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忌音  作者: 黒駒臣
3/4

枯井戸



 ようやっと資金を貯め、ある若夫婦が念願の一戸建てを買った。

 薄給の共働き故、中古の物件だったが、智巳(ともみ)と真紀夫妻には十分満足のいくものだった。


 3DK平屋建ての家屋はきれいにリフォームされているし、庭も広い。


 ただ雑草が伸び放題で、綺麗な庭に整えるには草刈りが必要だった。

 しかも、今は背丈のある雑草に隠れているが、端のほうには井戸もある。石積みの井戸枠が残っているだけで、不動産屋の木村氏の話によれば、すでに枯れ井戸だという。

 もちろん危険防止のために鉄板の蓋が被せられていた。


 もし井戸を埋めるなら業者の紹介もするとにこやかに微笑まれたが、それに費用が嵩むことを考えた夫妻は、どうせ枯れ井戸なら売る前に処分しておいてくれればよかったのにと、不動産屋のせこさを少し不満に思った。


 結局二人は引っ越しの片付けや庭の草刈りなどを終えてから、費用の面なども含めて井戸をどうするか考えることにした。




 荷物の整理がほぼ済んだ三日目の夜に、真紀はその物音に気付いた。


 それまでは引っ越し疲れで倒れるように眠っていたのが、少し気持ちに余裕が出来て、以前のように布団の中でスマホをいじっていた。


 ベッドは場所を取るという理由で購入せず、夫婦の寝室にした洋間のフローリング床に直接布団を敷いている。

 そこに夫とともに寝転び、それぞれスマホを眺めていた真紀は横向きに姿勢を変えた。


 がさごそざわざわがさがさざわざわごそごそざわざわがさごそがさごそ――


 布団を挟んだ床下から物音が聞こえている。


「なあ智くん……なんか床下から音せん?」


 妻の言葉に智巳が床に直接耳をつけた。


「うん……? 確かに……がさごそ聞こえるな」

「なんかいるんかな?」

「なんかって?」

「……ネズミとか蛇とか?」

「人とか?」

「やっ、やめてぇ~」


 真紀は怯えたように布団に潜り込んだ。


「うそ、うそ」

 智巳は笑いながら、「配管の音がへんに響いてきてんやろ」


「うっ、そうであれ」

 真紀は眉間に皺を寄せ、再度床に耳を付けた。


 がさごそざわざわがさがさざわざわごそごそざわざわがさごそがさごそ――


 ゴキの大群? 蛇の群れ? ネズミの大繁殖?

