オヤリ様の伝承
翌朝、フィーネは目を覚ますと身支度を整えて、食堂に向かった。食堂では、二人の若い女性が朝食の支度を整えていた。一人がパンを並べ、もう一人が茶を配っている。アダムとクララはすでに席についていて、フィーネに気づくと、アダムが自分の向かいの席を手で示した。
「おはようございます、フィーネ殿。よく眠れましたか」
アダムは給仕の女性から茶の椀を受け取りながら、フィーネに尋ねた。
「はい、おかげさまで」
フィーネが椅子に腰かけようとすると、パンを並べていた女性が椅子を引いた。
「ありがとうございます」
フィーネは小さく礼を言うと、椅子に腰を下ろした。フィーネが席に着いてまもなく、食堂の扉が開いてヘルミオが姿を見せた。
「みなさん、おはようございます」
アダムは待っていましたとばかりにヘルミオを笑顔で迎えると、フィーネの隣の席を勧めた。
「ヘルミオ様、昨日はよくお休みになれましたか」
「ええ。離れの部屋を初めて使わせてもらいましたが、静かでいいですね」
「そう言っていただけて、安心しました」
給仕の女性がヘルミオの前に茶を置いた。
「お二人とも、どうぞお召し上がりください」
アダムの声を合図に、食事が始まった。
「こちらのパンは、この村で採れた木の実を混ぜ込んであります。お口に合うといいのですが」
クララが皿にのったパンを手に取ると、フィーネに言った。フィーネはパンをちぎって口に運んだ。木の実の香ばしい風味が広がり、噛むたびに小気味よい歯触りが感じられた。
「おいしいですね。香りもいいですし、この食感が好きです」
「祭りでこの村に来た方々にも、評判なんですよ」
クララはそう言うと、自分もパンをちぎって食べた。アダムは、クララとフィーネのやり取りを横目でちらちらとうかがいながら、フィーネに話しかけるタイミングを計っているようだった。その視線に気づいたクララが呆れたようにアダムに言った。
「あなた。食事中ですよ。石碑のことが気になるのはわかりますけど、それではヘルミオ様にも、フィーネさんにも失礼ではありませんか」
「いや、そんなことはないのだがな……」
アダムはもごもごと言い澱んだ。
「かまいませんよ。私も続きは気になりますしね。今日の予定についてここで話しましょうか」
ヘルミオが話を続けようとしたところで、フィーネが遠慮がちに右手を上げた。
「あ、すみません。その前に、オヤリ様の伝承について教えていただけませんか」
少し恐縮したように、アダムが姿勢を正した。
「ああ、そうですね。失礼しました。では、まずそちらのお話をしましょう。とはいえ、私もまだこの村に来て二年ほどですから、村の古老や書物からの受け売りになってしまいますが……」
「はい。お願いします」
アダムはうなずくと、茶を一口飲んでから話し始めた。
「オヤリ様は、今から千五百年ほど前に、あの洞窟に突然姿を現されました。当時の村人たちは、最初はとても警戒したそうです。ひどく疲弊しているように見えたので、いろいろと言葉をかけたようですが、なにしろ言葉が通じない。オヤリ様がおっしゃっていることも、なにも理解できなかったそうです」
「そもそも、村人たちはその方が、精霊だとも気づいていなかったようです。あまり見たことのない瞳の色をしていたというくらいで、見た目はエルフそのものであったからです」
「見かねた村人が、水や、季節柄たくさん採れていたキノコ料理を差し出したところ、あっという間に平らげてしまい、空になった器を差し出して、もう一杯欲しいと身振りで示したそうです」
「この逸話から、この祭りでは祭壇にキノコを捧げることになったのです」
クララが楽しそうに付け加えた。
「ですから、この祭りの間は、キノコ料理を必ずおかわりするなんてならわしもあるんですよ」
