表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
18/55

第18話 無罪、ただし嫌われ者のまま

 次回審理の日、九条セイラはいつも通りだった。


 少なくとも、そう見えた。


 背筋は伸びている。

 視線はまっすぐ。

 黒に近い濃紺のジャケットに、白いシャツ。

 長い黒髪は綺麗にまとめられていて、指先まで隙がない。


 誰が見ても、堂々としている。


 だが俺には、彼女の横に浮かぶ表示が見えていた。


 嘘:落ち着いている


 俺は見なかったことにした。


 ここで「緊張してます?」なんて聞いたら、たぶん本気で睨まれる。

 いや、睨まれるだけならいい。

 後で一生根に持たれる可能性がある。


 探索者裁判の地下法廷は、前回よりも空気が重かった。


 傍聴席には報道関係者が増えている。

 一般配信はないが、判決に近い判断が出ると聞いて、関係者が集まったのだろう。


 古町隼人の母親も来ていた。


 前回と同じ黒い服。

 だが、表情は少し違って見えた。


 怒りが消えたわけではない。

 悲しみが薄れたわけでもない。

 ただ、何を憎めばいいのか分からなくなった人の顔だった。


 王城アリサも、証人席側に座っている。


 彼女は今日、派手さのない灰色のジャケットを着ていた。

 いつもの柔らかい空気はある。

 けれど、前よりも少し影が濃い。


 セイラは前を見ている。

 アリサも前を見ている。

 二人は互いに視線を合わせない。


 俺は傍聴席の端に座り、佐伯ユズルの隣で資料を確認していた。


「黒瀬さん」


「はい」


「今日は発言の機会は少ないと思います」


「ありがたいです」


「ただし、呼ばれたら短く答えてください」


「呼ばれたくないです」


「裁判なので」


「便利な言葉ですね」


「便利です」


 佐伯はいつも通り淡々としている。


 この人が慌てているところを見たら、たぶん世界の終わりだ。


 開廷が告げられた。


 審理官が資料を確認する。


「前回までの審理および現場検証において、本件に関する主要争点は三点に整理されました」


 大型スクリーンに項目が映る。


 一つ。

 九条セイラは、古町隼人を救助可能な状況で見捨てたのか。


 二つ。

 退避用ワイヤーの不作動は、九条セイラの故意または過失によるものか。


 三つ。

 古町隼人が待機命令を離れた原因は何か。


 審理官は続ける。


「追加検証の結果、後方にいた藤倉ミユ氏、間宮ソウタ氏より、九条セイラ氏が事件当時、後方二名を守る位置にいたとの証言が得られました」


 スクリーンに、藤倉と間宮の証言映像が映る。


『九条さんは、私たちの前に立っていました』

『古町さんを見殺しにしたようには見えませんでした』

『ワイヤーを何度も操作しようとしていました』


 藤倉は泣きそうな顔だった。

 間宮は何度も言葉に詰まっていた。


 完璧な証言ではない。


 だが、だからこそ本物に見えた。


 次に、退避用ワイヤーのログ。


 九条セイラからの救助操作信号。

 不達。

 接続遮断。

 第三権限の発生。

 外部認証参照。

