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第30話 無音エリア

 第二予選の会場は、第一予選とはまるで違っていた。


 嘘つき迷路は、黒い石壁と標識だらけの閉塞的な空間だった。

 情報が多すぎて、目と頭を疲れさせる場所。


 だが、今度の会場は白かった。


 白い床。

 白い壁。

 白い天井。

 余計な標識はほとんどない。

 通路も広く、見通しは悪くない。


 なのに、嫌な圧迫感がある。


 音がなかった。


 完全な無音ではない。

 自分の呼吸や服の擦れる音は、かろうじて聞こえる。


 でも、それ以上がない。


 観客席のざわめきも、ドローンの羽音も、運営アナウンスも、遠くの足音も、全部が白い壁に吸い込まれているようだった。


 第二予選。


【無音エリア】


 事前説明は短かった。


 制限時間内に、エリア奥の認証端末へ到達し、チーム全員で通過登録を行うこと。


 ただし、一定以上の音量を出した場合、音に反応する魔物が出現する。


 音声通信は禁止。

 外部配信音声も遮断。

 大声、金属音、爆発音、連続した足音も危険。


 声を出せない。


 つまり、俺の鑑定結果をすぐ言葉にできない。


 リアは配信者としての声を封じられる。

 セイラは指示を飛ばせない。

 ミナトは軽口で場を動かせない。


 そして俺は、見えた嘘や危険を伝えられない。


 予選開始前、カナタは俺たちに三つの手信号だけを教えた。


 手のひらを下に向けて止める。


 止まれ。


 指二本で前を示す。


 進め。


 拳を握って胸元に置く。


 危険。


「余計な合図は増やすな」


 開始前、カナタはそう言った。


「多いと迷う。迷うと遅れる」


 リアが聞いた。


「助けて、とか、右、とか、左、とかは?」


「目で示せ」


「かなり雑じゃない?」


「雑な方が速い」


 セイラは少し不満そうだった。


「状況ごとに細かく決めるべきでは?」


「細かい合図は、覚えたつもりで忘れる。緊張したら間違える。三つでいい」


 カナタは淡々と言った。


「止まる。進む。危険。まずはそれだけで死なない」


 その言葉は重かった。


 死なない。


 この人は、何かを成功させる前に、まず死なないことを置いている。


 元S級探索者。


 それがどういう場所をくぐってきた人間なのか、少しだけ分かる気がした。


 そして今。


 俺たちは無音エリアへ入った。


 隊列は前回と同じ。


 先頭にカナタ。

 少し後ろにセイラ。

 中央に俺とリア。

 最後尾にミナト。


 ミナトは、入ってすぐ口元に指を当て、ふざけたように黙る仕草をした。


 リアが睨む。


 ミナトは肩をすくめる。


 声がないだけで、いつもの軽さが少し弱く見えた。


 意外だった。


 この人も、喋れないと少し動きにくいのかもしれない。


 通路を進む。


 一歩一歩、足音を抑える。


 床は硬いが、わずかに弾力がある。

 足音が響きにくい素材だ。


 運営側も、完全に音を出させたいわけではないらしい。

 むしろ、音を立てずに動く技術を見ている。


 しばらく進むと、最初の分岐が現れた。


 左と右。


 どちらにも標識はない。


 ただ、壁に小さなランプがついている。


 左は青。

 右は黄色。


 リアが俺を見る。


 セイラも見る。


 鑑定しろ、という目だ。


 俺はまず左を見る。


 対象:左通路

 状態:静穏

 危険:なし


 次に右。


 対象:右通路

 状態:静穏

 危険:なし

 嘘:安全


 俺は眉をひそめた。


 危険はなし。


 でも、安全という表示には嘘がある。


 どういうことだ。


 危険は今すぐではない。

 でも安全ではない。


 これを言葉で説明できないのが、もどかしい。


 俺は拳を胸元に置いた。


 危険。


 そして右を指した。


 右は危ない。


 つもりだった。


 だが、リアは少し首を傾げる。


 危険だから右へ行くのか、右が危険なのか分かりにくい。


 やっぱり三つだけだと足りない。


 そう思った瞬間、カナタが俺の手首を軽く掴んだ。


 そして、俺の指を右へ向けたまま、首を横に振る。


 次に左を指し、進めの合図。


 伝わった。


 右は危険。

 左へ進む。


 カナタは一瞬で補正した。


 声を出さずに。


 俺は頷いた。


 全員で左へ進む。


 数歩進んだところで、後ろから低い振動が聞こえた。


 右通路の奥で、何か重いものが動いた音。


 もし右へ行っていたら、たぶん魔物か罠に近づいていた。


