第4話 全員で出るという嘘
「今から、全員で出る」
白峰リアは、配信ドローンに向かってそう言った。
声は震えていなかった。
少なくとも、画面越しにはそう見えるはずだった。
コメント欄が一気に流れる。
『全員?』
『高木も?』
『瀬尾も?』
『裏切り者まで助けるの?』
『いや無理だろ』
『リアちゃん優しすぎる』
『でも言っちゃったぞ』
『全員で出られなかったら絶対叩かれる』
最後のコメントを見た瞬間、俺は胃の奥が冷たくなった。
そうだ。
リアは今、自分で自分の首を絞めた。
全員で出る。
聞こえはいい。
格好いい。
人気配信者として、探索者として、仲間を見捨てない宣言としては満点に近い。
けれど、この場には裏切り者がいる。
高木はリアを背後から刺そうとした。
瀬尾は負傷を偽装した。
三枝は都合の悪い画角を隠していた。
そんな相手まで助けるのか。
助ければ甘いと言われる。
助けなければ、さっきの言葉が嘘になる。
自分だけ生き残れば、白峰リアは終わる。
配信の中で放たれた言葉は、すぐに鎖になる。
俺の鑑定表示が、リアの横に浮かんでいる。
嘘:全員を助けられる
本音:それでも見捨てたくない
矛盾している。
助けられるとは思っていない。
それでも、見捨てたくない。
面倒くさい人間だ。
けれど、俺はその表示から目を逸らせなかった。
黒結晶犬が、低く唸る。
封鎖された広間に、その声が反響した。
出入口は、落ちたゲートで完全に塞がっている。
右奥には崩れた階段。
左側には古い配管と、壁に走る黒い亀裂。
天井には折れた照明。
床には魔物の爪痕と、瀬尾が落とした偽装用血液パック。
全員で出る。
そのためには、まず出口を探さなければならない。
だがその前に、もっと面倒な問題がある。
誰から動かすか。
瀬尾はまだ床に倒れたまま、足を押さえている。
さっき血液パックが落ちたせいで、負傷が偽装だったことはほぼバレている。
だが、本人はまだ動けないふりを続けている。
三枝はドローンの操作端末を握りしめ、顔を青くしている。
全体映像を映してはいるが、いつまた画角を操作するか分からない。
高木は短剣を持ったまま、リアを睨んでいる。
封鎖ゲートを落とした端末は、まだ彼の左手にある。
リアは魔物の前。
傷は深くないが、背中のジャケットは裂けている。
呼吸も少し荒い。
そして俺は、戦えない。
最悪の人員配置だった。
「リア」
高木が笑った。
さっきまでの余裕ある仲間の顔ではない。
もう隠す必要がなくなったのか、口元だけで笑っている。
「全員で出るんだろ? だったらまず、瀬尾を助けてやれよ。足、やってるんだから」
瀬尾がそれに乗る。
「リア……頼むって。俺、ほんとに動けないんだよ」
嘘だ。
鑑定するまでもない。
さっき落とした血液パックが、床に転がっている。
それでも、コメント欄は完全には割り切れない。
『瀬尾は演技だろ』
『でも万一本当に怪我してたら?』
『動けるなら動けよ』
『リアちゃん助けに行く?』
『高木が煽ってる』
『いや高木の端末どうにかしろ』
『魔物もいるぞ』
黒結晶犬が、一歩前に出た。
赤い目が、リアを見る。
この魔物は音に反応し、弱った対象を優先する。
瀬尾が騒げば、魔物は瀬尾に向く。
リアが助けに行けば、背中を取られる。
高木を止めようとすれば、瀬尾を見捨てたように見える。
また二択。
いや、三択にも四択にも見えるが、本質は同じだ。
リア一人に選ばせるな。
俺は端末を握った。
コメント欄に打つ。
『一旦、善悪じゃなくて避難順で考えよう』
『瀬尾が本当に動けないなら、最初に移動させる必要がある』
『でも動けるなら、自分で動いた方が早い』
『三枝さんは全体映像を固定』
『高木さんの端末は危険。手元を映して』
送信。
コメント欄が反応する。
『避難順は大事』
『瀬尾、動けるか確認しろ』
『三枝、全体固定』
『高木の端末映して』
『黒瀬さん、見えてるなら指示して』
『善悪よりまず脱出』
高木が俺を睨んだ。
