第5話 最弱鑑定士は、英雄ではない
全員で出た。
コメント欄に流れたその言葉を見て、白峰リアは小さく笑った。
「ほら。出たでしょ、全員」
声は震えていた。
それでも彼女は笑っていた。
配信者としての顔なのか、探索者としての意地なのか、それともただの強がりなのか。
俺には分からない。
分かったのは、リアの肩から血が流れていること。
俺の左足首が、さっきからじんじん痛むこと。
瀬尾が床に座り込んで泣きそうな顔をしていること。
三枝がドローンの操作端末を握ったまま、リアを見られずにいること。
高木が床に転がったまま、まだリアを睨んでいること。
そして、配信がまだ切れていないことだった。
メンテナンス区画の天井には、古い非常灯が点いていた。
赤く薄い光が、俺たち全員を照らしている。
背後の崩落通路は、完全に瓦礫で塞がっていた。
向こう側から、黒結晶犬の低い唸り声が聞こえる。
だが、もうこちらへは来られない。
少なくとも、今すぐには。
『全員いる』
『マジで出た』
『リアちゃん血出てる』
『高木もいる』
『瀬尾走ってたよね?』
『三枝さん何か言って』
『黒瀬さん足大丈夫?』
『これ本当に配信してていいやつ?』
コメントが流れ続けている。
さっきまで俺たちを追い詰めていた文字列が、今は妙に遠く見えた。
画面の向こうの人間たちは、俺たちが生きていることを確認している。
心配している人もいる。
怒っている人もいる。
興奮している人もいる。
もう切った方がいいと書いている人もいる。
でも誰も、この場所の匂いまでは知らない。
血と埃と、古い魔素の匂い。
走った後の息苦しさ。
自分の足が本当に動かなくなるかもしれないという恐怖。
配信は、全部を映しているようで、肝心なものは映さない。
「リアさん」
俺は床に手をついて立ち上がろうとした。
左足首に痛みが走り、思わず顔をしかめる。
リアがこちらを見た。
「黒瀬さん、足」
「たぶん捻っただけです」
「たぶんって何」
「鑑定します」
俺は自分の足を見た。
対象:黒瀬透真の左足首
状態:軽度捻挫
危険:無理をすると悪化
いつもの鑑定に戻っている。
嘘も、危険予兆も、予定された事故も出ない。
さっきまで見えていた異常な表示が、嘘みたいに消えていた。
いや、嘘ではない。
実際に見えた。
見えたから、ここまで来た。
でも今はもう出ない。
都合が良すぎるというか、悪すぎるというか。
「捻挫っぽいです」
「自分の怪我を鑑定できるんだ」
「できることが地味なんです」
「便利じゃん」
「戦闘中にはあまり役に立ちません」
「さっき役に立ってたけど」
リアはそう言ってから、少しだけ咳き込んだ。
肩の傷が痛むのか、顔をしかめる。
俺はすぐに彼女の肩を鑑定した。
対象:白峰リアの右肩
状態:裂傷、出血軽度
危険:早急な止血が必要
「止血した方がいいです」
「だよね」
リアは片手で傷口を押さえようとする。
だが、手が震えていた。
高木を助けた時に、爪がかすめた傷だ。
俺は周囲を見回した。
メンテナンス区画には壁際に応急箱がある。
古いが、管理局の備品らしい。
「応急箱、取ってきます」
「足」
「歩けます」
「無理しないで」
「それ、リアさんが言いますか」
「……言い返せない」
リアが小さく笑う。
俺は壁を支えにしながら応急箱へ向かった。
その途中で、瀬尾の横を通る。
瀬尾は顔を伏せていた。
さっきまで「足をやった」と演技していた足は、今は普通に曲がっている。
俺と目が合うと、瀬尾はびくっと肩を震わせた。
「……俺、死ぬかと思った」
「でしょうね」
「お前さ、何なんだよ」
「清掃バイトです」
「清掃バイトが、あんな指示出すかよ」
「俺もそう思います」
瀬尾は何か言い返そうとして、やめた。
その目は、まだ怯えている。
リアを嵌めようとした人間。
自分の負傷を偽装し、彼女を見捨てたように見せようとした人間。
それでも、さっき魔物が自分に向いた時の恐怖は本物だった。
俺は瀬尾を許す気にはなれない。
でも、死ななくてよかったとは思う。
それは優しさではない。
死なれると、また事実が都合よく処理されるからだ。
不慮の事故。
想定外。
故人の判断。
そんな言葉で全部を隠されるのは、もううんざりだった。
応急箱を持って戻ると、三枝が立ち尽くしていた。
ドローンはまだ浮いている。
赤いランプは消えていない。
リアはそれを見上げて、静かに言った。
「ナツメ。配信、切って」
三枝の指が震える。
「でも……」
