第7話 婚約者に相応しい別の令嬢を探してみました
エウフェミアは、机の上の紙を見つめながら、静かに目を細めていた。
婚約解消に向けた方策一覧。
そこに並ぶ失敗の数々は、もはや一種の芸術ですらあった。
王子に距離を取る
→慎み深いと評価され失敗
静かな場所が好きだと伝える
→内省的で高評価
婚約は重いと話す
→真面目で信頼できると解釈される
社交で控えめにする
→聞き上手で場を整えられると高評価
小さなお茶会で目立たない
→話しやすく場が和むと高評価
「……そろそろ笑えてきましたわ」
乾いた声で呟く。
ここまでくると、もはや個々の作戦が悪いのではない。構造がおかしいのだ。
前世の自分の性格と、公爵令嬢という立場と、この世界の貴族社会の価値観が、ことごとく悪い方向に噛み合っている。
つまり、慎ましくしているだけでは駄目。
目立たなくしても駄目。
ならば必要なのは別の方向だ。
婚約者の座に執着していないことを示す。
これである。
王妃になりたい野心もない。第三王子の婚約者という立場に固執もしていない。もっと相応しい方がいるなら、そちらを立てる。
もしそれが自然に伝われば、 『この令嬢は競争心が薄く、王妃の座に向いていない』 という結論に近づくはずだ。
よし。
今度こそ、いけるかもしれない。
少なくとも理屈の上では。
「お嬢様、旦那様がお呼びでございます」
セシルの声に、エウフェミアは顔を上げた。
「お父様が?」
「はい。応接間にて、少々お話があると」
嫌な予感がした。
最近の自分に対する両親の評価は、完全に 『婚約を機に急成長した慎み深い娘』 で固まっている。
この流れで呼ばれる話など、たいていろくでもない。
応接間に向かうと、ヴィクトル公爵とロザリー夫人が揃っていた。しかも二人とも、どこか嬉しそうな顔をしている。
ああ、これは駄目ですわね。
「エウフェミア、座りなさい」
「はい、お父様」
エウフェミアが慎ましく腰を下ろすと、ヴィクトル公爵は咳払いをひとつした。
「実は来週、王城で小さな子ども向けの交流会がある」
「交流会、でございますか?」
「そうだ。王族や有力貴族の子女が集まり、顔合わせをする場だ」
その説明だけで、エウフェミアは理解した。
婚約者としての立場を、ゆるやかに周囲へ浸透させるための場である。
最悪だ。
しかも小さな子ども向け、というところがさらに悪い。露骨な駆け引きがしにくい。可愛げと礼儀がそのまま評価されやすい。
非常に悪い。
「もちろん、無理はさせない」
ヴィクトル公爵が真面目な顔で言う。
「だが、お前も今後、王家との関わりが増えていく。幼いうちに顔を知っておくことは大切だ」
「ええ。それに、アルベルト殿下もいらっしゃるでしょうし」
ロザリー夫人が柔らかく微笑む。
いらっしゃるでしょうし、ではない。
確定で困る。
「……承知いたしましたわ」
断る理由はない。いや、あるが言えない。
公爵夫妻は、その返答に満足そうに頷いた。
その日の夜。
寝台の上で、エウフェミアは布団をかぶって考え込んでいた。
交流会。
他の貴族令嬢が集まる。
王子もいる。
これはむしろ好機ではなくて?
これまでの失敗は、ほとんどすべて自分単体で完結していた。
慎ましくする。控えめにする。教会へ行く。距離を取る。
だが今回は違う。
他の令嬢がいるのだ。
ならば、その中の誰かを自然に立てればいい。
もっと華やかで、もっと愛らしくて、もっと社交的で、きっと王子に相応しい方がいるはずである。
その方を褒める。
その方の長所を示す。
自分よりそちらの方がふさわしいように空気を流す。
完璧である。
少なくとも今回は、かなり理にかなっている。
「よし……」
エウフェミアは小さく拳を握った。
「次こそ、婚約者の座への執着がないことを示しますわ」
そして迎えた交流会当日。
王城の一角にある広間は、大人の社交場ほど豪奢ではないものの、十分すぎるほど華やかだった。季節の花が飾られ、子ども向けに小さな菓子や飲み物が用意されている。
集まっているのは、やはり有力貴族の子女たちだ。
年齢はエウフェミアと同じくらいか、少し上。
皆、それぞれに愛らしく着飾っていた。
エウフェミアは静かに観察した。
いる。
華やかな子がいる。
よく笑い、よく話し、周囲の注目も集めている。
ああいう方こそ、王子の隣には相応しいのではなくて?