 アルカディア・ゲート関連会社。


 法廷が小さくざわつく。


 アルカディアの名前が出るたびに、空気が変わる。


 誰もが大声では言わない。

 だが、あの企業ギルドに何かあるのではないかという疑念は、もうこの場にいる全員が共有し始めていた。


 そして最後に、王城アリサの音声メッセージと、古町隼人の移動ログ。


 あなたなら、逃げずに守れます。


 その言葉が流れると、古町の母親は目を閉じた。


 アリサも俯いた。


 セイラだけが、まっすぐ画面を見ている。


 審理官は静かに言った。


「古町隼人氏は、事件当時、王城アリサ氏の音声メッセージを複数回再生していた。その再生時刻と、待機地点から危険地帯へ進む移動ログには一定の相関が認められます」


 一定の相関。


 役所の言葉だ。


 でも、そこに込められている意味は重い。


 古町は、自分一人の意思だけで進んだわけではない。

 誰かに命令されたわけでもない。

 期待に従った。


 それが裁判でどう扱われるのか。


 俺は息を詰めて聞いていた。


 まず、九条側弁護人が立った。


「以上の資料から、九条セイラ氏は古町氏を故意に見捨てたのではなく、後方二名の安全確保と古町氏の救助を同時に試みていたと考えられます。また、退避用ワイヤー不作動には第三権限の干渉が確認されており、九条氏の故意による妨害とは認められません」


 古町側代理人も立つ。


「しかし、九条氏の管理下にあった装備が正常に作動しなかったことは事実です。たとえ外部干渉があったとしても、高額装備を貸与し、使用者の命を預かった立場として、九条氏の管理責任は問われるべきです」


 セイラは表情を変えない。


 だが、その言葉は刺さっているはずだった。


 管理責任。


 彼女が一番逃げられない言葉だ。


 所有するなら責任を持つ。

 契約で縛るなら、契約の先にあるものも背負う。


 セイラ自身が、たぶんそう考えている。


 九条側弁護人は反論する。


「管理責任と、刑事的または探索者資格上の救助義務違反は分けて判断されるべきです。本件では、九条氏が救助を怠った、または意図的に妨害したとする直接証拠はありません」


 法廷は静かだった。


 もう、単純にセイラを悪女と呼べる流れではない。


 だが、完全に彼女を正しい人間として扱う流れでもない。


 審理官はしばらく資料を確認し、最後に王城アリサへ向いた。


「王城アリサ氏」


「はい」


「あなたの音声メッセージが古町隼人氏の行動に影響した可能性について、前回あなたは認めました。改めて、何か述べることはありますか」


 アリサはゆっくり立ち上がった。


 法廷中の視線が集まる。


 彼女は少しだけ息を吸い、古町の母親へ向いた。


「古町さんのお母様」


 古町の母親が顔を上げる。


「私は、隼人さんに危険な場所へ進んでほしかったわけではありません。逃げないことだけが正しいと伝えたかったわけでもありません」


 声は震えていた。


 それでも、途切れなかった。


「でも、私の言葉を隼人さんが重く受け取ったことは、否定できません。私に救われた命だから、誰かを守るために使わなければならない。そう思わせてしまったのかもしれません」


