表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/15

第15話 恩は鎖になる

 湾岸第十二ダンジョン地下四層。


 古町隼人が死んだ場所へ戻る道は、さっきよりもずっと長く感じた。


 隊列は少し変わっていた。


 先頭に警備探索者。

 その後ろに管理局員と記録用ドローン。

 中央に佐伯ユズル。

 俺と九条セイラ。

 そして少し離れて、王城アリサ。


 アリサは何も話さなかった。


 さっきまでの穏やかな空気は薄れている。

 それでも彼女は背筋を伸ばして歩いていた。


 泣き崩れるでもない。

 言い訳を並べるでもない。

 ただ、確かめに行く人間の顔をしていた。


 一方、セイラはずっと不機嫌そうだった。


 いや、不機嫌そうに見えるだけで、たぶん内側ではもっと複雑なのだろう。

 彼女はアリサを見るたびに、何かを言いかけてやめる。


 珍しい。


 セイラなら、思ったことは全部刺すように言うと思っていた。


「何を見ていますの」


 セイラが横目で俺を睨んだ。


「いや、九条さんでも黙ることあるんだなと」


「私を何だと思っていますの?」


「言葉の刃物」


「失礼ですわね」


「事実なので」


「あなた、その言葉を免罪符にしすぎですわ」


 そう言われると弱い。


 俺は少し黙った。


 セイラは前を向く。


「今、彼女に何を言っても無駄ですわ」


「王城さんに?」


「ええ。あの方は、責められることにも慣れています。感謝されることにも、泣きつかれることにも、許されることにも、許されないことにも」


「慣れてる?」


「そう見えますわ」


 セイラの声は低かった。


「ああいう人間は、自分を責めることでさえ、人のために使います」


「どういう意味ですか」


「私が悪かったのかもしれない。もっと考えるべきだった。これからは気をつけます。そうやって反省すれば、周りはそれ以上責めにくくなるでしょう」


 きつい言い方だ。


 でも、完全には否定できなかった。


 アリサは確かに、自分の非を認めることを恐れていないように見える。

 それは誠実さでもある。


 同時に、責める側からすると、それ以上踏み込めなくなる防御にもなる。


「九条さんは、王城さんが嫌いなんですね」


「嫌いですわ」


 即答。


「なぜそこまで?」


「彼女の周りでは、責任の形が曖昧になるからです」


「責任の形」


「私は契約で人を縛ります。だから嫌われる。誰が何を負うのか、誰が何を支払うのか、書類に残すから」


 セイラは淡々と言った。


「彼女は恩で人を縛る。しかも、本人は縛っているつもりがない」


 恩で縛る。


 その言葉が、地下通路の湿った空気に沈んだ。


 古町隼人は、アリサに命を救われた。

 そして、その命を誰かのために使おうとした。


 自分を救ってくれた人の期待に応えるために。


 それは美しい話に聞こえる。


 だが、命を落とした後では、美談だけでは済まない。


 現場の空洞に戻ると、検証の準備はすでに進んでいた。


 床には古町の移動ログが再び青い線で投影されている。

 その横に、音声再生の時刻が重ねられていた。


 佐伯がタブレットを操作する。


「古町隼人さんの個人端末から復元された再生履歴です。事件中、王城さんの音声メッセージは少なくとも三回再生されています」


 空中に時系列が表示された。


 一回目。

 九条セイラの待機命令の直後。


 二回目。

 古町が左側の岩陰で停止した直後。


 三回目。

 赤い危険地帯へ入る直前。


 俺は息を呑んだ。


 まるで、進むたびに自分を奮い立たせていたようだ。


 佐伯が合図する。


 記録用ドローンが、青い線の最初の地点を映す。


「一回目の再生」


 ノイズ混じりの音声が流れる。


『怖いと思える人は、無茶をしない人です。だから大丈夫』


