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婚約した瞬間に破滅未来を思い出した悪役公爵令嬢ですが、婚約解消を目指しているだけなのに何故か好感度が上がっていきます  作者: 玉響すばる


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9/14

第9話 孤児院へ行ったらまた好感度が上がりました

 翌朝、エウフェミアは少しだけ早く目を覚ました。


 孤児院へ行く。


 教会の関係施設である可能性が高い。


 そして何より、そういう場所には物語の本来のヒロイン候補がいてもおかしくない。


 平民、あるいは身分の高くない少女。けれど不思議と人を惹きつける存在。


 もしそんな子に出会えれば。


 自分はその子を応援し、正しい物語の流れへ戻すことができるかもしれない。


 断罪回避に向けて、ここ数日の中ではかなり希望のある用事だった。


「……今日は、大事ですわ」


 小さく呟く。


 余計なことはしない。


 ただ観察する。


 ヒロイン候補を見つけたら、丁寧に接する。


 できれば教会にも好印象を残す。


 完璧である。


 少なくとも今朝の時点では。


「お嬢様、失礼いたします」


 セシルが入ってくる声まで、いつもより明るい。


 昨日の件以来、彼女の忠誠心は確実に重くなっていた。視線に熱がある。たぶん気のせいではない。


「本日は動きやすいお召し物をご用意いたしました」


 差し出されたのは、淡い若草色のドレスだった。公爵令嬢としての品はあるが、いかにも訪問向けで華美すぎない。


「ありがとうございます」


 礼を言うと、セシルはそれだけでまた少しうるんだ目になった。


 やめてほしい。


 その反応はさすがに重い。


 だが孤児院へ行くのに余計な刺激を与えたくないので、エウフェミアは何も言わず、静かに着替えを進めた。


 馬車で向かった先は、以前訪れた大聖堂のさらに奥まった区画にある、教会運営の孤児院だった。


 白い壁に囲まれた中庭では、子どもたちが遊んでいる。年齢はさまざまで、小さな子もいれば、もう手伝いが板についていそうな年長の子もいた。


 その様子を見た瞬間、エウフェミアの胸が少しだけきゅっとした。


 前世の記憶のせいだろうか。


 事情があって、最初から持っているものが少ない子ども、というだけで、どうしても目が向く。


「ようこそお越しくださいました、エウフェミア様」


 出迎えたのはマティアス神父だった。


「本日はありがとうございます。子どもたちも喜びます」


「ご迷惑でなければよいのですが」


「とんでもありません」


 マティアスは穏やかに微笑む。


「あなたがおいでくださること自体が、すでに子どもたちへの良い贈り物です」


 そういう評価が一番困るのです。


 とはいえ、ここで否定しても始まらない。


 エウフェミアは慎ましく会釈し、セシルたちが運んできた衣類や菓子、日用品へ目を向けた。


 ロザリー夫人が用意した“届け物”は、思っていたよりずっと多かった。


 さすが公爵家である。


「まずは院内をご覧になりますか?」


 マティアスが尋ねる。


「はい。差し支えなければ」


 子どもたちの様子を知るのも大事だ。


 そしてもちろん、ヒロイン候補探しも。


 エウフェミアはできるだけ自然に視線を巡らせた。


 素直そうな子。元気な子。少し控えめな子。年長の子の中には、小さい子の面倒を見ている子もいる。


 あら。


 そういう子はかなり“それっぽい”のではなくて?