 古町の母親の目に涙が浮かぶ。


 アリサは深く頭を下げた。


「申し訳ありませんでした」


 法廷が静まり返る。


 それは、法的な謝罪ではない。

 罪を認める言葉でもない。


 でも、アリサ自身が、自分の言葉の重さを初めて他人の前で認めた瞬間だった。


 古町の母親は、しばらく何も言わなかった。


 やがて、小さく言った。


「隼人は、あなたに感謝していました」


 アリサは頭を下げたまま動かない。


「あなたの言葉に、何度も助けられていました」


 母親の声が震える。


「だから、私は……あなたを責めたいのか、感謝したいのか、分かりません」


 それがたぶん、本音だった。


 アリサは唇を噛んだ。


「はい」


「でも」


 古町の母親は涙を拭った。


「隼人に、逃げてもいいと言ってほしかった」


 その一言が、法廷に落ちた。


 誰もすぐには動けなかった。


 アリサの顔が歪む。


 セイラも、わずかに目を伏せた。


 逃げてもいい。


 たったそれだけの言葉が、古町には必要だったのかもしれない。


 あなたなら守れる。

 逃げずに立っていられる。


 それも救いだった。


 でも、あの場では別の言葉が必要だった。


 逃げてもいい。


 守れなくても、生きていい。


 俺は胸の奥が重くなった。


 澪にも、誰かがそう言っていたら何か変わったのだろうか。

 いや、そんな仮定に意味はない。


 でも、考えてしまう。


 審理官はしばらく沈黙し、やがて結論へ進んだ。


「本件について、現時点で確認された事実を整理します」


 法廷が一斉に静まる。


「九条セイラ氏は、事件当時、古町隼人氏に待機命令を出していた。その後、古町氏は命令を離れ、危険地帯へ進入した」


 スクリーンにログが映る。


「九条氏は退避用ワイヤーにより古町氏を引き戻そうとしたが、操作信号は接続遮断により不達となった」


 次のログ。


「退避用ワイヤーには第三権限の干渉が確認され、その外部認証参照先にアルカディア・ゲート関連会社が含まれていた」


 法廷がざわつく。


「また、後方二名の証言により、九条氏は事件当時、後方二名を守る位置にいたことが認められる」


 藤倉と間宮の証言映像。


「以上を踏まえ、九条セイラ氏が古町隼人氏を故意に見殺しにした、または退避用ワイヤーを意図的に妨害したと認めるには、証拠が不十分です」


 俺は息を止めた。


 セイラは微動だにしない。


「よって、本裁判における九条セイラ氏の救助義務違反および故意妨害の申し立ては、現時点では認められません」


 無罪。


 その言葉自体は使われなかった。


 探索者裁判の形式上、処分対象事案として認定しない、という言い方だった。


 だが、意味は同じだ。


 九条セイラは、古町隼人を見殺しにした悪女として裁かれることはなくなった。


 彼女の弁護人が小さく息を吐く。


 九条家の関係者たちも、安堵したような表情を見せた。


 しかし、審理官は続けた。


「ただし、九条氏の装備管理体制、貸与契約、緊急時の運用方法については、管理責任上の問題が残ります。別途、管理局による監査を行います」


 セイラは静かに頷いた。


「承知しました」


 その声は、思ったより落ち着いていた。


 審理官はさらに言う。


「王城アリサ氏の発言については、直接の命令や違法な誘導は認められません。ただし、治療後の探索者に対する継続的な心理的影響について、管理局は調査とガイドライン作成を進めるものとします」