 リアが小さく息を吐きかけ、慌てて口元を押さえる。


 音を出さないように。


 セイラは俺を見る。


 少しだけ頷いた。


 褒めたのかもしれない。


 いや、違うかもしれない。


 無音だと、そういう細かい意味すら曖昧になる。


 次の区画は、広い部屋だった。


 中央には低い柱がいくつも並び、床には薄い水が張っている。


 水。


 嫌な予感がした。


 足音が響く。


 水音は、思ったより大きい。


 カナタが止まれの合図を出す。


 全員が止まる。


 彼はしゃがみ、床の水を指で触れた。


 それから、足裏でそっと踏む。


 ぴちゃ。


 小さな音。


 だが、この空間ではやけに響いた。


 天井の奥で、何かが動いた。


 全員が固まる。


 白い天井に、細い影が走った。


 音に反応する魔物。


 姿はまだ見えない。


 カナタは俺たちへ、進めの合図を出さない。


 代わりに、自分の靴を指差し、それから床の柱を指す。


 飛び石のように柱の台座部分を踏め、という意味だろうか。


 リアがすぐ理解して頷く。


 セイラも頷く。


 ミナトは少し困った顔をした。


 運動神経に自信がないのかもしれない。


 意外だ。


 カナタが先に動いた。


 水を踏まないよう、柱の台座から台座へ静かに移る。


 動きは速くない。


 でも、無駄がない。


 足を置く場所を迷わない。


 迷わないから、音が出ない。


 セイラも続く。


 彼女は体術型ではないが、姿勢が綺麗だからか、思ったより安定していた。


 リアは軽い。


 さすがに身体能力が高い。


 問題は俺とミナトだった。


 俺は足首にまだ不安がある。


 ミナトは笑っているが、目が笑っていない。


 先に俺が行く。


 一歩目。


 台座へ足を乗せる。


 少し滑る。


 リアが手を伸ばしかける。


 だが、触れたらバランスが崩れる。


 俺は必死に体勢を立て直した。


 音は出なかった。


 いや、出たかもしれないが、まだ天井の魔物は動かない。


 二歩目。


 今度は少しだけ音がした。


 ぴちゃ。


 水をかすめた。


 天井の影が、ぐるりと動く。


 危険。


 俺は拳を胸元に置こうとする。


 だが、その動きすら遅い。


 カナタが先に動いた。


 彼は壁にかかっていた古い布を、剣の鞘でそっと落とす。


 布は水面にふわりと広がった。


 音を吸う。


 次の一歩は、その布の上へ。


 俺は頷き、布を踏んだ。


 音はかなり小さくなった。


 カナタはすでに次の布を探している。


 いや、布だけではない。


 壁のパネル。

 柱の欠け。

 床のわずかな高低差。


 音を減らすために使えるものを、全部見ている。


 セイラがそれに気づき、壁際の小さな保守プレートへ手をかざした。


 プレートは運営ではなく、外部業者管理の設備らしい。


 彼女の《所有権》が効く。


 金属プレートが静かに外れ、水面に浮かぶ。


 俺の次の足場になった。


 俺はそれを踏み、何とか渡り切る。


 ミナトの番。


 彼は一歩目でいきなり滑りかけた。


 リアが顔をしかめる。


 ミナトは両手を上げて、声を出さずに「ごめん」と口だけ動かした。


 カナタは無表情で、次の足場を指す。


 ミナトは慎重に進む。


 最後の一歩で足元がずれた。


 水音が出る。


 ぴちゃん。


 今度は大きい。


 天井の影が一気に落ちてきた。


 細長い、白い蛇のような魔物。


 音に反応する魔物。


 リアが反射的に叫びそうになり、口を押さえる。


 セイラが金属プレートを動かそうとする。


 だが、音を立てればさらに寄ってくる。


 カナタが一歩前に出た。


 剣を抜かない。


 鞘のまま、魔物の顎先を軽く叩く。


 音は小さい。


 魔物の向きだけが逸れる。


 その瞬間、カナタはミナトの襟を掴み、台座の上へ引き上げた。


 無音に近い動き。


 魔物は水面に落ちず、柱にぶつかる。


 こつん。


 小さな音。


 だが、それでも反応する。


 天井から、さらに二体の影が動いた。


 カナタは止まれの合図を出す。


 全員がその場で止まる。


 呼吸すら抑える。


 白い蛇の魔物たちは、音を探している。


 目はほとんどない。

 耳のような器官が頭部に広がっている。


 数秒。


 長い。


 誰も動かない。


 やがて魔物たちは、ゆっくり天井へ戻っていった。


 ミナトの額に汗が浮かんでいる。


 リアが目だけで怒っている。


 ミナトは口だけで「ごめん」ともう一度言った。


 セイラは冷たい目で見ていた。


