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第44話 決勝戦は、記憶を奪う

 アルカディア・ゲート推薦チーム。


 その名前が決勝の相手として表示された瞬間、会場の空気は明らかに変わった。


 神楽坂門下チームの時とは違う。


 あの時の空気は、緊張と期待だった。

 正しいチームと、灰色のチーム。

 どちらが勝つのかを見届けようとする熱があった。


 だが、今は違う。


 ざわつきの中に、説明しにくい不安が混じっている。


 アルカディア・ゲート。


 表向きは、新人育成に優れた優良企業ギルド。

 実績もある。

 設備もある。

 スポンサーも多い。


 だが俺たちは、その裏側を知っている。


 新人研修ダンジョン。

 死なない程度に危険な状況。

 失敗、恐怖、判断ミスの記憶。

 それを収集し、攻略AIに学習させ、商品として売る仕組み。


 俺たちは一度、そこへ潜入した。

 証拠の一部は持ち帰った。

 だが、中枢データは逃がした。


 そのアルカディアが、国家選抜戦の決勝まで来ている。


 しかも、派手な勝ち方ではない。


 誰かを圧倒したわけでもない。

 観客を沸かせたわけでもない。

 大きな話題になったわけでもない。


 ただ、いつの間にか勝っていた。


 ミナトが端末を見ながら呟く。


「気持ち悪い勝ち方だね」


「どういう意味ですの」


 セイラが聞く。


「記録を見る限り、アルカディア推薦チームはほとんどミスをしてない。でも、名場面もない。大逆転もない。危機もない。淡々と、必要な点だけ取って勝ってる」


 リアが眉を寄せる。


「強いってこと?」


「強い。けど、それ以上に不自然」


 ミナトは画面を拡大した。


 アルカディア推薦チームの試合映像が流れる。


 彼らは整っていた。


 魔物が出れば、最短の動きで処理する。

 救助対象がいれば、無駄なく運ぶ。

 契約条件が出れば、迷わず選ぶ。

 誰かが危険に晒されても、声が乱れない。


 理想的なチーム。


 そう見える。


 でも、俺の背中には冷たいものが走った。


 人間らしい揺れがなさすぎる。


「黒瀬透真」


 セイラが俺を見る。


「もう一度、彼らを鑑定しなさい」


「はい」


 俺はモニター越しのアルカディア推薦チームを見る。


 対象:アルカディア・ゲート推薦チーム

 状態:安定

 嘘:彼らは自分の意志で戦っている

 危険:記憶補正


 やはり同じだ。


「自分の意志で戦っている、が嘘です。危険は記憶補正」


 リアの顔がこわばる。


「記憶をいじられてるってこと?」


「たぶん」


 セイラが低く言う。


「恐怖や迷いを取り除かれている可能性がありますわね」


 カナタが剣袋を肩にかけ直した。


「怖がらない探索者か」


 その声は、いつもより冷たかった。


「厄介だな」


「怖くない方が強いんじゃないの?」


 リアが聞く。


 カナタは首を横に振った。


「怖くないのと、怖さを扱えるのは違う」


 その言葉は重かった。


 契約殺しの試合で、カナタは自分の罪と恐怖に向き合った。

 その彼が言うからこそ、説得力がある。


 怖さを知らない剣。

 恐怖を忘れた判断。

 それは、本当に強いのか。


 佐伯ユズルが近づいてきた。


「決勝の形式が公開されます」


 大型モニターが切り替わる。


【国家選抜戦本戦・決勝】

【形式:記憶迷宮型フィールド】

【勝利条件:中央核の確保】

【追加判定:記憶干渉耐性、判断維持、チーム継続性】


 会場がざわめいた。


 記憶迷宮。


 名前だけで嫌な予感がする。


 佐伯が説明を続ける。


