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第34話 英雄は妹を知っている

 神楽坂レイジは、黒瀬澪を知っている。


 その事実だけで、俺の中の何かがずっとざわついていた。


 予選突破発表のあと、俺たちは控室に戻された。


 国家選抜戦本戦へ進むチームの名前が、大型モニターに何度も表示されている。


 九条セーフティリンク臨時隊。


 そこに自分の名前が含まれていることが、まだ少し現実味を持たない。


 Fランク鑑定士。

 戦闘力は低い。

 清掃バイト上がり。

 もともとは、国家選抜戦なんてニュースの向こう側の話だった。


 それなのに今、俺は本戦進出者としてここにいる。


 白峰リア。

 九条セイラ。

 鴉羽ミナト。

 御影カナタ。


 信用できる仲間、というには複雑すぎるチーム。


 それでも、ここまで来た。


 でも、俺の頭にあるのは勝利の余韻ではなかった。


 神楽坂の言葉。


「君の目は、昔知っていた子に似ている」


 昔知っていた子。


 俺が「黒瀬澪のことですか」と聞いた時、神楽坂は否定しなかった。


「本戦まで勝ち上がれば、少し話そう」


 それが答えだった。


 ほとんど認めたようなものだ。


 神楽坂レイジは、妹を知っている。


 黒瀬澪を。


 俺が知らなかった澪を。


「黒瀬さん」


 リアの声で、俺は顔を上げた。


 リアは向かいの席に座っていた。

 手元の水にはほとんど口をつけていない。


「また、遠く見てる」


「……すみません」


「謝ることじゃないけどさ」


 リアは少しだけ困ったように笑う。


「神楽坂さんのこと、考えてた?」


「はい」


「だよね」


 隠す意味はなかった。


 俺は自分の手を見る。


 まだ、あの時の感覚が残っている。


 神楽坂を鑑定しようとした瞬間の、白く弾かれるような感覚。


【鑑定不能】


 何も見えなかった。


 嘘も。

 本音も。

 危険も。


 まるで、目の前に人間ではなく、巨大な壁が立っているみたいだった。


 リアは小さく言った。


「鑑定できないって、そんなに珍しいんだよね」


「はい。少なくとも、あんな表示は初めてです」


「嘘がない、とかじゃなくて?」


「違います。そもそも届かない感じでした」


 リアは黙った。


 配信者として、彼女は人を見ることに慣れている。

 表情、反応、声の揺れ、視線。


 そういうものから空気を読むのが上手い。


 でも、神楽坂については、リアもどこか言葉を選んでいるようだった。


「神楽坂さん、すごい人に見えた」


「はい」


「本当に、みんなが信じたくなる感じだった」


「……分かります」


 そこが怖かった。


 神楽坂レイジは、葉山怜司とは違う。


 アルカディアの葉山は、綺麗な言葉で嘘を包んでいた。

 安全。成長。透明性。研修。

 口にする言葉の裏に、いつも冷たい計算が見えた。


 でも、神楽坂は違った。


 たぶん、あの人は本当に多くの人を救っている。


 だからこそ、みんなが信じる。

 だからこそ、言葉に重みがある。


 もし、あの人が何かを隠しているなら。


 その隠し事は、ただの悪意ではないのかもしれない。


 そう思ってしまうことが、さらに怖かった。


 部屋の隅で、セイラが端末を操作していた。


 彼女は神楽坂との短い会話を、すでに何度も整理しているらしい。


「神楽坂レイジは、澪さんの名を否定しませんでした」


 セイラが言う。


「それだけでも十分な収穫です」


「収穫、ですか」


「ええ。彼は逃げ方を知っている人間ですわ。完全に知らないと言うこともできた。話す立場にないと言うこともできた。ですが、彼は『本戦まで勝ち上がれば』と言った」


 セイラは画面から目を離さない。


「条件を提示した。つまり、話す意思はある」


「本当に話すと思いますか」


「分かりません」


 即答だった。


「ですが、条件を口にした以上、そこは突けます」


「九条さんらしいですね」


「当然ですわ。言葉は記録です。約束は武器です。曖昧に聞き流すものではありません」


 その言い方は、少しだけ心強かった。


 神楽坂のような巨大な存在を前にすると、俺はどうしても感情で揺れる。


 でも、セイラは違う。


 彼女は言葉を拾う。

 契約のように、証拠のように、逃げ道を塞ぐために。


 それが彼女の戦い方だ。


 ミナトはソファにだらしなく座り、天井を見ていた。


「いやあ、英雄様は怖いね」


「あなたが怖がるのは珍しいですわね」


 セイラが冷たく言う。


 ミナトは笑う。


「怖いよ。情報が集まりすぎてる人間って、一番怖い」


「どういう意味ですか」


 俺が聞くと、ミナトは目だけをこちらへ向けた。


「神楽坂レイジは、個人じゃないんだよ」


「個人じゃない?」


「人間ではある。でも、世間が見てる神楽坂レイジは、もう一人の探索者じゃない。英雄、制度の象徴、成功例、安全神話、スポンサーの顔、政府の盾。いろんな意味がくっつきすぎてる」


