福音
拓人は、刑務所のように厳重な施設の外壁を素手で突き破り、当てもなく彷徨った。
施設の特性によりかなりの郊外に作られており、町と言える場所まで辿り着くのに苦労した。
しかし、外を自由に歩くという生まれて初めての体験は、拓人にとって新鮮な感動をもたらした。
映像でしか見た事が無いあれやこれやを眺め、触り、嗅ぎ、時には口にしてみた。
食べ物で腹を壊すという経験すら、彼にとっては刺激的だった。
舗装された道路に沿って歩き町に入った途端、今度は人の目が気になった。
痩せ細った身体に、病気のような顔色。
白で統一されたパジャマのような施設着は、田舎町の風景の中であまりにも異質だった。
しかし、知識はあったが今までお金を触った事もなかった拓人は、買い物すらまともに出来ない。
なにより、着の身着のままで出てきたので、先立つものは何もなかった。
仕方が無いので、とりあえず服屋の店先に並べられていたシャツを盗む事にした。
拓人が素早く動けば、常人の目ではそれを捉える事はできない。
例え警察が捕まえに来たところで、どうにか出来る訳でもなかった。
植え付けられていた道徳観はすでに破綻しており、何も失うものがなくなった拓人は、その後も無軌道な生活を送った。
単純に利便性を求めて、生活は繁華街へ移っていた。
人を避け薄暗い場所で過ごし、目立たぬように昼間はなるべく出歩かない。
そんな生活を送っていれば、同じような人種とかち合う事になる。
縄張りだなんだと排除しようとするヤツラを、拓人は一蹴した。
誰が来ようが、何人来ようが関係ない。
自分の生活を守る為に、拓人はそこで戦い続けた。
そして、圧倒的な強さを見せる拓人に憧れる不良少年たちが、彼を祭り上げていったのだ。
『仲間』
それは拓人にとっては初めての人間関係で、決して悪いものでは無かった。
住む場所や、食べ物、欲しい物、それらは全て仲間が用意してくれた。
その代わりに、仲間の敵を倒せばいいだけだ。
人と一緒にご飯を食べるという経験も初めてだった。
最初は落ち着かなかったが、次第にそれも悪くないと思うようになっていた。
薬の副作用で気持ち悪さと倦怠感の中、むりやり食べていた施設の食事。
それに比べれば、仲間同士の会話が飛び交う賑やかな食事は、初めて食事が美味しいと思えた。
喧嘩に明け暮れる中で、ひとつだけ問題があった。
拓人の中に染み付けられていた、一番古く、一番強い洗脳。
『壊してはいけません』
それが呪いのように未だ消えきれず、人を必要以上に壊すと気分が悪くなってしまう。
人を壊し過ぎない方法を探る内に、武器を使う事で解決するようになった。
大抵の物は、拓人が使えば相手にぶつかった衝撃で壊れてくれた。
そのことで、よほど固い物でない限り致命傷を与えずに済んだ。
お気に入りは特殊警棒だった。
壊れやすさで、必要以上に人を傷つけずに済むからだ。
そして人を倒し続ける中で、相手の骨を折れば相手の戦意が挫け、そこで戦いが終わることに気付く。
その分かりやすさゆえに、拓人はそれを勝敗の基準にした。
仲間の数は年々増え『ロッド』というチームが出来た。
チームの管理は他のメンバーにすべて任した。
コミュニケーション能力に難のある自分が、人をまとめられる気がしなかったからだ。
自分はただ戦うだけ、それでも人は集まってくる。
細かいことは、十二人の幹部が自分の代わりに色々と動いてくれた。
そして彼らに頼めば、大抵のことはなんとかしてもらえた。
そんな生活を送る中、拓人は自身の孤独を埋めるべく、自分と同じ人種を探し始める。
もしかしたら、自分と同じように“渦”を体の中に持っている人間がいるんじゃないかと思ったからだ。
自分と同じ力を持った人間ならば、自分を理解してくれるかもしれない。
その希望を胸に、仲間へ情報を集めるようにお願いをした。
強いヤツがいると噂を聞くと、会いに行き倒す。