「決勝フィールドでは、参加者の過去の記憶、恐怖、後悔に類似した幻影が発生します。それを突破しながら、中央核へ到達したチームが勝利となります」


 リアが顔をしかめる。


「それ、だいぶ趣味悪くない?」


「はい」


 佐伯は否定しなかった。


「ただし、公式には精神耐性と判断力を見るための試験です」


 ミナトが笑う。


「公式には、ね」


 セイラがモニターを睨む。


「アルカディアに有利すぎますわ」


「ええ」


 佐伯の声が少し低くなる。


「彼らは記憶加工に関する技術を持っています。決勝形式の決定過程に、アルカディア関連企業が関与していた可能性も調査中です」


「つまり、仕組まれた決勝かもしれない」


 俺が言うと、佐伯は頷いた。


「断定はできません。ただし、警戒すべきです」


 断定できない。


 けれど、俺たちは知っている。


 アルカディアは、記憶を商品にする。


 失敗を売る。

 恐怖を売る。

 判断ミスを売る。


 なら、この決勝は何だ。


 全国配信される国家選抜戦の最終舞台。

 高レベル探索者たちが、自分の恐怖や後悔に向き合う場所。


 そこから得られる記憶データの価値は、どれほど高いのか。


 喉の奥が乾く。


「これ、試合じゃないですね」


 俺は言った。


「記憶収集の実験場です」


 佐伯は答えなかった。


 答えないことが、答えに近かった。


 試合開始前、控室に短い沈黙が落ちた。


 リアは自分の手を見ている。


「私に出てくるの、たぶんあれだよね」


 第1章の配信禁止区域事件。


 仲間に裏切られたこと。

 自分が危険を軽く見たこと。

 配信を切らなかったこと。

 俺を利用したこと。


 リアにとって、今でも消えない傷だ。


 セイラは静かに言う。


「私には裁判でしょうね」


 仲間の見殺し容疑。

 世間からの悪役令嬢扱い。

 自分が見下してきた下位探索者の視線。


 ミナトは軽く肩をすくめた。


「俺はいっぱいありすぎて選べないなあ」


 だが、その笑いは薄い。


 情報を売ったことで、誰かが壊れた。

 炎上した。

 逃げ場を失った。


 彼にも、見たくない記憶はある。


 カナタは黙っていた。


 何が出るかは、言わなくても分かる。


 死んだ仲間。

 読み違えた契約。

 自分だけが生き残った記憶。


 そして俺は。


 澪。


 アルカディアの中枢端末で見た、短い記憶断片。


『お兄ちゃんには、まだ見せないで』


 その声が、また頭の奥で響いた。


 俺は拳を握る。


 出てくるかもしれない。


 澪の幻が。

 澪の記憶が。

 俺がまだ知らない、事故前後の断片が。


 セイラが俺を見た。


「黒瀬透真」


「はい」


「澪さんの記憶が出ても、単独で走らないこと」


「……はい」


「返事が遅いですわ」


「すみません」


 リアが少しだけ笑う。


「私たちも止めるから」


「お願いします」


 カナタが短く言った。


「記憶は敵にもなる」


「はい」


「だが、消せばいいわけじゃない」


 カナタの言葉に、全員が少し黙った。


 それは、この決勝の核心だった。


 嫌な記憶。

 失敗の記憶。

 恐怖の記憶。


 アルカディアは、それを加工する。


 消す。

 薄める。

 整える。

 都合のいい形にする。


 でも、それで人は本当に前へ進めるのか。


 俺たちは、それを確かめに行く。


 決勝フィールドのゲートが開いた。


 中に広がっていたのは、白い迷宮だった。


 壁も床も天井も、すべて薄い乳白色。

 どこか病院の廊下にも似ていて、どこか記録保管庫にも似ている。


 歩くたびに、壁の奥で映像のようなものが揺れる。


 笑い声。

 悲鳴。

 怒号。

 配信コメント。

 契約書の文字。

 事故報告書の黒塗り。


