第47話 妹を知る英雄
国家選抜戦は、終わった。
大型モニターには、まだ結果が表示されている。
【国家選抜戦本戦・決勝】
【勝者:九条セーフティリンク臨時隊】
会場の歓声は、どこか遅れて聞こえた。
勝った。
アルカディア・ゲート推薦チームに。
記憶を加工され、恐怖を削られ、迷いを奪われた探索者たちに。
勝ったはずなのに、胸の奥は軽くならなかった。
俺の手元には、小さなデータキーがある。
【黒瀬澪関連データキー】
【照合先:神楽坂レイジ個人記録】
それだけで、喉が乾いた。
澪の名前。
神楽坂レイジの記録。
今まで点だったものが、ようやく一本の線になり始めている。
その線の先に何があるのか、俺はまだ知らない。
知りたい。
でも、怖い。
「黒瀬さん」
リアの声で、俺はようやく顔を上げた。
彼女は汗と煤で少し汚れた顔のまま、俺の横に立っていた。
「大丈夫?」
「大丈夫ではないです」
「うん。だと思った」
リアは無理に笑わせようとはしなかった。
それがありがたかった。
セイラはすでに管理局職員へ指示を出している。
「アルカディア関係者を葉室シオンたちに近づけないこと。首元端末の除去は専門家到着後。記憶補正の反動が出る可能性がありますわ」
さっきまで決勝を戦っていたとは思えないほど、声に迷いがない。
ミナトは端末を操作しながら、証拠ログを複数の保全先へ分散していた。
「はいはい、こっちにもコピー。あっちにもコピー。これで一か所消しても無駄だよ、アルカディアさん」
カナタは少し離れた場所で、葉室シオンを見ていた。
葉室は膝をついたまま、自分の手を見つめている。
「私は……本当に、勝ちたかったのか」
その声は、決勝中の彼とはまるで違っていた。
整った声ではない。
補正された声でもない。
ただ、自分の空白に気づいてしまった人間の声だった。
リアが小さく言う。
「勝って終わり、じゃないね」
「はい」
本当にそうだ。
俺たちはアルカディアを倒したわけではない。
証拠を掴んだ。
推薦チームの補正を止めた。
中央核を押さえた。
でも、それだけだ。
失われた記憶はすぐには戻らない。
加工された恐怖も、簡単には元に戻らない。
葉室たちがこれから何を思い出すのかも分からない。
そして、俺の問題も終わっていない。
むしろ、ここからだ。
会場の奥から、黒いコートの男が歩いてくる。
神楽坂レイジ。
英雄。
鑑定不能の男。
俺の妹を知るかもしれない男。
神楽坂は、俺の前で足を止めた。
彼の視線は、一瞬だけ俺の手元のデータキーに落ちた。
それから、俺を見る。
「約束通り」
静かな声だった。
「君の妹の話をしよう」
胸の奥で、何かが強く鳴った。
怒りなのか、恐怖なのか、期待なのか分からない。
俺はデータキーを握りしめる。
「ここで、ですか」
「いや。管理局の記録室を使う。君の仲間も同席していい」
その言葉に、少しだけ意外さを覚えた。
「一人で来いとは言わないんですか」
神楽坂は俺を見たまま答えた。
「君はもう、一人で聞くべきではない」
その言い方が、ひどく引っかかった。
まるで昔、誰かを一人にしたことがあるみたいな言い方だった。
セイラが近づいてくる。
「当然ですわ。黒瀬透真を一人で行かせるつもりはありません」
リアも頷く。
「私も行く」
ミナトが端末をしまいながら言う。
「俺も。高そうな情報だし」
セイラが睨む。
「鴉羽ミナト」
「冗談だよ。今のは九割」
「残り一割を捨てなさい」
カナタは短く言った。
「俺も行く」
神楽坂は、俺たち全員を見た。
その目には、拒む色はなかった。
「分かった」
案内されたのは、会場地下にある管理局の臨時記録室だった。
壁は灰色で、窓はない。
中央に記録再生用の大型端末が置かれている。
部屋の入り口には佐伯ユズルが立っていた。
「神楽坂さんから連絡を受けました。記録の照合には、管理局職員として私が立ち会います」
佐伯の表情はいつも通り薄い。
だが、目だけは少し険しかった。
彼もまた、この件をただの個人的な話として扱うつもりはないのだろう。
