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世界の始め

 月明かりもない街中を歩いて帰る。気を張っていたからなのか、遥真と悠翔は全部終わった後倒れるようにして眠ってしまった。澪も寝るかと聞いたが、静かに首を振った。別に3人まとめて運べるけどね。そういうことで澪は遥真を、俺は悠翔を背負って歩いて帰っていた。足音だけが響く中、澪が口を開いた。


「ありがとう、朔さん」


「急にどうしたの?」


 いきなりの感謝の言葉に少し驚きつつ、澪を見る。そこには優しく笑う澪がいた。俺はその表情に心臓がざらつく感覚がした。だって、その表情は見たことがあるんだ。お前が、あの日に浮かべたのと同じ表情。立ち止まって嫌に鳴り響く心臓を押さえつける。澪は気付かないまま歩き続ける。


「俺さ、正直助けてもらえないって思ったんだ。喧嘩みたいなのをしたばっかりだったし。結局俺は誰かに守ってもらわないといけない存在なのかなって」


 違うって言いたい。それでもどうしてか言葉は出てこなくて、いつもみたいに笑うことすらできなくて、俺はその言葉を聞くことしかできなかった。


「でも違った。朔さんたちは助けてくれた。あの人達に本気で怒ってくれた。血に塗れることを厭わなかった」


 ぐるぐると嫌なものだけ思い出す。澪の言葉がどこか遠くに聞こえる。視界の端っこで大きな塊が落ちるのと共に、あの聞きたくもない鈍くて少し柔らかい音が聞こえた。それを見る覚悟は未だない。細い呼吸音が喉の奥で鳴る。あぁ、吐きそうだ。


「だからありがとう。……俺は朔さん達との過去を覚えていない。それでもきっと凄く愛してくれたんだよな」


 反射的に顔を上げる。澪はこちらを振り向いて笑っている。あの時と同じ表情で。さっきまでその表情に振り回されていたのに、今は安心すらも覚える。……澪はいつも知らないまま、俺たちを惹きつける。それで俺たちがまた狂っていく事も知らずに。チラリと横を見る。そこには何も落ちていなかった。俺達を蝕む幻覚にかすかに笑って俺はまた歩き出した。


「澪はやっぱり凄いやつだよ。いつまでも俺たちに愛されていてよ」


 狭い鳥籠の中で愛らしく鳴く小鳥。いつまでもその扉を開けてやれないのは誰のせいか。その羽がどうなっているのかも知らずに。


「朔さん、遥真達ここに寝かしていいの?」


 気が付いたらもう家の中だった。あれ?いつの間に。少し思考に耽りすぎたか。へらりと笑っていつもの定位置に2人を寝かした。俺たちもさっさと寝てしまおうか。布団に入って寝る準備を始めていれば、澪は遥真を転がして悠翔側へと押しやっていた。いつもは悠翔、澪、遥真、俺の並びで寝ているのだが、今日はいつもと違うみたいだ。何をしているんだろうと観察していれば、澪は俺の布団へと潜り込んできた。


「……狭くない?」


「これがいいの」


 4人の中で背が高い俺たちが1人用の布団に入っている。結果はもちろん狭い。それでも澪はなぜか嬉しそうに俺にくっつくもんだから俺も澪を抱きしめた。……俺の布団に入るなら、遥真をわざわざ押し退けた意味はあるのだろうか。まぁいいか。澪の暖かさに優しい睡魔がやってきた。それに抵抗しないまま俺はゆっくり目を閉じた。ふと導かれるように目を開けた。外を見ればまだ薄暗い。時計を見ても朝の5時を指していた。もう一回眠る気もなくなっちゃった。未だ腕の中にいる澪を撫でて、静かに布団の外へ出る。リビングまで歩き、ただなんとなく窓の近くの椅子に座る。ここは悠翔のお気に入りの場所だ。陽によく当たって、風も邪魔にならない程度に入ってくる。ここで悠翔と澪が昼寝をしているのを何回見かけたことか。口元を少し緩め、窓を開けて景色を見る。


