↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
19/73

こころ

 一条アキラは常識外の人間だ。

 哲也自身も常識の枠から離れている自覚はあったが、それとは比べ物にならないほど規格外だった。


 自分の娘とやらを、哲也に当てがおうとする言動からして正気とは思えない。


 だが、その目に嘘はなかった。

 

 母や男たちの機嫌をいち早く察知するため、人の感情や雰囲気には敏感だった。

 そして、その後もあらゆる否定的な視線を受け続けてきた。


 しかし、アキラは哲也に対してマイナスな感情がないのだ。

 

 あるのは穏やかな光。

 ずっと眺めていたくなるような柔らかい瞳だった。


 放課後、何度か家に招き、アキラの知識や発想の助けを借りた。


 不思議とアキラに対しては、癖となっていた皮肉が出ることはなかった。

 きっと彼を尊敬していたのだろう。


 “尊敬”、それすらも初めての感情で、最初は理解ができなかった。

 だが、自分にとって失いたくない人物だというのだけはわかった。


 アキラの話は興味深いものばかりだった。

 ときおり出る雑談すら、彼の深い人生を垣間見ることが出来た。


 人といることが楽しい。


 その初めての感覚に最初は戸惑いを覚えた。


 哲也の存在を肯定してくれているような瞳。

 少しくすぐったいような感覚。


 時々、ふいに鼻の奥が痛くなる。

 それがなぜかはわからなかった。


 彼といると、自分も人間なのだと思えた。

 それほどまでに色々な感情が出てくるのだ。

 

 置物でも、サンドバッグでも、モルモットでもない。


 この世界に生きてもいい、誰かにとって必要な人間。

 自分のことをそう思えてしまった。


 ある時、アキラの手を見てみたくなった。

 

 哲也にとって、人間の手というものは、自分を叩き殴りつけたり悪意を持って指を差してくるもの。

 憎むべき象徴だった。


 でも、彼の手はどうなのだろう。

 それがなんとなく気になった。


「アキラ、ちょっと手を見せてくれないか?」

 

 そんな軽い気持ちで自分の手を差し出すと、それを柔らかく握られてしまった。


「ち、違う!手を見せろと言ったんだ!」


「そうなの?なんだか握って欲しそうだったからさ」


 屈託なく笑うアキラを眺めていたら、自然と涙がこぼれていた。


 それを最後に流したのはいつのことか。

 そもそも流したことがあったのかさえ覚えていない。


 アキラはそんな哲也を静かに受け止めてくれた。

 離さず握り続けてくれた手から、ゆっくりと伝わってきたのは、彼のやさしさ。

 

 生まれて初めて、安らぎというものを知った。


 アキラのためならば、無償であっても何かしたいと思った。

 哲也にしては随分と人間らしい考えで、それに気づいた時には思わず笑ってしまった。

 

 きっと自分は変わり始めている。

 それが決して嫌ではなかった。


 そんな時、アキラから呼び出しを受ける。

 お願いがあるから家に来てくれと。


 頼られることが嬉しい。

 それが何であれ受けるつもりだった。

 

 アキラのマンションに着くと、目の前にヤンキーがいた。

 エレベーターで一緒になり、いつものように無遠慮な視線を受ける。

 慣れているとはいえ、不快なのは変わらない。


 しかも、コイツの目的地は哲也と同じだった。

 アキラの部屋、そこで向かい合う。

 

 そもそも哲也は、金髪に染めて外見で力を誇示する男が嫌いだった。

 そういったヤカラは暴力を好むからだ。

 

 暴力自体に強い嫌悪感を持っていた。

 それは哲也の人生を辛いものにした理由の一つだから。

 自分が振るうことすら嫌だった。


 今まで誰かに暴力を振るわれても、それに屈したことはなかった。

 母が、謝っても許すという心を持っていなかったせいだ。

 謝罪が意味をなさないならば、謝るだけ損だと思った。

 それに、自分より低脳な相手へ頭を下げるのは納得いかない気持ちがあった。


 この手のヤンキーに絡まれても、能力を使えば向こうが体力負けするか拳を怪我する。

 それを待てば勝ちなのだ。


 アキラの家で、猫が人のように声を出して、おまけに巨大化した。

 常識外では済まされない現象に思わず動揺する。


 だが、それでも歯を食いしばり反抗の意思を示した。

 命が懸かろうと屈する気はなかった。


 哲也の人生は、生き抜くことを最優先にしてきた。

 サンドバッグでも、モルモットとしてでも。

 少し前までなら、化物のエサとしての自分を認め、頭を下げたかもしれない。

 