「もう証拠は残った。これ以上は、ただの見世物になる」
三枝は答えない。
コメント欄が騒ぐ。
『切らないで』
『いや切った方がいい』
『最後まで見せて』
『証拠残すなら続けるべき』
『リアちゃん休んで』
『三枝さん説明して』
リアはコメント欄を一度だけ見た。
そして、いつもの配信のような笑顔ではなく、疲れ切った顔で言った。
「ごめん。ここから先は、配信じゃなくて事情聴取にする」
数秒後、三枝が震える指で配信を停止した。
赤いランプが消える。
メンテナンス区画に、急に静けさが落ちた。
コメント欄も消えた。
視聴者も消えた。
残ったのは、傷ついた探索者と、裏切った仲間と、戦えないFランクだけ。
リアは息を吐いた。
「……やっと静かになった」
その声が、妙に幼く聞こえた。
俺は応急箱を開けた。
消毒液、包帯、止血パッド。
必要最低限は揃っている。
「肩、見ます」
「黒瀬さん、手慣れてる?」
「清掃バイトなので、怪我人はたまに見ます」
「清掃バイトってそんな仕事だっけ」
「本来は違います」
「だよね」
リアは軽口を叩いたが、傷口に消毒液を当てると小さく息を呑んだ。
「痛いですか」
「痛くない」
鑑定が勝手に反応する。
嘘:痛くない
「嘘ですね」
「鑑定しないでよ、そういうとこ」
「見えました」
「便利だけど嫌なスキル」
「俺もそう思います」
止血パッドを当て、包帯を巻く。
俺の処置は上手くはないが、血は少しずつ止まってきた。
リアは黙っていた。
その視線は、床に落ちた高木の短剣へ向いている。
高木はその近くで座り込んでいた。
短剣からは離れているが、目だけは鋭い。
「リア」
高木が低く言った。
リアは振り返らない。
「お前、分かってんのか。今日の配信、全部残ってる。お前が禁止区域に入ったことも、裏切りに気づいてたのに続けたことも」
「うん」
「お前も終わりだよ」
「かもね」
リアの返事は短かった。
高木は顔を歪める。
「俺たちだけ悪者にして逃げられると思うなよ」
「思ってない」
「じゃあ何で配信なんか止めた。最後まで見せればよかっただろ。ほら、いつもみたいに笑ってさ。リアちゃんは悪くありませんって、ファンに慰めてもらえばよかったじゃねえか」
リアの肩が少しだけ動いた。
俺は包帯を留めながら、高木を見た。
「黙ってください」
「あ?」
「今、止血してるので」
「お前、誰に口利いてんだ」
「Cランク探索者にです」
「喧嘩売ってるのか?」
「買えないです。弱いので」
高木が立ち上がろうとする。
その瞬間、メンテナンス区画の奥から足音が聞こえた。
複数人。
重いブーツの音。
そして、管理局の救助隊が現れた。
先頭の隊員が叫ぶ。
「全員、その場を動くな! ダンジョン管理局だ!」
ようやく来た。
俺は力が抜けそうになった。
隊員たちは素早く周囲を確認し、魔物の気配がないこと、崩落通路が塞がっていること、負傷者がいることを把握していく。
高木、瀬尾、三枝には拘束具がつけられた。
高木は抵抗しようとしたが、管理局員二人に押さえ込まれる。
「離せ! 俺は何も――」
「配信ログは確認済みだ。詳しい話は管理局で聞く」
「ログなんか切り取りだろ!」
その言葉に、三枝が小さく震えた。
彼女は何も言わない。
ただ、操作端末を管理局員に渡した。
全体映像は残っている。
少なくとも、都合よく編集されたものだけが真実になる状況は避けられた。
リアは救護班に肩を診られている。
俺も足首を固定された。
「黒瀬透真さんですね」
声をかけられた。
振り向くと、眼鏡をかけた若い男が立っていた。
管理局の制服を着ている。
救助隊員というより、事務方に近い雰囲気だった。
年齢は二十代後半くらい。
表情は穏やかだが、目が笑っていない。
「ダンジョン管理局、調査二課の佐伯ユズルです」
ここで初めて、その名前を聞いた。
「……黒瀬です」
「配信ログ、途中から確認していました。大変でしたね」
「途中から?」
「地下三層の妨害通信が弱まった時点で、こちらにも断片的に届き始めました。もちろん、最初から全て見えていたわけではありませんが」
佐伯は淡々と言う。
その声に、感情はあまりない。
「君がコメント欄に情報を流していた?」
俺は答えに詰まった。
否定するべきか。
正直に言うべきか。
佐伯は俺の迷いを見て、わずかに笑った。
「責めているわけではありません。むしろ、あれがなければ被害は増えていたでしょう」
「……たまたまです」
「たまたまで、偽装負傷とカメラワークの偏りと端末操作に気づいた?」