「景色は変わらないんだね」


 静かに佇む建物達を見る。ほんの少しの明かりが建物の隙間から溢れている。どれだけ俺たちが変わっても、景色の美しさはいつも変わらなかった。ぼうっと外を見ていれば、誰かが降りてくる音がした。


「どうしたの?遥真」


 振り返らずにそう呟く。なんで分かるんだよっていうツッコミを貰った。一体何年一緒に過ごしてると思ってるの?クスクスと笑いつつ振り返ると、案の定呆れた表情をする遥真がそこにいた。


「……珍しいな、朔さんがこんな早くに起きるなんて」


「たまには俺だって早起きぐらいするよ」


 遥真も椅子に座って体を伸ばした。起きたらいつもと違う場所で寝ていて少し驚いたと話す彼に、澪の行動を思い出した。そういえば遥真、端っこに追いやられていたなぁ。逆にあんな雑に転がされて起きない遥真も遥真だけど。


「……あのさ。澪が連れ去られた時に、俺だけ何も知らないって知ったんだよ。澪のことも、朔さん達が俺に隠していたことも」


 澪が人体改造を受けていたこと、今の澪が半分機械であること。澪を見つけた時に知った情報は、遥真には伝えることをしなかった。混乱することも分かっていたし、なにより俺が伝えるのを怖がってしまったから。きっと遥真はそれを知れば職員を恨むだろう。殺した後も晴らせない恨みを抱えることになるだろう。彼は内に入れたものにはとても依存する性質だったから。なんとなく、恨みを持ったまま狂ってしまう彼を想像できてしまったのだ。


「朔さん、澪の事を教えてくれ。異管で何があったのか、今澪がどういう状態なのか」


 真っ直ぐに俺を貫く瞳に大きく息を吐く。やっぱり遥真には勝てないや。俺は今までの事を全て話した。異管で起きた事も、澪のことも全て。話を聞いている間、遥真は怒りを露わにしていたが、思ったよりも冷静に俺の話を聞いてくれた。話し終えた時、遥真の手は力を入れすぎて白くなっていた。大きなため息をついて机に寝そべる彼。


「どうして、俺に黙っていたんだ」


 顔を上げて俺を見るその瞳にはほんの少し俺に対する怒りが見えた。甘んじてそれを受け止めて、俺は笑った。窓からはほんの少し明かりが漏れる。


「怒ると、思ったからかな」


 本当のことは言えなかった。俺が臆病なばっかりに。あの頃に戻ってしまうのが怖かったから。ごめんね、遥真。窓に視線を向ける。カーテンは動かずに佇んでいた。


「まだ、朝日が昇るには早い時間だよ。もう一度眠ろう」


「……あぁ。俺は寝るよ。朔さんも寝ろよ」


 最後に母親のような言葉を言って遥真は二階へと上がっていった。俺はそれを見送り、また景色を見始める。しかし俺の目に映るのは、ずっと昔の景色だった。




 初めて顔を合わした時のことは鮮明に覚えている。初めて出逢う4人が集まった会議室に重苦しい空気がのしかかる。


「……まずは自己紹介しよっか。俺は神無月朔。バグとか見つけるの得意だよ」


 にこやかに自己紹介をすると、返事はものの見事にバラバラだった。元気な人、会釈だけする人、短く返事をする人。


「俺は逆瀬遥真。プログラミングが得意だ。よろしく」


 うーん、短い。それに彼の低い声で、1人縮こまってしまった。彼も怒ってはないとは思うよ……多分。そしてまだ自己紹介が終わっていない2人を見る。縮こまってしまった子はチラリともう1人の子を見て助けを呼んでいる。


「また俺が話すのぉ?……この人羽瀬悠翔って言うんだ。絵が得意。でも極度の人見知りで、初めて出逢う人とは会話しようとしねーの。3日ぐらいしたら慣れると思うから放ってていいよ」


 面倒という感情を隠しもせずもう1人の子が紹介をした。極度の人見知りって……よく面接受かったな。未だソワソワと所在なく縮こまる彼を横目に見つつ、最後の彼を視界に収める。するとニヤリと笑って話し始めた。