 ミナトは指を一本立てる。


「そういう人間は、本人が嘘をつかなくても、周りが物語を編集する」


 俺は黙った。


 英雄譚。


 神楽坂レイジの映像は、何度も見たことがある。


 崩落するダンジョンから人を救い出す姿。

 魔物の群れを一人で押し返す姿。

 泣いている子どもに手を差し伸べる姿。


 どれも本物に見えた。


 たぶん、本物なのだろう。


 でも、その映像の外側に何があったのか。


 誰が映っていなかったのか。


 誰が切り取ったのか。


 俺は、それを考えたことがなかった。


 ミナトは続ける。


「黒瀬くんの鑑定が通らなかった理由は知らない。でも、神楽坂ほど多くの視線と期待と記録に包まれている人間なら、普通の嘘とか本音って単位で見られないのかもね」


「推測ですか」


「推測」


「珍しく正直ですね」


「嘘つくとバレるから」


 軽い言い方だった。


 でも、今の推測は妙に頭に残った。


 神楽坂個人ではなく、神楽坂という物語。


 それを俺の鑑定は読めなかったのか。


 それとも、別の理由があるのか。


 カナタは、ずっと黙っていた。


 彼は窓際に立ち、外の訓練場を見下ろしている。


 俺は迷った末に、声をかけた。


「御影さん」


「何だ」


「神楽坂さんのこと、知ってるんですよね」


「誰でも知ってる」


「そういう意味じゃなくて」


 カナタは振り返らない。


 俺は続ける。


「さっき、神楽坂さんに『また隠すのか』って言ってました」


 部屋の空気が少しだけ変わった。


 リアもセイラも、ミナトも黙る。


 カナタはしばらく何も言わなかった。


 それから、低い声で答えた。


「昔、同じ現場にいた」


「澪とですか」


「澪のことは知らない」


 俺は息を呑んだ。


「じゃあ」


「神楽坂の隠し方を知っているだけだ」


 カナタの声は硬かった。


「神楽坂は嘘をつかない。少なくとも、分かりやすい嘘はな」


「じゃあ、どう隠すんですか」


「話さない。順番を変える。大きな目的のために、小さな事実を後回しにする」


 それは、嘘ではないのかもしれない。


 でも、人はそれで傷つく。


 俺は澪の声を思い出した。


『お兄ちゃんには、まだ見せないで』


 まだ。


 後回し。


 今は見せない。


 その先に何があるのか、俺はまだ知らない。


 カナタはようやくこちらを向いた。


「神楽坂は悪人じゃない」


 その言葉は、意外だった。


「ただ、悪人じゃないやつが一番厄介なこともある」


 俺はセイラの裁判を思い出した。


 王城アリサ。


 善意で人を縛った聖女。


 悪意がないから裁けない。

 嘘がないから厄介。


 神楽坂も、そういう種類の人間なのか。


「御影さんは、神楽坂さんを嫌ってるんですか」


「嫌ってはいない」


「じゃあ」


「信じてもいない」


 短い答えだった。


 それ以上は、まだ話す気がないようだった。


 俺はそれを無理に押さなかった。


 今、カナタから引き出すべき話ではない。


 それに、彼も何かを抱えている。


 第三予選で言っていた。


 自分を切る判断が早い。

 昔、それで失敗した。


 その失敗と神楽坂が関係あるのかどうかは、まだ分からない。


 控室の端末に、本戦説明会の通知が表示された。


【本戦出場チームは、明日十時より第一試合説明会に参加すること】


 明日。


 すぐだ。


 予選を突破した余韻もなく、本戦は始まる。


 佐伯が部屋に入ってきた。


 手には資料端末。


「本戦の初戦形式が一部公開されました」


 セイラがすぐに反応する。


「内容は?」


「所有権争奪戦です」


 セイラの眉が動いた。


「所有権?」


「はい。フィールド内の拠点、武器、物資、支援設備の所有権を奪い合う形式です」


 リアがセイラを見る。


「九条さん向き?」


「そう見せかけていますわね」


 セイラの声は冷静だった。


「所有権という言葉を正面から出してくる以上、私を意識している可能性が高いです」


「つまり罠?」


「当然、罠でしょう」


 彼女はそれを当然のように言った。


 自分向きの試合だから有利だ、と単純には考えない。


 セイラもまた、予選を通して変わっている。


 佐伯は続ける。


「対戦相手はまだ未確定です。ただし、アルカディア推薦チームとは別ブロックです」


「初戦では当たらない?」


「はい」


 少しだけ安心しかけた。


 だが、佐伯はすぐに言った。


「ただし、本戦の運営には複数の企業スポンサーが関わっています。アルカディアの影響がないとは言えません」


「でしょうね」


 セイラが腕を組む。


「所有権争奪戦。私の能力を測るには、都合が良すぎますわ」


 ミナトが言う。


「本戦は各キャラの見せ場を作る気満々だねえ」


「何ですの、その言い方は」


「いや、運営がさ」


 セイラに睨まれ、ミナトは軽く手を上げた。


 俺は佐伯に聞いた。


「神楽坂さんは、本戦にも関わるんですか」


「特別審査員として全試合を監督します」


「つまり、見ている」


「はい」


 見られる。