 たぶん後で契約に追加される。


 水の部屋を抜けた時、俺たちは全員かなり消耗していた。


 声を出していないのに、喉が渇く。


 言葉を使えないだけで、こんなに疲れるのか。


 次の通路に入ると、壁に端末があった。


 そこには短い文章が表示されている。


【この先、音を出した者から順に失格】


 俺は鑑定する。


 対象:壁面端末表示

 嘘:音を出した者から順に失格


 嘘。


 だが、声に出せない。


 俺は止まれの合図をして、表示を指し、首を横に振る。


 セイラはすぐ理解した。


 嘘。


 リアも頷く。


 ミナトも頷く。


 だが、カナタだけは表示をじっと見ていた。


 そして、自分の耳を指した。


 聞け、という意味か。


 俺たちは静かに耳を澄ます。


 遠くから、微かな音が聞こえた。


 金属が擦れるような音。


 そして、小さな悲鳴。


 別チームか。


 音を出した者から順に失格、が嘘。


 でも、音を出せば魔物は寄ってくる。


 失格ではなく、襲撃される。


 カナタはそう判断したのだろう。


 彼は床を指し、二本の指で進めの合図。


 急げ、ではなく、静かに進め。


 俺たちは進んだ。


 曲がり角の先に、別チームがいた。


 三人が壁際に固まっている。


 残り二人はいない。


 目の前には、白い蛇型の魔物が二体。


 一人の探索者が腕を押さえている。

 血は少ないが、動けないようだ。


 彼らは声を出せない。


 助けを求めることもできない。


 リアの目が揺れた。


 助けたい。


 でも、音を出せばこちらも危ない。


 第一章の「全員で出る」という言葉が、俺の頭をよぎった。


 全員を助けられるとは限らない。


 でも、見捨てたくない。


 リアはカナタを見る。


 カナタはすぐには動かなかった。


 状況を見ている。


 魔物の位置。

 負傷者の状態。

 他チームの動き。

 俺たちの足場。


 セイラも周囲の設備を確認している。


 ミナトは端末を見せた。


 そこには、音量反応の簡易グラフが表示されている。


 彼がいつの間にか取っていた情報らしい。


 魔物は高い音に強く反応する。

 低い振動には鈍い。


 カナタがそれを一瞥し、頷いた。


 彼は剣を抜かず、鞘で床を軽く叩いた。


 低い、鈍い音。


 ごん。


 魔物の反応は薄い。


 次に、少し離れた壁を鞘で押す。


 壁のパネルがわずかに軋む。


 低い振動が床を伝う。


 魔物の一体がそちらを向いた。


 リアが気づく。


 高い音ではなく、低い振動で誘導する。


 セイラは壁の保守パネルを一枚だけ動かし、遠くの床へ滑らせた。


 かすかな低音。


 魔物の二体が、そちらへじわりと向かう。


 その隙に、カナタが負傷者へ手招きした。


 他チームの探索者たちは一瞬迷ったが、すぐに理解した。


 声を出さずに、負傷者を支えながらこちらへ動く。


 リアが先に進路を確保する。


 俺は鑑定する。


 対象:負傷探索者

 状態:裂傷、恐怖、行動可能

 嘘:もう動けない


 動ける。


 本人はもう動けないと思っているが、支えがあれば動ける。


 俺は拳を握らず、進めの合図を出した。


 リアが俺の意図を読み、負傷者の目を見て大きく頷く。


 大丈夫、動ける。


 声は出さない。


 でも、その表情だけで伝えている。


 配信者として人に見せる表情を作ってきたリアだからこそ、声なしでも伝えられるものがあるのかもしれない。


 他チームの三人は、何とか通路のこちら側へ逃げてきた。


 魔物は低音の方へ誘導され、しばらく戻ってこない。


 助かった。


 リアは安心したように息を吐いた。


 だが、その息が少し音になった。


 白い蛇の一体が、ぴくりと反応する。


 カナタが即座に手のひらを下げる。


 止まれ。


 全員が止まる。


 リアは口を押さえた。


 魔物は数秒こちらを探ったが、やがてまた逸れていった。


 リアの目が少し赤い。


 怖かったのだろう。


 でも、声を出さなかった。


 俺は小さく頷いた。


 リアも、わずかに頷き返した。


 助けた。


 配信も、叫びも、派手な言葉もなしに。


 ただ、助けた。


 他チームの探索者たちは、無言で深く頭を下げた。


 セイラは軽く顎を上げる。


 どういたしまして、というには高慢すぎる仕草。


 でも、相手には伝わったようだった。


 先へ進む。


 第二予選は、声を奪うだけではなかった。


 声を奪うことで、それぞれの癖を浮かび上がらせる。


 リアは、言葉で場を作れない。

