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第16話 悪役令嬢の頭の下げ方

 アルカディア・ゲート関連会社。


 その名前が出た瞬間、現場の空気は明らかに変わった。


 それまで九条セイラを中心に回っていた疑惑が、別の方向へ傾き始める。


 古町隼人が危険地帯へ進んだ理由。

 王城アリサへの恩。

 退避用ワイヤーに割り込んだ第三権限。

 そして、その外部認証先に残っていたアルカディアの影。


 一つ一つはまだ細い。


 だが、細い糸が何本も同じ場所へ向かっている。


 佐伯ユズルは、投影されたログを静かに見つめていた。


「この情報は、正式証拠として保全します」


 管理局員たちが一斉に動く。


 記録用ドローンがログ画面を複数角度から撮影し、別の局員が端末の複製データを作成している。

 検証責任者は険しい顔で、通信記録の追加確認を指示していた。


 俺はその様子を見ながら、ようやく少し息を吐いた。


 これでセイラの疑いは晴れる。


 そう思いかけた。


 だが、佐伯の顔を見て、その考えが甘いことに気づく。


 彼は安心していない。


 むしろ、ここからが面倒だと言いたげな顔をしている。


「佐伯さん」


「はい」


「これで九条さんはかなり有利になるんじゃないですか」


「有利にはなります」


「言い方」


「無罪確定ではありません」


 佐伯は淡々と言った。


「アルカディア関連会社への接続ログが出たことは重要です。ただし、それが古町さんの死亡に直接つながったと証明するには、まだ足りません」


「まだ足りないんですか」


「はい。現時点では、九条さんが救助操作を行ったこと、ワイヤーが第三権限によって妨害された可能性、古町さんが王城さんへの恩に影響されていた可能性が見えています」


「十分では?」


「裁判では、可能性だけでは弱い」


 佐伯は投影画面を切り替えた。


 そこには、事件当時の位置関係が再び映っている。


 九条セイラ。

 古町隼人。

 後方の探索者二人。


「九条さんが本当に救助しようとしていたことは、操作ログである程度示せる。ただし、古町さんが進んだ理由と、ワイヤーが妨害された理由が分かったとしても、もう一つ問題が残っています」


