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第20話 新人研修ダンジョン

 アルカディア・ゲート本社ビルの地下には、ダンジョンがあった。


 正確には、ビルの真下に発生した小規模ダンジョンを、企業研修用に整備したものらしい。


 エレベーターを降りると、空気が変わった。


 上階のガラス張りの廊下や、白く清潔な会議室とは違う。

 湿った岩の匂い。

 魔素が肌にまとわりつくような感覚。

 足元から伝わる、低い振動。


 だが、目に入る光景は妙に整っていた。


 通路には誘導灯。

 床には黄色い安全ライン。

 壁には監視用の小型ドローン。

 天井には緊急用の照明。

 魔物出現区域には、透明な防護シャッター。


 自然に発生したダンジョンのはずなのに、人間の都合に合わせて切り分けられている。


 俺はその光景を見ながら、つい呟いた。


「ダンジョンっていうより、実験施設みたいですね」


 隣にいた佐伯ユズルが、淡々と答える。


「実験施設としての側面はあるでしょうね」


「否定しないんですね」


「否定できる材料がありません」


「嫌な返事ですね」


「事実です」


 俺の口癖を取られた。


 少し腹立たしい。


 九条セイラは、俺たちより少し前を歩いていた。


 白を基調にした探索者用コート。

 いつも通り背筋は伸びている。

 ただ、表情は明らかに不機嫌だった。


「新人研修用のダンジョンにしては、管理設備が多すぎますわ」


 セイラが言う。


 案内役の葉山怜司は、穏やかな笑顔を崩さなかった。


「安全のためです。新人探索者には、管理された環境で段階的に実戦経験を積んでもらう必要がありますから」


 安全。


 この会社に来てから、何度も聞いた言葉だった。


 新人の安全。

 探索者の安全。

 未来の安全。


 だが、俺の鑑定はそのたびに嘘を拾う。


 葉山の横顔を見ながら、俺は改めて鑑定を使った。


 対象:葉山怜司

 所属:アルカディア・ゲート研修事業部

 状態:平静

 嘘:安全のため


 やっぱり出る。


 安全のため。


 それが嘘。


 では、何のためなのか。


 俺たちは見学用の強化魔導板の前に案内された。


 その向こうに、新人探索者たちが整列している。


 全部で六人。


 十代後半から二十代前半くらい。

 まだ防具に着られているような者もいれば、妙に姿勢だけ整っている者もいる。


 前に立つ指導員は、四十代くらいの男だった。


 短く刈った髪。

 がっしりした体格。

 声はよく通る。


「本日の最終研修は、実地判断訓練だ」


「はい!」


 新人たちの返事が揃う。


 揃いすぎている。


 俺は眉をひそめた。


 探索者学校でも、訓練の返事はある。

 でも、普通はここまで機械みたいに揃わない。


 緊張しているからか。

 指導が厳しいからか。

 それとも、そうなるように訓練されているのか。


 葉山が説明する。


「本日の研修は、低危険度魔物を用いたパーティー連携訓練です。新人たちは指導員の指示に従いながら、索敵、役割分担、退避判断を学びます」


 佐伯が聞く。


「魔物の危険度は?」


「EからD下位です。新人でも対応可能な範囲です」


 鑑定。


 対象:研修ダンジョン第二区画

 危険度:D下位

 状態:管理中

 嘘:新人でも対応可能


 俺は小さく息を吸った。


 危険度自体は高くない。

 だが、新人でも対応可能、が嘘。


 問題は魔物の強さだけではない。


 セイラが葉山を見る。


「研修生の状態確認は済んでいますの?」


「もちろんです。バイタル、魔素反応、精神負荷、すべて正常範囲内です」


 鑑定。


 嘘:すべて正常範囲内


 嘘。


 俺は新人たちへ視線を向けた。


 一人の少女がいた。


 栗色の短い髪。

 小型盾を持っている。

 表情は落ち着いているように見えるが、指先がかすかに震えている。


 鑑定。


 対象:坂井ナナ

 ランク:E

 状態:恐怖反応抑制、疲労、軽度判断遅延

 嘘:落ち着いている


 やはりおかしい。


 怖がっている。


 疲れている。


 判断も遅れている。


