~決戦~ 六話
燃え上がり、崩れゆく一軒の木造の家屋。
そして真っ赤に染まる部屋に取り残された一組の夫婦――否、もう一人、宿ったばかりだが、女性のお腹の中に確かにもう一人。
青年と、翼の生えた女性と、二人の子。二人はお互いを抱き合って蹲る。
逃げ場はない。外には火を放った村人たちが、赤く燃え上がる我が家を囲んでいる。誰一人逃げ出さないように。
逃げ場はない。天空には魂の収集にやってきた天使たちが集まっている。誰一人逃げ出さないように。
二人は自分たちの選んだ道を最後まで後悔しなかった。ただ、宿った我が子を不憫に思う。
祈るべき神はもはや三人を裂く断罪者でしかなく、それ故二人はただひたすら願った。
――いつか、この子が救われますように――
夢、夢を見ていた。
懐かしいような、儚いような、泡沫の夢。
自分でも何故こんな夢を見たのかわからない。
しかし。
何かに突き動かされるかのように、彼は立ち上がった。
「――次? まだ終わっちゃいないぜ……」
驚愕、その一言に尽きる。
手応えはあった。それを裏付けるように和弥の腹部は真っ赤に染まっている。
しかし、その手に持った木刀を見て何が起きたのかを夜叉は正確に把握した。
切っ先のなくなった木刀。あれが和弥の傷を浅くしたのだろう。なんと幸運なことか。
立ち去ろうと、この空間を出ようとしたときに背後から上がった微かな声。その声を聞いた瞬間、背中は粟立ち、心胆は底冷えに冷えた。
「……化け物か――」
以前に彼を形容するのに使った言葉。まさかまた使うことになるとは思ってもみなかった。
眼光は鋭く、未だ闘争の炎は瞳に宿ったまま。しかし、その鬼気迫る気迫は先ほどの戦闘時を凌駕していた。まさに炎が燃え上がるような、立ち上るような裂帛の気迫。
「――いや……軍神と言うべきか」
陽炎のように揺らめく闘気と炎。その姿は化け物と形容するより『軍神』と言ったほうがしっくりくる。
立ち上がった和弥はゆっくりと切っ先の折れた木刀を構える。ぬるりとした感触に手を見ると、先ほど無意識に傷を押さえたのかべっとりと血に濡れていた。それを見て自分の傷の深さを実感する。
(これは……結構まずいんじゃないか?)
反射的に木刀で傷を浅くしたが、それでもなお多くの血が流れ出ている。今は戦闘中という一種の興奮状態である程度感覚が麻痺しているようだが、激しい痛みが身体を苛んでいた。
(命拾いはしたが、ギリギリってことか)
なるほど、と一人納得する。つまりは――次の一撃が最後の一撃になるかもしれないということだ。
(それなら――!)
それなら次の一撃は掛け値なし、最大、全力の一刀。出し惜しみする意味は何一つとしてない。
己の持つ力全てを燃やすかのように、力を練り上げる。練られた力は炎となり、和弥の周りを円状に取り巻いていく。さながら炎のフィールド。螺旋に立ち上る赤い炎は熱気を伴い、彼以外の全てに影響を与えていく。
「――さぁ、これで最後だ」
「――決着を、つけようか」
暴れるような炎を纏う和弥。そして対照的に波紋のない水面のように集中力を極限まで高める夜叉。
駆け出したのは同時だった。
斜め上から振り下ろす和弥、真横から薙ぐ夜叉。
互いにまともに刀が交差し、その衝撃で一瞬身体が膠着する。しかし距離を取って一息つくことはせず、今度は足を止めて力の限り斬り合う。
「――!」
「……!」
意地の張り合いのように腕を振るう二人。そして数十度目の激突でまたも衝撃で身体が膠着――いやその衝撃のままに一歩後ろへとよろめく。
吹き出る汗が周囲の炎によって蒸発していく中、彼は決して集中力を途絶えさせず目の前の敵を見据える。