俺たちは端末の前に座った。
神楽坂は向かい側に立っている。
俺はデータキーを机に置いた。
小さな金属片。
それが、やけに重く見えた。
佐伯が確認する。
「黒瀬澪関連データキー。照合先は神楽坂レイジ氏個人記録。双方の同意のもと、限定再生を開始します」
神楽坂が頷く。
俺も頷いた。
端末がデータキーを読み込む。
【照合開始】
【黒瀬澪関連記録】
【再生可能範囲:一部】
一部。
その表示だけで、苛立ちが湧く。
また一部か。
また全部ではないのか。
俺の顔を見たのか、神楽坂が言った。
「隠しているわけではない。記録そのものが分割されている」
「誰が分割したんですか」
神楽坂は少し間を置いた。
「黒瀬澪自身だ」
息が止まった。
「澪が?」
「ああ」
神楽坂は静かに答える。
「彼女は、自分の記録を一つの場所に残さなかった。管理局、私の個人記録、アルカディアに奪われた断片。そして、おそらくまだ別の場所にもある」
ミナトが低く呟く。
「用心深いね」
セイラが言う。
「あるいは、誰かに一括で消されることを恐れていた」
神楽坂は否定しなかった。
「澪は賢かった」
その言葉に、俺の胸が痛んだ。
知っている。
澪は賢かった。
俺よりずっと観察眼があって、時々こちらが嫌になるくらい鋭かった。
でも、そんな澪のことを、俺は何も知らなかった。
記録が再生される。
画面に映ったのは、白い調査室だった。
数年前の映像らしい。
画質は少し荒い。
中央に立っているのは、神楽坂レイジ。
今より少し若い。
だが、すでに英雄と呼ばれていた頃の彼だ。
そして、その横に。
澪がいた。
俺は呼吸を忘れた。
黒瀬澪。
俺の妹。
少し大きめの調査員用ジャケットを羽織り、記録端末を抱えている。
俺の知っている澪より、ほんの少し大人びて見えた。
でも、表情は同じだった。
どこか気の抜けたような、けれど目だけは妙に鋭い顔。
映像の中の澪が、神楽坂を見上げて言った。
『英雄って、思ってたより普通に疲れた顔してますね』
室内の調査員たちが固まる。
リアが小さく吹き出しかけて、慌てて口を押さえた。
神楽坂は映像を見ながら、わずかに目を細めた。
『よく言われる』
若い神楽坂はそう答えた。
澪は首を傾げる。
『いや、言われないでしょ。みんな気使って言わないだけで』
『君は言うんだな』
『私、英雄ファンじゃないので』
映像の中の神楽坂が、少しだけ笑った。
俺は画面から目を離せなかった。
澪だ。
本当に澪だ。
軽口を叩いて、周囲を少し困らせて、でもどこか相手の奥を見ている。
知らない澪なのに、間違いなく俺の知っている澪だった。
映像が切り替わる。
調査対象は、S級ダンジョン内部の記録らしい。
歪んだ通路。
脈打つような壁。
通常の魔物とは違う、形の定まらない影。
調査員の声が入る。
『異常反応、第三層西側で増大。魔物発生源を確認中』
澪が端末を見ている。
だが、彼女の視線は端末ではなく、壁の向こうを見ているようだった。
神楽坂が聞く。
『黒瀬さん、何か見えるか』
澪は少し黙った。
それから、呟く。
『嘘、出てます』
俺の心臓が跳ねた。
嘘。
澪も、その言葉を使っている。
でも、彼女が見ているものは、俺とは違った。
澪は壁に手を近づける。
『嘘:この階層は自然発生した』
調査員たちがざわつく。
『自然発生ではない? 人工干渉か?』
澪は首を横に振る。
『分かりません。ただ、人間が思ってる自然発生とは違う気がします』
神楽坂が静かに聞く。
『他には』
澪はさらに奥を見る。
『嘘:この魔物は人類を排除するために生まれた』
部屋の空気が変わった。
映像のこちら側にいる俺たちも、誰も声を出さなかった。
魔物は人間を襲う。
ダンジョンは危険だ。
それは事実だ。
だが、澪の鑑定は言っている。
人類を排除するために生まれた、が嘘。
つまり、目的が違う。
澪は、困ったように眉を寄せる。
『敵じゃない、って言うと違うんです。普通に危ないし、近づいたら死にます。でも……人間が思ってる敵とは、たぶん違う』
