初恋
テーブルに次々と並べられるイタリアン料理の数々。
それが見る間に消えていく。
ピザ一枚ですら、置かれてから二秒でなくなる。
給仕が慌てながら次々と料理を運ぶ様子は、まるで新たな戦場だった。
「ピザ、全種類持ってきて、はやく……」
その言葉を発したのは、眼鏡を掛けた美しい少女。
窓から差し込む光が、コバルトブルーの髪色を深みのある宝石のように輝かせていた。
この状況を作り出したのは、このテラという少女。
「テラを連れてくるのに、本場のイタリアン食べ放題で釣ったんだ」
アキラが申し訳なさそうに眉を寄せている。
「あと、マルチディスプレイと、ゲーミングベッド買ってもらう……」
テラは食べる手を止めずに、約束した物を口に並べた。
「わかってるよ、これでまた部屋が狭くなるな。そろそろ引っ越さないとダメかもね」
アキラは髪をかき上げて、今後のことを考えているようだ。
俺らが食堂に案内された時には、すでにこの騒乱は始まっていた。
テラという少女はこちらの存在を気にもせず食べ続け、その隣では黒猫のニクスが給仕に指示を出していた。
どうやら彼女たちも、アキラと一緒にこの場所へ来ていたらしい。
アキラのマンションで、彼が日本から離れられない理由は、テラのせいだと説明されていた。
テラのことは出発前にリビングでゲームをしているのを見かけていた。
そのときは、少し怖いくらいの感覚だった。
だが、チャクラの目を手に入れた今。
俺にとって、彼女の存在は恐怖そのものとして映っている。
生命の天敵、動く絶望、食物連鎖の頂点、逃れられない死——。
彼女を見ていると、そんなイメージが次々と湧いてくる。
哲也はテラをまるで気にせず、むしろ彼女と張り合って食べていた。
どうやら怖さは感じてないようだ。
横を見ると、隣に座るマリアが憎々しげにテラを睨みつけていた。
「……なあ、マリアはテラのことを知ってるのか?」
腹も膨れて来たので、軽く話を振ってみる。
「奴こそ、妾から御父様を奪った張本人よ……人類全ての怨敵、そして御父様と双璧をなす強さを持つ……化物よ」
憎しみの籠る表情で語るマリア。
俺はそれを聞いて納得する。
アキラの強さはわからないが、テラの異次元な強さは嫌でもわかった。
少なくとも今の俺じゃ、彼女の足元にもいない。
それどころか地球の裏側まで行っても足りないだろう。
「つまり、アレを倒せるほど強くなれば……アキラと並べるんだな」
俺の覚悟を聞いて、マリアが弾かれたようにこちらを見た。
「タクト……そなた、本気かえ?」
「ああ……一度口にした夢は変えねぇよ」
どんなに絶望的な壁でも、例えそれが宇宙まで続く高さであっても、諦める理由にはならない。
むしろ、目標が目に見える方が分かりやすくていい。
今は近くにいるだけで足が震えるが、必ずそこへ辿り着いて見せる。
「そうか……御父様が見込んだ男なだけはある」
マリアが俺を見る目が、心なしか熱を帯びていた。
「それでは日本に着いたら、全力で修練に付き合おうぞ!」
満面の笑みで嬉しそうに言ってくれたが、なぜか背筋が冷たくなったのは気のせいだろうか。
「そういえば、いつから日本に来るんだ?」
「一週間ほどじゃのう、こちらで準備を整えたら向かうとしよう」
「わかった……じゃあ向こうで待っとくわ」
マリアはそれを聞いて眉をひそめた。
「何を言う、そなたは妾と一緒に行くのだ。それまでは、妾が築いた宗教の教義などを覚えてもらう」
それが当然だという顔で、俺の予定を決められる。
「……え?なんでだよ?」
「そなたはいつか人類の上に立つのだろう?ならば覚えておくべきことよ」
当然だとでも言うように、予定を勝手に決められた。
「それにその知識は、人として強くなる糧にもなる」
言ってることはよくわからないが、そこまで言われたら仕方がない。
特に予定があるわけでもないし、一週間くらい付き合ってやるか。
「フン!オレはもう帰るぞ、この体を使って実験したいことが山ほどあるからな」
俺の正面に座っている哲也が、ピザを片手に鼻を鳴らす。
「……別にいいけどよ、お前その体で出国できるのか?」
外見どころか、性別まで変わってしまった。
アキラに貰ったパスポートは、役に立たないだろう。
「確かにそれは困ったな、アキラと一緒に連れてってもらうか」
ピザを口に放り込みながら眉を寄せる。
アキラはテラと一緒に、黒猫の魔法でこちらに来たらしい。
「なに、そんな些事はどうとでもなる。妾に任せよ」