そして、勝てばその強者とそれに従う仲間たちが、自分たちの傘下に入っていった。
そんな事を何年も繰り返していたら、二次団体や三次団体そのさらに末端まで合わせて、三万人を超える組織が出来上がっていた。
結局、孤独は埋まらなかったが、それでも施設にいた頃より苦痛の無い生活だった。
自分の信者とでもいうような仲間に囲まれ、それなりに楽しく暮らしていた。
自分の存在理由はいつまでたっても朧気で、生まれた事の罰も受けないまま。
拓人は心の中で、どこか諦めを抱いていた。
きっと自分は、誰かに理解される事は無いし、希望も叶わないだろう。
もしかしたらそれが罰なのかもしれない、そう思いながら。
——それが今、覆る。
アキラを前に、体の中にある七個の“渦”に集中する。
今までの人生の中で、俺は出来るだけ渦を回さないように生きてきた。
この力は抑えるもの。
それこそが、自分が人としてこの世に生きるための絶対条件だったからだ。
それを全て解放し、さらに深く力強く渦を回転させる。
施設を壊したあの時とは違う、自らが心から望んでこの力をぶつけたいと思う相手と出会った。
きっと、受け止めてくれる。
そんな予感と共に、体の中の渦が増えていく。
胴体のみにあった渦が、腕に、足に、頭に。
その数、十三。
「……いくぞ」
増大した力を込めて右手を引き、低く構える。
そのあからさまな攻撃の仕草に、アキラは目を細め嬉しそうに待つ。
地面を蹴った音がもはや爆発音に変わっていた。
あまりの衝撃に、その場にいた仲間たちが反射的に耳を塞ぎ、身を伏せる。
まるで新幹線のような質量と速度を持ったその拳を、アキラは顔で受け止めた。
しかし、結果は先ほどと同じで、その場から動くどころか当たった音すら出ない。
拓人はそれを気にせず、拳を連続でアキラに叩き込む。
先ほどよりも更に強いその勢いに、倉庫が軋み震え出した。
残っていた窓ガラスが外へと吹き飛んでいく。
メンバーたちは、巻き上がる風圧に押され壁へとなぎ倒されていった。
その中心で、拓人は夢中で攻撃を続けていた。
それをアキラは微笑みながら、防御すら行わず無防備に全身で受けている。
それはまるで、暴れる幼子を愛おしく受け止める父親のようだった。
何も考えず、ただ力の限り暴れていた。
それは自分が何者かを知るための確認でもあった。
やがて、息が吸えず、拳を振るう余力もなくなる。
拓人は自分の限界と戦いの終わりを悟った。
だから、最後の力を振り絞るように、もっとも単純な方法を選ぶ。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
アキラの胴体へ組み付き、そのまま渾身の力で締め上げた。
体内の渦の数をさらに増やし、あらん限りの力を込めて腹の底から声を出す。
全身の血管が浮き出し、自身の体から骨の軋む音がした。
これで自分が壊れてもいい。
そう思い、すべてを両腕に込め続ける。
——音が聞こえた。
耳を当てた所から、力強く、ドクンドクンと。
生まれて初めて聞く音だった。
それなのになぜか懐かしさを覚えた。
それは母の胎内にいた時、確かに聞いていた至福の音。
「がんばったね」
自分の背中にアキラの腕が回されるのを感じた。
触れている彼の手のひらから熱が伝わる。
「君の魂、とても綺麗だよ」
自分は抱きしめられている、それに気付いた時、戸惑いがまず湧いた。
なぜ自分が抱きしめられているのか?
先ほどの言葉は自分に向けられたものなのか?
彼は自分を受け入れてくれたのだろうか?
もう——泣いてもいいのか?
叶ってしまった。
望みが、彼によって全て。
全身の力が抜け、膝から崩れ落ちる。
自然と喉から音が漏れた。
アキラの鼓動を聞きながら、縋るように抱き着く姿は、純粋な子供の甘え泣き、そのものだった。
背中をポンポン叩きながら、あやすように抱きしめるアキラ。
半壊した倉庫の中心で、拓人の泣き声だけがいつまでも響いていた——。