 神楽坂に。


 俺たちの戦いを。

 俺の鑑定を。

 セイラの所有権を。

 リアの配信者としての力を。

 ミナトの情報操作を。

 カナタの経験を。


 そして、もしかすると。


 俺が澪の真実にどこまで近づくかを。


「黒瀬さん」


 佐伯が言った。


「神楽坂さんに話を聞くには、本戦を勝ち上がる必要があります」


「分かってます」


「焦らないでください」


「それも分かってます」


「分かっていない顔です」


「みんなそれ言いますね」


「事実なので」


 少しだけ苦笑した。


 でも、佐伯の言う通りだった。


 今すぐ神楽坂を問い詰めたい。


 澪を知っているなら話せと迫りたい。


 なぜ隠したのか。

 澪は何をしていたのか。

 事故は本当に事故だったのか。


 全部聞きたい。


 でも、神楽坂は「本戦まで勝ち上がれば」と言った。


 なら、勝ち上がるしかない。


 その夜、俺は宿泊施設の個室に戻った。


 国家選抜戦参加者用の部屋は、簡素だが清潔だった。


 ベッド。

 机。

 端末充電器。

 小さな窓。


 外には、訓練場の照明が見える。


 俺はベッドに座り、端末を開いた。


 管理局から共有されたデータ。


 予選結果。

 チーム評価。

 澪の旧ログに関する保全メモ。

 神楽坂との接触記録。


 その中に、佐伯が追記した短い文章があった。


【神楽坂レイジは、黒瀬澪を知っている可能性が極めて高い】

【ただし、現時点では関与内容不明】

【黒瀬透真の鑑定は神楽坂レイジに対して不能】

【原因不明】


 原因不明。


 それが一番怖い。


 俺は自分の掌を見た。


 嘘を見抜く力。


 危険を見る力。


 それが通らない相手がいる。


 神楽坂レイジ。


 英雄。


 澪を知っている男。


 俺はもう一度、頭の中で鑑定を試すように彼の顔を思い浮かべた。


 穏やかな目。

 落ち着いた声。

 会場全体を包む安心感。


 そして表示。


【鑑定不能】


 変わらない。


 遠く離れても、思い出しても、あの壁のような感覚だけが残る。


 俺は端末を閉じた。


 その時、通知が来た。


 差出人不明。


 胸が冷える。


 またか。


 匿名メッセージ。


 以前も届いた。


 君の鑑定は、彼女に似ている。

 編集された記憶は、本人にとっては真実になる。


 俺はゆっくりメッセージを開いた。


英雄は嘘をつかない。

ただ、真実を最後に回す。


 短い一文。


 それだけ。


 俺は画面を見つめた。


 カナタが言ったことと似ている。


 話さない。

 順番を変える。

 大きな目的のために、小さな事実を後回しにする。


 英雄は嘘をつかない。


 ただ、真実を最後に回す。


 誰が送っている。


 鴉羽ミナトか。

 アルカディアか。

 澪を知る誰かか。

 それとも、神楽坂に近い人物か。


 俺はすぐに佐伯へ転送した。


 返事はすぐに来た。


返信しないでください。

受信時刻とスクリーンショットを保存してください。


 いつもの指示。


 俺はその通りにした。


 でも、指示に従っても心は落ち着かない。


 英雄は嘘をつかない。


 ただ、真実を最後に回す。


 それは、俺に対する警告なのか。


 神楽坂への告発なのか。


 それとも、俺を焦らせるための罠なのか。


 分からない。


 だが、一つだけ分かることがある。


 俺は本戦へ進む。


 神楽坂が見ている舞台へ。


 そこで勝ち上がれば、澪の話を聞ける。


 そう約束させた。


 なら、行くしかない。


 嘘が見えない相手でも。


 真実を最後に回す英雄でも。


 俺は、そこまで行く。


 机の上に置いた端末が、静かに光っている。


 明日の第一試合。


 所有権争奪戦。


 セイラの戦いから、本戦は始まる。


 俺はベッドに横になった。


 眠れる気はしなかった。


 それでも目を閉じる。


 澪の声が聞こえる。


『お兄ちゃんには、まだ見せないで』


 神楽坂の声が重なる。


「本戦まで勝ち上がれば、少し話そう」


 まだ見せない。

 本戦まで。


 どちらも、俺を待たせる言葉だった。


 俺はその先へ行く。


 待たされる側のままでは終わらない。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


今回は、神楽坂レイジが澪を知っていることが、かなりはっきりした回でした。


神楽坂は澪の名前を否定しませんでした。

ただし、今すぐ全てを語ることもしません。

「本戦まで勝ち上がれば、少し話そう」という条件だけを残しました。


透真にとっては、非常にもどかしい状況です。

知りたいのに、届かない。

問い詰めたいのに、まだ届く場所にいない。

しかも、神楽坂には鑑定が通りません。


また、本戦第一試合は「所有権争奪戦」となりました。

セイラの能力に正面から関わる試合ですが、当然ながら単純に有利なだけではなさそうです。


次回から本戦へ入ります。

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