 なのに、表面上は落ち着いているように見える。


 次に、前衛らしき青年を鑑定する。


 対象:相原マコト

 ランク:E

 状態:緊張、疲労、過集中

 嘘:指示通りなら大丈夫


 まただ。


 俺は佐伯へ小声で言った。


「研修生の状態が正常じゃないです。恐怖が抑えられてる人がいます。判断も遅れてる」


 佐伯は表情を変えずに、タブレットへ何かを入力した。


「複数名ですか」


「はい」


「続けて見てください。ただし、まだ口には出さないで」


「分かりました」


 セイラがちらりとこちらを見る。


 俺と佐伯の短いやり取りだけで、何かを察したのだろう。


 彼女は不機嫌そうに目を細めた。


 指導員の声が響く。


「第一課題。前方エリアに低級魔物が三体出現する。相原を前衛、坂井を防御、松野を支援、残りは後方待機。指示に従え」


「はい!」


 また返事が揃う。


 防護シャッターが開き、第二区画に灰色の狼型魔物が放たれた。


 灰牙狼。


 低級ではある。

 ただし群れで動くと厄介だ。


 俺は鑑定した。


 対象:灰牙狼

 危険度:D下位

 攻撃傾向:弱った対象を優先

 状態:興奮


 興奮。


 新人向けの訓練に使うには、状態が悪い。


 相原が前に出る。


 剣を構える手は少し硬い。


 坂井ナナが盾を構え、右側へ回る。


 指導員がスピーカー越しに指示を出す。


『相原、前へ。坂井は右を固めろ。松野、支援準備』


「はい!」


 灰牙狼の一体が相原へ向かう。


 相原は剣で受けた。


 悪くない。


 だが、残り二体の動きが速い。


 一体が坂井の盾にぶつかり、もう一体がその足元へ回る。


 坂井の反応が遅れた。


 判断遅延。


 さっき鑑定に出た言葉が頭をよぎる。


『坂井、その位置を維持』


 指導員が言う。


 坂井は頷く。


「はい」


 違う。


 維持では間に合わない。


 坂井は盾で一撃目を受けたが、二体目の体当たりでバランスを崩した。


 相原がそちらへ動こうとする。


 だが、指導員の声が飛ぶ。


『相原、正面を維持。勝手に動くな』


 相原の足が止まった。


 止められてしまった。


 その一瞬で、灰牙狼が坂井の腕へ噛みつきかける。


「っ……!」


 坂井が腕を引く。


 牙は防具をかすめただけだった。


 だが、危なかった。


 かなり危なかった。


 セイラが低く言う。


「今の指示は遅いですわ」


 葉山は穏やかに答える。


「研修では、多少の負荷も必要です」


「多少?」


「実戦では想定外が起こります。管理された範囲で、それを経験することが成長につながります」


 鑑定。


 嘘:管理された範囲


 俺は拳を握った。


 灰牙狼の課題は、何とか終わった。


 相原が一体を押し返し、松野という支援役の青年が魔力弾を当て、坂井が最後に盾で進路を塞いだ。


 結果だけ見れば成功だ。


 モニターには大きく表示される。


 課題達成率:八十二パーセント。


 指導員が言う。


『相原、指示外行動に移りかけた。減点。坂井、反応遅延。減点。ただし全体としては合格』


「はい!」


 新人たちが返事をする。


 坂井は腕を押さえていた。


 噛まれてはいないが、強くぶつけたのだろう。

 痛そうだ。


 だが、すぐに表情が平らになった。


 鑑定。


 対象:坂井ナナ

 状態:痛覚抑制、恐怖反応抑制、疲労

 嘘:問題ない


 痛覚抑制。


 俺は思わず葉山を見た。


「研修装備に鎮痛機能があるんですか」


 葉山の笑顔が一瞬だけ止まる。


「はい。軽度の痛覚緩和機能があります。パニック防止のためです」


 セイラがすぐに反応する。


「本人に説明していますの?」


「契約書および事前説明に含まれています」


 鑑定。


 嘘:事前説明に含まれています


 セイラは俺の表情を見た。


「黒瀬透真」


「嘘です」


 俺は小さく答えた。


 セイラの目が冷たくなる。


「痛みは危険信号ですわ。それを抑えるなら、本人が理解していなければならない」


 葉山は困ったように微笑む。


「九条様、探索者装備における鎮痛補助は珍しいものではありません」