「何ですか」


「後方の二人です」


 俺は投影映像を見た。


 黄色いマーカーが二つ。


 事件当時、セイラの後ろにいた探索者たち。


 セイラが古町を助けに行かなかった理由。

 後方の二人を守るため。


 そこが証明できなければ、世間から見ればやはり、セイラは古町を見捨てたように見える。


「後方の二人は証言してないんですか」


「しています」


「なら」


「問題は、証言が曖昧なことです」


 佐伯は別資料を出した。


 後方探索者A。

 後方探索者B。


 どちらも低ランク探索者。

 九条セイラの装備支援を受けていた。


 事件後の証言。


<<混乱していて、よく覚えていない。

九条さんが古町さんを助けようとしたかは分からない。

自分たちが守られていたかどうかも分からない。

とにかく怖かった。>>


 俺は資料を見て眉を寄せた。


「これだと、確かに弱いですね」


「はい」


「でも、低ランクで現場にいたなら、混乱するのは普通では?」


「普通です」


 佐伯は頷いた。


「ですが、裁判ではその普通が不利になる。九条さんが後方二人を守っていたという主張を支えるには、彼ら自身の明確な証言が必要です」


 俺はセイラを見た。


 彼女は少し離れた場所で、腕を組んで立っている。


 顔は険しい。

 ただ、さっきから一度も口を挟まない。


 彼女も分かっているのだろう。


 後方二人の証言が必要だと。


 佐伯が続ける。


「後方の二人は、この後こちらへ来ます」


「今日ですか」


「はい。追加検証のために呼んでいます」


「じゃあ、話を聞けば」


「簡単ではありません」


「なぜ?」


 答えたのはセイラだった。


「彼らは私を恐れていますわ」


 彼女はいつの間にか近くまで来ていた。


 相変わらず背筋は伸びている。

 だが、その声には少しだけ苦みが混じっている。


「私の支援を受けていた。装備も、訓練費も、遠征費も。だから、私に逆らえば今後の探索者生活が終わると思っている」


「なら、九条さんに有利な証言をしそうですけど」


「普通はそうでしょうね」


 セイラは冷たく言う。


「でも、今の私は世間から疑われている。古町隼人を見殺しにした女だと。彼らにとって、私を庇う証言は危険ですわ」


「叩かれるから?」


「ええ。金で言わされた。九条家に脅された。そう言われるに決まっています」


 なるほど。


 セイラが嫌われていることが、ここでも響いている。


 普段なら、金と契約で人を動かせる。

 だが今回、それをやれば逆に証言の価値が落ちる。


 九条セイラに命じられた証言。

 九条財閥に買われた言葉。


 そう見られてしまう。


 佐伯が言う。


「だから、九条さん本人が彼らに何かを命じるのは逆効果です」


「では、どうするんですか」


 俺が聞くと、佐伯はセイラを見た。


「お願いするしかありません」


 沈黙。


 かなり長い沈黙だった。


 セイラの表情が、見たことがないほど固まっている。


「……お願い?」


「はい」


 佐伯は容赦なく言った。


「彼らが自分の意思で証言する必要があります。九条さんが命じたのではなく、自分が見たものを自分の言葉で話す。その形でなければ、裁判では弱い」


「私に、彼らへ頭を下げろと?」


「必要なら」


「佐伯」


 セイラの声が冷えた。


「あなた、自分が何を言っているか分かっていますの?」


「分かっています」


「私は九条家の人間です。彼らは私の支援を受けていた探索者。契約上、彼らには証言協力義務があります」


「あります」


「ならば、命じれば済む話ですわ」


「命じれば、証言の価値が落ちます」


「では、契約とは何のためにあるのです!」


 セイラの声が、初めて荒くなった。


 現場にいる何人かがこちらを見た。


 セイラはそれに気づき、すぐに口を閉じる。


 だが、その指先は震えていた。


「契約で明確にする。誰が何を負うか、何を支払うか、何を守るか。曖昧な善意や恩で人を縛らないために、私は契約を使っているのです」


 それは、彼女の本音に聞こえた。


 アリサの善意を嫌う理由。

 恩で人を縛ることへの嫌悪。


 セイラにとって、契約は支配の道具であると同時に、曖昧さから人を守るものでもあるのかもしれない。


 だが、佐伯は淡々としていた。


「九条さん。今回、その契約が彼らを黙らせています」


 セイラが息を止める。


「彼らは、九条家への義務と、世間からの目の間で固まっている。契約があるから自由に話せない。九条さんを庇えば、買われたと思われる。九条さんを責めれば、支援を裏切ったと思われる」


