第19話 記憶を売るギルド
アルカディア・ゲートは、きれいな会社だった。
それが第一印象だった。
ガラス張りの高層ビル。
一階の受付には白い花。
壁には探索者支援実績を示す大型モニター。
若い探索者たちが笑顔で訓練する映像。
企業ロゴ入りの最新装備。
きらきらしたキャッチコピー。
未来の探索者に、安全と成長を。
俺はその文字を見上げながら、思わず呟いた。
「うわ、胡散臭い」
隣にいた佐伯ユズルが、淡々と訂正する。
「黒瀬さん。ここは敵地かもしれません。発言には注意してください」
「すみません。心の声が漏れました」
「漏らさないでください」
「努力します」
「努力ではなく、管理してください」
「管理局っぽい言い方ですね」
「管理局ですから」
いつもの返しだった。
だが、今日の佐伯はいつもより少しだけ硬い。
場所は、東京湾岸エリアにあるアルカディア・ゲート本社ビル。
現代ダンジョン産業の中でも、急成長している企業ギルドの一つだ。
新人探索者の研修。
装備レンタル。
配信支援。
スポンサー仲介。
企業案件の斡旋。
メンタルケア。
ダンジョン保険。
探索者に必要なものは大体扱っている、らしい。
表向きは。
昨日、九条セイラの裁判で、古町隼人の退避用ワイヤーにアルカディア関連会社への外部認証参照が残っていた。
白峰リアの配信禁止区域事件でも、背後企業がアルカディアと取引していた。
俺の妹、黒瀬澪の事故資料にも、似た名前が出ている。
偶然で片づけるには、少し多すぎる。
だから今日、俺はここにいる。
帰りたい。
かなり帰りたい。
だが、自分自身を鑑定すると、きっとまた表示されるのだろう。
嘘:帰りたい
いや、帰りたいのは本当だ。
ただ、それだけではない。
知りたい。
その方が、たぶん強い。
俺たちは三人で来ていた。
佐伯ユズル。
管理局調査二課の職員。
九条セイラ。
アルカディアと取引のある装備関連企業に出資している探索者兼、九条家の令嬢。
そして俺。
Fランク鑑定士。外部協力者。足首はまだ少し痛い。
白峰リアは、まだ表立って動けない。
ただし、本人からは昨日の夜にメッセージが来ていた。
<<アルカディア、私の件とも関係ありそうなんだよね。
私は今すぐ動けないけど、必要なら配信ログとかスポンサー資料は出す。
黒瀬さん、無理しすぎないで。
って私が言うのも変だけど。>>
確かに変だった。
でも、少しだけありがたかった。
セイラは受付前で立ち止まり、俺を見た。
「黒瀬透真」
「はい」
「今日は余計なことを言わないこと」
「佐伯さんにも言われました」
「では二重に注意なさい」
「九条さんもですよ」
「私?」
「はい。相手を見下すようなことを言わない」
セイラの目が細くなる。
「私がいつ、そのような」
途中で止まった。
自覚はあるらしい。
「……必要があれば控えます」
「必要があると思います」
「あなた、本当に遠慮がありませんわね」
「事実なので」
「それですわ。それも控えなさい」
「はい」
佐伯が小さく息を吐いた。
「お二人とも、もう少し緊張感を持ってください」
「持ってます」
「持っていますわ」
「なら結構です」
受付に向かうと、スーツ姿の女性が笑顔で迎えてくれた。
「お待ちしておりました。ダンジョン管理局の佐伯様、九条セイラ様、黒瀬透真様ですね」
俺の名前もある。
少し嫌な感じがした。
この訪問は、佐伯が管理局の通常監査の名目で通している。
セイラは出資者側の視察。
俺は同行鑑定士。
つまり、こちらの目的は完全には伏せられている。
それなのに受付の女性は、俺の名前を滑らかに呼んだ。
昨日まで無名だったFランク探索者の名前を。
佐伯が微笑む。
「本日は急な依頼にもかかわらず、ありがとうございます」
「いえ。管理局様と九条様のご視察でしたら、当然です」
受付の女性は完璧な笑顔を崩さない。
「ご案内は、研修事業部の葉山が担当いたします」
数分後、エレベーターから一人の男が降りてきた。
三十代前半くらい。
細身のスーツ。
穏やかな笑顔。
髪型も靴も、完璧に整っている。
「初めまして。アルカディア・ゲート研修事業部、部長補佐の葉山怜司です」
男は丁寧に頭を下げた。
「本日は弊社の新人探索者育成プログラムをご覧いただけるとのことで、大変光栄です」
