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夜の星

 目が覚めると、鼻血の付いたティッシュが枕元に落ちていた。

 止血したままベッドへ横になってたら、いつのまにか寝てしまっていたらしい。

 

 昨夜の出来事が脳内で再生される。

 震えるカプセル、俺の棒、哲夜の拳、鼻血。

 

「……誰か殺してくれねぇかな」

 

 ベッドの上でひとり呟いた。

 

 随分と久しぶりに口にした言葉。

 いつのまにか言わなくなっていた口癖。

 

 あれだけ本気で思っていたのに、口にしたら違和感しかなかった。

 心の形があの時とは違いすぎる。


「……胸を張らねぇとな」


 布団から出て背筋を伸ばすと、その拍子にお腹が鳴る。


「そういや、最近食う量も増えたよな……」

 

 空腹を感じ部屋を出ると、キッチンから包丁の音が聞こえた。

 

 音のする場所を覗くと、哲夜が朝飯を作ってる。

 

 初めて見るエプロン姿の哲夜は、なんか妙に似合ってた。

 

「フン、起きたか」

 

 こちらを振り返った顔はいつも通りの仏頂面だった。

 

 どうやら怒っている様子はない。

 だが、昨夜のことを思い出すと、こっちが勝手に気まずくなる。

 

「……オ、オウ……おはよう」

 

 声が裏返った。

 哲夜はフライパンを振りながら、ちらりと俺を見る。

 

「とりあえず今日はオレが作ってやるから、今後はオマエもやれよ」

 

「……ああ」

 

 どうやら昨日の一件があっても、一緒に暮らしてくれるらしい。

 それでも気まずさは残っている。

 

 とりあえず、謝るしかない。

 彼女の大事な私物をいじってしまったのだから。

 

「……あの、昨日のアレは……その……」

 

 言い訳しようとした瞬間、哲夜がピシャリと言った。

 

「何も言うな、忘れろ」

 

「……すまん」

 

「謝るな、忘れろ」

 

「……そういわれてもよぉ」

 

「忘れろ」

 

 強い。

 端的に正解を返されて何も言えない。

 

 テーブルに座ると、哲夜が皿を置いた。

 焼き鮭、味噌汁、卵焼き。

 妙に家庭的だ。

 

「……お前、料理できたのか?」

 

「当たり前だろ、施設出てからはずっと自炊してたぞ」

 

「そ、そうか……」


 俺は、最初の頃は盗んだり、徒党を組んで仲間に用意して貰っていた。

 やはり哲夜はまっとうに生きている。

 それに負い目を感じてしまった。

 

 沈黙。

 気まずい。

 味噌汁がやけに熱い。

 哲夜は卵焼きをつつきながら、ぽつりと言った。

 

「昨日のアレはマジで忘れろ」

 

「……ああ」

 

「あと、勝手に触るな、オレの大切な実験道具だ」

 

「……気をつける」

 

「気をつけるじゃない、絶対に触るな」

 

「……はい」

 

 完全に保護者と問題児の会話だ。

 俯いたままモソモソと食べていると、哲夜がふっと笑った。

 

「まあ、無防備に置いておいたオレも悪かった」

 

 思わず顔を上げると、そこには照れ臭そうに笑う彼女の顔。

 妙に大きく心臓が跳ねた。

 

「……な、なんだよ急に」

 

「別に、殴るのはやり過ぎだと思っただけだ」

 

 哲夜はそっぽを向いて味噌汁を飲む。

 その横顔が、妙に綺麗だった。

 気まずい朝だったが、どこか悪くない気まずさに変わっていた。

 

 朝飯を食べ終え食器を片付けていると、哲夜がふいに言った。

 

「なあ拓人、これから買い物行かないか?」

 

「……買い物?」

 

「オマエの生活用品とオレの服だよ。ほとんどの物はアキラが用意してくれたが、個人で足りないものもあるだろ?」

 

 言われてみたら、旅行カバンひとつで引っ越してきた。

 これからずっと住むなら、必要な物もそこそこある。

 

「……ああ、行くか」


 なにより、哲夜の服を何とかしたい。

 シャツはともかく、今日も下はトランクスだった。

 

 

 外に出ると、朝の空気がすでに暑くなっていた。

 夏の陽気に、気まずさも少し薄れる。

 駅前のドラッグストアに入ると、哲夜は慣れた手つきでカゴを持ち、どんどん商品を入れていく。

 

「いいか覚えろ、洗剤はこれだ。柔軟剤は匂いがキツいの嫌いだから無香料な」


 なんだこれ?


