約束のポッキー
ひとしきり泣いた後、拓人はスッキリした表情で立ち上がり周囲に告げた。
「俺の負けだ、みんな……すまん」
自身が振るった嵐のような攻撃の余波で、髪は乱れ服もボロボロになっている。
ブーツに至ってはどこかへ吹き飛び、裸足のままでその場に立っていた。
それに対し、アキラは汗ひとつかかず、衣服も整ったまま。
唯一、胸に残った涙の跡だけが戦いの証しだろう。
その姿を見れば、誰の目にも勝敗は明らか。
例えそうでなくとも、あの抱擁の時点で勝負の意味なんてなくなっていた。
ロッドのメンバーたちは、拓人の言葉を聞いて呆然と立ち尽くす。
先ほどまでの災害のような攻防から一転、無敵のリーダーが泣き崩れ、敗北を宣言した。
まるで夢でも見ているような、全てが現実感のない状況に動くことすらできない。
「約束だ、言うことを聞こう……」
拓人は、赤く目を腫らしながら真剣な顔をした。
その言葉は、彼にとって二度目の“いい子”だった。
一度目のように、いい子になって希望を叶えるための代償ではない。
すべての望みを叶えてもらった、その対価を払うつもりだった。
それは感謝という、清らかで不器用な決意。
ただ、アキラのために俺が出来ることは思いつかない。
人より力はあるつもりだが、アキラの方がはるかに強いので役に立つとは思えなかった。
それでも出来ることがあるなら、全力で叶えるつもりだった。
たとえ命を投げ出せという命令だとしてもだ。
すべてを捧げる覚悟は出来ている。
拓人の心には、聞かせてくれた音と言葉が今も確かに残っていた。
「美藤くんはいま何歳?」
アキラは、やわらかい声で聞いてきた。
「た、拓人でいい……俺はたぶん十六、七だと思う、正確な歳はわからないんだ……」
拓人は、気恥ずかしさと少し緊張を伴いながら、自身が知っているだけの答えを素直に告げる。
昔、研究施設の美藤所長から養子になっているとは聞いた。
だが、施設を脱走した結果、自分にまともな戸籍があるのかすらも定かではない。
「そっか、なら十分大人だよね」
「お、おう……」
アキラに大人扱いされて思わず頭を掻いた。
だが、次の言葉でその手が止まる。
「それじゃあ、僕の娘と結婚して、子供を作ってもらいたいんだ」
「……………………おう?」
理解不能な願い。
その言葉は耳に入っても、頭にはうまく入ってこなかった。
「そ、それは……どういう意味だ?」
からかっているわけではないだろう。
そんな人間でないことはもうわかっている。
だが、あまりに現実離れした提案に、どう答えたらいいかわからなかった。
「そのままだよ、僕には何人か娘がいるから、お見合いをして気に入った子と結婚して欲しいんだ」
アキラの瞳には嘘や誤魔化しの色は見えない。
ただ深く透明な世界だけがあった。
『自分の娘と結婚して子供を作れ』
それがアキラの望み。
突拍子も無い提案だったが、何でも聞くと決めたのだから全て吞み込もう。
それでも、一つだけ引っ掛かったことがある。
「俺で……いいのか?」
自分のような化物が結婚など、ましてや子供などつくっていいのだろうか。
娘というのは比喩なのかもしれない。
だがアキラにとって、大切な女性であることには変わらないだろう。
そんな女性と、両親にすら恨まれ捨てられた自分が、到底釣り合うとは思えない。
「うん、君がいいんだ」
目の前にある微笑みは、太陽のようだった。
そのあたたかさを受け取った瞬間、心の奥底でなにかが灯った。
彼が自分を認め、必要としてくれる。
それだけで生きていてもいいような気がした。
視界が揺れる。
歯を喰いしばりながら、言葉を振り絞った。
「……よろしくお願いします」
そして拓人は、人生で初めて丁寧に頭を下げた。
その拓人の姿に、場の空気が一変する。
周囲からまばらに拍手が起きはじめたのだ。
その音は徐々に広がり、気付けば倉庫にいる全員が手を叩き、祝福の言葉を投げかけ始めた。
「拓人ー!オメデトー!」
彼らは、立て続けに起きた超常現象を目の当たりにして、もはや何に反応していいのかわからなくなっていた。
「おめでとうございます!美藤さん!」
そこへ、崇拝する拓人の結婚が決まるというわかりやすいイベントが起き、反射的に声を上げていた。
「すごいっすねー!男っすねー!」
メンバーが次々と囃し立てる。
「結婚式は派手にやりやしょう!」
止まらない祝福に、拓人が再び頭を掻く。
「……ああ、みんな……ありがとう」
すでに覚悟は決まった、どんなに困難だろうともやり遂げる。
前を向く力強いまなざしは、今までの彼にはなかった生きる意志を映していた。
そんな拓人にビナが疑問を投げかける。