 全部が混ざっている。


 反対側のゲートから、アルカディア推薦チームが入ってきた。


 五人。


 全員、若い。

 おそらく俺たちと同年代か、少し上くらい。


 隊長らしき青年が前に出る。


 銀灰色の探索者装備。

 清潔な手袋。

 整った姿勢。


【アルカディア・ゲート推薦チーム隊長】

【名:葉室シオン】


 彼は丁寧に頭を下げた。


「よろしくお願いします。九条セーフティリンク臨時隊の皆さん」


 声まで整っている。


 礼儀正しい。

 敵意も薄い。

 それなのに、ひどく冷たい。


 セイラが返す。


「ええ。よろしくお願いしますわ」


 葉室シオンは微笑んだ。


「決勝という場にふさわしい試合にしましょう。互いの過去と向き合い、より優れた探索者として中央核へ至る」


 俺は鑑定した。


 対象:葉室シオンの発言

 嘘:互いの過去と向き合い

 危険:記憶誘導


「過去と向き合う、が嘘です。危険は記憶誘導」


 葉室は俺を見た。


「黒瀬透真さん。あなたの鑑定は、やはり興味深い」


「俺は興味を持たれたくありません」


「そうですか。ですが、あなたのような人材こそ、本来は適切な記憶管理が必要です」


 リアが低く言う。


「記憶管理って何?」


 葉室は穏やかに答える。


「人間は、失敗を過剰に抱えます。恐怖に足を止められ、罪悪感で判断を歪める。ならば、不要な痛みを整理し、必要な経験だけを残すべきです」


 セイラの目が冷える。


「都合の悪い記憶を消す、の間違いでは?」


「消すのではありません。編集です」


 葉室は微笑む。


「記憶は、本人のものとは限りません。正しく編集されて初めて、人は前に進める」


 その言葉に、カナタの手が剣袋へ伸びた。


 ミナトの笑みも消えた。


 リアが小さく言う。


「最悪」


 俺も同じ気持ちだった。


 記憶は本人のものとは限らない。


 そんなわけがない。


 失敗も。

 恐怖も。

 後悔も。

 誰かに編集されていいものじゃない。


 試合開始のカウントが始まる。


 三。


 二。


 一。


【国家選抜戦本戦・決勝、開始】


 その瞬間、白い迷宮の壁が波打った。


 まず現れたのは、配信コメントだった。


『助けろ』

『リアちゃん、行って』

『仲間見捨てるの?』

『危険配信じゃん』

『黒瀬って誰?』

『売名?』

『配信切れよ』


 リアの顔が強張る。


 白い壁の一部が、配信禁止区域の通路へ変わっていく。


 薄暗いダンジョン。

 三枝のカメラ。

 瀬尾の偽装負傷。

 高木の短剣。


 そして、画面の中のリア。


 笑っている。


 危険に気づきながら、まだ配信を切っていない顔。


「……来た」


 リアが息を吐く。


 幻のリアが言う。


『ここで証拠を掴めば、全部ひっくり返せる』


 壁のコメント欄が流れる。


『リアちゃんすごい』

『神回』

『裏切り暴露くる?』

『危なくない?』

『でも見たい』


 リアは拳を握る。


 俺は彼女を見た。


「リアさん」


「大丈夫」


 声は震えていた。


 でも、逃げてはいなかった。


 リアは幻の自分を見つめる。


「あの時の私、ほんと最悪」


 幻のリアが笑う。


『でも、見せなきゃ意味ないでしょ? 見てもらえなきゃ、正しさなんて届かない』


 リアは首を横に振った。


「違う。見せればいいってもんじゃない」


 コメント欄がざわつく。

 幻の中の高木が短剣を抜く。


 リアは目を逸らさなかった。


「これは消したら駄目な記憶だよ」


 彼女は言った。


「痛いけど、私が持ってないとまた同じことする」


 その瞬間、配信禁止区域の幻がひび割れた。


 コメント欄の文字が崩れていく。