「俺は天城澪。ストーリー構成が得意だ。なんかいつもゆうさんとペアで扱われてる。よろしくな!」


 2人は揃って頭を下げた。それを笑顔で返しつつ俺は思った。……今回の仕事、難航するかも。完全に悠翔は遥真に萎縮してるし、遥真もやる気なさそうだし、澪は元気。年齢も性格も見事にバラバラ。こんな4人がゲームを作るらしい。その日は軽い自己紹介とほんの少し仕事の内容に触れるだけで終わった。そこから俺たちは動き始めた。それぞれ得意だって言っていたように、各々の才能が輝ける場所があった。その中で行き詰まり、しんっと嫌な静けさになった時があった。その時、彼が動いたのだ。


「澪くん。そこ違う。だから遥真もプログラミングがおかしかったんよ」


 初めて聞いた悠翔の声は想像より優しかった。彼特有の訛りもその時初めて知った。ちゃんと周りを見てる優しい子なんだね。また歯車は動き出す。初めは不安しかなかったが、俺たちはハマってしまえば相性が良かった。そうして初めての協力作業が終わった。終わった頃には皆んな草臥れて、机にだらしなく伏せていた。俺はデータを上司に送り、体を伸ばす。


「いや〜、お疲れ!大仕事だったねぇ〜」


「澪が鬼畜すぎんだよ。なんだよ、隠しコマンドで開く扉って……」


「遥真、途中から顔死んでたもんな」


「俺はこうした方が面白そうって言っただけでしょー!?」


 喧嘩をしつつもほんわかとした空気が流れる。悠翔が初めて喋ったぐらいから、皆んな人見知りも遠慮もなくなって話してくれるようになったのだ。今では軽く口喧嘩するほどには仲良くなっている。あの時はここまで仲良くなれるなんて思わなかったなぁ。にしても、案外相性良かったなと仕事風景を思い出す。澪の無茶ぶりに文句を言いつつも叶える遥真と悠翔。朔さんって笑って呼んでくれる、あの家族みたいな温かい空間が楽しかった。これで終わりかと考えると体が冷える感覚になる。


 「なーお疲れ様会でも開かん?」


 「あー、確かに。誰かの家に邪魔して馬鹿騒ぎしたいなぁ」


 「俺、朔さんの家行きたーい!」


 「え!?俺かよぉ……しゃーねーな!」


 みんなの言葉で簡単に寂しさが消えたのはなんとなく秘密にしておいた。澪がお酒に強すぎて水かと思った悠翔が飲んですぐに酔っ払ったり、酔った遥真がいきなりかくれんぼをしだしたり。酔っ払いが縦も横も関係なく雑魚寝したり。その後二日酔いで若干2名ほどダウンしたことを笑ってやった。そうして初めての共同作業を行った訳だが、俺たちの相性や作ったゲームのクオリティを見た上の人たちが一言。


 「君ら、一緒にいる方がよさそうだね」


 「……はい?」


 ――ここから俺たちは4人で仕事を受け持つようになった。一緒に仕事をする内にそれぞれの家にもお邪魔しては誰かのお腹を枕にして寝たこともある。そんなある日、また大きな仕事がやってきた。いつもは全てが自由で、澪によってゲームの内容が変わる。でも今回は内容が決められていて、それの深掘りとゲーム作成だった。だから澪は早々に仕事がなくなって居心地が悪そうにしていたんだ。


「て……手伝えることがあるならするよ?」


 そう言っては皆んなの後ろについて回っていた。何かに急かされるように仕事を探す澪に俺たち3人は違和感を持っていたんだ。いつもなら俺の仕事は終わったぜーとか言って俺たちを煽っているのに。後ろについて回っては一緒に遊んだり、俺たちの事を見ていたりしていたのに。これだけを見てると澪が仕事してないように感じるけど、別に困ったことなんてない。澪以上に面白くて惹きつけられるストーリーを作れる人間なんてここにはいないし、何やかんや後ろで見ていて俺たちが困った時は手助けしてくれていたのだ。それに何だかんだ4人の中で最年少の彼を甘やかしてしまうのは3人の中で共通だった。……だって後ろにピッタリとくっついて見てる姿とか弟みたいで可愛いんだもん。