 セイラは、命令できない。

 ミナトは、軽口でごまかせない。

 俺は、見えたものを説明できない。


 そしてカナタは。


 声がなくても、ほとんど困っていない。


 手の動き。

 目線。

 歩幅。

 足を止めるタイミング。

 危険を避ける経路。

 仲間を動かす距離感。


 全部が静かだ。


 でも、的確だった。


 俺はようやく分かり始めていた。


 この人は、強いからS級だっただけではない。


 生き残るための判断が、体に染みついている。


 それも、一人で勝つためではなく、誰かを連れて生き残るための判断が。


 次のエリアに入ると、雰囲気がまた変わった。


 そこは古い訓練区画のようだった。


 白い壁ではなく、灰色のコンクリート。

 古い端末。

 使われなくなった記録ドローンの残骸。

 壁には、過去の攻略記録らしきパネルが並んでいる。


 国家選抜戦用に新しく作られた場所ではない。


 もともとあった施設を、そのまま試験区画に組み込んでいるように見える。


 佐伯が言っていた。


 この会場は、かつて大型ダンジョンの臨時封鎖区画として使われていた。


 つまり、古い記録が残っていてもおかしくない。


 俺は壁のパネルに目を向けた。


 文字はかすれている。


 音を出せないから、近づいて読むしかない。


 そこには、古い攻略ログの一覧が表示されていた。


 日付。

 班名。

 探索者名。

 任務概要。


 大半は破損して読めない。


 だが、いくつかの文字列が見えた。


 国家選抜関連調査。

 鑑定支援班。

 記録保全。

 異常反応観測。


 俺の心臓が跳ねた。


 鑑定支援班。


 鑑定。


 俺はパネルを見る。


 対象:旧攻略ログ端末

 状態:破損、部分稼働

 内容:国家選抜戦関連の過去調査記録

 危険:閲覧時間超過


 閲覧時間超過。


 つまり、見すぎると危ない。


 今は試験中だ。


 ここで足を止めすぎれば、制限時間に響く。

 魔物も来るかもしれない。


 でも、目を離せない。


 この奥に、何かある。


 澪の記憶断片を見たばかりだからかもしれない。

 鑑定支援班という言葉が、俺の中の何かを掴んで離さない。


 セイラが俺の視線に気づく。


 彼女はパネルを見る。


 それから俺を見る。


 止まるな。


 そう言いたそうだった。


 カナタもこちらを見た。


 彼は止まれの合図ではなく、進めの合図を出す。


 今は進め。


 分かっている。


 でも。


 その時、パネルの端に一瞬だけ、名前の一部が表示された。


 黒……


 俺は思わず一歩近づいた。


 リアが腕を掴んだ。


 強くはない。


 でも、止めるには十分だった。


 リアは声を出さずに、首を横に振る。


 今じゃない。


 そういう目だった。


 セイラも、小さく進めの合図をする。


 カナタはすでに周囲を警戒している。


 ミナトだけが、パネルを見て少し目を細めていた。


 彼は端末を取り出しかけたが、セイラに睨まれて止めた。


 俺は歯を食いしばった。


 今は進む。


 そう決めて、パネルから目を離した。


 その瞬間、背後の古い端末が、わずかに光った。


 表示が一つだけ浮かぶ。


【閲覧権限:一部復旧】

【関連ログ:次区画】


 次区画。


 つまり、この先に続きがある。


 俺の胸が高鳴る。


 カナタが進めの合図を出す。


 俺たちは古い訓練区画の奥へ向かった。


 声は出せない。


 でも、全員が分かっていた。


 この無音エリアの奥に、ただの予選以上のものがある。


 そして俺にとっては、きっと見過ごせないものがある。


 第二予選は、まだ終わっていない。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


今回は第二予選、無音エリアの回でした。


声を出せないことで、チームそれぞれの強みが制限されました。

リアは配信者としての言葉を使えず、セイラは指示を飛ばせず、透真は鑑定結果を説明できず、ミナトは軽口で場を動かせません。


その中で中心になったのが、御影カナタです。

彼は派手に戦うのではなく、音を立てず、必要な動きだけで状況を処理していきました。

元S級探索者としての経験が、声のない場所で強く出ています。


また、終盤では古い攻略ログ区画が出てきました。

国家選抜戦の会場には、過去の調査記録が残っているようです。


次回は、そのログの中から、透真にとって大きな意味を持つ名前が出てきます。

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