「お前、うるさいな」
「すみません。戦えないので、口くらいしか出せなくて」
「黙ってろよ、Fランク」
「それは事実なので傷つきません」
「ムカつくな、お前」
高木の表情が歪む。
その一瞬で、リアが動いた。
魔物に向かって踏み込み、短剣で床を叩く。
甲高い音。
黒結晶犬の注意がリアへ向く。
「黒瀬さん!」
リアが叫ぶ。
「順番、言って!」
俺は広間を見渡した。
考えろ。
今、誰をどう動かせばいい。
リアを先に逃がすのは無理だ。
彼女が魔物を引きつけているから。
高木を自由に動かすのは危険だ。
端末を持っている。
三枝のドローンが途切れれば、後から映像を切り取られる。
証拠としての全体映像は維持したい。
瀬尾は邪魔だ。
倒れたまま騒がれると、リアの行動が縛られる。
なら、まず瀬尾を動かす。
ただし、助けるのではない。
自分で動かす。
「瀬尾さん!」
俺は叫んだ。
「自力で動いてください!」
「無理だって言ってるだろ!」
「血液パックが落ちました。足の怪我が本当なら、今ここで傷を見せてください」
「それは……」
瀬尾が言葉に詰まる。
俺は続けた。
「見せないなら、自力で右奥の階段側へ移動してください。あなたが動けると分かれば、リアさんがあなたを見捨てた構図は崩れます」
瀬尾の顔が歪む。
コメント欄も畳みかける。
『瀬尾、動け』
『傷見せられないなら動けるだろ』
『右奥行け』
『演技でも今は逃げろ』
『リアちゃんを縛るな』
『瀬尾が自分で動けばいい』
瀬尾はリアを見る。
リアは魔物から目を離さない。
瀬尾は高木を見る。
高木は何も言わない。
ここで初めて、瀬尾は理解したようだった。
高木は自分を助けるつもりがない。
「……くそっ」
瀬尾は足を押さえていた手を離した。
そして、床を這うように右奥へ動き始める。
思ったより速い。
コメント欄が騒ぐ。
『動けるじゃん』
『やっぱ演技』
『でも移動した』
『リアが見捨てたわけじゃない』
『瀬尾、生きて証言しろ』
一つ、外れた。
リアを縛っていた鎖が、少しだけ緩む。
次は三枝。
三枝はまだドローンを全体画角で維持している。
しかし指先が震えている。
いつ高木の指示で映像を切るか分からない。
「三枝さん」
俺は言った。
「ドローンを一機、右奥に飛ばしてください。脱出路を探します。残りは全体固定で」
三枝は顔を上げた。
「私が……?」
「あなたがやるしかありません」
「でも、私は……」
彼女の声は震えていた。
リアが短く言う。
「ナツメ、やって」
三枝の肩が跳ねた。
リアは続けた。
「許したわけじゃない。でも、今できることをやって」
三枝の目が揺れる。
コメント欄が静かになる。
高木が苛立った声を出した。
「三枝、余計なことするな」
三枝の指が止まる。
リアは魔物の攻撃をかわしながら、もう一度言った。
「ナツメ」
名前。
それだけだった。
三枝は唇を噛んだ。
そして、ドローン一機を右奥へ飛ばす。
暗い広間の奥。
崩れた階段。
瓦礫。
その奥に、細いメンテナンス通路らしき隙間が映る。
俺は目を凝らした。
鑑定。
対象:崩落通路
状態:不安定
通行:一人ずつなら可能
危険:振動で崩落
あった。
出口ではない。
だが、逃げ道にはなる。
「右奥の崩落通路、一人ずつなら通れます!」
リアが叫ぶ。
「全員通れる?」
「急げば。ただし振動で崩れます」
「最悪!」
「でも、今ある中では一番マシです!」
「ほんと最悪!」
リアは黒結晶犬の噛みつきをかわし、横腹へ蹴りを入れる。
魔物がよろめいた。
その隙に、瀬尾が通路側へさらに這う。
次は高木。
高木から端末を離さなければならない。
俺は高木を見た。
彼はまだ左手に偽装通信端末を持っている。
封鎖ゲートを落とした端末だ。
あれでまだ何ができるか分からない。
鑑定する。
対象:通信補助端末
機能:配信維持、ゲート制御、通信妨害
状態:使用中
危険:追加操作
追加操作。
詳しい内容までは見えない。
