破戒
研究施設での新しい生活。
それは哲也にとって素晴らしいものだった。
食事が無制限に食べられる。
そして他の子供と関わらなくてもいい。
話す相手は無駄な感情を見せない大人の職員だけ。
もちろん、彼らの目的が哲也の特殊な能力を調べることだということは理解していた。
そのために、体を傷つけられることも日常的だった。
彼らの目は、哲也を実験動物として見ていた。
だが、少なくともこちらの望みは大抵叶えてもらえた。
美味しい食べ物も、高価な専門書も、大学で教えるような講師さえも。
だから、その対価に痛みを受けるのなら文句はなかった。
こちらは大事なサンプルだ。
少なくとも死の危険を感じることはない。
サンドバッグがモルモットに格上げされた。
生まれた時から人間扱いされない身としては、上等な扱いだった。
哲也にはどうしても欲しいものがひとつだけあった。
そのために膨大な知識が必要だった。
それは、自分が自由に出来る理想の女体。
哲也には、生後半年ぐらいから意識があり、ハッキリとした記憶もあった。
その記憶の中で鮮烈に刻み付けられたもの。
——母の痴態。
母は父と結婚していながら、家に他の男を何人も入れていた。
そして、一歳にもみたない哲也の横で父以外との性行為をしていた。
きっと母にとって、哲也は置物のようなものだったのだろう。
男の上で一心不乱に動く母の姿。
それはとても美しいものだった。
まだ視力が発達しきってないせいか、哲也にとってそれは幻想的なものとして映った。
男へ必死で抱き着く母、情熱的に愛していると紡がれる言葉。
自分は母に抱かれたことも、感情を込めて愛を口にされたこともない。
だから、その行為がどうしようもなく羨ましかった。
だが、年齢を重ねるにつれ、母の中身が醜悪なことに気づく。
母が恐れと嫌悪の対象になるにつれて、愛情を求めることはなくなった。
その代わり、女体への強烈な執着だけが残った。
理想の女体を、好きなだけ抱きしめ、愛したい。
それが哲也の夢となった。
素直で従順な汚れのない女体。
それが理想だった。
しかし、女性に対しての潜在的な恐怖が、生身の女を拒んだ。
だから、自らの手で理想を造り上げようと決心したのだ。
そのためにあらゆる知識を詰め込んだ。
機械工学、電子工学、制御工学、情報工学、人間工学にいたるまで様々な分野を網羅した。
人工知能はもちろん、人体力学から医学、解剖学まで、必要と思った知識を次々と埋めていく。
睡眠時間を削り、ただひたすらに知識を詰め込む毎日。
夢を現実にするための作業。
——楽しかった。
哲也にとって、生れて初めて訪れた幸せな日々。
だが、それは唐突に終わりを迎える。
ある時、中庭で読書をしていると、よく見かける少年がいた。
いつも彼は全身を拘束されており、車椅子で中庭へ運ばれて、ただ空を眺めていた。
おそらく自分のように何かの能力者なのだろう。
今日は、珍しくそばに職員が付いていないのに気づいた。
彼はたまに、羨ましそうな視線を哲也へ向けていた。
哲也にとって、同年代の子供というのは馬鹿にされるか嫌悪されるしかなかった。
それはこの施設でも同じで、他の子供たちは哲也を嫌い、近寄らなかった。
施設の子供たちを低脳扱いする態度も原因だったのだろう。
さらに、栄養失調寸前だった哲也は、ここ数年で急激に太った。
今まで自由に食べられなかった分、食事を取り過ぎる上に、勉強にすべてを費やし運動をまったくしなかったせいだ。
その体型は、子供たちがからかう理由として十分だった。
人を嫌い、人に嫌われていた哲也にとって、彼が自分に向ける憧れの視線は居心地の悪いものだった。
きっと自由に動ける自分が羨ましいのだろう。
彼も体を動かせるようになれば、こちらを見ることもなくなるはずだ。
だから、拘束されている理由を知るために声を掛けたのだ。
『オマエ、なんでそんな恰好なの?』と。
彼は緊張しながら、自分は力が強いから“いい子”じゃないとダメなんだと言った。
哲也にしてみれば意味のわからない理由だった。
力があるならそれを自由に振舞えばいいじゃないか。
本当にそう思ったので、そのまま口にした。
だが彼は、いい子にしていれば家族が迎えに来るといって目を輝かせた。
きっと、この施設のことを何も知らないのだろう。
いい子にしても無駄だから、もっと好きに過ごせとアドバイスをした。
実際、自分は能力があったおかげで、ここに来られて毎日が楽しい。
それを教えてやりたかった。
拘束されて自由のない彼が、母に縛られていた昔の自分のようで、何となく憐れに思ったからだろうか。
だが哲也は、家族に対する思い入れが、人と自分では違うということを分かってなかった。
それが、今の生活を壊す結果になるなんて知るよしもなかった。
事件は次の日に起こる。
施設が謎の爆発を起こし、そのまま閉鎖されてしまった。
そのせいで、哲也の自由は瞬く間に奪われた。
そして、再び一般の施設へと移されることとなった。
幸い、母はまだ獄中だったらしく、保護者の元へ戻されることはなかった。
両方の祖父母は心労が祟り、すでに亡くなっていた。
天涯孤独の身としては、施設以外の選択肢はないだろう。
そこでは当然いじめが起きる。
サンドバッグへ逆戻りだ。
それに手を差し伸べてくれたのは、研究施設で知り合ったひとつ年上の少年だった。
名前は大蔵 文翔。
彼は、住む場所と生活資金、そして奨学金を貰える学校を手配すると言ってくれた。
その見返りに、自分のやることを時々でいいから手伝って欲しいと言われた。
