~再戦~ 二話
「……おかしいですね」
時刻は午前二時を過ぎた頃。二人が今いる公園の茂みに潜んでからおよそ四時間が経っていた。
周囲に変化はない。聞こえてくるのは風による木々のざわめきと静かな虫の音だけだ。結界が張られている気配もない。
和弥も一層気を使って周囲を探るが何ら異変は感じられなかった。
ここまで何もないと別の疑念が生まれてくる。つまり待ち伏せの露見。
公園の下見の時点ではそれほど隠れてやっていなかったので、十分にその可能性はある。もしくは警察のほうから『白神会から退魔士が派遣される』という情報が漏れたかのどちらかだろう。
しかしどっちにしろ現時点で答えは出ないし、知ったところで対応は変わらないだろう。
「どうする?」
待ち伏せを止めて出るか、それともこのまま待つか。選択肢は二つ。
「そうですね……」
心情的には現状を打破、出て行くほうを選びたい。しかしそれを敵は待っているかもしれない。待つとしても既に四時間待っている。こっちの集中力もそろそろ限界が近いかもしれない。
――罠かもしれないが出るか。
「和弥はどうしたいですか?」
「打って出る」
綾華からの問いに即答する。
罠の可能性はあるが、このまま夜明けまで同じ場所で待機というのも辛い。それにずっと待っていても進展は望めそうにもないし、最悪練りに練った奇襲をされるかもしれないのだ。
こうなるとどちらにしても罠の可能性はあるわけで、それならまだ余裕のある現時点で打って出たほうがいい。
互いに目で合図すると、茂みの闇から浮き上がるようにアスファルトの広い道に出た。昼間高村警視と別れた十字路。見晴らしがいいという理由で選んだ場所だ。
不意に一滴、水滴が落ちてきた。どうやら天気予報が当たったらしい。
水滴の一つ一つは小さく、それほど量もない。霧雨と言う表現がしっくりとくる。この程度なら何の障害にもならなさそうだ。
「――ようやく出てきたか。待ち侘びたぞ」
振り向かなければ殺されるかと思わせるほどの速度で、声の発せられたほうへ振り向く。
気配はない。声をかけた以上隠れる意図はないはずなのだが、全くもってそこに人がいる気配はない。
しかし全てを覆してその男は悠然と二人の視線の先から現れた。それと同時に結界が張られる気配がする。
黒いコート、黒い鞘の刀。そして鷹のような鋭い瞳。
見覚えのある顔に、背筋にゾクリと冷たいものが走った。
――夜叉はその様子を無表情で瞳に映していた。
予想はしていた。白神会の一人として戦い続ける限り、また出会うだろうことを。しかしこんなにも早く再戦の機会が訪れようとは全く思ってもみなかった。
早すぎる。まだ挫けた心は立ち上がってはいない。力もまだ追いついてはいないのだ。そんな、こんなに早く――
「……和弥」
微かに震えた声。震えてはいるがその中に一本の芯を感じさせる声。
それが怯えに沈みかけた彼の心を救い上げた。
綾華はこの状況を正確に把握し、絶望的な現状全てを飲み込み立ち向かおうとしているのだ。
相対する敵は陰神の幹部の一人、夜叉。その実力はおよそ一ヶ月前の長野支部で和弥を圧倒するほど。それでもまだ力の全てを出していたわけではないだろう。二人がかりとはいえ倒すのは非常に難しいと言わざるを得ない。
しかし、それでも。それでも立ち向かわないとならない場面がある。
たとえばそれは、大切なひとを守りたいと思ったとき。
「行こう。俺が血路を開く」
心を水面のように落ち着かせ、黒い鬼へ真っ直ぐ眼を向けた。
「……まだ折れたままかと思っていたが、まさか相対することで立ち直るとはな。必要だったのは時間ではなく場面だったようだな」
眉一つ動かさず、無表情のまま独り言のように呟く。
そうかもしれない。ただ怠惰に流れる時間よりも、己の信念、願いを今一度心に灯すには失ったときと同じ『場面』が必要だったのかもしれない。
「すぐに相手をしたいところだが、まずはこれを倒してからだ」
右手を挙げると、脇の茂みからガサガサと音をさせながら湧き出るように出てくる黒い獣。その数、六。
黒い虎たちは和弥たちと夜叉を遮るように二人を囲み、すぐにでも襲い掛かるような雰囲気だ。
「走るぞ」
彼女の返事も待たず身を翻して夜叉とは逆方面に走り出した。邪魔をする一匹を適当にあしらい、綾華も走り出したのを確認して一緒に駆け出した。
昼間に高村警視と歩いた並木道を逆に行く。隣では走りながら度々術を放つ綾華。数本の水の矢が『虎』目掛けて突き刺さるが、さほどダメージを受けている印象は感じない。それでも繰り返し放っている間にじわりじわりと効いてきたのか、段々と追いかけてくるスピードが落ち、動きにも鋭さが欠けてきたようだ。
公園内を適当に走っていると左手に階段が見えた。それを勢いよく駆け上がり辺りを見回すと、適度に開けた場所だった。十分に夜叉から引き離し、『虎』たちにも精彩がなくなってきたのを確認すると、一気に速度を上げ間合いを取って振り返った。