 その直後、青い線が待機地点から左へ動く。


 古町は待機命令を離れた。


 アリサが顔を伏せる。


 セイラは青い線を睨んでいる。


 佐伯が続ける。


「二回目」


『あなたなら、守れます。逃げずに立っていられる人だと、私は知っています』


 青い線が岩陰からさらに進む。

 後方の二名を守れる位置へ。


 俺はその動きを見て、胸の奥がざわついた。


 指示を受けた兵士の動きではない。

 誰かに操られた人形の動きでもない。


 自分で選んでいる。


 けれど、その選択の中心に、他人の言葉がある。


 佐伯が三回目を再生する。


『あなたなら、逃げずに守れます』


 青い線が、赤い危険地帯へ入った。


 そこで止まる。


 もう戻れない位置。


 古町隼人が死んだ場所。


 音声が止まった後も、誰もすぐには話さなかった。


 水滴の落ちる音だけが、やけに大きく聞こえる。


 アリサが小さく言った。


「私の言葉です」


 その声は震えていた。


「でも、私は……隼人さんに、進めと言ったわけではありません」


 鑑定。


 嘘:なし


 セイラが冷たく返す。


「ええ。命令していませんわね」


 アリサの肩がわずかに動く。


「私は、ただ」


「励ました」


「はい」


「逃げるなとは言っていない」


「……はい」


「死ねとも言っていない」


「言っていません」


「では、あなたは悪くない。そういうことになりますわね」


 アリサは顔を上げた。


「そんなふうには思っていません」


 嘘:なし


「では、どう思っていますの?」


 セイラが詰める。


 佐伯は止めなかった。

 記録用ドローンも回り続けている。


 アリサは少しだけ沈黙した。


「私の言葉は、隼人さんにとって、重かったのだと思います」


「重かった?」


「はい」


 アリサは青い線を見る。


「私は、隼人さんが立ち直れるように言いました。自分を信じられるように。誰かを守れる人だと思えるように」


「その結果、彼は危険地帯へ進みましたわ」


「はい」


 アリサは逃げない。


 そこが厄介だった。


 逃げずに受け止める。

 反論しない。

 怒らない。


 すると、責めている側がひどいことをしているように見えてくる。


 実際、セイラの口調はきつい。

 アリサを追い詰めているようにも見える。


 でも、セイラが言っていることにも意味がある。


 俺は二人の間に立つような位置で、青い線を見つめた。


「佐伯さん」


「はい」


「古町さん以外にも、王城さんに治療された探索者の事故例ってありますか」


 アリサが俺を見る。


 佐伯はすぐには答えなかった。


「あります」


 短い返答。


 アリサの顔が強張る。


「ただし、王城さんの責任と認定されたものはありません」


「件数は?」


「統計としてここで出すには不正確です」


「大まかでいいです」


 佐伯は少し考えた。


「王城さんの治療を受けた後、復帰から半年以内に危険行動で処分、重傷、または死亡した探索者は、確認できる範囲で十一名」


 アリサの顔から血の気が引いた。


「十一……」


 知らなかった顔だ。


 いや、すべてを知らなかったわけではないのだろう。

 個別の事故は知っていたかもしれない。


 でも、数字として並べられたのは初めてなのかもしれない。


 セイラが佐伯を見る。


「なぜ、それを早く出しませんの?」


「因果関係が不明だからです」


「またそれですか」


「はい。またそれです」


 佐伯は淡々としている。


「王城さんは高位ヒーラーです。重傷者を担当する機会が多い。治療後の探索者は、そもそも危険な現場へ復帰する傾向があります。彼女の言葉が原因か、探索者本人の性格か、所属ギルドの圧力か、ダンジョン環境か。単純には切り分けられません」