「珍しいかどうかを聞いているのではありません。説明しているかを聞いています」


「説明しています」


 鑑定。


 嘘:説明しています


 セイラは俺を見ずに言った。


「もう一度、同じ嘘をつきましたわね」


 葉山の笑顔が少しだけ硬くなった。


「九条様。弊社の説明体制に不備があるというご指摘でしたら、後ほど正式に確認いたします」


「後ほど、が好きですのね」


「正確性を期すためです」


「便利な言葉ですこと」


 佐伯は二人のやり取りを記録している。


 まだ止めない。


 たぶん、今は証拠を積んでいる段階なのだ。


 研修は第二課題へ進んだ。


 狭い通路での退避判断。


 奥から虫型魔物が現れ、一定時間内に前進か撤退かを判断する訓練らしい。


 指導員が言う。


『次の課題では、退避判断を行う。ただし、勝手に退避するな。指示を待て』


 俺は思わず眉を寄せた。


 退避判断なのに、指示を待て。


 矛盾している。


 セイラも同じことを思ったようだった。


「退避判断の訓練で、本人に判断させないのですか」


 葉山は答える。


「段階的訓練です。まずは正しい判断基準を学びます」


「判断基準ではなく、命令待ちを学んでいるように見えますわ」


「現場では指揮系統が重要です」


「指揮が遅れたら?」


「指導員が適切に判断します」


 鑑定。


 嘘:適切に判断


 もう聞き慣れてきた自分が嫌だった。


 新人たちが第二課題の通路へ入る。


 奥から虫型魔物が現れた。


 小型の甲殻虫。


 危険度はE上位程度。


 だが、数が多い。


 五体。


 さらに天井付近に三体。


 俺は鑑定する。


 対象:甲殻虫群

 危険度:E上位

 状態:過密配置

 攻撃傾向:後方対象へ回り込み


 過密配置。


 つまり、新人訓練にしては詰め込みすぎだ。


 相原が前に出る。


 坂井が右側を固める。


 松野が支援準備。


 指導員の声。


『前衛、維持。後方、支援。坂井、退路を塞がれないよう右壁を意識』


 虫型魔物が一斉に動く。


 一体目、二体目は相原が止めた。


 松野も魔力弾を撃つ。


 悪くない。


 だが、天井の三体が回り込み始める。


 坂井が気づいた。


「退路、右上!」


 良い判断だった。


 明らかに早い。


 だが、指導員は言う。


『坂井、持ち場を維持』


「でも、上から来ます!」


『維持』


 坂井の動きが止まる。


 虫型魔物が天井から落ちる。


 後方の新人が悲鳴を上げた。


 相原が動きかける。


 だが、一度止まった。


 さっき指示外行動で減点されたからだ。


 その一瞬が致命的だった。


 虫型魔物が後方の青年、松野ハルの肩へ取りつく。


 松野が武器を落とした。


「う、あ……!」


 過呼吸。


 明らかに動けていない。


 鑑定。


 対象:松野ハル

 状態:恐怖、過呼吸、判断不能

 嘘:訓練継続可能


 俺は声を上げていた。


「止めてください!」


 葉山がこちらを見る。


 佐伯も動いた。


 セイラが強い声で言う。


「訓練停止を要求します」


 指導員はスピーカー越しに言う。


『松野、自分で対処しろ。君は基準をクリアしている』


 松野は動けない。


 虫型魔物が腕へ移る。


 防具はあるが、関節部に入り込めば危ない。


 坂井が指示を待たずに動いた。


 盾を捨てるようにして、松野の肩から虫型魔物を払い落とす。


 相原も今度は迷わず走った。


 剣の腹で二体を弾き飛ばす。


 指導員が怒鳴る。


『坂井、相原、指示外行動だ!』


 その声を聞いて、俺の中で何かが切れた。


「指示の方が遅いだろ!」


 思ったより大きい声が出た。


 見学エリアが一瞬静かになる。


 葉山の笑顔が消えた。


 佐伯が低い声で言う。


「葉山さん。管理局権限で訓練停止を要求します」


「佐伯様、現在は訓練中です。安全管理上、途中停止は」


「研修生一名が過呼吸および判断不能。防護対応遅延。これ以上の継続は認められません」


「弊社基準ではまだ」


「管理局基準です」


 佐伯の声は静かだった。


 だが、有無を言わせない圧があった。


