画面を見ながら小さく頷いた。
「言葉を選べていますわね」
ミナトが肩をすくめる。
「配信者としては地味になったけど、信用はこっちの方が残るかもね」
カナタが短く言う。
「いい配信だ」
それは、カナタにしてはかなりの褒め言葉だった。
俺は画面の中のリアを見る。
視聴者数は、かつてより少ない。
コメント欄の勢いも弱い。
それでも、リアはそこに戻ってきた。
全員に好かれるためではなく。
ちゃんと見てくれる人に、ちゃんと届くように。
リアは最後に、少しだけ笑った。
『今日、盛り上がらなくてもいいって言ったけど、別に暗い配信にしたいわけじゃないからね。私、普通に喋るの好きだし』
コメント欄に、少しだけ笑いが流れる。
『そこはリアちゃん』
『安心した』
『無理してないならよかった』
『いやちょっと無理はしてそう』
『無理してたら休んで』
リアは頷いた。
『うん。無理してたら休む。戻ってくるから』
その言葉に、俺はナギの街の扉を思い出した。
【戻る】
リアは、配信の中にも小さな帰還路を作ったのかもしれない。
画面が切り替わる。
次に映ったのは、九条セイラだった。
正確には、セイラが開いた記者会見の映像だ。
背景には、新設された財団の名前が映っている。
【九条探索者選択支援財団】
名前を見た瞬間、ミナトが笑った。
「すごい直球な名前」
セイラが隣で腕を組む。
「分かりやすさを優先しました」
「お嬢様センスって感じ」
「鴉羽ミナト。発言に注意なさい」
「はいはい」
映像の中のセイラは、堂々と立っていた。
高飛車な態度は変わらない。
顎も少し上がっている。
だが、以前とは違う。
誰かを見下すための高さではなかった。
自分が背負うものを見失わないための姿勢だった。
『この財団は、低ランク探索者、新人探索者、記憶干渉被害者、契約被害者への支援を目的とします』
記者が質問する。
『九条さん。これは九条家のイメージ回復のためではないのですか?』
セイラは即答した。
『イメージ回復にもなるでしょうね』
会場が少しざわつく。
俺は思わず苦笑した。
セイラは、そこを否定しない。
『善意だけで財団が運営できると思っているなら、それは甘いですわ。資金、権利、制度、世間からの信頼。それらは必要です。ですが、必要だからこそ、使い道を監査可能にします』
映像の中で、資料が表示される。
財団の支援内容。
契約相談窓口。
探索者裁判の補助制度。
願望幻影被害への心理支援。
S級ダンジョン契約管理への外部監査。
『私は所有を否定しません』
セイラは言った。
『権利も、財産も、契約も、使い方次第で人を縛ります。ですが、使い方次第で人に選択肢を与えることもできます』
別の記者が聞く。
『つまり、九条さんは探索者を所有するのではなく、支援すると?』
セイラは目を細めた。
『言葉を選びなさい。人は所有物ではありません』
会場が少し凍る。
セイラは続ける。
『私が所有するのは、責任です。支援制度、資金の流れ、契約の透明性。それらを所有し、管理し、必要な時には責任を取る』
その言葉は、セイラらしかった。
綺麗な善人にはならない。
相変わらず高飛車で、刺々しくて、言い方も強い。
けれど、その強さの向きが変わっている。
セイラは画面の中で、最後に言った。
『選択肢を与える場を作ります。選ばせるために。命令するためではなく』
映像が止まる。
隣のセイラは、少しだけ満足そうにしていた。
リアが配信画面越しに言う。
『九条さん、コメント欄で「偉そうだけど正論」って言われてるよ』
セイラは眉を上げる。
「偉そうではありません。偉いのです」
ミナトが吹き出した。
「変わってないところもあって安心したよ」
「変わるべき部分と、変える必要のない部分がありますわ」
その言い方が、妙にセイラらしかった。
次に話題になったのは、ミナトだった。
ただし、彼の名前は出なかった。
ニュースの見出しはこうだった。
【匿名情報提供により、アルカディア下請け企業の証拠保全進む】
ミナトはソファに座ったまま、何食わぬ顔で端末をいじっている。
リアが画面の向こうから言う。
『これ、ミナトさんだよね?』
「さあ」
ミナトは笑う。
「匿名情報提供者の個人情報を詮索するのはよくないなあ」
セイラが冷たく言う。
「あなた以外に、あの経路でログを抜ける人物は限られますわ」
「九条さんも詮索してるじゃん」
「私は監査です」