 前世の物語知識がざわつく。


 その時、中庭の隅で、小さな騒ぎが起きた。


「だ、だめ……!」


 幼い女の子の声だった。


 振り向くと、六歳か七歳ほどの少女が、手にしていた木の器を落としてしまっている。中に入っていた水がこぼれ、足元を濡らした。


 周囲の子どもたちが一斉にそちらを見る。


 少女は顔を真っ青にし、今にも泣きそうだった。


 ああ、だめだ。


 その顔は、前世の自分に効く。


 怒られると思って固まっている顔。失敗した瞬間に、自分の存在ごと小さくなってしまう感じ。


 エウフェミアは一瞬で理解した。


 これは、また放っておけないやつですわ。


 気づけば足が動いていた。


「大丈夫ですわ」


 少女の前で膝をつき、目線を合わせる。


 金色に近い淡い髪。大きな瞳。痩せすぎてはいないが、決して恵まれているとは言えない身なり。


 そして、泣くのを必死にこらえる顔。


「けがはありませんの?」


 少女はぶんぶんと首を振った。


「そ、そんなつもりじゃ……」


「ええ、分かっておりますわ」


 エウフェミアは、こぼれた水より先に少女の手を見た。少し赤くなっている。


「器は後で拭けば済みますわ。それより、お手々が痛くありません?」


 その問いかけに、少女の目が少しだけ揺れた。


 怒られるかどうかではなく、自分のことを気にされたのが予想外だったのだろう。


「……だいじょうぶ」


「強いのね」


 そう言うと、少女の目にじわっと涙が浮かぶ。


 やめてほしい。泣かれるとこちらも弱い。


 周囲の修道女が慌てて布を持ってきたので、エウフェミアはそれを受け取り、自分で床を拭こうとした。


 その瞬間、セシルがぎょっとした声を出す。


「お、お嬢様! そのようなことはわたくしが!」


 しまった。


 公爵令嬢が自分で床を拭くのは、たしかにやりすぎだったかもしれない。


 だが、こういう時は失敗した本人にだけ処理させるより、周囲が自然に動いた方が空気が柔らかくなる。


 前世ではそう思っていた。


「では、一緒にお願いいたします」


 エウフェミアはすぐに手を止めた。


「この子ひとりで慌てるより、その方が早いでしょう?」


 セシルは一瞬きょとんとした後、またしても胸を打たれた顔になった。


 やめてほしい。


 その顔は本当にやめてほしい。


 だが、少女の方はエウフェミアを見上げたまま、ぽろりと涙をこぼしてしまった。


「……ごめんなさい」


「謝らなくてよいのです」


 エウフェミアは、できるだけ柔らかく言った。


「落としたくて落としたわけではありませんでしょう?」


 その瞬間、近くにいたマティアスがわずかに息を呑む気配がした。


 あら。


 今の台詞、もしかして以前セシルに言ったのとほぼ同じではなくて?