 葉山は一拍置いた。


 そして、指導員へ通信する。


「訓練を停止してください」


『しかし、葉山さん』


「停止です」


 防護シャッターが降りた。


 虫型魔物と新人たちの間に、透明な魔導板が展開される。


 警報音が鳴る。


『訓練停止。訓練停止。研修生はその場で待機してください』


 松野がその場に座り込んだ。


 肩で息をしている。


 坂井が隣で声をかけている。


 相原は剣を下ろしたまま、指導員の方を睨んでいた。


 その顔には、初めてはっきりと怒りが出ていた。


 俺は強化魔導板越しに彼らを見た。


 さっきまで抑え込まれていたものが、少しずつ表情に戻っている。


 恐怖。

 怒り。

 混乱。

 悔しさ。


 それは訓練としては失敗なのかもしれない。


 だが、人間としては正常に見えた。


 葉山はもう一度笑顔を作った。


「ご心配をおかけしました。研修生の安全確認を行います」


 佐伯が言う。


「研修ログ、指導音声、装備の鎮痛補助記録、バイタルデータを提出してください」


「もちろん、適切な手続きに従って」


「今、この場で保全します」


 佐伯は管理局端末を出した。


 同行していた管理局員が動き始める。


 葉山の目が、わずかに細くなった。


「佐伯様。弊社の研修データには、個人情報と企業機密が含まれます」


「管理局監査中の安全確認です。拒否する場合は、拒否理由を文書で提出してください」


「拒否はしておりません」


「では、提出を」


 葉山は笑っていた。


 だが、空気は冷たい。


 研修生たちは救護スタッフに保護され、別室へ移動していく。


 坂井ナナが、強化魔導板越しにこちらを見た。


 目が合った。


 彼女は少し迷ってから、唇だけを動かした。


 声は聞こえない。


 だが、何と言ったのかは何となく分かった。


 怖かった。


 俺は小さく頷いた。


 怖いと思えるなら、まだ大丈夫だ。


 少なくとも、怖いものを怖いと感じる感覚は残っている。


 セイラが横で低く言った。


「ここは、新人を育てていませんわ」


「はい」


「従わせているだけです」


 俺は頷いた。


 安全研修。

 判断訓練。

 恐怖反応の制御。

 命令遵守率の向上。


 言葉だけなら、どれももっともらしい。


 でも実際には、痛みを鈍らせ、恐怖を抑え、指示を待つ人間を作っている。


 それは探索者を強くすることではない。


 むしろ、危険に対して鈍くしているだけだ。


 葉山が俺へ視線を向けた。


「黒瀬様」


 声は穏やかだった。


「先ほど、随分と強く反応されていましたね」


「人が危なかったので」


「弊社の訓練は、安全基準に基づいて実施されています」


 鑑定。


 嘘:安全基準に基づいて


「その安全基準も、見直した方がいいと思います」


 俺は言った。


 葉山は微笑む。


「貴重なご意見として承ります」


 鑑定。


 嘘:承ります


 こいつ。


 全然受け取る気がない。


 佐伯が一歩前に出る。


「黒瀬さんへの質問は、管理局を通してください」


「失礼しました。つい、先日の配信事件でご活躍された方の視点が気になりまして」


「今は監査中です」


「承知しております」


 葉山はあっさり引いた。


 引き際が早い。


 それがまた厄介だった。


 強引に押してくる相手なら、こちらも止めやすい。

 だが葉山は、引くべきところではすぐ引く。


 そしてまた、きれいな顔に戻る。


 アルカディアそのものみたいな男だと思った。


 表面は清潔で、丁寧で、合理的。

 その裏に何を隠しているのか、見えにくい。


 佐伯が研修ログの保全を指示している間、俺はモニターに映るデータを見ていた。


 研修生ごとの数値。


 恐怖反応。

 命令反応速度。

 指示逸脱傾向。

 痛覚補助使用率。

 退避ワード使用履歴。


 その中に、一つ気になる項目があった。


 記憶負荷指数。


 俺は眉を寄せた。


「記憶負荷指数……?」


 葉山がすぐに反応した。


「研修後の振り返り負荷を示すものです。失敗体験を適切に整理するための指標ですね」


 鑑定。


 嘘:振り返り負荷


