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婚約した瞬間に破滅未来を思い出した悪役公爵令嬢ですが、婚約解消を目指しているだけなのに何故か好感度が上がっていきます  作者: 翡翠


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第8話 侍女見習いを庇ったら忠誠心が重くなりました

 ヒロイン候補を探す。


 その新たな目標を定めた翌朝、エウフェミアは寝台の上で静かに頷いていた。


 今までの失敗は、すべて自分が婚約解消へ向けて直接動いた結果である。


 慎ましくする。距離を取る。社交で目立たない。別の令嬢を立てる。


 そのたびに、なぜか 『理想の婚約者』 方面へ評価が積み上がった。


 ならばもう、自分から婚約者としての立場に触れすぎない方がよいのかもしれない。


 物語には本来のヒロインがいる。


 そう考えるなら、今後はそちらを探しつつ、悪役令嬢にならないよう日々を慎ましく過ごすのが最善だ。


 つまり、今日の目標はシンプルである。


 余計なことをしない。


 完璧だ。


 少なくとも、方針としては。


「お嬢様、朝のお支度をいたしますね」


 セシルがやわらかな声で言い、衣装棚を開けた。


 エウフェミアは鏡越しにその様子を見ながら、小さく息をつく。


 セシルは、すっかり主人に心酔していた。


 前のエウフェミアなら、まだ侍女見習いとして緊張している少女に、そこまで柔らかく接することはなかったのだろう。


 だが今の自分は、前世の記憶があるせいで、働く側のぎこちなさや緊張が妙によく分かってしまう。


 だからつい、強く当たれない。


 ……いや、強く当たらないのは良いことなのだけれど。


 問題は、それがこの世界ではいちいち高評価になることだ。


 その時だった。


 かたん、と小さな音がした。


 次の瞬間、セシルの顔色が真っ青になる。


 彼女の手元から、髪飾りを入れた細長い箱が床に落ちていた。


 蓋が外れ、中に入っていた真珠飾りが転がる。


「あ……」


 セシルの唇がわずかに震えた。


「も、申し訳ございません……!」


 反射的に膝をつこうとする。


 その様子を見た瞬間、エウフェミアは内心で頭を抱えた。


 ああ、だめだ。


 こういうのは、前世の自分が最も放っておけない類のものだ。


 落としてしまったことよりも、 “怒られる” と身を縮めている感じがよくない。


「大丈夫ですわ」


 気づけば、もうそう言っていた。


 セシルが、はっと顔を上げる。


「ですが……!」


「壊れてはいないでしょう?」


 エウフェミアは寝台から降り、真珠飾りをひとつ拾い上げた。


 金具も外れていない。少し磨けば済む程度だ。


「でしたら問題ありませんわ。わたくしも気をつけますから、あなたもそんなに青くならないで」


「お嬢様……」


 セシルの目が、みるみるうちに潤んでいく。


 しまった。


 この流れ、たぶん駄目なやつだ。


 しかし時すでに遅しである。


「……ありがとうございます……!」


 重い。


 感謝が重い。


 エウフェミアはほんの少しだけ遠い目になった。


 だがその場は、それで終わるはずだった。


 本来なら。


 しかしその日の午前、ロザリー公爵夫人の私室へ呼ばれたことで、事態は少し面倒な方向へ転がった。


「エウフェミア、今日は新しい髪飾りも試してみましょう」


 ロザリーが楽しげに微笑む。


 その脇には、年嵩の侍女が控えていた。セシルも緊張した面持ちで、その少し後ろに立っている。


「はい、お母様」


 エウフェミアが席につくと、侍女たちが慣れた手つきで髪を整え始めた。


 その途中で、ロザリーがふと問いかける。


「そういえば今朝、髪飾りを落としたそうね」


 エウフェミアは内心で固まった。


 なぜもう伝わっているのですか。


 屋敷内の情報伝達が早すぎる。


 視線を感じてそちらを見れば、セシルが申し訳なさそうに肩を縮めていた。どうやら自分から報告したらしい。


 真面目だ。


 真面目すぎる。


「……少し手が滑っただけですわ」


 エウフェミアはできるだけ軽く言った。


「壊れてもおりませんし、気にすることではありません」


 それで終わればよかった。


 だが、年嵩の侍女がしみじみと口を開く。


「普通でしたら、お叱りになってもおかしくありませんのに」


 やめてほしい。


 比較を入れないでいただきたい。


 ロザリーもまた、やわらかく娘を見つめた。


「あなた、本当に怒らなかったのね」


「怒るほどのことではありませんもの」


 エウフェミアは本音で答えた。


「落としたくて落としたわけではないでしょうし」


 その一言で、部屋の空気が妙に静まった。


 あら。


 これはもしかしなくても、また余計なことを言いましたわね?


