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第48話 澪の能力と隠蔽

 次の記録を開く前に、佐伯ユズルは一度だけ俺たちを見た。


「ここから先は、黒瀬澪さん個人の記録だけではありません」


 淡々とした声だった。


 けれど、その言葉の奥には慎重さがあった。


「管理局の承認記録、当時のS級ダンジョン攻略委員会の議事録、一部スポンサー企業との共有ログ、そして神楽坂さんの個人記録が混ざっています」


 セイラが腕を組む。


「つまり、誰が何を隠したか、ですわね」


「はい」


 佐伯は短く答えた。


 俺は机の上に置かれた端末を見つめた。


 さっきの澪の声が、まだ耳に残っている。


『最後まで見て』

『途中で切り取らないで』

『私を、誰かの都合のいい理由にしないで』


 澪は、俺に見せたくなかった。


 でも、永遠に隠せとは言っていなかった。


 それなのに。


 神楽坂レイジは、その言葉を隠す理由にした。


 いや、神楽坂だけじゃない。


 ここから見るのは、たぶんその先だ。


 誰が澪を消したのか。


 誰が澪の記録を伏せたのか。


 誰が、俺から選ぶ権利を奪ったのか。


「再生します」


 佐伯が端末を操作した。


 画面に、当時の会議記録が表示される。


【S級ダンジョン異常反応調査委員会】

【非公開臨時会議】

【議題:黒瀬澪調査記録の扱いについて】


 その文字を見た瞬間、喉の奥が熱くなった。


 黒瀬澪調査記録。


 妹の名前が、冷たい議題名になっている。


 画面に映った会議室には、何人もの大人がいた。


 管理局上層部。

 攻略委員会の責任者。

 企業ギルドの顧問。

 スポンサー企業の担当者。

 そして、神楽坂レイジ。


 今より若いが、すでに誰もが彼を見る空気があった。


 英雄として。


 発言に重みを持つ存在として。


 会議記録の音声が流れる。


『黒瀬澪補助調査員の記録は、現行のダンジョン災害分類と矛盾します』


『公開すれば、現場の探索者たちは混乱するでしょう』


『配信産業への影響も甚大です。ダンジョンは明確な脅威であり、それを攻略する探索者が希望である。この構造が崩れます』


『スポンサー企業としても、安全基準の再検証が必要となれば、現行事業は停止しかねません』


 どの声も、冷静だった。


 誰も怒鳴らない。

 誰も泣かない。

 誰も澪の名前を、妹として呼ばない。


 ただ、記録として扱っている。


 危険な情報として。

 制度を揺らす可能性として。

 処理すべき問題として。


 リアが小さく呟いた。


「……ひどい」


 セイラは黙って画面を見ている。


 ミナトの表情も硬い。


 カナタは壁際で腕を組んだまま、目を細めていた。


 画面の中で、若い神楽坂が口を開く。


『黒瀬澪の記録には、未検証の仮説が含まれている。現段階で公開すれば、誤解だけが広がる』


 俺の拳に力が入った。


 神楽坂は続ける。


『ただし、記録そのものを破棄するべきではない。封印し、限られた範囲で検証を続けるべきだ』


 管理局上層部の一人が言う。


『ご意見は理解します。ですが、黒瀬澪調査員は死亡しています。本人による追加説明は不可能です』


 死亡しています。


 その言い方に、胸がざらついた。


 死んだのは澪だ。


 俺の妹だ。


 なのに画面の中では、ただの欠席理由みたいに処理されている。


『家族への説明は?』


 誰かが言った。


 俺は息を止めた。


 ここだ。


 俺たち家族の話が、ようやく出た。


 しかし、返ってきた答えは短かった。


『通常の事故説明で十分でしょう』


 部屋の中で、誰もすぐには反論しなかった。


 俺は椅子の背を握った。


「十分……?」


 声が漏れた。


 リアが俺を見る。


 俺は画面から目を離せなかった。


 十分。


 通常の事故説明で十分。


 俺たちにはそれで十分だと、誰かが決めた。


 俺が何も知らずに墓の前で泣くことも。

 澪が何を見たのか知らないまま過ごすことも。

 全部、それで十分だと。


 映像の中の神楽坂が、そこで少しだけ目を伏せる。


 だが、強く反論はしなかった。


『家族への説明は、不要な混乱を避ける形で行うべきだ』


 俺は立ち上がりかけた。


「同じじゃないですか」


 神楽坂は、今の部屋で何も言わなかった。


 俺は彼を見る。


「反論してない。澪の記録を破棄するなとは言った。でも、俺たちには説明しなくていいって流れを止めなかった」


 神楽坂は目を逸らさない。


「そうだ」


 また、その答え。


 認める。


 でも、過去は変わらない。


 画面の会議は続く。


【決議案】

【黒瀬澪調査記録は、S級機密資料として封印】