声も柔らかい。
営業慣れしている。
俺は葉山を鑑定した。
対象:葉山怜司
所属:アルカディア・ゲート研修事業部
役職:部長補佐
嘘:本日は大変光栄です
そこか。
俺は少しだけ顔を伏せた。
まあ、急な管理局と九条家の視察が光栄なわけないか。
だが、表示はそれだけでは終わらなかった。
危険:情報遮断
備考:黒瀬透真を把握済み
やっぱり。
俺は佐伯へ視線を向けた。
佐伯はほんのわずかに頷いた。
こちらの反応を見て、何か出たと察したのだろう。
セイラは堂々と葉山を見た。
「無駄な挨拶は結構ですわ。研修施設へ案内なさい」
「承知しました」
葉山は嫌な顔一つしない。
むしろ、セイラの態度すら想定済みという顔だ。
「本日は、弊社の安全研修フロア、新人探索者評価システム、装備貸与管理室をご案内します。その後、実地研修用の低層ダンジョンをご覧いただく予定です」
「実地研修用のダンジョン?」
俺が思わず聞くと、葉山は笑顔でこちらを向いた。
「はい。弊社が管理局の許可を受けて運用している研修用ダンジョンです。危険度は低く、初心者でも安心して実戦経験を積める環境を整えています」
視界に表示が浮かぶ。
嘘:初心者でも安心
やめてくれ。
最初から出すぎだ。
俺は何も言わなかった。
ここで反応すれば、すぐに警戒される。
葉山は俺を見て、穏やかに言った。
「黒瀬様は、先日の配信事件で大変なご活躍だったそうですね」
「活躍というほどでは」
「ご謙遜を。弊社内でも話題になっております。Fランク鑑定士でありながら、あれほどの判断力。素晴らしい」
鑑定表示。
嘘:素晴らしい
まあ、そうだろう。
称賛というより、観察だ。
俺は曖昧に笑っておいた。
笑えていたかは分からない。
エレベーターで上階へ向かう。
ガラス張りの内部から、研修フロアが見えた。
広い訓練スペース。
若い探索者たち。
指導員。
魔物の模型。
スキル計測装置。
どこも明るく、清潔で、管理されている。
壁には大きく書かれている。
失敗を、未来の安全に変える。
その言葉を見た瞬間、背筋が冷えた。
鑑定。
対象:アルカディア・ゲート研修スローガン
嘘:安全に変える
表示は短かった。
だが、十分だった。
葉山が説明を始める。
「弊社では、新人探索者の失敗を否定しません。むしろ、失敗こそ成長の資源だと考えています」
佐伯が静かに聞く。
「具体的には?」
「研修中の判断ミス、恐怖反応、パーティー内コミュニケーションの失敗を記録し、本人へフィードバックします。失敗を可視化することで、同じ事故を防ぐ」
「記録は映像ですか」
「映像、音声、バイタルデータ、装備ログです」
「心理データは?」
葉山は一瞬だけ間を置いた。
ほんの一瞬。
「ストレス反応の測定は行います。もちろん、本人同意の上です」
鑑定。
嘘:本人同意の上
来た。
俺は黙っていた。
セイラが横から言う。
「契約書は見られますの?」
「もちろんです。後ほど装備貸与管理室でご説明します」
「後ほどではなく、今」
葉山は笑顔を崩さない。
「承知しました。ただ、研修中の探索者たちの見学時間が限られておりますので、先にそちらをご覧いただいても?」
「私の質問に答える時間もないほど、御社は余裕がありませんの?」
「いえ、そのようなことは」
「では契約書を」
セイラは強い。
昨日まで裁判で追い詰められていた人間とは思えない。
いや、むしろ裁判を終えたからこそ、アルカディア相手には遠慮がないのかもしれない。
葉山は少しだけ笑みを深めた。
「分かりました。では先に、研修契約の標準書式をご覧いただきましょう」
案内されたのは、会議室だった。
白い机。
壁一面のモニター。
窓の外には訓練フロア。
葉山が端末を操作すると、標準契約書が投影された。
新人探索者研修参加契約。
装備貸与規約。
安全管理同意書。
データ利用承諾書。
セイラが即座に目を細める。
「データ利用承諾書」
「はい。研修改善のため、参加者のデータを匿名化した上で分析します」
葉山が説明する。
「新人探索者の安全性向上に不可欠な取り組みです」
鑑定。
嘘:匿名化
俺は資料を見る。
条項が多い。
法律用語が多すぎる。
素人が読めば、ほとんど理解できないだろう。
セイラはすでに別の箇所を指していた。