 だが今は、アキラがくれた人間としての自分、それを手放すことの方が嫌だった。

 

 たとえ死んでも、人として死にたかった。

 その意志は、哲也の中に生まれた新たな誇り。


 結局、アキラに助けられてしまったが、彼が口にした“友人”という言葉が嬉しかった。


 横にいる白長ネギが、その友人の中に含まれているのは納得がいかなかったが。


 

 アキラが告げたお願いは、前に言っていた娘とのお見合いとおつかいだった。

 あまりにも非常識な情報を色々聞かされたが、それでも彼か言うなら本当なのだろうと受け止めた。


 海外など行ったことはなかったが、それがアキラの望みならばと了承した。

 きっと上手くはいかないだろうが、全力で答えるのが誠意だと思った。

 

 こうして哲也はバチカンへ旅立つ。

 

 長ネギのような男との旅は不快でしかなかった。

 相手も、コチラと仲良くする気はないだろう。

 だから、出来るだけ関わらないように過ごした。


 だが、バチカンで待っていたのは牢屋への監禁だった。

 

 あまりにも理不尽な現実。

 思わず喚いてしまいそうだったが、それを押し留めたのは隣にいた男の存在だった。


 自分が見下している男の前で、情けない姿は見せられない。

 その一心で脱獄の計画を練る。


 その中で、男の有用性に気付く。

 ただのヤンキーではなかったのだ。


 拓人は指一本で頑丈な石壁に穴を開けた。

 それこそ、異能と呼んでも良いほどの力だった。


 脱獄に必要な存在、そのように拓人の評価を修正した。

 

 それから何日かかけて、準備を進めた。

 牢屋で暮らすうちに、拓人と話す機会が増えた。

 彼の瞳には、こちらに対する尊敬が映るようになっていた。

 それがどうにも居心地の悪さを感じさせた。

 

 だが、そのことで昔のことを思い出した。


 研究施設の中庭で見た、全身を拘束されていた少年。


 きっと、拓人はあの時の彼だ。

 施設にいたならば、特殊な能力にも納得がいく。

 

 でも、それについては特に何も言わなかった。

 

 拓人は、あの時のことを思い出していないらしい。

 ならばあえて言う必要もないだろう。

 

 脱出後に付き合いが続くわけでもないのだ。

 言ったところで何が起こるわけでもない。


 

 そして、二人は脱出計画を開始する。

 しかし、それらは無駄な行為だった。

 

 ペストマスクを被った人物に行く手を阻まれ、気付けば水の中で溺れていたのだ。


 水でできた檻の中で必死にもがく。

 拓人も助けてくれようとしていたが、表面が硬いらしく壊れそうにない。


 このままでは溺れ死ぬ。


 脳が酸素不足に耐えられる時間は、もう二分も残されていないだろう。

 それまでに打開策を考え実行しなければならない。


 (焦るな、生き残る手段を考えろ)


 自分へ強く言い聞かせる。


 水の檻を破る手段は今のところない。

 ならば自分自身をどうにかするべきだろう。


 思いついたのは、水の中でも呼吸可能な生物の身体構造だった。

 水から酸素を取り込み、それを血液へ送り込む器官だ。

 

 魚のエラだけではない。

 一部の生物には、腸管などを利用して水中の酸素を取り込むものもいる。

 それを体に作ればいい。


 自分には人と違う能力がある。

 それは生きるための力。

 どんな状況でも生き抜く力だ。

 

 人間の体は完成されたものじゃない。

 生物は環境に適応するため、何億年もの時間をかけて身体を変化させてきた。

 

 あの地獄を生き抜いてきた自分ならできるはずだ。

 この能力は、肉体を修復するだけではない、急激に変化させる力なのだから。


 必要な器官を詳細に想像する。

 そして、生存を望む強い意思の力で体を変化させていった。


 肛門から水を取り入れ、酸素を吸収する体をつくる。

 苦しかった肺とは別に、体の奥へ何かが流れ込んでくる。


 水の中に存在する、ごく僅かな酸素を体が確かに取り込んでいた。


(……成功、した)


 哲也の口元に、わずかな笑みが浮かぶ。


 この状況でも、自分は死なない、死んではやらない。

 生きるためなら、人の体すら捨てられる。

 アキラからもらった心があればいい。


 それが“オレ”という“人間”だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。