~決戦~ 七話
白光の消えたあとに現れた姿、それは正しく『鬼』だった。
土気色に変色した体躯、額に生えた二本の短く太い角。一回りも二回りも大きくなったその身体からは禍々しく強烈な闘気、瘴気が放たれている。
――これこそが羅堂が《鬼人》と呼ばれたる由縁。
しかしそれだけではない。姿が恐ろしい鬼の姿になったことが脅威ではないのだ。確かに纏う『力』が強大になり、鋼の肉体を身に纏ってはいるが、真の脅威はそれでは決してない。
「なんだ、この姿に驚いたのか? ふん、まだまだガキだな」
この姿になっても理性を保っていることこそ、隼人を凍りつかせた脅威。
羅堂のあの姿は、間違いなく鬼が人間の体に憑依して顕現した姿。
それなのに羅堂は理性を欠片も失っているようには見えない。その口調は先程までの人間の姿のままだ。
元来鬼や魔族に憑依された人間は、元の人間の人格を消され、憑依した側の鬼や魔族の人格が外に出るもの。人格が消され、乗っ取られ、憑かれ別人になる。だからこそ『取り憑かれた』と表現される。特に『鬼』に憑依された場合、その凶暴な面が非常に強く出るため破壊願望のみが残った『狂戦士』となることがほとんどだ。
だが。しかし、しかし。
目の前に立つこの男の瞳には『狂気』の色など微塵も存在していなかった。
これこそ。この『鬼』をも捻じ伏せる絶大な精神力こそ羅堂最大の武器――
「取り憑かれてなお人格を保っているというのか……」
「ああ、それに驚いていたのか。『鬼』如きに奪われるほど俺の身体も精神も脆くはないといったところだ。――まぁ肉体の強化をしてくれたことに関しては感謝しているがな」
先程までと同じように、ふん、と鼻を鳴らす。変化したのは外面だけ。内面は全くといっていいほど変わっていない。
隼人は思う。羅堂は元から『鬼』だったのではないかと。そう思わせるほどの存在感、変化の無さ。
実際そうだったのかもしれない。羅堂が《鬼人》と呼ばれだしたのは、『鬼』に取り憑かれるよりも以前のことだった。そして彼は自身の二つ名の通りに、興味本位で『鬼』を呼び込んだ。
『鬼』になど負けるはずがない。その途方もない自信のままに。
結果は羅堂が予想した通りになった。『鬼』に取り憑かれているのに関わらず、『鬼』の人格に打ち勝ち、その力のみを吸収するのに成功したのだ。
それがどれだけ規格外の出来事なのかはこれまで殺した相手たちが知っている。
「――さぁ、第二ラウンドにして最終ラウンドの始まりだ――!」
何度、何十度打ち合っただろうか。
鈍い打撃音を響かせ、二つの影が止まることをせずいつまでも近づいては離れ、離れては近づく。
互いに致命傷だけを避けているため、決定打はまず出ない。
魁の使用する棒という武器は、非常に使い勝手がいい武器の一つだ。両方の先端を同じように使え、間合いも広い。突き、払い、振り下ろしとバリエーションも多い。そして何より相手の攻撃を防御しやすい。武芸の初心者にとってこれ以上なく頼りになるが、それを達人級の退魔士が使えばどうなるか。その答えがここにあった。
「そらそらそらぁっ!」
「――!」
瀑布のような突きの連打をかろうじて手に持つ村雨で凌ぐ。時折放たれる打ち払いにも注意しながらのその捌きは神技じみている。しかし。
「……!」
魁がさらに間合いを詰めてくる。本来の棒の間合いよりも深く踏み込んでくる。あと数歩で良治の間合いに入るというところまで、追い詰めるかのように歩を進める。
これで魁が隙を見せたりすれば、弾けるように、一気に間合いを詰め一撃で切り伏せることが出来るだろう。