確かに、この国の女王にしてみれば、出国手続きなんて問題にもならなそうだ。
「フン、ならば頼んだ」
哲也はピザで頬を膨らませたまま胸を張る。
「迷惑を掛けた詫びだ、他にも望む事があれば言うてみよ」
「そうだな、アイツは日本へ連れていくのか?」
感激で震えながらアキラへ給仕しているモーセを指差す。
ちなみにカラス人間の三人は、アキラの治療で完治していた。
「うむ、三人とも連れていく、タクトの修練を手伝わせるのでな。彼奴らも、御父様の近くにいられるなら本望だろうて」
拓人はそれを聞いて頷く。
「ならばモーセを時々貸してくれ、奴は奇跡に詳しいみたいだからな」
そして口の周りを拭くと、あらためて希望を伝えた。
「色々と聞きたいことがあるし、復讐がてらこき使ってやる」
確かに奴らの力と知識は本物だ。
思う所はあるが、それを借りられるなら心強い。
「承知した、その願い叶えてしんぜようぞ。他にも何かあったら、いつでも言うがよい」
マリアが慈悲深い瞳で告げる。
「そうだな、考えておこう」
話は済んだとばかりにパスタへ手を伸ばす。
この細い体に、どんだけ詰め込む気なんだろうか。
前の肉まんみたいな体型に戻ることを心配してしまった。
結局、俺たちが食事を終えてもテラは食べ続けていた。
アキラが言うには、あと数時間は食べるらしい。
腹が満たされると、溜まった疲労が一気に押し寄せてきた。
俺たちは用意された部屋へと案内され、それぞれのベッドに倒れ込んだ。
日本を出発してから、いったいどれだけ時間が過ぎたのだろう。
重い頭でそんなことをぼんやり考える。
色々なことが起こり過ぎて、ずいぶんと目まぐるしい旅だった。
初めての旅行にしては、あまりにも強烈な思い出が刻まれた。
考えてみると、アキラと出会ってから人生が丸ごと変わった。
大変なことも多々あったけれど、アイツは俺に、人として生きる道を与えてくれたのだ。
安藤拓人としての新しい人生。
今はそれを精一杯生きてみよう。
あの時、施設を出て本当に良かった。
「なあ、拓人、オマエはオレのことを覚えているか?」
哲也が隣のベッドから声を掛けてきた。
だが、疲れ切った頭のせいか、言っている意味がよくわからない。
「……なんの話だ?」
横になったまま、顔だけ向けて哲也を見る。
「あの能力研究施設でのことだよ」
そう言われて、昔の記憶を思い出す。
あそこで知り合った同年代の子供なんて一人しかいない。
「あっ……もしかして、あの時、俺に話しかけてくれたのはお前か?」
言われてみれば面影があった、もちろん男の姿のだが。
「ああ、そうだ」
思えば、彼の言葉が施設を出るきっかけだった。
家族というものを盲信していた俺に、現実を叩き込んでくれた少年。
あの時、哲也が話しかけてくれなかったら、施設を脱出することもなかった。
「……ありがとな、おかげで俺は自由を手に入れたよ」
哲也は、ここに来る前から俺を助けてくれていた。
そのことに気づき、感謝の言葉を伝えた。
「フン、あの時の爆発事故はオマエの仕業だろう?」
きっと暴れて施設を破壊しまくったことを言っているのだろう。
「ああ……逃げ出す時にちょっとな」
哲也が寝ていた体を起こして胡坐をかいた。
「あれでオレは、自由を奪われた」
どうやら、俺の行動はコイツに何か影響を与えたらしい。
俺も体を起こし、哲也へ向き直る。
「……そうだったのか、すまん」
俺は助けてもらった恩を仇で返したらしい。
知らなかったとはいえ、申し訳なさが胸の奥に広がる。
「だがな拓人。もしあの事故がなければ、オレは今もあの施設にいた」
哲也の瞳はこちらを責めていない。
そのことで、彼も俺と同じ道を辿ったことに気づいた。
「オマエのおかげでアキラに会って、オレの夢は叶ったんだ」
俺たちは似たもの同士だったから、こんなにも信じ合えたのかもしれない。
「だからオマエに伝えたかった——ありがとう」
柔らかな笑顔で告げる姿はとても美しく、そして何より、どうしようもなく可愛かった。
結局、俺は自分の拳で鼻血を出して、そのまま気絶するように眠った。
だって、絶対に気づくわけにはいかないだろう。
初恋の相手が——男かもしれないなんてこと。
こうしてアキラに人生を変えられた彼らは進化を遂げた。
だが、これは道の始まりに過ぎない。
二人の行く先は、遥か高みまでずっと続いている。
そして拓人はまだ知らない。
自分がこれから、どれほど厄介な恋に巻き込まれていくのかを——。