「すっかり村人たちと打ち解けたオヤリ様でしたが、やはり言葉は通じないままで、会話はいつも身振り手振りだったそうです。ある日、オヤリ様は洞窟を出て山の中へ入ると、村人たちを一か所へ連れていき、地面を掘るよう身振りで示しました。村人たちは、また何か珍しいキノコでもあるのだろうかと興味半分で掘ってみたそうです。ところが、そこから見つかったのは銀の鉱脈でした」
「もともとこの村は、鉱山資源を掘り出すことで成り立っていた村でしたが、その発見により、この村は大きく発展し、多くの鉱夫とその家族が住むようになりました」
フィーネはパンを少しずつ口に運びながら、アダムの話に耳を傾けていた。
「豊富な資源が見つかったことで、この一帯は王家の直轄地となり、鉱脈を発見した村人たちにも褒賞が与えられました。それまで小さな村だったコウドは、次第に豊かな鉱山の村へと変わっていったのです」
「そうして、八十年ほどたった頃でしょうか、鉱山で大きな崩落事故がありました。たくさんの鉱夫が坑道に閉じ込められてしまったのです。それを知ったオヤリ様は、自らの力を使って皆を救ってくださいました」
フィーネは手にしていたパンを皿に戻し、アダムの話に聞き入った。
「それから間もなく、オヤリ様は姿を消されたそうです。村人たちは、きっとオヤリ様は精霊界から、この村を救うために遣わされた方だったのだろうと考えるようになりました。それ以来、村では毎年、オヤリ様に感謝を捧げる祭りを行うようになったのです」
「なるほど。とても興味深い伝承ですね……。そうなると、昨日わたしが読んだ『アウレリオン』という名前はいったいどういうことなのでしょうか」
「ええ、私もそこがとても気になっています。オヤリ様がアウレリオンという名前なのか、それともアウレリオンという何者かがそこにいたのか」
「そうですね。それを知るためにも、あの石碑の続きを読む必要がありそうですね」
ヘルミオがそう言うと、アダムは目を輝かせながらうなずいた。
「では、朝食を済ませたら、すぐに洞窟へ向かいましょう」
「はい」
フィーネも小さくうなずくと、先ほど皿に戻したパンをもう一度手に取った。その後は皆で朝食を済ませ、洞窟へ向かう支度を整えた。
洞窟に着くと、フィーネは持参した灯りの魔道具を石碑のそばに置いた。そして、昨日と同じ石碑の前に立ち、刻まれた文字へ目を向けた。
「もう一度、最初から読んでみますね」
我が名はアウレリオン
土の精霊なり
我 地上の者の記憶を奪い
己が慰みとせり
精霊王様のお怒りに触れ
罰としてこの地へ送られたり
我の言葉と力は封じられ
この地の者と言葉を交わすことかなわず
されど民は我を受け入れたり
いつの日かこの文字を読む者が現れることを願い
我が過ちをここに刻み
我が思いと記憶を後の世に残さん
フィーネは、ゆっくりと、だが一気に碑文を読み上げた。読み終えたあと、洞窟の中にしばらく沈黙が広がった。皆が息をのんでいるのがわかった。
「どういう……ことだ? 聞いていた話とまったく違う……」
アダムは呆然と立ち尽くしたまま、石碑を見つめた。
「ふむ。少なくとも、村人とは十分に言葉を交わせなかったようですね」
ヘルミオがフィーネの横まで歩み寄り、石碑をのぞき込んだ。
「あれ? それなら、あの儀式のときの言葉は……」
セレナも首をかしげながら、石碑をのぞき込んだ。
「そうですね。はっきりとはわかりませんけど、あの言葉だけは何度も耳にして、村の方たちも音として覚えたのかもしれません。この碑の周りにある石板にも、いろいろ書いてあるみたいなので、読んでみたらもっとわかるかもしれませんね」
「なるほど。では、フィーネさん、そちらもお願いできますか」
アダムがフィーネに声をかけていると、洞窟の外から声がした。
「村長様、本祭の準備が整いました。最終確認をお願いできますでしょうか」
「はい、今行きます」
アダムは外に向かって大きな声で答えると、名残惜しそうに石碑を見た。