「第十二条。参加者は研修中に発生した精神的負荷、恐怖反応、判断記録、スキル反応を、弊社が研究、改善、商品開発に利用することへ包括的に同意する」
声が冷たい。
「商品開発?」
葉山は頷く。
「安全装備、支援AI、教育プログラム開発のためです」
「新人探索者の恐怖反応を商品開発に使う、と」
「匿名化し、本人に不利益が出ない形で」
鑑定。
嘘:本人に不利益が出ない
俺は眉を寄せた。
佐伯がこちらを一瞬見る。
見えたか、と聞いている目だ。
俺は小さく頷いた。
セイラは続ける。
「第十五条。研修中の一時的な記憶混濁、感情鈍麻、判断遅延について、参加者は事前に説明を受けたものとする」
部屋の空気が変わった。
記憶混濁。
感情鈍麻。
判断遅延。
葉山は穏やかに説明する。
「ダンジョン研修では強いストレスがかかります。参加者にそうした症状が出る可能性があるため、事前に明記しています」
「症状が出る可能性?」
「はい」
「症状を発生させる可能性、ではなく?」
葉山は笑顔のまま止まった。
セイラは容赦しない。
「この書き方は、自然発生した症状の説明ではなく、研修プログラム側が何らかの負荷を与える前提に見えますわ」
「九条様は法務にもお詳しいのですね」
「誤魔化しが下手ですわね」
「そのような意図はありません」
鑑定。
嘘:そのような意図はありません
俺は思わず息を吐いた。
小さな音だったが、葉山の視線がこちらに向いた。
「黒瀬様、何か気になる点が?」
やばい。
俺は少しだけ考えた。
「契約書が難しいなと」
「新人の方にも分かるよう、説明担当者が丁寧に説明しています」
嘘:丁寧に説明
「そうですか」
「はい」
葉山はにこやかに答える。
この人は、嘘をつくことに慣れている。
高木の薄い笑顔とは違う。
葉山の嘘は、組織の手続きの中に溶けている。
嘘をついているというより、嘘を業務として扱っている。
佐伯が静かに言った。
「研修中の記憶混濁について、過去の発生件数は?」
「後ほど資料をお渡しします」
「今、概数で結構です」
「正確性に欠けるため、この場では控えさせていただきます」
「発生していることは認める?」
「ダンジョン研修に伴う一般的なストレス反応としては」
「一般的、ですか」
「はい」
佐伯の声は穏やかだが、質問は逃がさない。
葉山はやはり笑っている。
会議室の空気が少しずつ冷えていく。
その時、窓の外の訓練フロアで歓声が上がった。
若い探索者たちが、訓練用魔物を倒したらしい。
指導員が拍手し、モニターには大きく達成率が表示される。
成功体験。
明るい笑顔。
壁にはまた、あの言葉。
失敗を、未来の安全に変える。
俺にはそれが、別の意味に見え始めていた。
失敗を、商品に変える。
葉山が立ち上がる。
「契約書については、後ほど詳細データをご提供します。続いて、実際の研修をご覧いただけますか?」
セイラはまだ言いたそうだったが、佐伯が先に頷いた。
「お願いします」
会議室を出て、訓練フロアへ向かう。
廊下には、研修生たちの写真が飾られていた。
笑顔の新人探索者たち。
その下に、キャッチコピー。
昨日の失敗が、明日の英雄を作る。
俺は足を止めた。
一枚の写真の前で。
そこに写っている若い女性探索者。
明るい笑顔。
少し癖のある髪。
右手でピースをしている。
似ていた。
一瞬だけ、澪に。
心臓が跳ねた。
もちろん、別人だ。
髪型も顔も違う。
でも笑い方が少し似ていた。
その写真の下には、小さく名前が書かれている。
研修修了生:三谷ユイ
現在:Bランク探索者補佐
佐伯が俺の様子に気づく。
「どうしました」
「いえ」
俺は目を逸らそうとした。
だが、その写真の横にある別の表示が目に入った。
研修修了生の成果一覧。
事故率低下。
判断速度向上。
恐怖反応抑制。
パーティー命令遵守率向上。
命令遵守率。
嫌な言葉だった。
鑑定。
対象:研修成果一覧
嘘:成果
短い表示。
俺は唇を噛んだ。
葉山がこちらを見る。
「黒瀬様、そちらは弊社の誇る研修成果です。新人の恐怖反応を抑え、パーティー内での連携を高めることで、生存率の向上を実現しています」
「命令遵守率も上げるんですね」
「はい。ダンジョン内では、指揮系統の乱れが命取りになりますから」
「自分で判断する力は?」
俺が聞くと、葉山はにこやかに言った。