「便利な言葉だ」
ミナトは端末を閉じた。
「まあ、証拠が消えるのは嫌だったからね。売ったら高かったと思うよ、あれ」
俺はミナトを見る。
「売らなかったんですね」
「売らなかった」
彼は軽く言った。
でも、その言葉は思ったより重かった。
「売らない情報にも価値があるって言ったからね。自分で言ったことにたまには縛られてみようかなって」
カナタが言う。
「良い傾向だ」
「カナタさんに褒められると怖いな」
「褒めてはいない」
「じゃあ何?」
「観察結果だ」
「もっと怖い」
ミナトは笑った。
だが、少しだけ視線を落とす。
「別に、これで過去が帳消しになるとは思ってないよ」
誰も茶化さなかった。
「俺が売った情報で傷ついた人はいる。そこは消えない。今回いくつかログを出したからって、許されるわけでもない」
彼は端末を指で叩く。
「ただ、情報屋をやめる気はない。だから、せめて何を売らないかくらいは、自分で決める」
セイラが言う。
「最低限ですわね」
「最低限から始めるのが人間らしくない?」
「開き直らないでください」
「はいはい」
でも、ミナトは少しだけ笑っていた。
軽薄さは消えていない。
消えることもないのかもしれない。
それでも、彼の中にも一本だけ線が引かれた。
売る情報と、売らない情報。
それはきっと、彼にとっての戻る道なのだろう。
カナタは、数日後には低ランク探索者訓練場にいた。
俺はその場に付き合わされた。
というより、連れていかれた。
「黒瀬。来い」
それだけだった。
理由を聞く前に、予定が決まっていた。
訓練場には、S級ダンジョンの願望幻影に巻き込まれた新人探索者たちが集められていた。
誰もがどこか気まずそうな顔をしている。
戦闘中に動けなくなった者。
亡くなった家族の幻を見た者。
過去の失敗を突きつけられた者。
優しい声に従って避難をやめかけた者。
彼らは、失敗したと思っている。
探索者として弱かったと。
カナタは、その前に立った。
長い説明はしない。
彼はただ言った。
「怖いなら、怖いまま進め」
新人たちは戸惑った。
カナタは続ける。
「怖くないふりをすると、判断を間違える。許されたふりをすると、傷を見失う。罰されたがると、生き残る道を捨てる」
その言葉は、彼自身に向けたものでもあった。
「幻を見たことは恥ではない。戻れなかったことも、すぐには責めない。だが、次に戻るための手順は覚えろ」
彼は俺を見る。
「黒瀬」
「はい」
「説明しろ」
「急ですね」
「お前の方が向いている」
新人たちの視線が俺に集まる。
俺は少しだけ息を吸った。
「幻に引き込まれた時、まず自分が何を見ているかを言葉にしてください。会いたい人なのか、許しなのか、罰なのか、安心なのか。名前をつけるだけで、少し距離ができます」
一人の新人が手を上げた。
「それでも戻りたくなかったら?」
俺は答える。
「戻りたくないと思うこと自体は、悪くないと思います」
新人たちがざわつく。
「ただ、現実の体が危険なら、まず戻ってください。戻ってから、また向き合う方法を考えればいい。S級ダンジョンには、戻る道があります」
カナタが短く頷いた。
「戻ることは逃げではない」
その一言は、彼が言うから重かった。
死ぬための契約を結ぼうとしていた彼が、戻れと言う。
それは、ただの訓練以上の意味を持っていた。
神楽坂は、公聴会に立ち続けていた。
何度も。
何度も。
同じ質問をされる。
『なぜ止めなかったのですか』
『黒瀬澪さんの記録をいつ知ったのですか』
『あなたの能力《正義》は、世論操作と結びついていたのでは』
『英雄としての責任をどう取るつもりですか』
『あなた一人が悪いのですか』
『管理局全体の問題ですか』
神楽坂は、逃げなかった。
でも、全部を背負うとも言わなかった。
『私は隠蔽に関わりました』
彼は言う。
『止めることもできた。止めなかった。その責任はあります』
記者や委員が、さらに追及する。
『では、あなたが全責任を負うのですか』
以前の神楽坂なら、そうです、と言ったかもしれない。
自分一人が背負えばいいと。
けれど、今の彼は違った。
『私の責任は負います。しかし、私一人の責任にして終わらせてはいけません』
その言葉は、派手ではない。
称賛もされない。
むしろ、逃げていると批判する者もいた。
だが、神楽坂は繰り返した。
『私は英雄ではなく、証言者としてここにいます』