「でも、無関係とも言えない」


 俺が言うと、佐伯は頷いた。


「その通りです」


 アリサは青い線を見つめていた。


「私は……知っているつもりでした」


 その声は小さい。


「助けた人が、その後も苦しむこと。復帰して、また傷つくこと。私の言葉を大事にしてくれる人がいること」


 彼女は自分の胸元を押さえる。


「でも、こうして見るまで、分かっていなかったのかもしれません」


 嘘:なし


 セイラが言う。


「分かっていなかった、で済む立場ではありませんわ」


「はい」


「また、はい」


 セイラの声に苛立ちが戻る。


「あなたは何でも受け止める。だから周囲はあなたを責めにくくなる。被害者も、支援者も、世間も。聖女様が反省しているのだから、もう責めるなと」


 アリサは反論しない。


 セイラは続ける。


「でも、あなたの反省で古町隼人は戻りませんわ」


「……はい」


「そして、私の疑いも晴れません」


 その一言で、場の空気が少し変わった。


 そうだ。


 王城アリサの言葉が古町に影響した可能性は高い。


 だが、それだけでセイラの疑いが晴れるわけではない。


 古町が進んだ理由は見え始めた。

 でも、退避用ワイヤーが動かなかった理由はまだ残っている。


 第三権限。

 権利の影。


 セイラが引き戻そうとしたのに届かなかった理由。


 そこを解かない限り、セイラはまだ疑われる。


 俺は退避用ワイヤーの再現装置を見た。


「もう一度、ワイヤーの検証をしていいですか」


 佐伯が頷く。


「何を確認しますか」


「王城さんの音声再生時刻と、第三権限の発生タイミングを重ねたいです」


 佐伯の目がわずかに細くなる。


「理由は?」


「古町さんが音声を再生したタイミングで、何かの権利が発生した可能性がある」


 セイラが眉を寄せる。


「音声で所有権が変わるとでも?」


「分かりません。でも、古町さんにとってアリサさんの言葉がお守りみたいなものだったなら、その音声を持っていた端末にも意味があったかもしれない」


「曖昧ですわね」


「自分でもそう思います」


 佐伯は検証責任者へ確認した。


 現場に再びワイヤー装置が設置される。

 同時に、古町の個人端末から復元された音声再生タイミングが投影される。


 一回目の再生。

 ワイヤーにはまだ異常なし。


 二回目の再生。

 古町が岩陰へ移動。


 三回目の再生。

 赤い危険地帯へ入る直前。


 その直後に、退避用ワイヤーのログに異常が出ていた。


 第三権限:不明。


 俺は投影ログを見た。


「三回目の直後ですね」


 佐伯が頷く。


「時間的には近い」


「王城さんの音声を再生したことで、第三権限が出た?」


 俺が言うと、アリサが不安そうに顔を上げた。


「私の声が、装備に干渉したということですか?」


「まだ分かりません」


 佐伯が答える。


「王城さんの《聖癒》に、装備干渉能力は確認されていません」


 セイラが腕を組む。


「では、音声そのものではなく、古町隼人の認識ですわね」


「認識?」


 俺が聞くと、セイラはワイヤー装置を睨んだ。


「《所有権》は、法的所有だけでなく、社会的認識にも多少左右されます。私の所有物であっても、使用者が極端に強く『これは自分のものだ』と認識している場合、操作が鈍ることがありますわ」


「そんなことあるんですか」


「弱い影響です。通常なら問題になりません」


 佐伯が補足する。


「高ランクの所有権系スキルでは、所有者、使用者、契約者、管理者などの認識が干渉する場合があります。九条さんの場合、法的所有権が強いため、通常は影響を受けにくい」


「でも、古町さんは普通の状態じゃなかった」


 俺は言った。


「王城さんの音声を聞いて、自分が後方の二人を守らなきゃいけないと思った。退避用ワイヤーも、自分が守るための道具だと強く認識した」


 セイラが続ける。


「そこに、第三者の権利が割り込んだ」


「第三者?」


 アリサが呟く。


 俺は考えた。


 第三権限。

 不明。

 権利の影。


 王城アリサ本人ではない。

 古町隼人本人でもない。

 九条セイラでもない。


 では何か。


 恩。


 アリサに救われた命。

 返さなければならないもの。

 誰かを守ることで返すべきもの。


 それは法的な権利ではない。


 でも、古町にとっては、契約より強かったかもしれない。


「恩って、権利になりますか」


 俺が言うと、全員がこちらを見た。


 セイラの表情が変わる。


「……馬鹿げていますわ」


「ですよね」


「ですが、完全には否定できませんわ」


「否定できないんですか」


「感情や社会的認識がスキルに影響することはあります。特に所有権系は、物に対する人間の認識を扱う力ですから」


 セイラは嫌そうに言った。


「恩を返すべき相手がいる。救われた命は、その相手の期待に応えるために使うべきだ。古町隼人がそう強く認識していたなら、彼の装備に『恩の権利』のようなものが影として残った可能性はあります」