 アリサは深く頭を下げた。


「はい」


「また、アルカディア・ゲート関連会社による外部認証参照については、別件として調査を開始します」


 佐伯の目がわずかに鋭くなった。


 ここからだ。


 たぶん、本当の意味では。


 裁判は終わる。

 でも、アルカディアの影は消えない。


 審理官が閉廷を告げた。


 法廷内の緊張が少し緩む。


 だが、誰も笑っていなかった。


 セイラは無罪に近い判断を得た。

 でも、古町隼人は戻らない。

 アリサの善意が古町を縛った事実も残る。

 セイラの装備が動かなかった責任も消えない。

 アルカディアの影も深くなった。


 勝利とは呼びにくい。


 それでも、単純な悪役令嬢の物語は崩れた。


 それだけは確かだった。


 閉廷後、廊下は騒がしくなった。


 報道関係者が管理局職員に制止されながら、関係者のコメントを取ろうとしている。

 九条家の関係者はすぐにセイラを囲もうとした。


 だが、セイラはそれを手で制した。


「少し外します」


「お嬢様、しかし」


「少し外します」


 二度目は、明確な命令だった。


 関係者たちは下がった。


 俺はそれを遠目に見ていた。


「黒瀬透真」


 呼ばれた。


 できれば呼ばれたくなかった。


 振り向くと、セイラがこちらへ歩いてくる。


 いつも通りの表情。

 いや、少しだけ疲れている。


「何ですか」


「少し付き合いなさい」


「命令ですか」


「依頼ですわ」


「料金発生します?」


「調子に乗らないこと」


「はい」


 セイラは廊下の奥へ歩き出した。


 俺は佐伯を見た。


「行っても?」


「短時間なら」


「監視つき?」


「もちろん」


「ですよね」


 佐伯は当然のように答えた。


 俺はセイラの後を追った。


 左足首はまだ少し痛むが、補助具のおかげで歩ける。


 セイラが向かったのは、管理局の中庭だった。


 地下法廷から上がった先にある、小さな人工庭園。

 ビルの隙間に作られた四角い空。

 植え込みとベンチがあり、外部からは見えにくい。


 セイラはベンチには座らず、立ったまま空を見上げた。


 俺も少し離れて立つ。


「終わりましたね」


 俺が言うと、セイラは即答した。


「終わっていませんわ」


「ですよね」


「古町隼人は死んだままです。私の装備は動かなかった。王城アリサの言葉は彼を縛った。アルカディアは逃げるでしょう。何一つ、終わっていません」


 言い方は冷たい。


 でも、それは自分に向けた言葉にも聞こえた。


「でも、九条さんは裁かれなかった」


「証拠不十分ですわ」


「それでも、大きいと思います」


「そうでしょうね」


 セイラは空を見たまま言う。


「世間はそう見ないでしょうけれど」


 俺は返事に詰まった。


 実際、そうだろう。


 裁判で処分なしになったからといって、九条セイラの印象が一気に良くなるわけではない。


 世間は言う。


 九条財閥の力で逃げた。

 管理局と裏で話がついた。

 古町を救えなかったことに変わりはない。

 王城アリサのせいにした。

 悪役令嬢が無罪放免。


 いくらでも言える。


 セイラ自身も、それを分かっている。


「好かれたいですか」


 俺は聞いた。


 セイラがこちらを見る。


「あなた、時々本当に失礼ですわね」


「すみません」


「謝るくらいなら言わないことです」


「気になったので」


 セイラは小さく息を吐いた。


「好かれたいと思ったことがない、とは言いませんわ」


 意外な答えだった。


「でも、好かれるために戦ったわけではありません」


 その声は静かだった。


「私は、古町隼人を殺していない。見捨ててもいない。それを証明するために戦いました。好感度のためではありませんわ」


 鑑定表示は出ない。


 嘘ではない。


 俺は頷いた。


「そうですね」


「何ですの、その素直な返事」


「いや、今のは本当っぽかったので」


「本当っぽい、ではなく本当ですわ」


「はい」


 セイラは少しだけ不満そうだった。


 それから、視線を逸らして言う。


「藤倉と間宮には、後で正式に礼をします」


「契約で?」


「……それは、今考えています」


「お」


「何ですの」


「成長ですね」


「上から目線が過ぎますわよ、Fランク」


「すみません」


 セイラは睨んだが、怒鳴りはしなかった。


 ほんの少しだけ、口元が緩んだようにも見えた。


 その時、中庭の入口に王城アリサが現れた。


 セイラの表情がまた硬くなる。


 アリサは俺たちに気づくと、少し迷ったように立ち止まった。