その言葉を、何度も。
俺はその映像を見て、まだ胸がざらついた。
許せない気持ちは残っている。
でも、神楽坂が壇上ではなく証言席に座っていること。
それだけは、必要な変化だと思った。
その夜、俺たちは管理局の屋上に集まった。
偶然ではない。
リアが配信後に呼びかけ、セイラが場所を押さえ、ミナトが勝手に来て、カナタが無言で現れ、俺も気づけばそこにいた。
神楽坂はいなかった。
公聴会が長引いているらしい。
夜風が少し冷たい。
遠くに、S級ダンジョンの封鎖区域が見える。
黒い境界は、今は静かだった。
リアが柵にもたれながら言う。
「全部、終わった感じしないね」
セイラが答える。
「終わっていませんもの」
「だよね」
ミナトが缶コーヒーを飲みながら言う。
「アルカディアはまだ逃げてるし、管理局は揉めてるし、神楽坂さんは燃え続けてるし、ナギの契約管理もこれから」
カナタが短く言う。
「それでも、前よりは見えている」
俺は頷いた。
「隠されていた時よりは」
リアが空を見る。
「私たち、嘘をなくせたのかな」
誰もすぐには答えなかった。
やがて、セイラが言った。
「なくせるわけがありませんわ」
「ばっさりだね」
「嘘はなくなりません。見栄も、演技も、沈黙も、配慮も、保留も、人間には必要です」
セイラは、夜の街を見下ろす。
「問題は、それが誰かを閉じ込める時です」
ミナトが続ける。
「嘘そのものより、戻れない嘘がまずいってことだね」
リアが言う。
「配信の私は、ちょっと嘘。でも全部偽物じゃない」
カナタが言う。
「強がりも、必要な時はある」
俺は、S級ダンジョンの方を見た。
ナギがいる灰色の街。
澪の部屋。
いつか見るかもしれない場所。
「嘘に休むこともある」
俺は言った。
「でも、戻る道は残す」
リアが小さく笑う。
「それ、今回の合言葉みたいになってるね」
「合言葉にするには重くないですか」
「重いくらいがちょうどいい時もあるよ」
俺たちはしばらく黙っていた。
夜風だけが流れている。
世界は綺麗にはならない。
嘘もなくならない。
でも、それぞれが少しだけ嘘との付き合い方を変えた。
リアは、配信の嘘を選び直す。
セイラは、所有という嘘を責任へ変える。
ミナトは、情報の見せ方に線を引く。
カナタは、強がりと罪を抱えたまま戻る道を教える。
神楽坂は、英雄という物語から降りて証言する。
そして俺は。
俺はまだ、澪の嘘と向き合いきれていない。
勝手に守られたことへの怒りもある。
会いたい気持ちもある。
許せないことも、分かってしまったこともある。
それを、どこへ持っていけばいいのか。
まだ分からない。
リアが俺の横に来た。
「黒瀬さん」
「はい」
「墓参り、行くの?」
俺は少し驚いて、彼女を見た。
リアは気まずそうに笑う。
「ごめん。踏み込みすぎたかも」
「いえ」
俺は首を横に振る。
「行こうと思ってます」
セイラが静かに言う。
「一人で行きますの?」
「そのつもりです」
ミナトが言う。
「まあ、それは一人の方がいいかもね」
カナタが短く言う。
「行ってこい」
俺は頷いた。
澪の墓前で、何を言えばいいのかは分からない。
怒ればいいのか。
謝ればいいのか。
報告すればいいのか。
許せないと言えばいいのか。
それでも好きだと言えばいいのか。
何も分からない。
でも、行く。
分からないまま。
戻るために。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
今回は、それぞれのその後を描きました。
リアは配信に戻りましたが、以前のように全員を盛り上げる配信ではなく、ちゃんと見てくれる人へ向けた配信を選びました。
セイラは探索者支援財団を立ち上げ、所有を支配ではなく責任として扱おうとしています。
ミナトは情報屋を続けながらも、売らない情報の価値を知りました。
カナタは新人探索者たちに、怖いまま戻る方法を教えています。
神楽坂は英雄ではなく証言者として、公聴会に立ち続けています。
誰も完全に変わったわけではありません。
過去が消えたわけでも、罪がなくなったわけでもありません。
それでも、それぞれが自分の嘘との付き合い方を少しだけ変えました。
次回は、透真が澪の墓前へ向かいます。
ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。