「それも育成します。ただし、新人のうちは経験ある指揮者に従うことが重要です」
鑑定。
嘘:自分で判断する力も育成
分かりやすいくらい嫌な表示だった。
セイラが低く言う。
「従順な新人は扱いやすいでしょうね」
「安全管理上、必要な指導です」
「安全管理」
セイラが笑う。
冷たい笑みだった。
「便利な言葉ですこと」
葉山はそれにも笑顔で応じた。
「安全は、すべての探索者にとって最優先ですから」
嘘:安全は最優先
俺はもう、笑えなかった。
訓練フロアの奥で、新人たちが次のメニューに移っている。
指導員が言う。
「次はストレス下判断訓練だ。怖がらなくていい。君たちはアルカディアの基準をクリアしている」
新人たちが頷く。
その顔には、緊張はある。
だが、不思議と反発がない。
従順。
その言葉が頭に浮かんだ。
俺は一人の新人を鑑定した。
対象:研修生・相原マコト
ランク:E
状態:緊張、疲労、感情鈍麻軽度
嘘:怖くない
感情鈍麻軽度。
もう出ている。
別の新人。
対象:研修生・坂井ナナ
状態:恐怖反応抑制、判断遅延
嘘:自分で選んでいる
胸の奥が冷えた。
ここは、新人を育てる場所なのか。
それとも、新人から何かを削る場所なのか。
佐伯が小声で言う。
「黒瀬さん」
「はい」
「何が見えますか」
「怖がってるのに、怖がってないことになってます。判断も遅れてる。感情が鈍い」
佐伯の目が鋭くなる。
「複数名?」
「はい」
「記録します」
佐伯はタブレットに短く入力する。
葉山は俺たちを見ている。
こちらの会話は聞こえていない距離だが、何かを察している顔だった。
すると彼は、穏やかに言った。
「皆様、実地研修ダンジョンの見学準備が整いました」
セイラが眉を上げる。
「このまま?」
「はい。ちょうど本日、新人研修の最終段階を行います。安全管理された環境で、実際の魔物に対処する訓練です」
佐伯が聞く。
「我々も同行可能ですか」
「もちろんです。ただし、安全のため、見学者には制限エリアから出ないようお願いいたします」
葉山は俺を見た。
「黒瀬様も、足を痛めていらっしゃるようですから、無理はなさらず」
「ありがとうございます」
鑑定。
嘘:無理はなさらず
嫌な予感が、さらに濃くなる。
セイラが俺の横で小さく言った。
「黒瀬透真」
「はい」
「今、帰りたいと思っていますわね」
「はい」
「私もです」
「九条さんも?」
「ええ」
珍しい。
彼女が素直にそんなことを言うとは思わなかった。
セイラは訓練フロアを見下ろす。
「ここは、きれいすぎます」
その一言に、俺は頷いた。
きれいすぎる。
新人たちの笑顔も。
契約書の文言も。
安全管理という言葉も。
ガラス張りの廊下も。
壁のスローガンも。
きれいすぎて、どこに汚れが隠れているのか分からない。
でも、ある。
俺の鑑定が、それだけは告げている。
実地研修ダンジョンへ向かう前、俺はもう一度アルカディアのロゴを見た。
翼を広げた門のようなマーク。
未来への門。
そんな説明が横に書いてある。
鑑定。
対象:アルカディア・ゲート企業理念
嘘:探索者の未来のため
もう驚かなかった。
ただ、胸の奥が静かに冷えていく。
俺たちは、きれいな嘘でできた企業ギルドの奥へ進んでいった。
その先で、新人探索者たちが何をされているのか。
そして、澪の事故に何がつながるのか。
まだ分からない。
分からないが、見えてしまった。
なら、もう見なかったことにはできない。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
今回から、アルカディア・ゲートの調査に入りました。
これまでの事件では、配信の画角や裁判での証言が真実を歪めていました。
今回は、企業の契約書、研修制度、安全管理という言葉の中に嘘が隠れています。
アルカディアは、表向きはとてもきれいな企業です。
新人探索者を育て、装備を貸し、安全を支援する。
けれど、そのきれいな言葉の下で何が行われているのか、透真の鑑定が少しずつ拾い始めています。
次回は、実地研修ダンジョンで新人探索者たちの訓練に同行します。
ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。