哲也はその提案へ乗ることにした。
今の施設にいては、勉強すらまともに出来なかったかったからだ。
それからは、古く狭いながらも一人で暮らせる部屋を与えられ、再び勉強に没頭することができた。
そして、紹介された高校へと進学する。
文翔の手伝いは様々な種類のものだったが、こなすたびにお金を貰えたので文句はなかった。
手に入れた資金は研究のためにすべて使った。
文翔が哲也に向ける視線は、利用価値のみを算出するものだった。
感謝はしていたが、油断は出来ない。
哲也は、彼から見切られる前に自立を果たそうと思っていた。
そんな中、始まったばかりの高校生活で思いがけない出会いを果たす。
それが一条アキラ、哲也の頭脳をもってしても計り知れない人間だった。
彼は高校一年生の七月という中途半端な時期にやってきた転校生だった。
教師に紹介されているのを見た時は、イケメンの気に喰わないチビだと思った。
だが、彼は隣の席に座り、哲也のノートを見て告げた。
「ねぇ、これって“処女を見極める方程式”だよね?」
——人生で一番驚いた。
ノートには複雑な数式のみが書いてあった。
常人どころか、数学の専門家であっても何のための数式かまではわからないだろう。
自分と同じ次元にいる同世代の人間と初めて出会った。
彼はその端正な顔と、柔らかな雰囲気で男女問わず好かれた。
特に女子がアキラへ向ける視線は、揃って熱を帯びていた。
それを見て哲也は気づく。
自分が悩んでいる問題に、彼なら答えをくれるのではないかと。
それは現状では解決できない難問だった。
自分の夢である、理想の女体を完成させるにあたって不可欠な、生身の女体による生体反応だ。
女子が哲也に向ける視線は、軽蔑か嘲りが主だ。
それ自体はどうでもよかった。
だがそのことで、哲也は自分へ愛情を向ける女性の反応を知らない。
このままだと、自分が造るバイオロイドに搭載するAIや生体反応にも、自然な反応が生まれないだろう。
実物の知識が足りないのだ。
だからといって、いまさら自分は変えられない。
太りきった醜い体も、捻じ曲げられた自意識も。
しかし、女性に自然と好かれるアキラならばそれが叶う。
彼の頭脳と客観的な意見を参考にすれば、理想の女体の完成が近づくのではないか。
そのことに気づき、アキラへ協力のお願いすることにした。
だが、そのハードルは高い。
自分の夢が、一般常識に照らし合わせると嫌悪感を感じるものだとわかっていたからだ。
どうにか勇気を出して家に呼んだはいいが、なかなか切り出せない。
だから、まずは肝心なことを聞いてみることにした。
女性経験はあるのかと。
すると思っていた以上の答えが返ってきた。
アキラは数えきれないほどの経験者だった。
その目は嘘を言っていない。
虚勢どころか、そのことを誇ってもいないのだ。
彼はあの美しい女体の数々をその手に抱いてきた。
——羨ましい。
それは哲也にとって初めての感情だった。
だが、同時に喜びも抱いていた。
アキラが協力してくれれば、間違いなく自分の夢は叶う。
その確信が持てた瞬間でもあったからだ。
躊躇なんてしていられない。
生れて初めて真剣に頭を下げた。
そして、誰にも話したことのない自分の夢を口にした。
一度話し始めてしまえば止まらなかった。
もしかしたら心の奥ではいつか話してみたかったのかもしれない。
自分の考えを理解し、共に歩んでくれる誰かに。
人には大っぴらに言えない夢。
口にすればどんな侮辱を受けるかわからない目的。
だがアキラは、哲也の話を馬鹿にせず、嫌悪感も示さずに聞いてくれた。
すべてを話し終えるころには、汗だくになっている自分がいた。
哲也は最後に、交換条件を伝える。
「手伝いの見返りは、俺がバイオロイドを造った後に得られる莫大な金だ。それをすべて渡す、出世払いにはなるがな」
それを聞くと、アキラは嬉しそうな顔で言った。
「哲也の魂はとても綺麗だね、“すべて渡す”っていう覚悟がさらにいい。手伝うよ、哲也の夢」
その言葉がどれだけ嬉しかったか。
自分の顔から自然とこぼれた笑みが物語っていた。
そんなことは人生の中の記憶になかった。
哲也は気づく。
きっと、自分は他人に初めて“期待”をしたのだと。
『人に期待をしない』
それが哲也の揺るぎない信条だったはずなのに。
人間でない自分が、人に期待するのは無駄だと思っていた。
期待したところで、返ってきたのは痛みだったから。
でも、アキラは違う。
哲也の夢を手伝ってくれると言ってくれた。
そのことで、自分が初めて人間として扱われた気がした。
「だけどお金はいらない、その代わりひとつ、僕のお願いを聞いてくれるかな?」
「もちろんだ!オレに出来ることなら何でもする!」
目的のためならすべてを差しだす、そんな覚悟でアキラの言葉を待った。
だが、続けて告げられたのは、あまりにも非常識な条件だった。
「哲也には、僕の娘と結婚して、子供を作ってもらいたいんだ」
アキラは微笑みながら、とんでもないことを口した。
人生でこれほど混乱したことはない。
アキラと出会ってから、初めてのことが多すぎた。
「……理解不能だな、オレに結婚など……不可能だ」
アキラは、哲也の過去すら理解しているように、透き通った瞳で見つめていた。
「それでも僕は、哲也に受けてもらいたい」
その視線に、哲也は思わず息を呑む。
気づけば勝手にうなずいていた。
あまりにも綺麗な瞳に、心が動かされたからだ。
そしてこの瞬間こそが、新井出哲也にとって世界のはじまりだった。