――しかし、それはさらに勢いを増した閃光のような突きの嵐を打破できればの話だ。魁の放つその一打一打は、直撃すれば致命傷になりえるほどの、防御しなければならない一打。放たれた以上躱すか防ぐかしかない。
「……っ!?」
速度を増した閃光が良治の黒いシャツを掠めだす。
良治の決断は速かった。
このままでは押し切られると判断して、即座に離脱の機会を伺う。が、しかしあまりの突きのスピードにそのタイミングが掴めない。
「逃げられるかなっ!」
魁に逃がす気は更々ない。このままケリをつける気だ。
捌くので精一杯。打ち払って後方に跳びたいが、その溜めすら作れない。
「――はっ!」
「な……何だとっ!?」
しかしこの難しい状況下を気転で切り抜けることに成功する。間合いは十分。これでやっと一息つける。
魁は襲ってこない。今仕掛ければまだまだ優勢なのは理解しているが、そんなことより一瞬前に起こったことが信じられないでいるのだ。
「まさか、柄頭と鍔元で受け、その勢いで間合いを取るとはな……そんなの何処で覚えたんだ?」
「こんな大道芸、何処も教えてないだろうさ。ただの閃きだよ」
自分のやったことに苦笑する。こんな普段思いつかないようなことをしないと凌げなかったこの現状に。
そして静かに村雨を納めると、その次の瞬間に別の武器が手にあった。
「槍、だと?」
魁が訝しげに思うのも無理はない。これまで魁との戦闘では日本刀しか使用していない。そしてそれは日本刀こそ良治が最も使いやすいというのを示していた。
しかしこの場面で、槍。
なるほど、と一人魁は納得する。日本刀と棒の間合いの差を槍に持ち替えることで解消したのだと。
間合いこそ最も重要な要素。相手が届かず、自分が届く間合いで攻撃を繰り返せば負ける理由などありはしない。
だが間合いを解消するために武器の錬度を下げたのは正しいのか。間合いが同じなら錬度がものを言う。一朝一夕の槍術などに、生涯を捧げてきた自分の棒術が劣るわけはない――
それを証明するかのように、魁は一直線に駆け、右手を突き出す。
良治は何の飾り気もない無骨な槍を操りいなして対応する。
「ほう……なら!」
先ほどと同じ瀑布のような打撃。それを彼は巧みな槍捌きでその全てを打ち、払う。
「な――!」
魁は知らなかった。
彼が多くの武器を扱えることに。それもメインである日本刀とほとんど変わらぬレベルで使用できることに。それこそが弛まぬ努力だけで築いた彼の大きな武器――
魁の驚愕をチャンスと見て、さっきの御返しとばかりに攻めに転じる。じりじりと間合いを詰め、十分に近づいたと見るや一足飛びに懐に入る。そして全力で打ち払った。
「――ぐ……!」
良治の攻撃を読んでいたのか、致命傷を狙った一撃は魁の腹部には浅く赤い線が刻むに留まっていた。
だが読んでいたのではない。ただ純然たる殺気と経験から身体が勝手に後退したに過ぎない。攻撃を避け、腹に滲む血に気づいて脂汗が噴出す。
ここに至ってやっと気づく。ヤツは槍でも日本刀と遜色ない技量であることを。
僅かに緩んでいた闘気を限界まで引き締める。もはやどんな武器を使おうとも、どんな戦術を使おうとも動じない。ただ、この男を打ち倒すまでは。
「――――」
魁の構えを見て、良治は明鏡止水という言葉を思い出した。いや、正確に言うならその心構えを見て、だ。
――決着は近い。
この先気を抜いていい場面など刹那の半分もありはしない。そんなことをすれば訪れるのは死しかない。先の短いこの命だが、魁に譲れるほど安くはない。
腰を落とし、右手を引き、左手を前に構える。
良治の奥の手。一撃必殺のカウンターの構え。
「やっぱ、それで来るか」