「ゆうさん。手伝おうか?」


「あー、今回はちょっと澪くんには難しいな……」


「遥真、なんかすること……」


「お前プログラミング苦手だろ」


 こんな感じでやる事を探しては、断られ続けていた。なんか可哀想なほどに小さくなる澪に苦笑いを浮かべる。別に仕事を探さなくてもいいのに。いつもみたいに後ろで騒いでくれるだけで、どんよりとした空気が明るくなるのだから。


「澪、パソコン持ってこっちおいで」


 このままだと部屋の隅で小さくなる勢いで落ち込む澪に手を招く。するとやっと仕事が貰えると言っているかのように目を輝かせて、パソコンを持ってきた。


「じゃあ、俺と一緒にバグ探してくれる?」


「っ、いいの!?する!」


 そうして末っ子みたいにはしゃいでバグを探す澪。それを見ては癒されてまた仕事に向かう俺たち。やっぱり俺たちは澪に甘い。でもそれがちょうど良かった。その日を境に澪への違和感はますます強くなった。俺たちに怯えるようになったのだ。


「澪?大丈夫?」


「……っあ、ごめん。すぐ作るから……」


 口を開けば謝罪をする澪。誰も何も責めていないというのに。澪は良くも悪くも感受性が高く、典型的な感情型タイプなのだ。だから澪の仕事時間には幅がある。俺たちは全員それを理解してるし、ゆっくり考えてほしいと思う。


「澪?体調悪いならさっさと休んだ方が……」


「本当に大丈夫!大丈夫だから!」


 強く大丈夫と言っている澪の瞳は揺れていた。澪の異常は明らかだった。だから俺たちは澪から仕事を遠ざけた。


「ゆうさん、……一緒に絵考えようか?」


「大丈夫やで、澪くん」


「このバグ探し俺にも……」


「俺1人で大丈夫だよ。ありがとうね」


「……そっか」


 ほんの少しだけ濁った瞳はどこも映してはいなかった。忙しなく仕事が飛び交う。右から左、左から右へ全てが流れていく。時計の短い針は優に四回転を過ぎていた。そんなある時、ふと誰かが違和感を溢した。


「……澪、いなくないか」


 その言葉に空間は静まり返り、耳鳴りすらも聞こえてくる。この部屋にはいないと言葉もなく全員が察した。誰かの椅子が倒れた音がしたのを皮切りに全員が部屋の外へ出ていく。


「澪!どこにいるの!?」


「おい!澪!いるなら返事しろ!」


「澪くん……!」


 体調が悪くて帰っただけならいいのだ。ゆっくり休んでくれと思う。でもあいつは何も言わずに帰るような人間じゃない。一体どこに行ったのだ。会社内をくまなく探すがその後ろ姿は誰も見つけられない。部屋に入れ違いになったのかもと戻るが、形跡は全くない。


「なんで?澪くん、どこ行ったん!?」


「誰か最後に澪を見た人は?」


 嫌に静まる空気。心臓はさっきからずっと耳元で鳴ってるのかと言うぐらいうるさい。あの時の澪を思い出す。濁った瞳と俯いた姿。


「くそっ!澪がおかしいのは分かってただろ!なんで俺は見てないんだ!?」


 遥真は白くなるまで手を握りしめている。今はそんな事を責めている場合ではない。澪がどこにいるのかを探さなければ。


「澪……くそっ、れい……」


 ふらふらと体を揺らしながら遥真は何処かへと歩いていく。その瞳は記憶にある暗い澪と似ていて、後ろをついていくことしか出来なかった。ひたすらに階段を登って登って、辿り着いたのは屋上だった。迷いなく扉を開けた先には、手すりに体を預け星空を見ている澪がいた。そう言えば澪のやつ……。あいつは星が好きで暇さえあれば夜空を眺めていた。ふとそれを思い出した。