でも、危険なことは分かる。
「高木さん、その端末を床に置いてください」
「置くわけないだろ」
「置かないなら、あなたを最後にします」
高木の目が細くなる。
「リアは全員で出るって言ったぞ」
「順番は言ってません」
「お前が決めるのか?」
「はい」
言ってから、喉が乾いた。
怖い。
高木はCランク探索者だ。
俺が殴られたら終わる。
だが、高木も今すぐ俺を攻撃できない。
全体映像が残っている。
コメント欄も見ている。
何より、魔物が近い。
コメント欄が流れる。
『端末置け』
『高木の手元映して』
『置かないなら危険人物』
『最後でいい』
『証拠残ってるからな』
『高木、生きて出たいなら置け』
高木は画面を見て、舌打ちした。
さっきまで、コメント欄は彼らの武器だった。
リアを追い詰めるための空気だった。
今は違う。
少なくともこの瞬間だけは、高木の手元を縛っている。
高木は端末を握りしめたまま、言った。
「分かったよ」
床に置く。
そう見せかけた。
次の瞬間、高木の親指が画面を滑る。
鑑定表示が跳ねた。
危険:魔物誘導
「リアさん!」
俺が叫ぶ。
高木の端末から、人間には聞き取りづらい高い音が鳴った。
黒結晶犬の赤い目が、リアから逸れる。
向いた先は、右奥へ這っている瀬尾だった。
「は?」
瀬尾の顔が凍る。
「高木、お前、何して……」
黒結晶犬が瀬尾へ跳ぶ。
リアは反射的に走った。
それを見て、高木が笑う。
まただ。
リアが瀬尾を助ける。
その背後が空く。
あるいは、瀬尾を助けられなければ「見捨てた」映像になる。
何度でも同じ罠を作るつもりだ。
俺は叫んだ。
「瀬尾さん、立って!」
「無理だって!」
「死にますよ!」
その言葉だけは効いた。
瀬尾は悲鳴を上げながら立ち上がった。
ほとんど転ぶように、右奥の通路へ駆け込む。
コメント欄が流れる。
『立てるじゃん!』
『走った!』
『でも助かった』
『高木、瀬尾も餌にした?』
『完全にアウト』
『リアが見捨てたわけじゃない』
黒結晶犬の爪が空を切る。
リアは瀬尾を助けるために飛び込んだが、瀬尾が自力で動いたことで、ぎりぎり間に合った。
しかし、魔物の進路上には高木がいた。
高木の表情が変わる。
初めて、恐怖が出た。
「くそっ!」
高木は端末をもう一度操作しようとする。
だが手が震えている。
魔物は止まらない。
リアは一瞬だけ迷った。
高木を助けるか。
助けないか。
コメント欄が固唾を呑む。
『高木は自業自得』
『置いていけ』
『でも全員で出るって言った』
『リアちゃん、無理するな』
『助けたら危ない』
『高木、生きて証言しろ』
リアは走った。
「馬鹿!」
俺は叫んだ。
たぶん、本人にも聞こえた。
リアは高木の襟を掴み、横へ引き倒す。
黒結晶犬の爪が、高木のいた場所を裂いた。
リアの肩に爪がかすめる。
「っ……!」
血が散った。
高木は床に転がり、呆然とリアを見る。
リアは荒く息を吐きながら言った。
「死なれると困るの。証言してもらうから」
優しい言葉ではなかった。
でも、確かに助けた。
コメント欄が揺れる。
『助けた』
『高木を?』
『証言させるためって言った』
『見捨てなかった』
『甘いけど甘くない』
『高木、生きて全部話せ』
高木の顔が歪む。
怒りなのか、悔しさなのか、恐怖なのか。
俺には分からなかった。
ただ、リアの「全員で出る」は、少なくとも今この瞬間、嘘ではなくなった。
いや、正確には違う。
嘘だったものを、無理やり本当にしようとしている。
そういう戦い方だった。
「高木さん、端末を蹴ってください!」
俺は叫んだ。
高木は答えない。
「死にたいなら持ったままでいいです!」
高木は歯を食いしばり、床に落ちた端末を蹴った。
端末が広間の端へ滑る。
三枝のドローンがそれを映す。
よし。
これで少なくともゲートや魔物誘導は使いにくくなる。
「順番!」
リアが叫ぶ。
俺はすぐに言った。