「……」


「だから、あなたが一度、契約の上から降りる必要があります」


 セイラは黙った。


 俺はその横顔を見た。


 彼女の鑑定表示が浮かぶ。


 嘘:私は頭を下げる必要などない


 やっぱり嘘だ。


 必要だと分かっている。


 でも、飲み込めない。


 九条セイラにとって、頭を下げることは、ただの礼儀ではないのだろう。

 自分の作ってきた立場、権利、所有、契約。

 それらを一度手放す行為に近い。


 俺は迷った。


 口を出すべきではない。

 たぶん。


 でも、ここで黙っていると、また「見えているのに何も言わない」ことになる。


「九条さん」


 俺は言った。


 セイラが鋭くこちらを見る。


「あなたまで同じことを言いますの?」


「同じかは分かりません」


「では何?」


「命令じゃなくて、お願いしてください」


 セイラの目がさらに冷たくなった。


「簡単に言いますわね」


「簡単だとは思ってません」


「あなたに何が分かるの?」


「分かりません」


 俺は正直に言った。


「九条家の立場も、あなたが契約にこだわる理由も、全部は分からないです」


「なら黙っていなさい」


「でも、彼らが怖がっていることは分かります」


 セイラは口を閉じた。


「あなたの命令で証言したら、彼らの言葉はあなたの所有物になる。たぶん、周りにはそう見える」


「……」


「でも、お願いなら違う。少なくとも、彼らが断れる余地がある」


「断られたら?」


「困ります」


「でしょうね」


「でも、断れる状態で話してもらわないと、証言にはならないんじゃないですか」


 セイラは俺を睨んだ。


 かなり怖い。


 だが、視線は逸らさなかった。


「黒瀬透真」


「はい」


「あなた、時々ひどく腹立たしいことを言いますわ」


「すみません」


「謝ればいいと思っているでしょう」


「思ってません」


「嘘ですわね」


「はい」


 セイラは大きく息を吐いた。


 その時、王城アリサが静かに口を開いた。


「九条さん」


 セイラはアリサを見た。


「何ですの」


「私も、黒瀬さんと同じ意見です」


「でしょうね。あなたはお願いや善意が好きですもの」


「はい。だからこそ、言います」


 アリサはセイラをまっすぐ見た。


「お願いは、相手を縛ることもあります。でも、命令よりも、相手が自分で選べる余地を残せる時もあります」


「あなたに言われると不愉快ですわ」


「分かっています」


「分かっているなら言わないでくださる?」


「言います」


 アリサの声は静かだったが、芯があった。


「今の九条さんには、契約よりも必要なものがあると思います」


 セイラの表情が険しくなる。


「あなたに、私の何が分かるのです」


「分かりません」


 アリサは、俺と同じように答えた。


「でも、古町さんを助けようとしたことを、証言してほしいんですよね」


 セイラは黙る。


「それなら、命じるよりも、お願いした方がいいと思います」


「……本当に、綺麗な言葉がお好きですわね」


「はい」


 アリサは少しだけ苦しそうに笑った。


「その綺麗な言葉が人を傷つけることも、今は少し分かっています」


 その言葉に、セイラは何も返さなかった。


 しばらくして、管理局員が後方探索者二人の到着を知らせた。


 二人は若かった。


 一人は二十歳くらいの女性探索者。

 栗色の髪を短く切っている。

 名前は藤倉ミユ。


 もう一人は細身の男性探索者。

 眼鏡をかけ、顔色が悪い。

 名前は間宮ソウタ。


 どちらもDランク。

 事件当時、セイラの後方にいた二人。


 彼らは現場に入ってきた瞬間から、明らかに緊張していた。


 セイラを見る。

 すぐに目を逸らす。

 俺を見る。

 佐伯を見る。

 アリサを見て、少し驚く。


 そしてまた、セイラを見ないようにする。


 これは、かなり厳しい。


 佐伯がまず事情を説明する。


「藤倉さん、間宮さん。本日は追加検証のため、事件当時の状況について改めて確認します。無理に九条さんを庇う必要も、責める必要もありません。見たことをそのまま話してください」