「邪魔なら帰りなさい」


 セイラが言う。


 アリサは困ったように笑った。


「九条さんらしいですね」


「褒め言葉ではなさそうですわ」


「少しだけ、褒め言葉です」


 セイラは鼻を鳴らす。


 アリサは一歩近づいた。


「九条さん。今回のこと、本当に……」


「謝罪なら不要です」


 セイラが遮った。


「あなたの謝罪で、古町隼人は戻りません。私の疑いが晴れたわけでも、あなたの言葉の影響が消えるわけでもない」


 相変わらず鋭い。


 でも、アリサは逃げなかった。


「はい」


「だから、謝罪より先にやることがあるでしょう」


「治療後の探索者への関わり方を、見直します」


「当然ですわ」


「管理局の調査にも協力します」


「それも当然」


「それから」


 アリサは少し言葉を探した。


「逃げてもいい、と言えるようになります」


 セイラは黙った。


 俺も黙った。


 アリサの声は、今までより少しだけ弱かった。


「私は、立ち上がる言葉ばかりを選んできました。あなたならできる、守れる、まだ進める。そう言うことが、救いだと思っていました」


 彼女は自分の手を見る。


「でも、逃げてもいい。守れなくても、生きていていい。そう言えなかった」


 古町の母親の言葉が、まだ残っているのだろう。


 隼人に、逃げてもいいと言ってほしかった。


 セイラはしばらく黙っていた。


 そして、短く言った。


「次からは、そうなさい」


「はい」


「ただし、次などない方がいい」


「はい」


 二人の会話はそこで途切れた。


 和解ではない。


 友情でもない。


 ただ、互いに相手の危うさを一つ知っただけだ。


 でも、それで十分なのかもしれない。


 アリサは俺にも頭を下げた。


「黒瀬さん。ありがとうございました」


「俺は、見えたことを言っただけです」


「それが必要でした」


 俺は少しだけ身構えた。


 アリサの感謝はまだ重い。


 でも、彼女はすぐに付け加えた。


「返さなくて大丈夫です」


 俺は目を瞬いた。


 アリサは少し困ったように笑う。


「今の私は、そう言った方がいい気がしたので」


 セイラが横から言った。


「少しは学習したようですわね」


「九条さんのおかげです」


「私に恩を感じないでくださる?」


「……気をつけます」


 俺は思わず笑ってしまった。


 セイラに睨まれた。


「何ですの」


「いや、二人とも面倒だなと」


「あなたに言われたくありませんわ」


「それはそうです」


 中庭に少しだけ静かな空気が流れた。


 裁判は終わった。

 でも、何も綺麗には終わっていない。


 その時、佐伯が中庭へ入ってきた。


 手にはタブレット。

 表情はいつも通り。


 ただ、その目が少し鋭い。


「九条さん。黒瀬さん」


「何ですか」


 俺が聞くと、佐伯はタブレットをこちらへ向けた。


「アルカディア・ゲート関連会社が、今回の外部認証ログについて声明を出しました」


 早い。


 嫌な予感がした。


 スクリーンに声明文が映る。


<<弊社システムが当該装備に不正干渉した事実はありません。

研修管理サーバーへの接続記録は、過去の装備登録履歴に伴う自動参照であり、事件への関与を示すものではありません。

一部関係者による憶測に基づく発言については、法的措置も検討します。>>


 セイラが冷たく笑った。


「逃げ足が速いですわね」


 佐伯は頷く。


「想定内です」


「腹立たしい言葉ですこと」


「同感です」


 佐伯が同感と言うのは珍しい。


 俺は声明文を見た。


 鑑定。


 対象:アルカディア関連会社声明文

 嘘:事件への関与を示すものではありません


 表示が出た。


 はっきりと。


「佐伯さん」


「見えましたか」


「はい」


「何と?」


「事件への関与を示すものではありません、が嘘です」


 佐伯は静かに頷いた。


「ありがとうございます」


「驚かないんですね」


「驚くより先に、記録します」


「本当に仕事人間ですね」


 セイラが俺を見る。


「黒瀬透真」


「はい」


「あなた、アルカディアを追うつもり?」


 俺は答えに詰まった。


 追うつもり。


 そんな格好いい言葉で考えてはいなかった。


 でも、澪の事故資料。

 匿名メッセージ。

 リアの事件。

 古町の裁判。


 すべてに、アルカディアの影がある。


 ここで見なかったことにはできない。


「追うというか」


「曖昧な返事は嫌いですわ」


「調べます」


 俺は言った。


 セイラは少しだけ目を細めた。


「なら、私の力が必要でしょう」