その時、背後から穏やかな声がした。
「エウフェミア嬢」
振り返れば、アルベルトだった。
今日もまた、七歳とは思えぬほど完成された佇まいをしている。どうしてこの方は毎回こうなのだろう。少しは子どもらしく落ち着きなくしていただきたい。
「本日はお会いできてうれしいです」
「……ご機嫌よう、殿下」
礼儀正しく挨拶しつつ、エウフェミアはさっそく周囲を見渡した。
そしてひとりの令嬢に目を留める。
栗色の巻き髪が愛らしく、周囲との会話も明るい。表情も豊かで、見るからに“交流会向き”だ。
よし。まずはあの方を立てましょう。
「あちらのご令嬢、とても素敵ですわね」
エウフェミアは自然を装って言った。
「笑顔が華やかで、どなたとでもすぐに打ち解けていらっしゃるようですもの」
完璧だ。
これなら、自分より社交的で人を惹きつける令嬢がいると示せる。
だがアルベルトは、そんな彼女を見てほんの少しだけ目を細めた。
「……そうですね。明るい方だと思います」
よし。反応は普通だ。
今のところは普通だ。
続けて押すべきだろう。
「わたくし、ああいうふうにはなかなかできませんの」
少し困ったように微笑む。
「場を明るくするのがお上手で、素敵だと思いますわ」
これも良い。
自分はそちらのタイプではない。華やかな社交性は持ち合わせていない。そう伝わるはずだ。
ところが、アルベルトはなぜか穏やかに首を傾げた。
「ですが、場を明るくする方法はひとつではありません」
嫌な予感がした。
「エウフェミア嬢は、にぎやかに中心へ立つのではなく、周囲を安心させる形で場を和らげる方でしょう」
ああ。
またそうなるのですね。
「それは、とても貴重なことだと思います」
駄目だ。
比較対象を出してもなお、自分の別方向の長所として処理される。
まったく隙がない。
その後も、エウフェミアは何度か試みた。
明るく快活な令嬢がいれば、 「ああいう方は素敵ですわね」 と褒める。
礼儀作法の美しい令嬢がいれば、 「所作が美しくて憧れますわ」 と言う。
お菓子の話で盛り上がる令嬢がいれば、 「楽しそうでいらして、見ているだけで和みます」 と持ち上げる。
だが、そのたびにアルベルトは静かに返すのだ。
「あなたは他者の長所を見つけるのが上手ですね」
とか。
「自分を飾るより先に、周囲をきちんと見ておられる」
とか。
「立場に慢心しないのは美点です」
とか。
違うのです。
こちらは婚約者の座を譲りたいのです。
だがその切実な願いは、ことごとく 『嫉妬せず他者を立てられる器の大きい令嬢』 という方向に変換されていく。
なぜなのか。
いや、なぜかは分かる。
アルベルトが妙に聡く、しかも解釈が一貫して前向きなのだ。
構造的に詰んでいる気がする。
交流会の途中、令嬢たちで小さな輪ができた。
花の好みや、好きな絵本、最近覚えたことなどを話している。エウフェミアもその輪に加わり、慎ましく相槌を打っていた。
すると、先ほどから目立っていた栗色の巻き髪の令嬢が、少し照れたようにエウフェミアへ言った。
「エウフェミア様って、お優しいのですね」
「……わたくしが、ですか?」
「はい。さっきから、皆のことをたくさん褒めてくださって」
あ。
それは、少し困る。
こちらとしては“自分より相応しい人がいる”という方向へ誘導していただけなのだが、受け取る側からすれば、ただひたすら感じのよい令嬢でしかないのかもしれない。
「そのようなことは……」
「でも嬉しかったですわ。わたくし、少し緊張していたので」
令嬢はふわりと笑った。
その笑顔を見て、エウフェミアはほんの少しだけ言葉に詰まる。
こういうのは、ずるい。
自分の行動が誰かを安心させたと分かると、途端に“作戦”として割り切れなくなる。
前世でもそうだった。
だから損をしたこともある。
けれど。
「……それなら、よかったですわ」
そう返すしかなかった。
すると、そのやり取りを少し離れた場所から見ていたアルベルトが、またしても静かに微笑んだ。