 二人は頷いた。


 だが、声は出ない。


 セイラが前に出る。


 その瞬間、二人の肩が跳ねた。


 セイラもそれに気づいた。


 顔が少しだけ歪む。


「藤倉ミユ。間宮ソウタ」


「は、はい」


 藤倉が小さく返事をする。


 間宮は黙ったまま頷く。


 セイラはいつものように腕を組もうとして、途中で止めた。


 手袋をはめた指先が、ぎこちなく下ろされる。


「あなたたちには、契約上、証言協力義務があります」


 佐伯が目を閉じた。


 俺も頭を抱えそうになった。


 開幕からそれか。


 藤倉と間宮の顔がさらに固くなる。


 セイラも、自分で言ってしまったことに気づいたのだろう。

 一瞬だけ唇を噛んだ。


「……今のは取り消します」


 小さな声だった。


 二人が驚いたように顔を上げる。


 セイラは視線を泳がせた。


 九条セイラが、明らかに困っている。


 すごく珍しいものを見ている気がした。


 彼女は一度深く息を吸った。


「契約の話ではありません」


 声は硬い。


「私は、あなたたちに命じることはしません」


 藤倉が戸惑ったように言う。


「九条さん……?」


「あなたたちが何を話すかは、あなたたちが決めなさい」


 セイラはそう言った。


 言えた。


 ただ、そこで止まってしまう。


 お願い。


 その言葉が出ない。


 セイラの横に表示が浮かぶ。


 嘘:この程度で十分


 十分ではない。


 本人も分かっている。


 俺は黙っていた。


 ここで助け舟を出すと、また彼女の言葉ではなくなる。


 セイラはしばらく沈黙した。


 その沈黙は長かった。


 現場の水滴の音が、ぽたりと響く。


 やがて、セイラは藤倉と間宮に向かって、ゆっくり頭を下げた。


 完全な深い礼ではない。

 土下座でもない。

 けれど、九条セイラが他人に対して明確に頭を下げた。


「お願いします」


 声は小さかった。


 しかし、公式記録ドローンは確かに拾った。


「あなたたちが事件当時に見たことを、自分の言葉で話してください」


 藤倉が目を見開く。


 間宮も固まっている。


 セイラは頭を下げたまま続けた。


「私に都合のいい証言でなくて構いません。私を責める内容でも構いません。ただ、あなたたちが見たものを、あなたたちの言葉で話してほしい」


 その言葉には、嘘がなかった。


 少なくとも、俺には見えなかった。


 藤倉の目に涙が浮かんだ。


「九条さん、私……」


「泣く必要はありません」


 セイラがすぐに言った。


 おい。


 そこはもう少し柔らかくできないのか。


 しかし藤倉は、逆に少しだけ笑った。


「そういうところ、変わらないんですね」


 セイラは顔を上げた。


 少し気まずそうだった。


「変える予定はありませんわ」


「そこは変えた方がいいと思います」


 藤倉が小さく言う。


 間宮が隣でぎょっとする。


 セイラは一瞬、言い返しそうになった。


 だが、飲み込んだ。


「……検討します」


 すごい。


 セイラが検討した。


 藤倉は涙を拭き、深く息を吸った。


「事件の時、九条さんは古町さんを見捨ててません」


 その声はまだ震えていた。


 でも、はっきりしていた。


「古町さんが動いた時、九条さんはすぐ止めました。待機しろって。私たちにも、そこを動くなって言いました」


 佐伯が記録する。


 藤倉は続ける。


「そのあと、古町さんが奥へ行って、魔物が反応して……私、腰が抜けて動けなくなりました」


 間宮が小さく頷く。


「僕もです。藤倉さんを引っ張ろうとしたけど、手が震えて……」


 藤倉はセイラを見る。


「九条さんは、私たちの前に立っていました。古町さんの方を見ていたけど、私たちの方にも魔物が来そうで」


 間宮が言う。


「九条さんが古町さんを助けに行かなかったのは、僕たちを置いて行けなかったからだと思います」


 セイラの表情が動いた。


 彼女は何も言わない。


 藤倉はさらに続けた。


「でも、九条さんは何も説明しなかった。事件後も、実力のない探索者が危険地帯に入れば当然だ、みたいなことを言って」


「それは」


 セイラが言いかける。


 藤倉は遮った。


「怖かったんです」


 セイラが黙る。


「九条さんが、私たちを守ってくれてたのは分かってました。でも、古町さんが死んだのも事実で。私たちが証言したら、古町さんのお母さんに、あなたたちのせいで息子は助からなかったって思われる気がして」