 だが本音だから仕方がない。


 落としたくて落としたわけではない失敗を、必要以上に責めても、だいたいろくなことにならないのだ。


「お名前は?」


「……リーナ」


「そう。リーナ、でしたら次は一緒に気をつけましょう。今日はもう大丈夫ですわ」


 リーナは涙を拭いながら、こくりと頷いた。


 その様子を見ていた他の子どもたちも、どこかほっとした空気になっている。


 まずい。


 この感じ、ものすごくまずい。


 またしても 『慈悲深い』 とか 『子どもへの接し方が自然』 とか 『身分に驕らない』 とか、 そういう評価へ繋がる空気がしている。


 そしてその予感は、たいてい当たる。


「エウフェミア様」


 案の定、マティアスがしみじみとした声音で言った。


「あなたは本当に、弱っている者の心をほどくのがお上手なのですね」


 やめてくださいませ。


 その言い方はかなり重いです。


「そのような大層なものでは……」


「いいえ。子どもは、誰が自分を責めずに見てくれているかに敏感です」


 それは、そうかもしれない。


 エウフェミアも前世で、そういうところはあった気がする。


 怒られないから懐く、という単純な話ではなく、 “この人は自分を必要以上に小さくしないでくれる” という感覚だ。


 だが、それが理解できるからといって、評価が上がってよいわけではない。


 エウフェミアは内心で大きくため息をついた。


 その後、孤児院内の見学は続いた。


 子どもたちに本を読んで聞かせる部屋、小さな作業を覚えるための机、共同で使う寝室。どれも清潔に整えられているが、余裕があるとは言い難い。


 マティアスが淡々と説明する中で、エウフェミアは自然に気になることを口にした。


「冬場は、寒くありませんの?」


 マティアスが少しだけ驚いた顔をする。


「もちろん対策はしておりますが、十分とは言えません」


「そう、ですの……」


 その返答だけで、いろいろ察してしまう。


 余裕がないのだろう。


 教会が努力していても、必要なものは必要なのだ。


 前世の感覚では、こういう時に脳内で“改善点”が動き出す。


 毛布は足りているのか。子どもの年齢に応じた服は。靴は。日用品は。


 気づけば、エウフェミアは静かに言っていた。


「お母様に、冬物をもう少し相談してみますわ」


 その瞬間、セシルが横で息を呑んだ。


 マティアスも目を見開く。


 あ。


 これも、たぶんやってしまいましたわね。


「い、いえ、あまり大げさなことではなくて」


 慌てて言葉を足す。


「わたくしにできることは限られておりますもの。ただ、足りないものが少しでも減ればと……」


 だが、その弁解はほとんど意味をなさなかった。


 マティアスは静かに頭を下げた。


「そのお気持ちだけで、十分ありがたいことです」


 リーナをはじめ、近くにいた子どもたちまで、きらきらした目でこちらを見ている。


 やめてほしい。


 その目は本当にやめてほしい。


 帰りの馬車の中で、セシルは案の定、またしても感動しきっていた。


「お嬢様は、本当にお優しい……!」


「……そういうわけではありませんわ」


「でも、リーナちゃんも、とても安心しておりました」


「それは、よかったですけれど」


「それに、冬物のことまで気にかけてくださって」


 エウフェミアは小さく視線を逸らした。


 そこは少し反省している。


 たぶんあれは、やりすぎだった。


 ただ、聞いてしまった以上、見なかったふりも難しかったのだ。


 前世でもそうだった。事情を知ってしまうと、知らなかった頃の自分には戻れない。


 だが、それでは婚約解消に近づかない。


 むしろ遠ざかる。


 屋敷へ戻ると、ロザリー夫人は孤児院の様子を聞きたがった。


 エウフェミアはできるだけ淡々と話したつもりだったが、冬物の件まで伝えたあたりで、母は静かに目を細めた。


「……あなた、本当にそういうところが変わったわね」


「必要なものがあるのなら、考えるべきだと思っただけですわ」


「ええ。それを自然に思えることが、素敵なのよ」


 やめてほしい。


 それは加点です。


 しかもかなり重いやつです。


 その夜、エウフェミアは机に向かい、いつもの紙を開いた。


 婚約解消に向けた方策一覧。


 そこへ、新たに書き足す。


 孤児院で子どもを庇う

 →子どもにも優しく教会からも高評価


 必要なものを気にかける

 →慈悲深く責任感があると高評価


 書き終えたあと、しばらく無言で見つめる。


「……だめですわね」


 静かに呟いた。


「教会絡みは、だいたい加点されますわ」


 しかも今回は、ヒロイン候補らしき少女も見つからなかった。


 リーナは可愛かったし、つい助けてしまったが、“本来のヒロイン”という感じではない。少なくとも、直感的には違う気がする。


 では次はどうするか。


 その時、ふと今日の光景が脳裏をよぎった。


 孤児院にいた子どもたちの中で、年長の子たちは小さい子の面倒をよく見ていた。


 ああいう子たちは、いずれどこかで働き口を探すのかもしれない。


 教会。


 平民の子ども。


 年長の少女。


 ――もしかして、物語のヒロインは、そういう形で後から出てくるのではなくて?


 エウフェミアははっと顔を上げた。


「……教会関係で、これから出会う可能性」


 ある。


 十分にある。


 そしてそう考えれば、今日の行動は完全な無駄ではない。


 ヒロイン候補の出入りがありそうな場所と繋がれたのだから。


 よし。


 次からは、教会や孤児院方面の人の動きも少し意識して見ていこう。


 少なくとも本人は、そう前向きに結論づけた。


 一方その頃、教会では。


「エウフェミア様は、また来てくださいますか?」


 リーナが、小さな声でマティアスに尋ねていた。


 マティアスは穏やかに微笑む。


「ええ。きっとまた来てくださいますよ」


「……よかった」


 少女はそう言って、少しだけ嬉しそうに笑った。


 その様子を見た修道女たちは顔を見合わせる。


「子どもたちが、もうすっかり懐いていますね」 「ええ……あの方は、不思議と安心させますから」


 そしてその評価が、まだじわじわとエウフェミアを包囲し始めていることを、当の本人はまだ知らなかった。

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