「澪……くん」


「……あぁ、朔さん達。やっと来た」


 彼はそう言ってゆっくりと笑った。その瞳はまだ濁ったまま。そして順番に俺たちを見る。未だに手摺りに体重をかけている現実に背中が冷たくなる感覚になる。手のひらに爪を立てて、ちゃんと澪を見る。


「ねぇ、澪。ここは寒いでしょ?部屋に戻ろう?」


「……朔さんはさ、いつも笑いかけてくれるよね。どれだけ忙しくてもありがとうは言うし、お疲れ様って頭を撫でてくれる」


「急にどうしたの?」


 俺の言葉を無視して澪は目を伏せながら何かに縋っていた。暗い世界で、澪の表情はよく見えない。


「遥真は言葉こそ厳しいけどさ、ジュースとかお菓子とか奢ってくれるし、どれだけ無茶振りしても叶えてくれる」


「ゆうさんは本当によく周りを見てる。自分の仕事をしつつ、俺の遊び相手してくれるよね。なんやかんや俺を一番甘やかしてくれてる」


 そこまで言って澪は止まった。そしてゆっくりと目を開けた。そこにはいつもと同じ笑い方をする澪がいた。暇だと言って俺たちの後ろを着いて回るあの澪の笑み。


「気持ち悪いとか思うかもしれないけど、俺はね、3人のこと大好きなんだ。皆んなが笑ってる空間も、一生懸命ゲームを作ってる時間も、酔っ払ってバカみたいな事する事も、全部大好き」


 指を折って澪は思い出を吐き出す。気持ち悪いなんて思わない。俺たちだって、澪のこと大好きだよ。もういい歳したお前をずっと甘やかしてしまうくらいなんだよ。しかし誰もその言葉を言えなかった。今澪の邪魔はしてはいけないと本能が告げている。


「だからさ、守りたいんだ。でも俺馬鹿で守り方が分かんなかった。だからこうするしかないんだ」


 愛おしく俺たちを見つめている澪はそのまま後ろに体重をかける。澪の足は浮き、手摺りになんとか座っている状態になった。


「――ここで死んだら、朔さん達は笑ってくれる?」


 ぐらりと澪の体は後ろへと倒れる。永遠とも感じられるような時間が流れる。澪、と名前を叫んだのは誰なのか、俺たちには分からない。ただ手を伸ばして走るが、遅くて掴めやしない。返事もろくに聞いていないのに、満足そうに笑う澪と目が合う。その瞳には慈愛とほんの少しの諦めが見えた。


「っ、澪!」


 そして澪は俺たちの視界から消えた。さぁっと血の気が引く音がする。会社内のざわめきや道路を走る車の音なんて聞こえない。それなのに。


 ――ぐしゃり


 鈍くて柔らかい音ははっきりと聞こえた。咄嗟にビルの下を見るが、薄暗いビルの隙間を月明かりは見せてくれない。それでも澪の落ちる音が頭の中で反芻する。……あぁ、気持ちが悪い。


「そ、ん……な、れ……い、くん?」


「おい……れい?へんじ……しろよ」


 信じられないかのように、澪が消えた先を見つめる2人。もちろん澪からの返事はない。へたりと床に座り込む。俺は口を抑えて何かが漏れ出そうなのを止める。汗が止まらない。心臓はこの街にすら聞こえそうなほど動いているのに、手は恐ろしく冷たい。視界がぼやける。何かが落ちては溜まり、また落ちる。


「澪!澪!なんで……なんでだよ!!くそっ!!澪!!」


「いやや!澪くんっ!!澪くん!」


 大粒の涙を流し、壊れたラジオのように澪の名前を繰り返す2人。その2人を横目に俺は強く目を瞑る。……澪、いるなら返事、してよ。ドッキリだって言って姿を見せてよ。そしたら怒るけど、その後良かったって笑うから。お前が好きなお菓子でも買って抱きしめてやるのに。なぁ、澪。……死なないでよぉ。