「瀬尾さん、先に通路へ! 三枝さん、ドローン一機を通路奥へ! 高木さんは両手を見せたまま次! リアさんは魔物を引きつけながら後退! 俺は最後の確認をします!」
「黒瀬さんも早く来て!」
「分かってます!」
嘘だ。
本当は全然分かっていない。
足は震えている。
魔物は怖い。
今すぐ逃げたい。
けれど、俺がここで先に走れば、全体が崩れる。
瀬尾が通路へ入る。
三枝が泣きそうな顔でドローンを操作しながら続く。
高木が両手を上げたまま、屈辱に顔を歪めて進む。
リアは黒結晶犬の前に立ち、じりじりと下がる。
魔物の爪が床を削る。
リアの短剣が震える。
俺は周囲を見た。
端末は離れた。
ドローンは全体を映している。
瀬尾は動ける。
高木は今のところ手ぶら。
三枝は逃走経路を映している。
行ける。
そう思った瞬間、床が揺れた。
黒結晶犬が吠える。
その声に反応したのか、右奥の崩落通路から小石が落ちた。
まずい。
鑑定。
対象:崩落通路
状態:不安定
危険:崩落開始
「走ってください!」
俺は叫んだ。
通路に入っていた瀬尾が悲鳴を上げる。
三枝がドローンをぶつけそうになる。
高木が悪態をつく。
リアがこちらを見る。
「黒瀬さん!」
「行きます!」
俺は走った。
その瞬間、黒結晶犬がリアへ飛びかかる。
リアは短剣で受けた。
だが衝撃で体が弾かれ、俺のすぐ横に転がる。
「リアさん!」
「大丈夫、走って!」
リアが立ち上がる。
だが足元がふらついている。
俺は一瞬、手を伸ばした。
その手を、リアが掴む。
軽い。
思ったよりずっと、手が冷たい。
俺たちは右奥の崩落通路へ走った。
背後で、黒結晶犬が吠える。
通路の天井が崩れ始める。
瓦礫が落ちる。
砂埃が舞う。
狭い通路の奥で、瀬尾と三枝の悲鳴が反響する。
高木が前で叫ぶ。
「早くしろ!」
「お前が言うな!」
リアが怒鳴り返す。
そのやり取りに、ほんの一瞬だけ笑いそうになった。
そんな場合じゃない。
背後から魔物の爪音が近づいてくる。
俺はリアの手を引きながら、必死に走った。
光が見える。
通路の先。
地下二層のメンテナンス区画。
出口だ。
しかし次の瞬間、背後で天井が大きく崩れた。
黒結晶犬の吠え声。
瓦礫の轟音。
リアの手が、一瞬だけ強く握られる。
そして、俺たちは光の中へ転がり出た。
床に叩きつけられる。
肺から空気が抜けた。
前方に瀬尾。
その横に三枝。
少し離れて高木。
隣にリア。
全員いる。
生きている。
そう思った直後、背後の通路が完全に崩れた。
瓦礫が出口を塞ぐ。
土煙が舞う。
配信用ドローンの一機が、ぎりぎりこちら側へ飛び出していた。
赤いランプがまだ光っている。
コメント欄が、静かに流れる。
『出た』
『全員いる?』
『瀬尾いる』
『三枝いる』
『高木いる』
『リアちゃんは?』
『黒瀬さんは?』
『全員いる』
『全員で出た』
全員で出た。
その言葉を見た瞬間、リアが床に座り込んだ。
肩から血が流れている。
息も荒い。
それでも彼女は、ドローンを見て笑った。
「ほら」
声は小さかった。
「出たでしょ、全員」
強がりだ。
鑑定しなくても分かる。
でも、その強がりだけは、今は悪くないと思った。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
第4話では、リアの「全員で出る」という言葉を実際に成立させる回でした。
ただし、綺麗な善意だけではなく、瀬尾には自力で動かせ、高木は生きて証言させ、三枝には証拠映像を残させるという形で、かなり現実的な救助にしています。
透真は今回、魔物を倒したわけではありません。
戦闘では役に立たないままです。
でも、誰をどう動かせばリアの言葉が嘘にならずに済むのかを考え、避難順を作りました。
次回は、配信禁止区域事件の決着と、その後に透真が世間と管理局に見つかってしまうところを書きます。
ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。




