EPISODE 35.2
桜の咲き始めの大安の日、社長と専務と工場長は、地縄立ち合いと地鎮祭のため現地に直行していた。オオミヤの社長や役員、物流センター長なども参加して喜び合った。
儀式は午前のうちに終わり、午後に竹山工場長の退任の挨拶が行われた。派手な勇退式も部外者の参列も本人が拒んだので、まるで朝礼のようなささやかなスピーチだった。白い作業服のままで帽子を取った工場長が頭を下げた。
「創業したばかりの当社に誘われて入社したところ、20歳の素人の私がいきなり工場長に任命されました。工場には私以外に職人さんがふたりいました。社長と長男が営業に走りまわり奥さんが帳簿を付けていました。今は便利な機械もあって仲間も多くいます。私にできたことが他のものにできないとは思いません。後のことは心配していません」
工場長が工場部の面々を見る。できないとは言わせない。
「ただ心残りはあります。ここはひとつ宿題を残そうと思いました。私たちは自分たちの力だけで ISO 9001 の認証を取得しました。かかった時間は1年と7ヶ月。工場の移転により業務手順も大きく変わりますので、維持するのも同じくらい大変であろうと思います。だがここでもうひとつの目標を掲げて欲しい。新工場では ISO 14001 の認証も目指してほしい。無茶な話と思いますか」
ISO 14001 がどんなものかわからないので無茶かどうかわからない。ただ専務のあの笑みを見るところ、それは会社にとって良いことなのだろう。
「ISO 9001 と14001は統合的な運用ができるように設計されています。みなさんが考えるほど高いハードルではないと私は考えています。もちろんすぐに達成できるとは思っていません。これを新たな目標として掲げ、全員で前を向くことには大きな価値があります。私はここで去りますが、みなさんの明るい未来を願ってやみません。今までありがとう」
ぺこりと頭を下げて工場長が下がった。社長が続けてスピーチすることもなく解散が告げられた。さびしい。
工場長は午後の工場の仕事を黙って監督していた。
計画に従って動かす生産ラインは午前と午後に1ロットずつが基本。
経営管理部がFileMakerに入力した売上予測は、その日の売り上げが確定すると、予測誤差、予測誤差の標準偏差、安全係数とリードタイムを掛け合わせた安全在庫までが自動で計算される。これを生産計画に落とすのは人間の仕事。今川くんと鈴木くんが議論しながらExcelで計画書を作る。わからないことがあれば山代さんや裕太さんを呼んで問い正すこともある。そのとき通訳に入るのは松本くんや英美里さんだ。
日に数回、受注管理画面で出荷予定を調べて、納品書や送り状を印刷するのは松本くんが行なっている。実際の出荷作業は林さんが担当で英美里さんがサポートに着く。機械を動かしたり休んだりしていて、これらの仕事ができないときは役割を入れ替えてできる人がする。社長の言うところの野球チームのようにだ。
夕方、工場長はVS26Dの壁紙の猫の写真を見ていた。
「工場長すみません、端末を使います」
今川くんが FileMaker Pro の生産データ入力画面を開いて午後の仕事を記録する。隣の Mate NX MA23D/C では鈴木くんが日報を入力していた。
この日、工場長はいつものように最後の帰宅をした。猫の壁紙はそのままにされた。