【公開記録では、黒瀬澪補助調査員の関与範囲を最小化】

【死亡事案は、通常の探索中事故として処理】

【関係者への情報開示は制限】

【関連映像、ログ、音声記録は分割保管】


 承認者の名前が並ぶ。


 管理局上層部。

 攻略委員会責任者。

 企業顧問。

 スポンサー企業代表。


 そして。


【特別審査協力者:神楽坂レイジ】


 署名があった。


 間違いなく。


 神楽坂レイジの名前。


 部屋の空気が重くなる。


 セイラが低い声で言った。


「首謀者ではない。けれど、最大の象徴ではありますわね」


 佐伯が頷く。


「当時、神楽坂さんの同意は非常に大きかったはずです。彼が反対していれば、決議は通らなかった可能性があります」


「佐伯さん」


 俺は聞いた。


「可能性、じゃなくて。本当は?」


 佐伯は少し沈黙した。


 それから答える。


「通らなかったと思います」


 神楽坂の顔は変わらなかった。


 だが、その沈黙が答えだった。


 神楽坂が反対していれば、澪の記録は隠されなかったかもしれない。


 少なくとも、俺たち家族への説明は変わっていたかもしれない。


 俺は彼を睨む。


「あなたが隠したんですね」


 神楽坂は、静かに言った。


「私一人で隠したわけではない」


 その言葉に、胸の奥が冷えた。


 言い訳かと思った。


 でも、彼は続けた。


「だが、私が止めなかった。私が同意した。だから、私は隠した側の人間だ」


 俺は何も言えなかった。


 怒鳴りたいのに、言葉がうまく出てこない。


 誰か一人を犯人にできれば楽だった。


 神楽坂だけが悪い。

 あの人が全部隠した。

 そう思えれば、まだ怒りの向け先が一つで済んだ。


 でも、違う。


 管理局もいた。

 企業もいた。

 スポンサーもいた。

 攻略委員会もいた。

 配信産業も関わっていた。


 みんなで決めた。


 みんなで澪を消した。


「……結局」


 自分の声がひどく低く聞こえた。


「結局、みんなで澪を消したんじゃないですか」


 誰もすぐには答えなかった。


 リアが唇を噛む。


 セイラは目を伏せない。


 ミナトは珍しく軽口を叩かない。


 カナタも黙っていた。


 佐伯は、苦い顔をしている。


 管理局職員として、彼も完全に外側の人間ではいられないのだろう。


 俺は神楽坂を見る。


「澪の記録を消して、事故にして、家族には通常説明で十分って。そんなの、死んだあとにもう一回殺したみたいなものじゃないですか」


 神楽坂の表情が、ほんの少しだけ歪んだ。


 初めて、刺さったように見えた。


 それでも、彼は逃げなかった。


「そう言われても仕方がない」


「仕方がない、じゃない」


 声が震える。


「澪はいたんです。ちゃんと見てた。考えてた。怖がってたかもしれないのに、それでも記録を残した。それを、あなたたちは都合が悪いから消した」


「消したつもりはなかった」


 神楽坂は言った。


「封印したつもりだった。必要な時まで、守ったつもりだった」


「同じです」


 俺は即答した。


「見られない記録は、俺にとっては消されたのと同じです」


 神楽坂は黙った。


 佐伯が端末を操作する。


「黒瀬さん。まだ続きがあります」


「……はい」


 声がうまく出なかった。


 次に表示されたのは、澪自身の追記ログだった。


【黒瀬澪・個人記録】

【分割保存断片B】

【再生します】


 画面に、澪が映る。


 さっきよりも疲れている。


 目の下に薄い影がある。

 それでも、無理に笑っている。


『たぶん、これ、揉めると思うんですよね』


 澪は端末に向かって話していた。


『ダンジョンは敵です、探索者は人類を守る希望です、魔物は倒すべき脅威です。そういう話で社会が回ってるのに、私が見たものは、そこからちょっとずれてる』


 彼女は小さく息を吐く。


『でも、別にダンジョンが優しいとか、魔物と仲良くしましょうとか、そういう話じゃないです。普通に危ないです。人は死にます。私も正直、怖いです』


 怖い。


 澪が、そう言った。


 俺は画面を見つめる。


 澪は怖かった。


 それでも、記録していた。


『ただ、敵って言葉だけでまとめると、見えなくなるものがある気がします』


 澪は端末を操作し、いくつかの表示を出す。


 嘘:この階層は自然発生した

 嘘:この魔物は人類を排除するために生まれた

 嘘:ダンジョンは侵略する

 危険:人間の恐怖に反応


『ダンジョンは、人間の恐怖や願望に反応してる。少なくとも、そう見える時がある』


 澪は少しだけ目を細めた。


『だから、人間が恐怖を増幅させるほど、ダンジョンも変わる。人間が英雄を求めるほど、英雄みたいなものも必要になる。たぶん、神楽坂さんの力も、そこから完全には切り離せない』