初めての時は完璧に防いだ。二度目は相殺だった。それなら三度目の結果はどうなるのだろうか。
武器は日本刀から槍へ変化したが、こと突き技に関しては槍のほうが適正はある。速度はこれまで繰り出した中で最速を誇るだろう。
放たれれば防ぐことは至難を極めるだろう。そして打たせないことは簡単だった。先手を譲ればいいのだ。後の先を取る技である以上、先手を取らなければ発動しないのは明白。これ以上ない有効な戦術だ。しかし。
しかし、その全てを理解して魁は走り出した。
触れるもの全てを砕く一筋の閃光。
通常なら左手で受け流し、捌くのだが、魁のこの攻撃を左手一本で防ぐことなど出来るはずがない。防御不可の一撃を、良治は類稀な動体視力と経験を持って回避を試みる。
「――!」
左手の甲から肘まで表皮が裂かれる。皮一枚どころではなく、中の骨まで見えていた。
それでも予想よりいい結果だと判断する。元より左手は肩から先を犠牲にするつもりだった――
あとは右手の槍を魁の無防備な腹目掛けて突き出すだけ。何の感情もなく、ただ最速を求めてそれは放たれた。
刺さるはずだった。しかし槍は脇腹を掠めるに止まり、その先の虚空を突き刺していた。
明らかに人間の限界を超えた動き。退魔士としてもありえない動作だった。
しかし彼には聴こえた。避ける瞬間、多くの筋肉が断裂していく音が。
限界を超えるということは、身体の限界を超えるということ。それは勿論身体に返ってくる。そして限界を超えてなおまだ魁の身体は動き続ける。
お互いに突きを放った体勢から、いち早く硬直を抜け出したのは先手を打った魁。間近で硬直する良治目掛けて、渾身の力を込めて棒を薙いだ。これが最後のチャンスだと信じて。
一瞬遅れて硬直が解けた良治は、その一撃を右手に持った槍で防ぐ。
「ぐ……」
だが力が足りない。魁の一撃を真っ向から受けるには足りない。出来るのはそう、受け流すことくらい――否、受け流すだけで十分だった。
右手の槍で金棒を上に捌き、その反動のまま魁の懐に入る。そして、左手に現れた村雨を流れるように前へ差し出した。
「ご……がッ……」
鍔まで深く潜り込んだ村雨を引き抜くと、血振りをして納刀した。そして送り返すとともに半魔族化を解く。戦闘は、終わったのだ。
「左利き、か……。これまでは偽装していたというの、か」
「まさか。俺は右利きだ。――まぁ苦手なモノは克服しておくに限る、そんな理由だけで鍛錬をしておいただけだ。今では俺でもどっちが利き腕か忘れるくらいだけどな」
多くの武器を扱えるということは、それだけ多くの鍛錬、修練を積んだということだ。ならば――左腕を利き腕と同じくらいに使えるようになっているだろうことは簡単に想像がつく。そんなことに、今更ながら魁は気がついた。
「なる……ほどな……。それにしても最後の一撃、は素晴らしかったな……。刺し、穿ち、貫く……この技に、名はあるのか……」
「ないよ。思いつかなかったな、そんなこと」
「それなら、『刺穿貫』とでも、呼べ。……愛着が出る……だろう」
「さっきの台詞そのまんまだな」
「ああ、そう……だな」
流れ出る血は止まらず、死は避けようがない。それでもなお魁は笑い、良治は言葉を返す。
「……だが、悪くないな。『刺穿貫』、ああ、これはいい名を貰った。ありがたく頂戴しておこう」
「そ……うか。……ああ、なんだか……眠くなって、きたな」
「――そうか。それじゃあな」
「ああ……ちょっく、ら……寝ること、に……」
そして、それきり動くことも話すこともなくなった。立ったまま、笑ったまま、魁は動くことを止めた。
「――それじゃあな、魁。いつか地獄で会おう」