「シャンプーは共用でいいだろ、オマエも髪は長めだからトリートメントも必要だろ。あと、風呂掃除のスポンジだけど、固めと柔らかめ両方買うぞ」

 

 同棲カップルの買い物か?

 

「……あらためて、お前ってしっかりしてるよな」

 

「当たり前だろ、施設を出てから全部自分でやってたんだよ」

 

「……そうか」

 

 俺は今まで、仲間に用意してもらっていた物を勝手に使っていた。

 洗濯すらまともにしたことがない。

 風呂掃除なんて考えたこともなかった。

 

 自分の生活能力の低さに打ちのめされていると、哲夜が女性用品コーナーの前で立ち止まった。

 

「そうだ、これも必要か」

 

 手に取ったのは、生理用品だった。

 

「あ、あの……哲夜……それって」

 

「ああ、女になったからな、こういうのも必要なんだよ」

 

 さらっと言われても、こっちは顔が熱くなる。

 哲夜は子供が産めるという事実を、カゴに入れられた商品で突き付けられた。

 

「……そ、そうだな」

 

「お前、顔赤いぞ。大丈夫か?」

 

「だ、大丈夫だ……覚悟は出来てる」


「なんの覚悟だよ、気持ち悪いな」

 

 全然大丈夫じゃないし、なんの覚悟かもわからないまま答えていた。

 そして気持ち悪いと言われて、地味にへこんでもいた。

 

 その後、食材を買いにスーパーへ寄る。

 哲夜は金がない中で自炊をしてきたせいか、選ぶものがいちいち主婦目線だった。

 そういう風に見てしまうと、この生活の延長線上にある先を想像してしまう。

 

「……なあ哲夜、お前、本当に男へ戻る気ねぇんだな?」

 

「昨日も言ったが絶対ない、夢が叶ったんだ当然だろ」

 

 そう言って笑う哲夜の横顔が、昨日よりずっと自然で柔らかく見えた。

 その姿も、雰囲気も、女性にしか見えない。

 

 なら俺は、このモヤモヤしている気持ちをどうすればいいのだろうか?

 

 まだ、その気持ちに名前をつけていない。

 気づいてしまえば、後戻りが出来なくなるのもわかっている。


 今は、哲夜との友情が大事だった。

 

 答えの出せない問いに頭を悩ませながら、レジを終えて外に出る。

 すると、俺と同じように両手へ大きな袋を抱えた哲夜が言った。

 

「なあ拓人、この大荷物で服屋に行けると思うか?」

 

「一度……帰るか」

 

「オマエ、バイクあるんだよな?」

 

「……ああ」

 

「なら服はそれで買いに行こうぜ」

 

「そうだな……新車らしいし、試し乗りも兼ねてそうしよう」


 バチカンへ行く前に乗っていたバイクは、マンション前に路駐していたら撤去されてしまったらしい。

 

 免許や戸籍がなかった俺は、それを取りに行くことは出来ない。

 そもそも仲間に貰ったもので、本来は誰のバイクなのかも知らなかった。

 

 アキラは、戸籍や免許と一緒に、俺のために新しいバイクまで用意してくれた。

 

 一度マンションの部屋に戻り、買ってきたものを置いて駐車場に向かう。

 

 足を進めるごとに胸が高鳴っていた。

 

 部屋に置いてあった鍵に刻まれた名で、車体のメーカーはわかっている。

 ヘルメットがふたつ置いてあったので、タンデム仕様なのだろう。


 バイクは最高だ。

 

 俺にとって、唯一の趣味といっていい。

 バイクに乗って風になっている時だけが、孤独を埋めてくれた。


 鍵と共に置かれていた紙に、駐車場のナンバーが書かれていた。

 それを頼りに探すと、銀色のシートに包まれた車体を見つける。


 タイヤに括られた防犯チェーンを外し、シートをゆっくりと捲っていった。


「オイ!マジか……最高じゃねぇか」


 そこに現れたのは、真っ黒な車体。

 タンクの横には『Harley-Davidson』の白い文字が書かれている。


 バイクの名は『Nightster』。

 夜に輝く星を冠した美しい姿。

 新たな愛車が、俺を待っていた。

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