 セシルは、今にも泣きそうな顔で唇を引き結んでいるし、年嵩の侍女まで感慨深げである。


 ロザリーは小さく目を細めた。


「……そう。あなたは、そう考えるのね」


 違います。


 いや、違わないけれど、そんなにしみじみ言われると困ります。


 エウフェミアは控えめに視線を落とした。


「わたくしだって、失敗はいたしますもの」


 前世では本当に山ほどした。


 仕事でも、日常でも、対人でも。だからこそ、失敗した瞬間の冷えた感じは分かる。


 分かるから、必要以上に責めたくないだけだ。


 だがその言葉は、ロザリーの胸にも何やら深く刺さったらしい。


「婚約を機に、そんなことまで言えるようになるなんて……」


 やめてほしい。


 またそこに帰着するのですか。


「お母様、あの」


「ええ、分かっているわ」


 ロザリーはうっすら微笑んだ。


「あなたが誰かを責めたくなくてそう言っていることも、その優しさも」


 いや、そこまで綺麗な話でもありませんのよ。


 半分くらいは前世で怒られてきた側の記憶ですし。


 だが当然、その説明はできない。


 髪を整え終えて自室へ戻ると、セシルが珍しく扉を閉めたあとで、深々と頭を下げた。


「お嬢様、本当に申し訳ございませんでした」


「だから、気にしなくてよいと言ったでしょう」


「ですが……お嬢様のお気持ちがありがたくて、どうしても……」


 声が震えている。


 まずい。


 この方向は、非常にまずい。


 こういう“恩義を感じました”の空気は、後々かなり重い忠誠心に化ける。


 エウフェミアには分かる。


 前世ではそこまで主従関係めいたものはなかったが、 “この人は自分の失敗を必要以上に責めなかった” という記憶は、わりと長く残るのだ。


「セシル」


「はい……」


「わたくしは、あなたに失敗しない完璧な侍女でいてほしいわけではありませんの」


 エウフェミアはできるだけ穏やかに言った。


「もちろん、丁寧に務めていただけるのはありがたいですわ。でも、失敗を怖がりすぎて萎縮される方が困りますの」


 これは完全に本音だった。


 人は萎縮すると、余計に失敗する。


 前世で何度も見たし、自分もそうだった。


「ですから、次から気をつけてくださればそれで十分です」


 そこまで言うと、セシルはついにぽろぽろと涙をこぼした。


 ああ、だめだ。


 これは完全に駄目なやつですわ。


「お、お嬢様ぁ……!」


 忠誠心が重くなる音がする。


 エウフェミアは内心で静かに天を仰いだ。


 余計なことをしない、という今日の目標は、半日も持たなかった。


 しかも困ったことに、この件はその日のうちに使用人たちの間へ広がったらしい。


 午後、自室の前を通る侍女たちの声が、少しだけ弾んでいた。


「お嬢様、最近本当にお優しくて……」 「セシルったら、もうすっかり心を持っていかれてるじゃない」 「でも分かるわ。あんなふうに言っていただけたら……」


 やめていただきたい。


 その口コミは、婚約解消にとってたぶんプラスではない。


 夕刻、ヴィクトル公爵までが娘を見つけるなり、どこか柔らかい目を向けてきた。


「使用人に対しても、よく気を配れているそうだな」


 もう伝わったのですか。


 早すぎませんこと?


「大げさですわ、お父様」


「大げさではない」


 ヴィクトル公爵は真面目な顔で言った。


「立場が上の者ほど、相手の委縮がどう影響するかを理解せねばならん。お前はそれを、幼いのによく分かっている」


 違います。


 前世で自分が委縮する側だった記憶があるだけです。


 だがこの世界の父から見れば、娘が“使う側の責任”を理解しているように見えるのだろう。


 それはそれで、とても困る。


「……そのような、立派なものではございませんわ」


「謙遜するところまで含めて、最近のお前は驚かされてばかりだ」


 やめてほしい。


 その台詞、かなり加点されている感じがしますわ。


 その夜、エウフェミアは例の紙を開いた。


 婚約解消に向けた方策一覧。


 もはや小さな恨み帳である。


 そこへ、新たに書き足す。


 侍女の失敗を責めない

 →慈悲深く使う側の器があると高評価


 しばらく見つめてから、静かにペンを置いた。


「……厳しくしてもだめ、優しくしてもだめ、ではありませんの?」


 もちろん、厳しくする気はない。


 だがこうも綺麗に加点されると、ちょっと確認したくなる。


 ただ、今回の件でひとつ分かったこともある。


 自分は、たぶん今後もこういう時に見捨てられない。


 困っている人や、怒られると身を縮めている人を見ると、前世の感覚が先に動いてしまう。


 つまり――その性格を無理に変えるのは無理だ。


 ならば、別のところで婚約解消へ寄せるしかない。


 エウフェミアは真剣に考え込む。


 次は、もっと“物語的”な部分へ寄せた方がいいのかもしれない。


 本来のヒロイン。


 その存在さえ見つかれば、少なくとも自分はそこへ道を譲る側に回れる。


 そうすれば、悪役令嬢ルートも断罪ルートも避けられる可能性が高い。


 よし。


 やはり最優先はヒロイン候補探しだ。


 そう結論づけた、その時。


 こんこん、と扉が叩かれた。


「お嬢様、セシルでございます」


 ……嫌な予感がした。


「どうしましたの」


 扉越しに問うと、セシルはどこか緊張した声で答えた。


「明日、奥様のご厚意で、孤児院へお届け物をする手伝いをさせていただけることになりました」


 エウフェミアは瞬いた。


 孤児院。


 教会の関係施設だろうか。


「それで……お嬢様もご一緒にいかがでしょう、と」


 孤児院。


 教会。


 身寄りの薄い子どもたち。


 そして、ふと引っかかる。


 ――そういう場所にこそ、物語のヒロイン候補がいるのではなくて?


 エウフェミアはゆっくりと顔を上げた。


「……行きますわ」


 扉の向こうで、セシルがぱっと明るい声を出す。


「はい!」


 エウフェミアの胸の内にも、少しだけ希望が灯った。


 今度こそ。


 今度こそ、ヒロイン候補と出会えるかもしれない。


 少なくとも本人は、そう信じた。


 一方その頃、屋敷の別の場所では。


「セシル、最近お嬢様の話しかしないわね」


 年嵩の侍女が、半ば呆れたように笑っていた。


「そ、それは……だって、お嬢様は本当にお優しくて……!」


「ええ、分かるけれど」


 侍女たちは顔を見合わせ、くすりと笑う。


「これはもう、屋敷中がお嬢様派になってしまいそうね」


 その何気ない予測は、たぶんそう遠くない未来の話だった。

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