EPISODE 20.1
出社すると営業のハイゼットカーゴの隣にねずみ色のヴィッツが停められていた。入口の横の応接スペースにはデザイナー風の太いメガネのなで肩の人物。やっぱり井出さんだ。
「おはようございます。制作部と打ち合わせですか」
「おはよう。近くで仕事があるから智子さんを送ってきたんです」
私用で来たのに会社のお茶を飲んでいたのか。私がいぶかしむと井出さんは弁解した。
「お茶は比野が出してくれたんだよ」
「あいかわらず忙しいのか暇なのかわからない人ですよね」
「まったくだ。社長なのに親会社の使いっ走りみたいなことばかりしてるよ」
彼はまわりに誰もいないことを確認すると、きわどい話題を出してきた。
「美智子さん、品川の家はどうなるんだろう」
私と姉が育った家は今は誰も住んでいない。姉は泉岳寺の井出さんのマンションに住むようになったから。
「お姉さんが管理者なので私にはよくわからないです」
「固定資産税が重荷みたいなこと言ってたからさ、じゃあ手放せばって軽く言ったらすごい目でにらまれた」
「お姉さんが売りたくないなら、そのままにしておくのがいいと思います」
姉は家と姓にこだわりがある。親族のいない姉妹だけの私たちが家も姓も失ったら斉藤の家は思い出にしか残らない。とっくに改姓してしまった私がお姉さんに意見することなんてできないのだ。井出さんのほうも姓を変えることは父親が許さない。それが事実婚の理由だ。
「あの、井出さんってパソコンにくわしいですよね。真子ちゃんにもアドバイスしてたでしょう。実は奥多摩のダンジョンにインターネットが来るみたいで、うちでもノートパソコンを買おうって話になってるんです」
「坂上さんにはもうすぐ出る iMac G3 Flower Power を自宅用にお勧めしたよ。それにしてもダンジョンか、あんなところでパソコンを使うの。うーん、安くて頑丈そうなのだと iBook G3、CASIOPEA FIVA、IBM ThinkPad R31 なんかどう」
iBookってMacじゃない。この人に聞いたのは間違いだったかも知れない。
「価格は置いといて壊れにくいのがいいです。いざというとき使えないと困るでしょう」
「だったらTOUGHBOOKの一択。本当に高くてもいいなら」
「聞いたことあります。ナショナルでしたね」
井出さんは、ナショナルのパナソニックのタフブックとメモした紙を渡してくれた。あとで調べてみよう。
「それにしてもダンジョンにインターネットとは。安全対策のひとつとしたら会長さんの答弁にも一理あったわけだ」
「会長さんですか」
「冒険社の会長だよ。国会で追及されてるじゃない」
それはまあ確かに。なんとなく胡散臭いと感じたので真面目にニュースを見ていなかった。