「それでー、今後はアキラがリーダーってことでいいのかなー?」
「……そうだな、アキラがそれを望むならやって貰いたい……もともと俺には向いてなかったしな」
自嘲気味に笑う拓人へ、アキラは最初に言った条件を告げる。
「家の近くにきてくれるならいいよ」
「……わかった、そちらに拠点を移すことにする」
拓人の即答を受け、メンバーはそれぞれ意見を言い始めた。
「大田区ってここから微妙に遠いよな」
「チーム名はどうなるんだ?」
「あの辺のシマにオレらの傘下いたっけか?」
倉庫内が騒がしくなる中、アキラがふと声を上げた。
「そうだ、拓人とビナは、どこの骨を折るのかな?」
その言葉で、一瞬にして場が凍りつく。
「確か、逃げないで負けたら選べるんだよね?」
アキラの微笑みは決して残虐性を含まない。
それでいて、決して妥協を許しそうにない雰囲気があった。
告げられた言葉の意味がわかり、拓人とビナは顔を見合わせ同時に顔を青くする。
「「ちょっと待って!」」
余りの急激な展開に、思わず声を揃え叫んでいた。
確かにそれはロッドのルール。
『敵との喧嘩で逃げたり負けたら骨を折る』
しかも、それを最初に提案したのはビナで、認めたのはリーダーの拓人だった。
アキラがニコニコしながら執行するのを待っている。
ビナはさっき『指を折るなんてつまんない』と言った自分の言葉を、死ぬほど後悔していた。
メンバーの手前、ここで日和るわけにはいかないからだ。
戦いの中で折られるなら一向に構わない。
実際、そんなことは今までいくらでもあった。
だが、この和やかな空気の中でいきなり覚悟を決めるのは、いかにビナでも難しかった。
それでも引きつった顔で、利き手の右腕を差し出す。
ここで左腕をだすのはダサい。
それは、彼なりの矜持だった。
アキラは優しく頷き、手刀を上腕へと振り下ろす。
ポキンッ!と軽快な音が倉庫内に響き、それに遅れてビナが小さく呻く。
だが、腕を抑えもせず、気丈に笑顔を見せて強がった。
「ま、まぁ……ルールはルールだしー、別に対して痛くもないしー……」
みるみる腫れ上がっていく右腕を見ないようにし、額に脂汗を流しながら、頬を引きつらせて必死に虚勢を張る。
そんなビナを見つめるアキラの視線は、あたたかい。
「拓人はどこがいいかな?一番太いのは大腿骨だけど」
拓人は、腕を差し出したビナを、先ほどから鬼の形相で睨みつけていた。
その目は、彼が余計な意地を見せたことを責めていた。
元ヘッドとして、ナンバー2よりも“漢”を見せなければならない。
それがアウトローの掟だからだ。
「じゃあ……足で……」
みんなが固唾を飲みながら見守る中、右足を一歩前に出す。
これから来る痛みへの恐怖と後悔で、自然と力が入ってしまう。
まさか、こんな形で“罰”を受けるなんて思っていなかった。
骨を折られるのが嫌すぎて、気付けば勝手に体の渦が増えていく。
その数、三十六。
先ほどの戦闘すら上回る闘気が、拓人の身体からあふれ出し、空気を歪ませる。
メンバーたちは思わず身をすくめ、皆が心の中で呟いていた。
((これ、折るの不可能じゃネ?))
拓人から放たれる先ほどを超える異質な力に、再び非現実の気配が迫る。
「いくよ」
ポキンッ!という先ほどと同じ軽快な音。
アキラの柔らかな手刀が、拓人の強化された頑強さを物ともせず、大腿骨を正確に折った。
瞬間、拓人の視界が真っ白になる。
呼吸が止まり、震えるほどの痛みが走って膝が崩れそうになる。
なにせ、まともに痛みを受ける事自体が数年ぶりだ。
施設にいた頃の思い出が、走馬灯のように駆け巡る。
のたうち回って叫びたいほどの痛み。
それでも、アキラの前で無様な姿を晒すわけにはいかなかった。
ほんの少し前までなら、こんな意地に意味など感じなかっただろう。
だけど今は違う。
自分を認めてくれた男の前では、胸を張っていたかった。
だから拓人は、仁王立ちのまま、脂汗を流しながら必死で動揺を隠した。
アキラはその姿を見て満足そうに頷くと、髪を後ろにかき上げて、この騒動の終わりを告げる。
「じゃ、帰るね」
その声を合図に、その場にいたメンバー全員が、直立不動から腰を九十度へ曲げその声に答えた。
「「「お疲れ様でした!!」」」
美藤拓人の人生は大きく変わる。
これまでは、自分が何のために生まれてきたのかもわからないまま呼吸をしていた。
けれど今は違う。
アキラの役に立つ、それを想うだけで大きく息が吸える。
これから拓人は、新たな出会いを重ねながら世界の美しさを知っていく。
その度に、生まれた意味を知っていくだろう。
胸に灯った小さな明かりを、ゆっくりと成長させながら。