嫌な予感しかしない。
交流会の終わりが近づき、大人たちのところへ戻る流れになった時、ロザリー夫人が娘を見つけて目を細めた。
「エウフェミア、楽しめたかしら?」
「……はい、お母様」
楽しめたというより、疲れましたわ、が本音である。
だがロザリー夫人は娘の顔を見て、どこか満足げだった。
「皆さまともよくお話しできていたようね」
それは違います。婚約解消のための布石でした。
とはいえ、もうそんな説明が通る段階ではない気もする。
帰りの馬車に乗り込むなり、エウフェミアはぐったりと背もたれに寄りかかった。
セシルはというと、隣で完全に感激しきっていた。
「お嬢様、本日も素晴らしゅうございました……!」
「……どのあたりが、ですの」
「ご自分を飾ることなく、他のご令嬢方の長所を自然に褒めていらしたではありませんか」
やはりそこか。
「皆さま、とても嬉しそうにしていらっしゃいました」
「そう、でしたわね……」
「立場に驕らず、他者を立てることのできる方は、なかなかおりません」
やめてほしい。
その分析はあまりにも的確で、そしてあまりにも困る。
屋敷へ戻ると、エウフェミアはまっすぐ自室へ向かった。
そして机に座り、例の紙を開く。
婚約解消に向けた方策一覧。
そこへ、新たに書き足す。
他の令嬢を立てる
→嫉妬せず他者を評価できると高評価
しばらくその一文を見つめたあと、エウフェミアは静かに額を押さえた。
「……なぜ、譲ろうとすると加点されますの」
婚約者の座への執着がないことを見せたかった。
自分より相応しい方がいると示したかった。
なのに結果は、 『器が大きい』 『他者の長所を見つけられる』 『立場に慢心しない』 である。
どうやらこの世界では、希少な地位に執着を見せないことは、競争心の欠如ではなく、人格の高さとして見られるらしい。
まずい。
かなりまずい。
では次はどうするか。
エウフェミアは真剣に考え込んだ。
ここまでくると、 『王妃向きではない』 を示すには、能力や性格ではなく、もっと別の方向から攻めた方がいいのかもしれない。
たとえば――使用人に対してあまりにも甘い、とか。
いや、それも慈悲深さとして加点されそうだ。
では、権力や格式に無頓着すぎるとか。
……それも品位と解釈される気がする。
詰んでいるのではなくて?
その時、ふと前世の知識が引っかかった。
悪役令嬢ものには、しばしば“本来のヒロイン”がいる。
平民、あるいは少し身分の低い少女。王子や周囲に好かれる存在。
もしまだその子が現れていないなら。
あるいは、これから出会うのなら。
そこに希望があるのではなくて?
ヒロインが現れれば、物語はそちらへ流れるはずだ。
エウフェミアはゆっくりと顔を上げた。
「……本来のヒロイン」
そうだ。
自分がどうこうするより、物語の本筋に戻っていただいた方が早いのではないか。
もしヒロイン候補らしい少女を見つけたら、今度こそ間違えずに、その方を応援する。
それが最適解かもしれない。
よし。
次の目標は決まった。
ヒロイン候補を探す。
少なくとも本人は、そう決めた。
その頃、交流会が終わり、人の流れがゆるやかにほどけていく中、アルベルトは少し離れた場所からエウフェミアを見ていた。
他の令嬢を自然に立てる。
自分が目立つより、周囲が気持ちよく過ごせるように振る舞う。
婚約者の座に執着しているようには見えないのに、その立ち居振る舞いは誰よりも品があって、しかも相手を安心させる。
「……本当に、面白い方ですね」
七歳の王子は、静かに目を細めた。
婚約を嫌がっているように見える。
それなのに、婚約者としての評価は上がる一方だ。
しかも本人には、その自覚が薄いようにすら見える。
「逃がしたくない人ですね」
その呟きは、ごく小さく、誰にも聞かれないまま消えた。
もちろん、その言葉がエウフェミアにとって最悪の方向へ進んでいることは、言うまでもなかった。