映像の中の神楽坂は黙っている。
澪は続けた。
『ダンジョンは、人間を殺したいんじゃなくて、人間の何かに反応してる』
『何か?』
『感情、願望、後悔、恐怖……たぶん、その辺りです』
俺の背筋に、冷たいものが走った。
感情。
願望。
後悔。
恐怖。
記憶迷宮で見たものとつながる。
アルカディアが利用しようとしていたものとも。
澪は、ずっと前からそこに近づいていた。
映像が乱れる。
ノイズの中で、澪の声だけが残る。
『もしこれが本当なら、ダンジョンはただの敵じゃない。人間の中にあるものを、形にして返してきてる』
神楽坂が言う。
『その仮説は危険だ』
『ですよね』
澪は軽く笑った。
『でも、嘘を見ちゃったので』
画面が一度暗くなる。
俺は息を吐くことすら忘れていた。
佐伯が静かに言う。
「黒瀬澪さんの能力は、通常の鑑定とは明らかに異なりますね」
セイラが頷く。
「黒瀬透真は、人間や物事の嘘を見る。澪さんは、ダンジョンそのものの前提の嘘を見ていた」
ミナトが呟く。
「そりゃ隠したくもなるね。探索者制度の根っこが揺れる」
リアが小さく言う。
「でも、隠しちゃ駄目なやつだよ」
神楽坂は何も言わなかった。
俺は彼を見た。
「あなたは、これを知ってたんですね」
「ああ」
「澪が、こんなものを見ていたって」
「知っていた」
「それで、隠した」
神楽坂の目が、わずかに伏せられる。
「結果的に、そうなった」
その言い方に、腹の奥が熱くなる。
「結果的に?」
声が低くなった。
「澪が見つけたものを、世界に出さなかった。澪が何をしていたのか、俺にも家族にも知らせなかった。それを、結果的にって言うんですか」
神楽坂は反論しなかった。
その沈黙が、余計に腹立たしい。
佐伯が端末を操作する。
「続きがあります」
画面が再び明るくなる。
映像の中の澪は、一人で記録端末に向かっていた。
場所は分からない。
どこかの簡易記録室らしい。
澪は少し疲れた顔をしている。
それでも、いつものように軽く笑った。
『これを見てる人へ。たぶん管理局か、神楽坂さんか、もしかしたら未来のお兄ちゃんかもしれません』
俺の呼吸が止まる。
未来のお兄ちゃん。
澪は、画面の向こうから俺を見ているようだった。
『お兄ちゃんがこれを見てるなら、まず言っとく。怒ってると思う。たぶんめちゃくちゃ怒ってる』
リアがこちらをちらっと見た。
俺は何も言えない。
澪は続ける。
『でも、最後まで見て。途中で勝手に納得しないで。途中で誰かを犯人に決めないで。お兄ちゃん、そういうとこあるから』
胸が痛い。
図星だった。
俺はずっと犯人を探していた。
誰かを憎めば、少し楽になれると思っていた。
澪は、そんな俺のことまで分かっていたのか。
映像の中の澪は、少しだけ目を伏せる。
『私が見たものは、たぶん危ないです。人間にとっても、ダンジョンにとっても。何より、お兄ちゃんにとって危ない』
神楽坂が、画面を見つめている。
その横顔には、後悔のようなものがあった。
澪は言った。
『だから、すぐには見せないで。お兄ちゃんには、まだ見せないで』
あの言葉。
アルカディアで見た断片。
記憶迷宮で見た幻。
その本来の記録が、ここにあった。
だが、澪は続けた。
『でも、ずっと隠せって意味じゃない』
俺は顔を上げた。
神楽坂も、わずかに目を伏せた。
『いつか必要になったら、ちゃんと見せて。私の言葉を、隠す理由にしないで』
部屋の空気が凍った。
澪の声だけが、静かに響く。
『私は、お兄ちゃんに背負わせたくない。でも、誰かが勝手に決めて、お兄ちゃんから選ぶ権利を奪うのも違うと思う』
その言葉が、まっすぐ胸に刺さった。
誰かが勝手に決めて、選ぶ権利を奪うのも違う。
澪は、分かっていた。
守りたい気持ちと、隠すことの危うさを。
その両方を。
映像の中の澪は、少し困ったように笑った。
『だから、見せる時は最後まで見せて。途中で切り取らないで。私を、誰かの都合のいい理由にしないで』
映像が乱れる。
最後に、澪が小さく呟いた。
『お兄ちゃん、ごめんね』