「見えただけです」
「見えた?」
佐伯の目が、ほんの少しだけ細くなる。
しまった。
言い方を間違えた。
佐伯は俺の足元から顔へ、ゆっくり視線を戻した。
「黒瀬さん。君のスキルは《鑑定》ですね」
「はい」
「一般的なFランク鑑定で、あの状況判断は難しい」
「運が良かったんです」
「運で片づけるには、少し出来すぎている」
佐伯は穏やかに言った。
だが、その穏やかさが逆に怖かった。
リアが救護班の手を借りながら、こちらを見ている。
彼女も、佐伯の言葉を聞いているようだった。
佐伯は一歩近づいた。
「黒瀬透真さん。明日、管理局まで来てください」
「事情聴取ですか」
「それもあります」
「それ以外も?」
「あります」
即答だった。
佐伯は俺の目をまっすぐ見た。
「君の鑑定、普通じゃないね」
心臓が跳ねた。
隠していたものを、いきなり指で押されたような感覚だった。
俺は何も答えられない。
佐伯はそれ以上追及しなかった。
ただ、名刺のような薄いカードを差し出した。
「明日の午前十時。ダンジョン管理局、新宿支部。来ない場合はこちらから迎えに行きます」
「それ、選択肢ないですよね」
「ありますよ。自分で来るか、迎えに来られるか」
「最悪の二択ですね」
「よく言われます」
佐伯は微笑んだ。
俺はカードを受け取るしかなかった。
そこには、佐伯ユズルという名前と、調査二課の文字が印刷されている。
管理局員たちが、高木たちを連れていく。
瀬尾はずっと俯いたまま。
三枝は一度だけリアを見たが、何も言えなかった。
リアも何も言わなかった。
高木だけが、連行されながら振り返った。
「リア、お前も終わりだ」
リアは黙っていた。
その代わり、俺が見てしまった。
リアの横に浮かぶ、小さな鑑定表示。
嘘:平気
その一行だけだった。
俺は何も言わなかった。
言えることがなかった。
地上へ出た時、夜明け前の空は薄く青くなっていた。
第七新宿ダンジョンの入口前には、すでに数人の記者らしき人間と、スマホを構えた野次馬が集まり始めている。
早すぎる。
配信は止まった。
でも映像はもう拡散されている。
切り抜き。
コメント。
考察。
憶測。
真実より速いものが、もう走り始めている。
俺は救護車両の中で足首を固定されながら、端末を見た。
通知が鳴っている。
知らないアカウントからのメッセージ。
見覚えのないアイコン。
普段なら開かない。
でも、その文面の一部が通知欄に表示されていた。
君の鑑定は、彼女に似ている。
息が止まった。
彼女。
その言葉だけで、俺の頭に一人の顔が浮かんだ。
黒瀬澪。
数年前、ダンジョン事故で死んだ俺の妹。
俺は震える指でメッセージを開いた。
本文は、それだけだった。
君の鑑定は、彼女に似ている。
送信者名はない。
アカウントはすでに削除済み。
俺は画面を見つめたまま、動けなかった。
リアが隣から覗き込む。
「黒瀬さん?」
俺は端末を伏せた。
「何でもないです」
鑑定表示が、俺自身の視界に浮かんだ。
嘘:何でもない
分かっている。
何でもないはずがない。
配信禁止区域の事件は終わった。
リアは生きている。
高木たちは捕まった。
俺も生き残った。
でも、終わっていない。
むしろ、俺にとってはここから始まったのだと、その時はっきり分かった。
俺は、英雄ではない。
誰かを格好よく救ったわけでもない。
戦えず、怪我をして、偶然見えたものにしがみついただけのFランク鑑定士だ。
それでも。
見えてしまった。
なら、もう見なかったことにはできない。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
第5話で、配信禁止区域事件はいったん決着です。
全員生きて出られましたが、綺麗な勝利ではありません。
リアは負傷し、瀬尾や三枝は裏切りを抱えたまま、高木も最後まで反省したわけではありません。
今回、佐伯ユズルが初登場しました。
彼はダンジョン管理局の人間として、透真の鑑定に目をつけます。
味方かどうかはまだ分かりませんが、少なくとも透真を放っておく気はなさそうです。
そして最後に、透真の妹・黒瀬澪を思わせる匿名メッセージが届きました。
ここから物語は、配信事件の後始末と、透真自身の過去へ少しずつ繋がっていきます。
次回からは第2章です。
配信は終わっても、切り抜きと炎上は止まりません。
ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。