「はぁぁぁっ!」
鈍い音を響かせ、突進してきた『虎』を転魔石で呼んであった木刀で力任せに薙ぎ払う。吹き飛ばされた『虎』は何か三mほどの小さな塔のようなものにぶつかってすぅっと消えた。
「まだ来ますよっ!」
一匹目を仕留めたのを確認して続く『虎』へと向かう。動きは機敏というには程遠く、一撃で蹴散らす。
さらにもう一匹が襲い掛かってきたところである試みをすることにした。今まで実戦では使ったことはないが、ちょうどいい機会と判断。このあとに控える夜叉との戦いを考えてのことだ。力を温存するより鍛錬の成果が実を結ぶかどうかを確かめるほうが重要――
バックステップで距離をとって、意識を集中させる。それはもちろん術を使うためだ。
無数の白き羽が舞い散るイメージ。幾度となく練習したイメージ。
このイメージを鍵にして鮮やかな赤き炎が具現化する。赤く紅い炎。
そして現れた炎は和弥の指示に従い、手に持つ木刀を包み込んでゆく。
「――――っ!!」
炎を纏った剣は上段から振り下ろされ、『虎』の巨体を真っ二つに切り裂く。そして分かたれた身体は炎に焼かれ間もなく消し炭と化した。
自分が思っていたよりも大きな威力に驚きながらも、これまでの鍛錬の成果、そしてこれなら『必殺技』になりえる攻撃力に打ち震えた。自分はもっと強くなれる。
残りの『虎』を倒そうと振り返ると、距離をとりながら術でダメージを与え続ける綾華。ここまで走ってきたのと術の連発で体力を奪われ、肩で息をしはじめている。
疲れは一瞬の気の緩みを生み出す。和弥は庇うように彼女の前に立ち、再び炎を纏った木刀を『虎』の身体に叩き込んだ。一匹目を屠り、間を置かずすぐ後に襲い掛かってきたもう一匹にもまた振り下ろそうとするが、僅かに間に合わず左肩に傷を負う。
「ぐっ!」
一撃を食らわせ、間合いを取ろうとする『虎』に今度は綾華が水の槍を放ち、最初の『虎』がぶつかった小さな塔らしきものにまたも激突した。その衝撃で倒れた『虎』の上に崩れた石のようなものが落ちてゆく。
「大丈夫ですかっ!?」
「……ん、なんとかな」
気丈に答えるが、左肩は完全に多量の血で濡れている。傷自体はさほど深くはないようだが、この出血量だととても放っておくわけにはいかない。早急な処置が必要なのは明白だった。
そこに。
「傷を負ったか」
暗闇から再度現れる夜叉。片膝をつく和弥を一瞥すると、詰まらなさそうに言った。
「この場は退こう。傷を負った状態でやっても結果は見えている」
現れたときと同じように今度は闇に消えていく。そこにはなんの未練もない。
「次に会うときは万全の状態で来い。でなければ戦う価値もない」
そう言い残すと、冬の暗闇に完全に消えていった。
夜叉が立ち去った後も二人は消えた場所を見つめ続けていた。この窮地を本当に脱したのか。夜叉は本当に見逃したのか。
三十分近くそのままの体勢でいて、ようやく自分たちが生き残ったことを実感し始めた。それほどまでにあのまま戦っていたら必ず負けると思っていたのだ。
「……なんとか生きてますね」
「……ああ、なんとかな」
とりあえず仕事は完遂したのだろう。あの『虎』たちは全て倒した。夜叉も手を引いたとなれば、少なくともこの上野公園では何も起こらないだろう。
「ですが目的はわからないままでしたね。残念ながら」
「そうだな」
こんな状況になってしまった以上仕方ない。それをわかったうえでの発言なので相槌を打つくらいしか出来ない。
左肩の傷口を持っていたハンカチで縛る。綾華が電話で連絡を入れている間に、少し動かして具合を探っていると視界に白い粒。――雪だ。
「ホワイトクリスマスですね」
「そうか。今日はクリスマスか」
日を跨いで今日は二十五日。つい数時間前まではクリスマスイブだったことに今更気がついた。
電話を終えた綾華と二人でなんとなくゆっくり歩く。それはとても貴重な時間のような気がした。
「和弥」
「ん?」
震えた声に一瞬上ずった声で反応してしまう。高鳴る鼓動を抑えて綾華の視線の先を見ると――首が落ちていた。
「……」
「……」
まさか。恐る恐る近づいてみると、首は首でも銅像か何かの首だった。束の間ほっとするが、嫌な予感が頭を掠めた。
小さな塔くらいの大きさの建造物に、そういえば二回くらい『虎』がぶつかった気がする。流れる冷や汗を感じながらその塔を確認すると。
案の定、建っていたのは首を失った西郷隆盛の銅像だった。
「……マジか」
「後が怖いですね……」
きっと高村警視あたりがどうにかしてくれるだろう。二人はそう思い込むことにしてダッシュで公園を去った。肩の痛みなんか忘れるほどの切羽詰った心理状態だったのは言うまでもない。