画面が暗くなった。
誰も、すぐには話せなかった。
俺は机の上で拳を握っていた。
怒りがある。
悲しみもある。
でも、それ以上に、胸の奥がぐちゃぐちゃだった。
澪は俺に見せたくなかった。
でも、ずっと隠せとは言っていない。
自分の言葉を、隠す理由にするなと言っていた。
俺はゆっくり神楽坂を見た。
「聞きましたか」
声が震えた。
「澪は、言ってましたよね。隠す理由にしないでって」
神楽坂は目を閉じた。
「ああ」
「なのに、あなたは隠した」
「ああ」
「澪の言葉を、利用した」
神楽坂は、しばらく黙っていた。
そして、静かに答えた。
「そうだ」
その一言で、怒りが爆発しそうになった。
だが、その前に神楽坂は続けた。
「私は、澪の言葉を自分に都合よく使った」
部屋が静かになる。
「彼女は、いつか見せるべきだと言っていた。選ぶ権利を奪うなとも言っていた。それなのに私は、混乱を避けるため、制度を守るため、そして自分が英雄として正しい判断をしたと思うために、真実を後回しにした」
神楽坂の声は、静かだった。
でも、今までより少しだけ重かった。
「私は、澪を殺していない」
彼は俺を見る。
「だが、澪の言葉を守ったとも言えない」
俺は歯を食いしばった。
「それで済むと思ってるんですか」
「思っていない」
「じゃあ、なんで今まで」
「怖かったんだと思う」
その言葉に、俺は一瞬止まった。
神楽坂レイジが、怖かった、と言った。
英雄が。
神楽坂は続ける。
「澪の記録を出せば、探索者制度は揺れる。ダンジョン管理の前提が崩れる。人々は、私たちが信じてきた安全基準を疑う。私が救ってきた人々の物語も、変わる」
彼は自嘲するように笑った。
「そして何より、私自身が、自分の選択を見直さなければならなくなる」
ミナトが低く言った。
「英雄様も、自分の失敗記憶は編集したかったわけだ」
リアがミナトを見る。
でも、止めなかった。
神楽坂は否定しない。
「そうかもしれない」
俺は立ち上がった。
「俺は、あなたを許せません」
「ああ」
「澪を隠したことも。澪の言葉を利用したことも。俺から選ぶ権利を奪ったことも」
「許さなくていい」
「その言い方も嫌いです」
神楽坂は目を伏せた。
「そうだな」
俺は、画面が消えた端末を見る。
澪の声はもう聞こえない。
でも、残っている。
俺の中に。
最後まで見せて。
途中で切り取らないで。
私を、誰かの都合のいい理由にしないで。
俺は息を吸った。
「まだ全部じゃないんですよね」
佐伯が端末を確認する。
「はい。次の記録群は、隠蔽承認記録と接続しています」
セイラが冷たい声で言う。
「つまり、ここからは誰が何を隠したのか、ですわね」
神楽坂は頷いた。
「そうだ」
リアが小さく言う。
「しんどいね」
「はい」
本当にしんどい。
でも、もう止まれない。
澪が言った。
最後まで見せて。
なら、見るしかない。
たとえ、それが俺の望む物語じゃなくても。
神楽坂レイジは、俺の妹を知っていた。
そして、澪の言葉を利用した。
その事実を抱えたまま、俺たちは次の記録へ進む。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
今回は、神楽坂レイジと黒瀬澪の記録が初めて再生されました。
澪の能力は、透真とは違う鑑定でした。
透真が人間や物事の嘘を見るのに対して、澪はダンジョンそのものの前提にある嘘を見ていました。
そして、澪は「お兄ちゃんには、まだ見せないで」と言っていました。
ただし、それは永遠に隠せという意味ではありませんでした。
むしろ、いつか必要になったら最後まで見せてほしい、自分の言葉を隠す理由にしないでほしいとも語っていました。
神楽坂は、その言葉を隠蔽の理由にしてしまった。
ここで透真にとって、神楽坂への怒りはより複雑なものになっていきます。
次回は、澪の記録と隠蔽の構造にさらに踏み込んでいきます。
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