「残念ですが、祭りの始まりに村長がいないわけにはいきませんからね。フィーネさん、ヘルミオ様、よろしくお願いします。あとで、内容を聞かせてください」
「はい。わかりました」
フィーネはうなずくと、足元に積まれた石板へ目を向けた。
アダムが洞窟を出て行ったあと、フィーネは石碑の近くにしゃがんで、あたりにある石板をざっと眺めた。
「どう? 読めそう?」
セレナが心配そうにフィーネの隣にしゃがんだ。
「ええ。読めます。ところどころ、石が砕けてしまって読みにくいところもありますけど、だいたいの意味はわかるので」
「ちなみに、この石板はなにが書いてあるの?」
セレナは石碑の右側に丁寧に積まれている石板の一番上を指さした。
「そうですね、どうやらこの石板は、アウレリオンという名の者がどうしてここにやって来ることになったのかという理由が書いてあるみたいです」
セレナは、石の扉のそばに立っていたフィルを振り返った。
「フィル、ちょっと手伝って。この重なっている石板を、床に並べてみましょう」
フィルとセレナが石板を一列に床へ並べた。フィーネはしゃがんだまま、石板の前を一枚ずつ横へ移動しながら、刻まれた文字を目で追っていった。
「うーん……」
十分ほど石板を読み進めたところで、フィーネが悩むように声を漏らした。
「どうしたの?」
フィーネの様子を近くで見守っていたセレナが尋ねた。
「どうやら、このアウレリオンというのが、オヤリ様の本当の名前みたいです」
「え、そうなの?」
セレナは並べられた石板へ視線を落とした。
「はい。さっき、こちらの碑に、言葉を封じられたと書いてありましたよね。どうやらオヤリ様が何を話しても、村の人たちには理解できなかったみたいなのです」
「じゃあ、アウレリオンって名乗っても……」
「はい。自分の名前を伝えることも、うまくできなかったのかもしれません」
そう説明しながら、フィーネは石板を読み進めていった。
「あ……」
「今度はなに?」
「オヤリは、『助けてくれ』という意味みたいです。ここへ来たばかりの頃、何度もそう言っていたみたいですね。それを村の人たちが名前だと思ったのでしょうか」
「なるほど。『オヤリ』が本当の名ではないことは確かなようですね」
ヘルミオは腕を組んだまま、床に並べられた石板を見た。
「はっきりしたことはわかりません。でも、少なくともアウレリオン自身は、村の人たちが自分を『オヤリ』という名前だと思っていることには気づいていたみたいです」
フィーネはもう一度、石板の文字を確かめた。
「もう少し、続きを読んでみますね」
「ええ、わかったわ」
セレナは立ち上がって、ヘルミオの隣に行った。
それからしばらく、フィーネは黙ったまま、今度は石板を一枚ずつ丁寧に読み進めていった。どのくらいの時間が経ったのだろうか。セレナは、明らかに顔色の悪くなったフィーネに声をかけた。
「フィーネ、そろそろ休憩しましょう」
セレナが肩に手をかけると、フィーネは驚いたように顔を上げた。
「え、なんですか」
「ほら、休憩よ、休憩! さあ、外に空気を吸いに行きましょう」
「でも、この石板が最後で……」
「ダメよ。そんな顔色をしていたら、外にいるあの人が飛んでくるわよ」
「は、はあ……」
フィーネはしぶしぶ立ち上がると、洞窟の外へ向かった。
洞窟を出た途端、入り口近くの岩の上で周囲を見張っていたゴローが、すぐにフィーネに気づいた。岩から飛び降りると、まっすぐフィーネのそばまで駆け寄ってきた。
「ゴローさん、私が入り口を見張るので、フィーネを近くで休憩させてください」
セレナはそう言うと、洞窟の入り口に立った。
「あるじ、だいぶ魔力使ったよね」
ゴローはフィーネの手を取ると、少し離れた岩場に向かって歩いた。
「ほら、ここに座って」