 神楽坂の肩が、わずかに動いた。


 俺は彼を見る。


 神楽坂は画面を見つめている。


 まるで、今初めてその言葉を真正面から聞いたみたいに。


 澪は続ける。


『これをそのまま出したら、きっとみんな混乱します。探索者制度も揺れると思います。でも、だからって隠したら、たぶんもっと悪いことになる』


 胸が痛む。


 澪は分かっていた。


 隠す危険も。

 出す危険も。


 どちらも。


『だから、出し方を考えてください。全部を一気に出せとは言いません。でも、なかったことにはしないでください』


 その言葉が、部屋に響いた。


 なかったことにはしないでください。


 俺は唇を噛んだ。


 なかったことにされた。


 澪は、まさにそれを恐れていたのに。


 映像の中の澪は、最後に少しだけ笑った。


『あと、神楽坂さん。あなた、たぶん自分が黙れば丸く収まるって考えるタイプですよね』


 神楽坂の表情が固まった。


 リアが思わず小さく息を呑む。


 澪は画面の向こうで続ける。


『それ、やめた方がいいです。あなたが黙ると、みんな「英雄が黙ってるなら大丈夫なんだ」って思っちゃうから』


 神楽坂は、何も言わない。


『英雄って便利なんですよ。みんなが考えるのをやめる理由になる』


 俺の背筋に、冷たいものが走った。


 澪は、そこまで見ていたのか。


 神楽坂レイジという存在が、ただの強い探索者ではなく、社会全体の判断を止める装置になりかけていることを。


 澪は言った。


『だから、神楽坂さんが本当に人を救いたいなら、みんなの代わりに正しくなるんじゃなくて、みんなに考えさせてください』


 映像はそこで途切れた。


 部屋は静まり返っていた。


 神楽坂は、長い間動かなかった。


 俺は、その横顔を見ていた。


 怒りはある。


 でも、少しだけ分かったこともある。


 澪は神楽坂を責めていただけではない。

 神楽坂に期待もしていた。


 だからこそ、記録を残した。


 だからこそ、言葉を向けた。


 そして神楽坂は、その期待に応えなかった。


 セイラが静かに言った。


「構造が見えてきましたわね」


 誰もすぐには返さない。


 セイラは続ける。


「澪さんは、ダンジョンの嘘を見た。そして、その情報をどう扱うかまで考えていた。けれど、管理局と企業と攻略委員会は混乱を恐れ、神楽坂レイジはそれを止めなかった」


 ミナトが低く言う。


「結果、英雄が黙ったから、みんな黙った」


 カナタが短く言った。


「一人に背負わせすぎたな」


 神楽坂が、ようやく口を開く。


「私は、背負うべきだと思っていた」


 声は静かだった。


「多くの人が不安にならないように。探索者たちが迷わないように。制度が壊れないように。私が判断し、私が黙れば、被害は小さくなると思っていた」


 リアが言う。


「でも、それってみんなの代わりに考えるってことですよね」


「ああ」


 神楽坂は頷いた。


「そして、それが間違いだったのかもしれない」


「かもしれない?」


 俺は言った。


 神楽坂は俺を見る。


 俺は止まらなかった。


「澪は言ってました。なかったことにしないでって。出し方を考えてって。あなたが黙るとみんな考えるのをやめるって」


 声が震える。


「それを聞いても、まだ、かもしれないなんですか」


 神楽坂は、長い沈黙の後、答えた。


「間違いだった」


 短い言葉だった。


 部屋の空気が変わる。


「私は、澪の言葉を聞いていた。それなのに、反対しなかった。記録を封印し、家族への説明を制限し、自分が黙ることで混乱を抑えられると思った」


 神楽坂は俺を見る。


「私は間違えた」


 その言葉を聞いても、胸は軽くならなかった。


 謝罪のように聞こえた。