 だが、消え切る前に、アルカディア推薦チームの一人が動いた。


 女性隊員。

 表情の薄い探索者。


 彼女はリアの横を抜け、迷宮の奥へ進もうとする。


 リアが反応する。


「行かせない!」


 女性隊員は振り返らずに言った。


「過去に反応しすぎです。処理効率が悪い」


 俺は彼女を鑑定する。


 対象:アルカディア女性隊員

 嘘:過去を克服した

 本音:思い出せない

 危険:恐怖記憶欠落


「克服した、が嘘です!」


 俺は叫んだ。


「その人、怖かったことを思い出せないだけです!」


 女性隊員の足が、一瞬止まった。


「……何を」


 葉室シオンが穏やかに言う。


「進みなさい。不要な揺れです」


 その声に、女性隊員の表情が戻る。


 空白みたいな顔。


 彼女は再び走り出す。


 カナタが前へ出た。


「止める」


 剣が抜かれる。


 だが、その瞬間、迷宮の別の壁が黒く染まった。


 契約陣。

 血のような赤い線。

 倒れた仲間。

 カナタの過去。


 カナタの動きが一瞬止まる。


 リアが叫ぶ。


「カナタさん!」


「分かってる」


 カナタは低く答えた。


 だが、幻は容赦しない。


 倒れた仲間が、カナタを見上げる。


『お前が契約を間違えたからだ』


 カナタの剣がわずかに揺れる。


 葉室シオンは静かに言った。


「恐怖と罪悪感は判断を鈍らせます。御影カナタさん、あなたは特に処理が必要な人材だ」


 カナタは幻を見たまま、言った。


「処理はしない」


『許されたいのか』


 幻の仲間が問う。


 カナタは答える。


「許されなくていい」


 剣を握り直す。


「だが、忘れて楽になるつもりもない」


 幻の契約陣に亀裂が走った。


 カナタは女性隊員の前に出る。


 剣と剣がぶつかる。


 女性隊員の動きは速い。

 迷いがない。

 恐怖がない。


 だが、カナタは低く呟いた。


「軽い」


「何がですか」


「怖くない剣は、軽い」


 女性隊員の表情が初めて歪んだ。


 一方、セイラの周囲にも幻が出ていた。


 探索者裁判の傍聴席。

 嫌悪の視線。

 見下してきた下位探索者たちの声。


『どうせ九条家だから』

『人を道具みたいに見るんだろ』

『所有権なんて、支配の言い換えじゃないか』


 セイラは静かに立っていた。


 幻の中の彼女自身が、高圧的に笑う。


『使えるものを使って何が悪いのです?』


 セイラはその幻を睨んだ。


「本当に、嫌な女ですわね」


 リアがちらりと見る。


「自分に言ってる?」


「ええ」


 セイラは認めた。


「ですが、これも消せませんわ」


 彼女は手袋を締める。


「都合の悪い記憶を消しても、責任は消えませんもの」


 幻の傍聴席が崩れる。

 代わりに、迷宮の床に契約端末が現れた。


 葉室シオンが言う。


「九条セイラさん。あなたの能力もまた、記憶補正によってより安定します。支配欲、承認欲求、劣等感。それらを整理すれば、あなたはもっと効率的に所有できる」


 セイラは鼻で笑った。


「効率だけで所有する者に、責任など持てませんわ」


 彼女が端末に触れる。


 所有権ではない。

 使用権でもない。


 ただ、目の前の迷宮構造の一部を読み、支配しようとする。


 しかし、迷宮は抵抗した。


【所有権不明】

【記憶領域】

【操作不可】


「記憶は私の所有物ではない、というわけですか」


 セイラは少しだけ笑った。


「結構。ならば奪いません」


 彼女は端末を離す。


「黒瀬透真。記憶領域の嘘を見なさい」


「はい!」


 俺は迷宮全体を見る。


 対象:記憶迷宮フィールド

 嘘:これは参加者の精神耐性試験である

 危険:記憶データ収集中