促されるまま、フィーネは少し平らな部分のある岩の上に座った。ゴローは鞄から水筒を取り出すと、フィーネに差し出した。
「はい、まずは飲んで」
「ありがとう」
フィーネは水筒を受け取ると、一口、また一口とゆっくり喉を潤した。
「わたし、そんなに魔力使ったのかな。自分ではよくわからないのだけど」
「いや、精霊文字を読むのは、けっこう大変なことだと思うよ。精霊文字にはね、文字そのものに力が宿っているんだ。その力を受け取って、意味に変えることで読めるんだよ」
「そうなの? じゃあ、普通の文字を読むのとはまた違うってことなんだ」
フィーネはもう一口、水を飲んだ。
「うん。確かにあるじは読めるよね。でも、精霊との繋がりが強いというだけで、そもそも精霊ではないよね。だから、そこは魔力で補って理解してるんだ」
「え、じゃあ、ゴローちゃんはあれ読めるの? だって、ゴローちゃんは高位精霊なんだもんね」
フィーネは顔色の悪いまま、少し意地悪そうに笑った。ゴローは一瞬、言葉に詰まった。
「……読めないよ」
「え?」
「古代精霊文字だし。それに僕は高位精霊ではあるけど、普通の精霊とはちょっと違うんだよね」
「普通の精霊とは違う?」
「うん。僕は、最初から精霊として生まれたわけじゃない。誰かさんがエルフになったせいで精霊になったでしょ。だから、精霊なら当たり前に知っていることを、僕が全部知っているわけじゃないんだよ」
「なるほど。高位精霊だからって、なんでもできるわけじゃないのね」
「……あるじ、それ、ちょっとうれしそうだよね?」
「そんなことないって」
フィーネは水筒をゴローに返すと、ふと思い出したように尋ねた。
「ねえ、それならさ、アウレリオンっていう精霊を知ってる?」
「ああ、知ってるよ。土の大精霊だね」
「へえ。今は、大精霊なんだ」
フィーネは驚いたように目を瞬かせた。
「え、まさか、オヤリ様って、そのアウレリオン様のことなの?」
「うん、そうみたい。千五百年前に、地上の人たちの記憶を奪って、それを面白がっていたみたいなんだよね」
「でも、それなら、どうしてここに罰として送られることになったのかな?」
フィーネが洞窟の入り口へちらりと目を向けると、ゴローもその視線を追った。
「僕の予想だけど、この辺りの村を中心にやっていたんだと思うよ。コウド村だけじゃなくて、近くの村でも、一時的に記憶を失う人が何人も出ていたみたいだから」
「そんなことがあったんだ」
「うん。でも、しばらくすると記憶は戻っていたから、大きな事件としては残らなかったみたい。それで、いつの間にかその出来事自体は忘れられていって、むしろ後になって、オヤリ様がこの村に来たことの方が強く伝わるようになったのかもしれないね」
「なるほどね」
フィーネが小さくうなずくのを見て、ゴローは受け取った水筒を鞄にしまった。それから、少し考えるように首をかしげた。
「しかし、あのアウレリオン様がねえ。精霊王様に謁見したとき、姿は見たことあるけど、そんな昔があったようには見えなかったけどなあ。まあ、罰を解かれて精霊界に戻れたんだから、何かしら認められるようなことをしたんだろうけど」
「そうなの……」
フィーネはしばらく考え込んでいたが、ふと思い出したように自分の小さな肩掛け鞄を開けた。
「そうだ、飴玉持ってきてた。これ、舐めたらけっこう元気出そうだよね」
「そうだね。いいんじゃない」
フィーネは小さな包みを開けて飴玉を取り出すと、口の中に放り込んだ。ほんのりとした甘みが口の中に広がった。
「もう少し休んだら戻ってもいいけど、まだ顔色悪いからね」
ゴローは念を押すようにフィーネを見た。
「僕がいいって言うまで、ここにいてよ」
「うん。わかった」
それから十五分ほど休み、ようやくゴローから作業再開の許可が出た。フィーネは立ち上がると、まだ読み終えていない最後の石板を思い浮かべながら、再び洞窟へ向かった。