 藤倉の声が震える。


「だから、よく覚えてないって言いました」


 間宮も俯く。


「僕もです。九条さんが怖かったのもあります。でも、それ以上に、自分が助かった側だって認めるのが怖かった」


 重い言葉だった。


 セイラが古町を助けに行けなかった理由。


 後方の二人を守るため。


 その二人自身が、それを認めるのを怖がっていた。


 自分たちがいたから、古町は助からなかったのではないか。


 その罪悪感を、彼らは抱えていた。


 セイラは何も言わない。


 いつものように切り捨てることも、命じることも、契約の話をすることもできない。


 藤倉が頭を下げた。


「すみません、九条さん。私たち、見てました。あなたが古町さんを引き戻そうとしていたことも。ワイヤーが動かなくて、あなたが何度も操作していたことも」


 間宮も続く。


「古町さんを見殺しにしたようには、見えませんでした」


 記録用ドローンが、二人の証言を残している。


 俺は息を吐いた。


 ようやく、必要な言葉が出た。


 セイラはしばらく黙っていた。


 そして、短く言った。


「そう」


 それだけか。


 そう思ったが、彼女の指先を見ると、強く握られていた。


 本当は何か言いたいのかもしれない。


 ありがとう。

 助かった。

 怖い思いをさせた。

 証言してくれて嬉しい。


 そういう言葉。


 でも、セイラはその扱い方を知らない。


 彼女は契約や所有の言葉なら使える。

 命令もできる。

 皮肉も言える。


 でも、感謝や謝罪はまだ下手だ。


 俺は小さく言った。


「九条さん」


「何ですの」


「こういう時は、ありがとうございます、でいいと思います」


 セイラが俺を睨んだ。


 だが、今回は言い返さなかった。


 彼女は藤倉と間宮へ向き直る。


 そして、ぎこちなく言った。


「……ありがとうございます」


 藤倉はまた泣きそうな顔になった。


 間宮はほっとしたように笑った。


 セイラは居心地が悪そうに視線を逸らす。


「ただし」


 出た。


「証言内容に曖昧な点が多いですわ。後ほど時系列を整理し、管理局の質問には正確に答えること。感情で話すと、相手側弁護士に突かれます」


 藤倉が苦笑した。


「はい」


 間宮も頷く。


「分かりました」


 やっぱりセイラはセイラだった。


 でも、少しだけ変わった。


 命令ではなく、お願いした。

 そして、感謝した。


 ほんの少しだけ。


 佐伯が俺の隣で言う。


「大きいですね」


「証言ですか」


「それもあります」


「他には?」


「九条セイラが命令ではなく依頼した。その記録が残ったことです」


 俺は記録用ドローンを見る。


 確かに、今の映像は裁判で意味を持つ。


 彼女が証言を買ったのではない。

 脅したのではない。

 契約で縛ったのではない。


 頭を下げて、自分の言葉で頼んだ。


 それは、セイラ自身の印象を少し変えるかもしれない。


 もちろん、すべてが解決するわけではない。

 世間が見れば、今さら好感度稼ぎだと言う人間もいるだろう。


 でも、この場にいた俺には分かった。


 少なくとも今の一礼は、彼女にとって簡単なものではなかった。


 その時、俺の視界に表示が浮かんだ。


 対象:九条セイラ

 嘘:私は一人で十分


 俺はセイラを見た。


 彼女は、藤倉と間宮から少し離れた場所で、いつものように背筋を伸ばしている。


 一人で立てる。

 誰にも頼らなくていい。

 所有し、管理し、命じればいい。


 そう思っていた。


 でも、それは嘘だった。


 たぶん本人も、今少しだけ気づいた。


 佐伯が全体をまとめる。


「本日の追加検証で、重要な証言が得られました。後方二名は、九条さんが古町さんを見捨てたのではなく、自分たちを守る位置にいたと証言しています」


 セイラは何も言わない。


「同時に、退避用ワイヤーへの第三権限干渉、王城さんの音声メッセージ再生、アルカディア関連会社への外部認証接続が確認されています。これらを裁判資料として提出します」


 王城アリサは青い移動ログを見ていた。


 藤倉と間宮は、古町の赤いマーカーから目を逸らしている。


 誰も完全には救われていない。


 それでも、事件の形は少しずつ変わり始めていた。


 九条セイラがただ古町を見捨てた。


 その単純な物語は、もう成立しない。


 検証終了後、俺たちは地上へ戻った。


 湾岸第十二ダンジョンの入口には、報道関係者が少し集まっていた。

 一般配信はないが、探索者裁判の注目度は高いらしい。


 管理局員が俺たちを囲むようにして移動する。


 その途中、藤倉がセイラに小さく声をかけた。


「九条さん」


「何ですの」


「さっきの、その……ありがとうございますって言ったの、ちょっとびっくりしました」


 セイラの表情が固まる。


「忘れなさい」


「無理です」


「忘れなさい」


「無理です」


 藤倉が少し笑う。


 間宮も小さく笑った。


 セイラは本気で居心地が悪そうだった。


 俺はその様子を見て、少しだけ笑ってしまった。


 するとセイラがこちらを睨む。


「黒瀬透真」


「はい」


「あなたも忘れなさい」


「公式記録に残ってますよ」


「消しなさい」


「無理です」


「役に立たない鑑定士ですわね」


「映像編集は専門外なので」


 セイラは不満そうに顔を背けた。


 けれど、その横顔は、最初に会った時より少しだけ人間らしく見えた。


 頭を下げたからといって、彼女の罪が消えるわけではない。

 無罪が決まったわけでもない。

 嫌われ者でなくなったわけでもない。


 でも、契約の上から降りた一瞬があった。


 それだけは、確かだった。


 地上の光が眩しい。


 俺は補助具のついた足で、ゆっくり歩いた。


 ふと、端末が震える。


 また匿名メッセージかと思って身構えたが、佐伯からだった。


<<本日の検証記録は大きい。

ただし、相手側は王城アリサの影響を感情論として切り捨ててくる可能性があります。>>


 俺は返信する。


<<まだ揉めるんですね。>>


 すぐに返ってくる。


<<裁判ですから。>>


 短い。


 嫌な返事だ。


 続けて、もう一件。


<<次は、善意そのものを裁けるのかが争点になります。>>


 俺はその文面を見つめた。


 善意そのものを裁けるのか。


 王城アリサは命令していない。

 古町隼人を殺そうとしていない。

 嘘もほとんどない。


 けれど、彼女の言葉は古町を縛った。


 そして誰かが、その恩の鎖を利用した。


 それをどう扱うのか。


 俺は空を見上げた。


 湾岸の空は広い。

 だが、胸の奥は相変わらず重かった。


 裁判は、まだ終わらない。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


今回は、後方にいた二人の探索者から証言を得る回でした。


セイラにとって、人に頭を下げてお願いすることはかなり大きな変化です。

彼女はこれまで、契約や所有権によって人を動かしてきました。

だからこそ、自分の立場を降りて、相手が断れる形で頼むことが必要でした。


藤倉と間宮の証言によって、セイラが古町を単純に見捨てたわけではないことが見え始めました。

ただ、王城アリサの善意や、アルカディアの影など、まだ解くべきものは残っています。


次回は、善意や期待がどこまで責任になるのか、そして裁けないものをどう扱うのかに踏み込んでいきます。


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