 やはり。


「精神耐性試験、が嘘です! 記憶データを収集しています!」


 会場にも、その声は届いているはずだ。


 公式配信ドローンが俺たちを追っている。


 だが、どこまで映っているか分からない。


 リアがすぐに言った。


「このまま叫んでも、個人の記憶まで映る」


「ええ」


 セイラが頷く。


「暴けばいい、というものではありませんわね」


 アルカディアはそれも狙っている。


 記憶加工を暴こうとすれば、俺たち自身の傷も、アルカディア推薦チームの傷も晒される。


 黙れば、彼らは逃げる。


 最悪の構造だった。


 その時、迷宮の奥から葉室シオンの声が響いた。


「中央核はこの先です。あなた方は過去に足を取られすぎている」


 彼らは進んでいる。


 幻に揺さぶられないからだ。


 いや、違う。


 揺さぶられる記憶を、奪われているからだ。


 ミナトが遅れて足を止めた。


 彼の前には、炎上した端末画面が浮かんでいる。


 名前も顔も知らない誰か。

 ただ、情報屋に売られた小さな情報が、切り抜かれ、拡散され、人生を壊していく映像。


 ミナトは笑っていなかった。


『お前が売った』


 幻の声が言う。


『お前には関係ないって言った』


 ミナトは端末を握りしめる。


「……悪趣味だな」


 俺は声をかけようとした。


 だが、ミナトは先に言った。


「大丈夫。いや、大丈夫ではないけど、進める」


 彼は幻を見たまま、口元だけで笑った。


「なかったことにしたら、俺だけ楽になる」


 炎上画面が揺らぐ。


「それは、さすがに高く売れないね」


「今それ言う?」


 リアが呆れたように言う。


「言わないときつい」


 ミナトはそう答えた。


 俺たちは進む。


 しかし、迷宮はまだ俺を残していた。


 白い壁の奥に、見覚えのある廊下が浮かぶ。


 病院ではない。

 学校でもない。

 家でもない。


 でも、どこか懐かしい。


 そして、声が聞こえた。


『お兄ちゃん』


 足が止まった。


 澪の声。


 リアが振り返る。


「黒瀬さん!」


 俺は返事ができなかった。


 壁の向こうに、澪がいた。


 こちらに背を向けている。

 制服姿。

 少し跳ねた髪。

 俺が知っている澪。


 彼女は誰かに向かって言っていた。


『お兄ちゃんには、まだ見せないで』


 心臓が強く鳴る。


 まただ。


 アルカディアで見た断片と同じ言葉。


 だが、今度はその先がありそうだった。


 澪が振り返りかける。


 俺は一歩踏み出していた。


 セイラの声が飛ぶ。


「黒瀬透真!」


 体が止まる。


 ぎりぎりで。


 セイラが俺の腕を掴んでいた。


「単独で走らない。言いましたわよね」


「でも、澪が」


「分かっています」


 セイラの声は強かった。


「だからこそ、一人で行くなと言っているのです」


 リアも近づいてくる。


「黒瀬さん。見るなら一緒に見る」


 カナタが剣を構えたまま言う。


「記憶は敵にもなる」


 ミナトが端末を見る。


「それ、誘導も混ざってる。澪さんの記憶断片に、アルカディア側の導線が重ねられてる」


 俺は息を呑んだ。


 澪の記憶を餌にしている。


 俺を中央から逸らすために。


 怒りが湧く。


 だが、その怒りも利用される。


 俺は歯を食いしばり、澪の幻を見る。


 対象:澪の記憶断片

 嘘:今追えば真実に届く

 危険:黒瀬透真の分断

 備考:黒瀬澪関連データの一部


 真実が混ざっている。


 でも、今追えば分断される。


 俺は目を閉じた。


 見たい。


 今すぐ見たい。


 澪が何を言ったのか。

 誰に言ったのか。

 何を俺に見せたくなかったのか。


