荒くれどもの夜
広間に佇むマリアの姿は、光を帯びているように見えた。
それほどまでに、神聖な雰囲気を醸し出していたのだ。
「そなたらは、御父様の真名を知っておるか?」
唐突な問い。
マリアは、広間へ響かせるようによく通る声でこちらに話しかけた。
「……おい哲也、真名ってなんだ?」
「ド低脳が、本当の名前って意味だ」
「一条アキラってことか?」
「いや、たしか黒猫が“アル”と呼んでいただろ?それが本当の名前だろうな」
俺たちが話す声を聞き、マリアはゆっくりと視線を逸らした。
美しい髪が揺れ、翡翠のような瞳が柔らかく細められる。
「……アル、妾はその御名を口にするだけで、胸が痛むのだ」
その声は厳粛な女王のものではなく、一人の女性の吐露だった。
「御父様は自身の真名を民に教える事はなかった。妾達、神の子のみに告げられたのだ」
「民が自身を認識し、崇めることを嫌ったからだ。ゆえに、民は御父様の事を“我が主”や“我が神”などと口にしていた」
「モーセなどは御名を口にすることすら憚り、後世には“YHWH”とだけ記したがな」
隣で息を呑む音が聞こえた。
「……おい、今この女なんて言った?」
聞きなれない言葉だったので、俺は哲也に聞いてみた。
「宗教の原点についての話だ、まさか神話が現実だったとはな」
哲也はマリアの話を聞いて、表情を固くしている。
マリアの口から紡がれる言葉は、次第に切実な響きを帯びてきた。
「御父様は人を愛し、人を救おうとする……だが、決して人を導こうとはせんかった」
「だが、妾は確信していた。御父様に全てを委ねること、それこそが人類の幸福な姿なのだということをな」
マリアは確信をもって静かに微笑む。
「だが、妾が人類の導きを懇願するたびに、それを頑なに拒まれたのだ」
「そして御父様は、妾に国を任せ、使命を果たすために旅立たれた。その後ろ姿は、自身の幸福を捨て人類の為のみに生きる尊き御姿」
恍惚とした表情を浮かべながらも、その声にはどこか切なさが滲んでいた。
「だがその結果、あろうことか御父様は地獄の業火に焼かれる結果となってしまった……」
マリアは涙を浮かべている。
「その何たる理不尽!断固!許されるべきではないであろう!」
突然の叫びと共に、揺らしていた瞳へ強烈な怒りが滲んだ。
「御父様は、この世の人類の中で、誰よりも報われなければならないのだ!そうは思わぬか!?」
きっと答えを求めていない一方的な独白だろう。
だが、一応聞かれたので答えてみた。
「……けっこう楽しそうに過ごしてるっぽいけどな」
「確かに、色々な女と仲良くやってるようだぞ」
俺たちが視線を交わし、アキラの様子を思い浮かべて口にする。
「黙れ!!!」
憤怒の形相でそれを否定するマリア。
「御父様を癒し理解する事が出来るのは、あの御方を魂から愛するこの者だけなのだ!有象無象如きが、妾の愛に届くはずがなかろう!」
翡翠の瞳が狂気を映し始める。
「……先日聞いたそなたらの話、真に良き知らせだった」
「あの御父様が遂に“選別”を望まれた。より強き魂のみを生き残らせ、神の子孫を繁栄させる」
「それはつまり、神の楽園をこの地に誕生させるということ。御父様の報われる日がようやく訪れるのだ!」
愉悦に満ちた表情、語られたのはマリアの悲願。
それは俺の話した言葉を、都合のいいように解釈したものだった。
「……アキラはそんなこと絶対望んでないぞ」
「うむ、キサマの勘違いだ、ド低脳め」
アキラの優しさをよく知っているから、人を選んで生き残らせることなどしないと断言出来た。
「黙れと言っておろうが!」
その美しい瞳を血走らせる。
「……御父様の使いだから、生かして置いてやろうと思っておったが」
マリアの小柄な体から殺気が漏れ出した。
「妾の計画を邪魔するならば、死出の旅路を歩ませようぞ」
その言葉で、空気が固形化したように重くなる。
「フン、ひとつ聞きたいんだが、計画とはどんなものだ?」
哲也がそれに怯まず問いかける。
モーセの言っていた“人類の絶滅”という意味を確かめるためだろう。
「……聖戦を起こすのよ、妾の信徒は人類の過半数を超えておる。それを全て他の人類へぶつけるのだ」
「さすれば必然的に妾の信徒、つまり御父様の僕のみが生き残るであろう。そこから新たにお父様の為の楽園を作り上げるのだ」
狂気としか思えない計画だった。
だが、マリアはそれが成されることを確信しているように微笑む。
「地上にあるほぼ全ての宗教は、御父様を神として妾が創り上げたもの。それを御父様の為に使うのだ、誰も文句は言うまいて」
その微笑みは、人ではなく神を愛する慈しみのみを映していた。
「すでに準備は最終段階へ至っておる、妾の指示ですぐにでも聖戦は開始されるであろう」
人類の最終戦争が間近に迫っている。
現実味のない話が少女の口から告げられた。
「……これってヤバいのか?」
「ああ、かなり不味い事態だ。奴の言っていることが本当なら、人類絶滅っていうのも大袈裟ではないな」
哲也の額に浮かんだ汗が、事態の深刻さを物語っていた。
「……どうする?」
「どうもこうもない、オレたち二人でコイツを止めるぞ」
俺は頷き、呼吸を深くする。
それによって全身に黄金のオーラがあふれ出した。
休憩と治療でさっきよりは回復している。
「妾に歯向かうつもりかえ?彼奴らを倒したからと図に乗っておるのう……」
マリアは静かに微笑み、両手を広げた。
「ならば見せてやろう、本物の神の子たる妾の力を……」
その瞬間、広間の床が震えた。
白い修道服の裾が舞い、マリアの周囲に光の柱が立ち上がる。
それを浴びて翡翠の瞳が妖しく輝いた。
「かかって来るがよい、神の楽園を認めぬ愚か者たちよ!」
次の瞬間、広間全体に衝撃波が走る。
石の床が砕け、壁が軋み、空気が爆ぜた。
俺は哲也をみる。
外見は大きく変わってしまったが、コイツは間違いなく俺の友達だ。
そして今、俺たちの前には人類を滅ぼそうとする敵がいる。
「……哲也」
「なんだ?」
「コイツ……倒すぞ」
哲也は俺の言葉に頷いてくれた。
「わかってる、アキラなら止めるだろうからな」
その言葉を聞いた瞬間、身体の奥から力が湧いてきた。
考えていることは同じ。
見ている方向も同じだった。
「行くぞ、哲也!」
「ああ、このド低脳の目を覚ましてやる!」
月下に、荒ぶる声が重なる。
こうして俺たちは、人類の命運を懸けた戦いへ身を投じた。