 違う。


 これは、ただの振り返りではない。


 もっと嫌なものだ。


 セイラがモニターを睨む。


「記憶に干渉していますの?」


「いいえ。記憶を改変するような行為は行っておりません」


 鑑定。


 嘘:記憶を改変するような行為は行っておりません


 俺は息を止めた。


 出た。


 明確に。


 佐伯もこちらを見た。


 俺は小さく頷く。


 佐伯の目が鋭くなる。


「葉山さん。記憶負荷指数に関連する研修後処理の資料も提出してください」


「研修後処理?」


「はい」


「それは医療・心理ケア領域の資料になりますので、この場での提出は」


「提出してください」


「正式な照会手続きが必要です」


「では、今ここで正式照会を発行します」


 佐伯は端末を操作した。


 葉山の笑顔が、今度こそ少し薄くなった。


「佐伯様。かなり踏み込まれますね」


「踏み込む必要があると判断しました」


「何を根拠に?」


「研修中に危険な状態の研修生を確認しました」


「弊社としては危険な状態とは認識しておりません」


「それも含めて確認します」


 葉山はしばらく佐伯を見ていた。


 そして、静かに笑った。


「承知しました。可能な範囲で対応いたします」


 鑑定。


 嘘:可能な範囲で対応


 俺はもう驚かなかった。


 嘘が多すぎる。


 だが、その嘘の中に、少しずつ形が見えてきた。


 アルカディアは新人を育てているのではない。


 恐怖を記録し、痛みを鈍らせ、判断を抑え、指示への従順さを測っている。


 そして、記憶にも何かをしている。


 記憶負荷指数。


 研修後処理。


 その言葉が、頭から離れない。


 佐伯が俺の横に来る。


「黒瀬さん」


「はい」


「この後、研修後処理室を確認します」


「名前からして嫌ですね」


「同感です」


 佐伯が同感という時は、本当に嫌な時だ。


 セイラも冷たい顔で頷く。


「行きますわよ」


「九条さんも?」


「当然です。ここまで見せられて引けるほど、私は物分かりがよくありません」


 葉山が笑顔で言う。


「では、ご案内します。ただし、研修後処理室は個人情報を扱うため、一部制限がございます」


 セイラが即答する。


「その制限も確認します」


 葉山の笑顔が一瞬だけ固まる。


 ほんの一瞬。


 だが、見えた。


 俺の鑑定がなくても分かるくらいに。


 その部屋には、何かある。


 俺たちは、新人研修ダンジョンの奥へ向かった。


 背後では、研修生たちが救護スタッフに連れられていく。


 坂井ナナが一度だけ振り返った。


 相原マコトは、指導員ではなく彼女の隣を歩いていた。


 指示ではなく、自分の意思で。


 その姿を見て、俺は少しだけ息を吐いた。


 まだ、完全には壊れていない。


 それだけが救いだった。


 だが、この施設が続けば、次は分からない。


 怖いものを怖いと思えなくなった探索者。

 痛みを痛みとして受け取れない探索者。

 自分で退くことを選べない探索者。


 そんなものが量産されれば、ダンジョンで何が起きるか。


 古町隼人の死。

 澪の事故。

 白峰リアの配信事件。


 それらが、まったく別のものではない気がしてきた。


 誰かの判断を奪う。

 誰かの感覚を鈍らせる。

 誰かの記憶を都合よく処理する。


 それを安全や成長という言葉で包む。


 アルカディア・ゲートのきれいな嘘は、思っていたよりずっと深い。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


今回は、アルカディア・ゲートの新人研修ダンジョンを書きました。


表向きは安全な新人研修ですが、実際には恐怖や痛みを抑え、自己判断よりも指示への従順さを優先する訓練が行われています。

探索者にとって、恐怖は邪魔なだけのものではありません。

危険を察知し、退くべき時に退くための大切な感覚でもあります。


次回は、研修後処理室に入り、アルカディアが新人探索者の記憶や失敗体験をどう扱っているのかに踏み込んでいきます。

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