 でも、まだ足りない。


 澪は戻らない。


 俺が知らなかった時間も戻らない。


 俺は小さく言った。


「認めたからって、終わりじゃないです」


「ああ」


「神楽坂さんが間違えたって言えば済む話でもない。管理局も、企業も、全部です」


「そうだ」


 佐伯が静かに頷いた。


「管理局としても、この記録は正式に再調査対象とします。隠蔽承認に関わった部署、企業、委員会への調査が必要です」


 セイラが言う。


「私の方でも、当時のスポンサー契約と情報管理契約を洗えますわ」


 ミナトが肩をすくめる。


「映像の外側も探るよ。たぶん、消し損ねたログがある」


 リアは少し迷ってから言った。


「公開するなら、見せ方は考えた方がいい。澪さんの個人記録をそのまま晒すのは違うと思う」


 俺は頷いた。


「はい」


 さっきの決勝で、リアはそれをやった。


 人の傷を晒さず、仕組みを見せた。


 澪の記録も同じだ。


 全部を隠してはいけない。

 でも、全部を雑に晒していいわけでもない。


 見せ方を考える。


 澪が言っていた通りに。


 神楽坂は静かに立っていた。


 俺は彼を見る。


「次は、あなたの話を聞きます」


「私の?」


「澪の記録だけじゃない。あなたが、どうして英雄として黙ったのか。あなたの力が何なのか。あなたの英雄譚がどう作られたのか」


 神楽坂の目が、少しだけ揺れた。


 俺は続ける。


「澪だけを見ても、たぶん終わらない。あなたがどうして隠蔽の象徴になったのかを見ないと、また同じことが起きる」


 神楽坂は、しばらく俺を見ていた。


 それから、静かに頷いた。


「分かった」


 部屋の端末が、次の記録群を表示する。


【神楽坂レイジ関連記録】

【英雄譚編集履歴】

【大衆信頼補正反応】

【閲覧には追加承認が必要です】


 ミナトが小さく笑った。


「来たね。英雄様の編集履歴」


 リアが少し顔をしかめる。


「言い方」


「でも、そういうことだよ」


 セイラが画面を見つめる。


「神楽坂レイジは偽物ではない。ですが、本物の英雄譚ほど編集されやすい」


 カナタが言う。


「次は、英雄を剥がす番か」


 俺は画面を見つめた。


 澪の記録は、俺に怒りだけをくれたわけではなかった。


 選ぶ権利。

 見せ方。

 隠すことと守ることの違い。


 そして、英雄が黙る危うさ。


 次に見るべきものは、そこだ。


 神楽坂レイジ。


 人を救った本物の英雄。


 そして、澪を消した隠蔽の象徴。


 その二つが、同じ人間の中にある。


 俺は拳を握った。


 まだ許せない。


 でも、見なければいけない。


 途中で切り取らず、最後まで。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


今回は、澪の記録と隠蔽の構造に踏み込みました。


澪は、ダンジョンが人間の恐怖や願望に反応している可能性を見ていました。

ただし彼女は、それを無責任に公開しろと言っていたわけではありません。

出し方を考えてほしい、けれどなかったことにはしないでほしい、と記録に残していました。


しかし管理局、企業、攻略委員会、そして神楽坂レイジは、混乱を避けるためにその記録を封印しました。

神楽坂一人がすべての首謀者だったわけではありません。

ですが、彼が反対しなかったことには大きな意味がありました。


澪が言った「英雄って便利なんですよ。みんなが考えるのをやめる理由になる」という言葉が、今後の神楽坂編の中心になります。


次回は、神楽坂レイジの英雄譚がどう作られてきたのかに踏み込んでいきます。

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