先ほども覚悟したが、今度こそ最後の一撃を放とうと相棒たる木刀を握り締める。さっきの一合目は間違いなく全力の一撃だった。しかしそれをしても夜叉は倒れない。もしかしたら今回もダメかもしれない。だが、和弥にはそれしか残されていないのだ。
「これが……ラストだっ!」
「……来いっ!」
身体全体を振り絞って全ての力を木刀に伝わせる。大きく振りかぶった木刀は、猛々しい赤から全てを焼き尽くす青の炎に包まれ――
「ぐ……っ!」
「っ……!」
お互いに手応えの無いまま倒れこむ。夜叉の身体には左肩から右わき腹にかけて焼け焦げた痕、和弥には右の肩から背中にかけて斬り傷が確かに残されていた。そしてお互いに共通していることは、両方とも致命傷に至っていないことだった。
あの瞬間和弥は全力を傾けたが故に身体がついてこず、僅かに体勢を崩した。そのため夜叉の狙いからずれ、右肩を浅く斬りつけただけに留まった。そして和弥のほうもいつもよりもほんの少し短い木刀の間合いを見誤り、自分で思っていたよりも浅い斬撃になってしまったのだ。
「う……」
欠けた木刀を杖代わりにふらふらと立ち上がる。血を流しすぎたせいか眩暈が酷い。全身も強烈な倦怠感が染み渡っている。けれどここで倒れるわけにはいかないのだ――
眩暈も治まってきたのを感じ、夜叉のほうへ視線を送る。
「ぬぅ……」
夜叉もふらついてはいるが二本の足で確かに立っていた。焼け焦げた服と肉の臭いが鼻につく。
「まさか互いに決め手を欠くとはな……」
「……まったくだ」
返答し自嘲めいた笑みを浮かべる和弥。しかしこれで終わりではない。またこれから立ち上がって決着を。
そう考えていた二人だったが、通路のほうから誰かが近づいてくる気配に身を固くする。それがどちらの援軍であっても、二人とも拒否しようと思っていた。だが、そこから現れたのは――
「……桜? 楓!?」
「……夜叉……」
楓を背負った桜が覚束ない足取りで夜叉のいる場所までゆっくりと歩を進める。それを見た夜叉は、手に持っていた愛刀を棄て駆け寄る。
「――――」
「…………」
小声で話しているためか和弥にはその内容は聞こえない。ただ桜の背に担がれている楓がぐったりしているのがすぐに目に留まった。
そこでようやく理解する。桜は夜叉に助けを求めに来たのだと。
夜叉は和弥を気にする気配もなく、空手で背を向けている。しかし彼は奇襲を仕掛けようとは欠片も思わなかった。というより思いつきもしない。こんな形での決着を望むわけがなかった。
話は終わったのか、多少ふらつきながらだが真っ直ぐ歩いてくる夜叉。その瞳に宿る色を見て、和弥はこの戦闘の幕がここで閉ざされたことを理解した。
既に瞳の中に戦意はなく、身体全体から放たれていた闘気もない。やがて立ち止まると彼は言葉を紡いだ。その言葉は彼の予想を裏切らないものだった。
「……すまないが、ここまでだ」
「――ああ、わかった」
傷ついた彼女たちのため、夜叉は和弥との決着を諦めたのだ。瞬間的に現れた、無念、残念、心残り、後ろ髪引かれる心を断ち、彼は諦めた。
彼を非難するつもりはない。もし桜と楓ではなく綾華や良治、まどかが傷ついた状態で助けを求めてきたなら、迷わず手を差し伸べるだろう。
これが最後のチャンスかもしれないと、意気込んで来ただけにこの結果は残念だった。二人とも同じ感情を共有していただけに尚更のこと。
空間を渡って行くのだろう。夜叉は姉妹のいる場所まで行くと、和弥へと振り返った。寂しげな、少し気まずそうな表情。
「……さらばだ」
その言葉に彼はこう答えた。
「――ああ。いつか、また」
和弥の言葉に、夜叉にしては珍しい小さな微笑を浮かべ、そしてなんの気配も残さず、三人は消えた。