 全部知りたい。


 でも、ここで走れば、また俺は一人になる。


 俺はゆっくり息を吐いた。


「今は追いません」


 声が震えた。


 でも、言えた。


「ただし、あとで必ず取り返します」


 セイラが頷く。


「当然ですわ」


 澪の幻が、少しだけ揺れた。


 消える直前、声がもう一度聞こえた。


『お兄ちゃん――』


 その先は、ノイズに飲まれた。


 胸が痛い。


 だが、足は止めない。


 俺たちは迷宮の奥へ進む。


 そこに、中央核へ続く扉が見えていた。


 葉室シオンたちは、すでにその前にいる。


 彼は振り返った。


「追いつきましたか。思ったより早い」


 セイラが言う。


「あなた方が思ったより、人間らしくなかっただけですわ」


 葉室は微笑む。


「人間らしさとは、非効率な揺れのことですか」


 リアが前に出る。


「そういう揺れがないと、同じ失敗を見ても気づけないんだよ」


 カナタが剣を構える。


「怖さを知らない剣は軽い」


 ミナトが端末を開く。


「記憶を消された人間のデータに、どれくらい価値があるかね」


 俺は中央核を見る。


 対象:中央核

 嘘:これは国家選抜戦の試合用核である

 危険:アルカディア記憶収集端末と接続中


「中央核、試合用だけじゃありません。アルカディアの記憶収集端末とつながってます」


 葉室の笑みが、ほんの少しだけ深くなった。


「素晴らしい鑑定です」


「褒められても嬉しくない」


「では、証明しましょう」


 彼は中央核に手を置いた。


 迷宮全体が震える。


 壁一面に、無数の記憶が浮かんだ。


 探索者の失敗。

 恐怖。

 叫び。

 判断ミス。

 逃げ遅れ。

 後悔。


 それらが光の粒となって、中央核へ流れ込んでいく。


 葉室は言った。


「失敗の記憶は、未来の探索者を救います。恐怖を整理し、判断ミスを学習し、より正しい行動へ導く。これの何が悪いのですか」


 俺は、その光景を見た。


 確かに、学習には価値があるのかもしれない。

 失敗から学べば、誰かを救えるのかもしれない。


 でも。


 その記憶は、誰のものだ。


 誰が差し出すと決めた。


 誰が編集していいと言った。


 俺は前に出る。


「悪いのは、本人から奪ってることです」


 葉室の目が細くなる。


「奪っているのではありません。活用しているのです」


「同じです」


 俺は中央核を睨む。


「本人が選んでいないなら、同じです」


 迷宮の奥で、警報が鳴り始めた。


【中央核、起動】

【決勝最終段階へ移行】


 葉室シオンが静かに言った。


「では、中央核を奪い合いましょう。あなた方の記憶も、私たちの記憶も、すべてこの迷宮が評価します」


 決勝戦は、ここから本当の意味で始まる。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


国家選抜戦本戦・決勝が始まりました。


相手はアルカディア・ゲート推薦チームです。

彼らは模範的で、礼儀正しく、動きに無駄がありません。

ただし、その安定は「恐怖や失敗を克服した」結果ではなく、記憶補正によって揺れを奪われている可能性があります。


今回の決勝フィールドは、記憶迷宮型フィールドです。

リアには配信禁止区域事件、セイラには探索者裁判、カナタには契約の失敗、ミナトには情報売買の傷、透真には澪の断片が現れました。


過去を消せば楽になる。

恐怖を薄めれば強くなる。

でも、それは本当に前に進むことなのか。


次回は、アルカディア推薦チームの「編集された強さ」と、透真たちが抱えてきた傷がさらにぶつかります。

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