 ホラー映画の恐怖シーンのようなイメージが頭の中を巡る。


 まさかね。

 智巳を見ると、すでに物音に興味を失いスマホをいじっている。真紀もふっと小さく溜息を零してから布団に潜った。




「ね、音、こっちでも聞こえてない?」

「?」


 寝室の隣、リビング代わりにしている洋間の床に耳をつけた真紀の言葉に、夕食後ソファで寛いでいた智巳が首を傾げた。


 二日前の夜に聞いた床下の音をすっかり忘れているようで、ピンと来ていない。


「ほら寝室で聞こえた音。配管の音とか言ってた……」

「あー。それが?」

「こっちにも聞こえて来てるんよね……」

「そら、配管やし、あちこち伝ってるやろから――」

「いや(ちゃ)うねん。わたし、あの次の日にあちこちの床で聞いてみたんよ。寝室以外鳴ってなかったよ……」


 智巳がソファから下りて床に耳をつける。


 がさごそざわざわがさがさざわざわごそごそざわざわがさごそがさごそ――


「う~ん……」

「ほんまマジでこれなんの音……?」


 がさごそざわざわがさがさざわざわごそごそざわざわがさごそがさごそ――


 もし音が進んでいるなら、どこへ行こうとしているのだろう。

 真紀は庭に面した掃き出し窓のほうへなんとなく顔を向けた。


 まだ雑草がぼうぼうのままの庭の端には枯れ井戸――

 嫌な予感がした。




 次の日は休日で、まだ薄暗い早朝から智巳と二人で庭の雑草を刈り始めた。


 丈高い雑草の隙間から見える井戸の蓋は塗装が剥げて所々赤錆が浮いていたが、まだまだしっかり役目が果たせるだろうと、いったん胸を撫で下ろした。


 だが、刈った直後の草の匂いを嗅ぎながら地面に耳を当てると、

 がさごそざわざわがさがさざわざわごそごそざわざわがさごそがさごそ――

 屋内で聞いていたより、間近に音が聞こえた。


 やはり、害虫かネズミかわからないが、家の下で何かが大量発生し、出口を求めて井戸に向かっているのだ。


「知くん……いくらかかるかわからんけども、早く井戸埋めよ。専門業者調べる? それか木村さんに相談する?」

「ん~どうしよかな……井戸の業者だけやのうて、駆除業者も呼ばなあかんかも知れんし」

「そやね……」


 嵩むであろう費用に頭痛がした時、井戸から音が聞こえた。


 がさごそざわざわがさがさざわざわごそごそざわざわがさごそがさごそ――がたんっがたんっがたんっ


 重いはずの鉄板が上下に動いている。


「いやっ! なにっ?」


 真紀は足がすくんで動けず、智巳に縋りついた。智巳も同じらしく二人抱き合う。


 虫かネズミか、蛇かトカゲか。

 とにかく大群が井戸から溢れ出て来ることを覚悟する。


 がたがた揺れる鉄板が徐々にずれ、穴の半分ほど開くと青黒い手のようなものが突き出てきた。


 人の手ではない。色味もそうだが、指の本数も違うし、形状も似て非なるものだった。

 湿った土のこびり付いたその手が井戸の縁を掴み、何かがぬっと現れた。


 がさごそざわざわがさがさざわざわごそごそざわざわがさごそがさごそ――


 手と同様の、人に似て非なる――醜怪な小鬼が、組んず解れつぞろぞろと井戸から溢れ出て来る。


「あわわわ」


 真紀たちは逃げるに逃げられず、抱き合ったままその場で震えるしかなかった。


 がさごそざわざわがさがさざわざわごそごそざわざわがさごそがさごそ――


 小鬼の群れが二人に気付き、動きを止めて一斉にどんより濁った小さな眼を向けた。

 先頭の一匹が金切声で叫ぶと、我先にと絡まり合いながらこちらに向かって走ってくる。


 井戸からも途切れなく、がさごそざわざわ音を立て小鬼が溢れ続けていた。


 その時――


 ようやく昇った朝陽の、幾本もの光の筋が、家を、庭を、抱き合う二人を煌々と照らし出す。


 その太陽光を浴びた小鬼たちはけたたましい悲鳴を上げ、前方にいた者は溶けるように焼け爛れ、後方にいた者は慌てて井戸の中へと引き返した。


 真紀と智巳は一連の流れを呆然と見ていたが、はっと二人顔を見合わせ、雑草をかき分け、慌てて井戸へ向かった。


 中を覗くと生臭い土の匂いが吹き上げていたが、小鬼の姿は見えず、がさごそざわざわという音が次第に遠ざかっていく。


 二人は力を合わせ、蓋を押し戻した。



 庭に残った小鬼たちの残骸は一夜茸(ヒトヨダケ)のように黒くどろどろに溶けていた。


「木村さんに電話してどうにかしてもらお? これ不動産屋の責任よね? こんな化けもん出て来る家て……わたしら騙されたみたいなもんやん……」

「そやな、お祓いするにしろ、井戸埋めるにしろ……やってもらわななぁ」


 あんな恐ろしいものが出現したというのに、真紀も智巳もせっかく手に入れた我が家を手放そうと考えなかった。


 この時二人は予測できなかったのだ。


 太陽が沈んだ後、再び井戸から這い出てきた小鬼たちにこの町が占領されることを――


 いずれ地球上すべてが昼夜逆転したやつらの世界になってしまうことを――


                             了



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