 アリサの顔が青ざめる。


「私が、権利を持っていたということですか」


「法的には持っていませんわ」


 セイラは即答した。


「でも、古町隼人の中では、あなたに借りがあった。その借りが、私の所有権に影を落とした」


 アリサは言葉を失った。


 俺はワイヤー装置を鑑定した。


 対象:退避用ワイヤー再現装置

 所有者:九条セイラ

 使用者:管理局ダミー

 第三権限:仮想接続

 嘘:九条セイラの所有物

 備考:恩債による権利干渉を想定可能


「……出ました」


 佐伯がすぐに聞く。


「何と?」


「恩債による権利干渉を想定可能」


 セイラが舌打ちした。


「最悪ですわね」


 アリサは唇を震わせる。


「そんな……私は、そんなものを」


 俺は彼女を見た。


「王城さんが意図していたわけではないと思います」


 鑑定。


 嘘:なし


「でも、古町さんはあなたに恩を感じていた。その恩を返すために、自分の命や装備を使おうとした。結果として、九条さんの所有権が弱まった」


 アリサは目を伏せる。


「隼人さんは……私に返そうとしていた」


「たぶん」


「私は、返してほしかったわけじゃありません」


「それも本当だと思います」


 アリサの目に涙が浮かんだ。


「でも、受け取ってしまっていたのかもしれません」


 小さな声だった。


「感謝されることを。誰かが私の言葉で立ち上がることを。私に救われた命が、別の誰かを救うことを」


 彼女は顔を上げる。


「それを、嬉しいと思っていました」


 嘘:なし


 その言葉は重かった。


 悪意ではない。


 でも、無垢でもない。


 人を救った。

 感謝された。

 その人がまた誰かを救おうとした。


 それを嬉しいと思うことは、責められることなのか。


 分からない。


 でも、その嬉しさが誰かの背中に重く乗ることもある。


 佐伯が淡々とまとめる。


「仮説として、古町隼人さんは王城アリサさんへの恩を強く意識しており、その心理状態が所有権系スキルの干渉要因となった可能性があります」


 記録用ドローンが回っている。


「ただし、これだけでは九条さんの無罪を証明するには足りません。王城さんの法的責任を問うにも不十分です」


 セイラが冷たく笑う。


「でしょうね」


 アリサは何も言わない。


 佐伯は続ける。


「必要なのは、事件当時のワイヤーに第三者が意図的に干渉したかどうかです。恩債による自然干渉だけなのか、それを誰かが利用したのか」


「利用?」


 俺は聞き返した。


 佐伯はタブレットを操作し、事件ログを表示する。


「古町さんが音声を再生した直後、第三権限が発生しています。偶然かもしれません。しかし、もし誰かが古町さんの心理状態を利用し、装備権限に干渉する仕組みを作っていたなら、話は変わります」


 セイラの目が鋭くなる。


「古町隼人の恩を、誰かが鍵にした」


「可能性です」


「その誰かは?」


 佐伯は答えない。


 だが、俺の頭には一つの名前が浮かんだ。


 アルカディア・ゲート。


 新人育成。

 装備支援。

 契約。

 記憶や心理状態への干渉疑惑。


 まだ証拠はない。


 でも、嫌な形で線がつながりかけている。


 その時、検証責任者が声を上げた。


「第三権限ログに追加情報。権限発生時、装備システムが外部認証を参照しています」


 佐伯が即座に反応する。


「参照先は?」


「ブルーライン探索者協会の研修管理サーバー。そこからさらに外部委託先へ接続」


「委託先名」


 数秒の沈黙。


 管理局員が顔を上げた。


「アルカディア・ゲート関連会社です」


 空気が凍った。


 ついに、名前が出た。


 セイラが低く言う。


「やはり」


 佐伯の表情は変わらない。

 だが、目だけが鋭くなっている。


 アリサは状況を完全には理解していないようだったが、それでも何か重大な名前が出たことは分かったらしい。


「アルカディア……?」


 俺は拳を握った。


 澪の事故資料。

 匿名依頼。

 九条セイラの裁判。

 古町隼人の死。


 あちこちに出てくる名前。


 佐伯が言う。


「これで、現場検証の目的が増えました」


「増やさないでほしいんですけど」


 俺が言うと、佐伯は無視した。


「古町隼人さんの死亡は、単なる判断ミスでも、九条さんの見殺しでも、王城さんの善意だけでも説明できない可能性があります」


 セイラが言う。


「誰かが、彼の恩を利用した」


 アリサが小さく息を呑む。


 俺は青い移動ログを見る。


 古町隼人は、命令されたわけではない。

 自分の意思だけでもない。


 恩に引かれて進んだ。


 そして、その恩を、誰かが鎖に変えた。


 俺の視界に、古町の移動ログの鑑定表示が浮かぶ。


 嘘:自分の意思で進んだ

 備考:恩債干渉


 恩は鎖になる。


 そのことを、俺たちは今、現場で見せつけられていた。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


今回は、古町隼人の行動と、王城アリサへの恩がどう関わっていたのかを検証する回でした。


アリサは命令していません。

悪意もありません。

けれど、彼女に救われた古町は、その恩を返そうとして危険地帯へ進みました。


そして、その心理状態がセイラの《所有権》に干渉した可能性が出てきました。

契約や所有だけではなく、恩や感謝までもが人を縛る。

今回の事件の怖さは、そこにあります。


さらに、古町の装備ログから別のつながりも見え始めました。

次回は、セイラ自身がもう一段階変わらなければならない場面に入ります。


ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