残ったのは和弥一人。勝者も敗者もなく、唯一人残された。
正直、もやもやしたものが心にわだかまっている。しかしこの結果は彼も納得したうえででたものだ。
一つ、大きな深呼吸をして気持ちを切り替える。
ここで夜叉と決着をつけられないことは、大勢に支障はない。これはあくまで和弥と夜叉の問題に過ぎない。今回羅堂さえ討ってしまえばなんら問題はないだろう。
それにここで躍起になって夜叉と戦い、その結果羅堂を討ち損ねたり、綾華や良治たちが危機に陥ってしまったりしていたら本末転倒だ。そう考えればこの結果は悪くはないのかもしれない。
「――よし、先へ進もう。……ってこの先色々と分かれ道があるみたいだけど大丈夫か……?」
消える前に道くらい教えておけば良かったと切実に思う。これで間に合わなかったら泣くに泣けない。
腹部の痛みに耐えつつ、彼は通路へと歩き出した――
「くく、なかなかやるなぁ!」
「ちっ!」
一際甲高い音を響かせ、羅堂との距離を取る隼人。
攻めてはいるが、隙を見出すことさえ出来ずにただ攻めさせられているという印象が強い。あれだけ大きな剣、隙などいくらでもありそうなのだが、攻撃後の戻りが異常な速さで戻ってくるため隙が出来ないのだ。
「ち……」
額から流れる一筋の汗。身体を焦りが支配していく。
そして隼人はある秘策の決行を決断する。これを外せば後はない。
「行くぞ、羅堂っ!!」
「玉砕覚悟の特攻か。ふん、やってみるがいい」
白虎を両手に持ち、風と一体化したかのような速度で肉薄する。
しかし狼狽える事なくジャストのタイミングで豪覇を振り下ろす羅堂。
寸前で速度を落とし、隼人は皮一枚ギリギリで一撃を避ける。
決死のタイミングの躱し方に羅堂は違和感を覚えるが、瞬時に返す刀で切りつける。先ほどまでならここで大きく間合いを取るか、白虎で防ぎながら後退するかのいずれかだ。
その斬撃を白虎で防ぐまでは同じ――ではなかった。防ぐのではなく受け流したのだ。それも右腕一本で。羅堂の斬撃は生半可なものではない。隼人の細腕では荷が重いのは明らかだ。しかし、だからこそ予想外だった。
かろうじて受け流すと同時に、空いた左手に現れたのは、一つの神器。
「――!」
ここで初めて羅堂の顔から余裕が消えた。
隼人の左手に握られている神器は、あの丹沢の鬼を復活させる鍵となったもの。――即ち、『信牙』。
信牙には前もって力を込めてある。それも隼人直々に。
「――――!!」
迷いなく左手を振るうと、凝縮された白光が至近距離の羅堂を包みこむ。白い光は空間全てに充満し、景色は白一色に塗り潰された。
全てを賭けた奇策。
トータルで劣っている状態なら一点突破に集中するしかない。それを可能にしたのは、奇しくも陰神側のシグマが信牙の力を照明したからに他ならなかった。
数日前、意識が途切れる寸前まで力を放出し、信牙に吸い込ませた。それは文字通り隼人の全力と言っていいだろう。そしてそれをブースターである信牙で解き放つ。おそらく本来の力の数倍の威力を発揮したその乾坤一擲の一撃は、防ぐ術などありはしなかっただろう。
「これで……終わった」
未だ納まらぬ光の中、瞳を閉じて亡き父を想う。
これで全てが終わった、と。
軋む身体を引きずり、光が消えるのを待つ。羅堂の遺体を確認するためだ。まさかとは思うが、念には念を入れる。
光が完全に消えた岩に囲まれた空間。そこに広がる光景に隼人はこれまでの人生で最大の戦慄を覚えた。
「……まさか、ここまでやるとは、な。なかなか愉しかった。だがしかし――もう終わりだ」
呆然とする彼に、羅堂は凶悪な微笑えみを浮かべた――