「……はい?」


「アルカディア・ゲートを調べるなら、九条家の権利網と資金力は役に立ちます。あなた一人では、企業ギルドの入口にも立てませんわ」


「それはそうですけど」


「なら、協力します」


 あまりにも当然のように言った。


 俺は佐伯を見た。


 佐伯は何も驚いていない。


「知ってました?」


「予想はしていました」


「言ってくださいよ」


「言う前に本人が言ったので」


 セイラは俺へ向き直る。


「勘違いしないこと。私はあなたの仲間になるわけではありません」


「そうなんですか」


「利害が一致しているだけです」


 鑑定表示が浮かぶ。


 嘘:仲間になるわけではありません


 俺は黙った。


 ここで指摘したら面倒くさい。


 かなり面倒くさい。


 でも、セイラは俺の表情を見逃さなかった。


「何か見えましたわね」


「いえ」


「嘘が下手ですわ」


「九条さんほどでは」


「私は嘘が下手ではありません」


 表示。


 嘘:私は嘘が下手ではありません


 俺は目を逸らした。


 セイラが一歩近づく。


「今、何を見ましたの」


「何でもないです」


「黒瀬透真」


「……協力してくれるのは助かります」


 話を逸らした。


 セイラはしばらく睨んでいたが、やがてふんと顔を背けた。


「当然ですわ。あなたは弱いですから」


「それも事実ですね」


「でも、目だけは使える」


「褒めてます?」


「少しだけ」


「なら、ありがとうございます」


 セイラは返事をしなかった。


 ただ、少しだけ口元が緩んだ。


 アリサが静かに言う。


「私も、できることがあれば協力します」


 セイラが即座に言う。


「あなたはまず、自分の言葉の後始末をなさい」


「はい」


「また、はい」


「……少しずつ直します」


「そうしてください」


 二人の距離感は、まだ遠い。


 でも、完全な断絶ではなくなっている。


 佐伯がタブレットを閉じた。


「では、今後の調査については改めて調整します。黒瀬さん、今日は帰って休んでください」


「やっとですか」


「はい。明日以降また動いてもらいます」


「休ませる気あります?」


「今日の残りは」


「短い」


「貴重です」


 俺はため息をついた。


 中庭の空は、夕方の色に変わり始めている。


 セイラは無罪に近い判断を得た。

 だが、嫌われ者のままだろう。

 アリサは裁かれなかった。

 だが、自分の善意の重さを知った。

 古町隼人は戻らない。

 だが、彼の死は単純な物語ではなくなった。


 そして俺は、また一つ嘘を見てしまった。


 アルカディア・ゲート。


 その名前が、胸の奥に重く残る。


 配信禁止区域から始まった事件は、悪役令嬢の裁判を経て、ようやく企業ギルドの影へ届き始めた。


 もう、ただのFランク鑑定士には戻れない。


 戻りたいかと聞かれると、たぶん答えは決まっている。


 視界の端に、鑑定表示が浮かんだ。


 嘘:戻りたい


 俺は小さく笑った。


「ほんと、嫌なスキルだな」


 誰にも聞こえないように呟いたつもりだった。


 だが、セイラがこちらを見る。


「何か言いました?」


「何でもないです」


「嘘ですわね」


「最近みんな鋭くないですか」


「あなたが分かりやすすぎるのです」


 そう言って、セイラは歩き出した。


 相変わらず偉そうで、嫌味で、背筋だけはやけに綺麗だった。


 でも、その背中を見て、俺は思った。


 悪役令嬢。


 たぶん、彼女はこれからもそう呼ばれる。


 それでも、もう俺にはその呼び名だけでは足りなかった。


 九条セイラは、嫌われ者のまま歩いていく。


 そして俺は、そんな彼女と一緒に、次の嘘を見に行くことになるのだろう。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


探索者裁判編は、今回で一区切りです。


セイラは処分対象としては認定されず、古町隼人を故意に見殺しにしたという疑いからは外れました。

ただし、完全な勝利ではありません。

古町は戻らず、装備管理の責任も残り、世間からの印象も簡単には変わりません。


アリサもまた、法的に裁かれるわけではありませんでした。

けれど、自分の言葉が誰かを縛ることがあると知りました。

善意だから無害、優しさだから正しい、とは言い切れない。

そこが今回の事件の核でした。


そして、アルカディア・ゲートの影がより濃くなりました。

次からは、企業ギルドの調査へ物語が進んでいきます。


ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