「澪……、ごめんなぁ。寂しかったの?苦しかったの?辛かったの?分かんなくてごめん、ごめんなぁ」


「いやや!置いていかんといて!!澪くん!!」


「なぁ……何が悪かった?なんでこんなことになったんだ?どこで間違えた?教えてくれよ……なんで澪が。くそっ……戻ってこいよ、澪。戻れよ、俺の悪いとこ全部なおすから、戻れよ。全部、全部!戻れよ!!」


 俺たちの悲鳴は新月の闇が吸い取る。どこかで時計の音が聞こえた気がした。あぁ、そうだ。今日は新月だ。澪が、新月は星が綺麗に見えるって言っていたなぁ。綺麗だ、こんなにも悲しいのに、澪が好きな星空は澪がいなくても綺麗に輝いていた。澪がはしゃぐからなんとなく好きだった新月は、澪のせいで大嫌いだ。恨みや悲しみ、何と言っていいのか分からない感情が俺を燻る。それでも俺のすることはなんとなく理解していた。あまりよく動かない体を無理やり動かして、泣き叫ぶ2人を強く抱きしめる。


「大丈夫、大丈夫。大丈夫だよ」


 何も意味のない言葉。それでも言わないと狂ってしまいそうだった。俺は今は見えない月を睨んで、2人の頭を撫でる。嫌いだ、大嫌いだ。こんなにも苦しめる新月が。いつまでも光り輝く星が。全てが大っ嫌いだ。

 ――そこから先のことは正直何も覚えてない。それでも俺たちの叫びを聞いた会社の人が通報や俺たちの保護をしてくれた。気が付けば時は流れて澪の葬式をして、改めて澪がいない事を自覚する。澪の葬式が終わった後、誰も示していないのに、俺たちは澪の家へと足が進んでいた。そこには澪の生きていた証拠があって、俺たちと遊んだ形跡もあった。


「あぁ……澪……澪」


 枯れたと思った涙はまた溢れる。そうして俺たちは澪の布団で小さくなって眠った。まるで澪に全身を包まれたいかのように小さくなって。小鳥の声が聞こえて意識が上がる。でも目覚めたくなくて浮き上がる意識に抵抗する。……澪がいなくても、朝は来る。澪がいない、朝が来る。事実を受け入れられない俺たちを見つめる朝が来る。


「朔さん」


 掠れた小さな声が俺の名前を呼ぶ。開けたくない目を開けて声の主に目線を向ける。酷くやつれた顔はきっと皆んな貼り付けているもの。ポツポツと話す彼の言葉に俺は乾いた笑いが出る。


「それがいいね」


 シワだらけの喪服のまま、焦点が合わない遥真を引っ張る。着いた先は澪が飛び降りたビルの上。風が吹いて、日がまだ射している。あれだけ見えなかった隙間は今日は綺麗に見える。ただなんとなくポケットに手を突っ込んだら、紙とペンがあって。最期に恨みでも吐いてやろうかとしてやめた。このくそったれな世界に、俺は小さな紙で宣戦布告をした。そして遥真と手を繋ぐ。反対側で悠翔も手を繋いだ。そして建物の縁に立つ。あぁ、やっとこれで俺たちは――。体の力を抜いて重力に従う。手は繋いだまま、地面が近付く。皆んな澪の好きな笑みを浮かべて落ちていく。


「――」


 この世界を恨んで、俺は紙に書いた言葉を最期に遺した。そこから俺たちは願いにより歪んだ輪廻転生を繰り返すことになった。




 目を開ければ少し明るくなった世界。風でカーテンはふわりふわりと揺れている。朔は静かに笑って手を伸ばし窓を閉めた。頬を撫でる感覚はなくなり、淡い光が部屋に差し込む。


「澪も遥真も可哀想だけど、俺はこのままで良いかな。だってそうすればまた、皆んなといられるでしょ?」


 ぽつりと彼は呟いた。それはあまりにも穏やかで、あまりにも歪であった。朔は立ち上がって大切な3人の元へ歩いていく。

 寝て、あの子達が俺を起こしたその後言うんだ。始まり(呪い)の言葉を。愛と言うには強く、執着と言うには重い言葉を。


ーーこれからも4人で一緒じゃないとね。

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