第6話 小さなお茶会で目立たないはずでした
エウフェミアは、目の前に置かれた招待状を見つめていた。
上質な紙に、流麗な筆致。
ロザリー公爵夫人主催の、小規模なお茶会への同席案内である。
「……来てしまいましたわね」
ぽつりと呟くと、セシルがきらきらした目で頷いた。
「はい! ついにお嬢様のお茶会でございます!」
ついに、ではない。
できれば永遠に、であってほしかった。
だが現実は非情である。
第5話で社交の練習をした結果、 『聞き上手で場を整えられる小さな淑女』 などという、婚約解消から最も遠い評価を獲得してしまったエウフェミアは、満を持して実践の場へ送り込まれることになった。
今回の目的は明確である。
目立たないこと。
できれば 『控えめすぎて王妃向きではない』 と思っていただきたい。
華やかな会話の中心には立たない。
気の利いた返しも、ほどほどにする。
とにかく存在感を薄く。
そう。空気になるのだ。
完璧である。
少なくとも、理論上は。
「お嬢様、お召し物はこちらでよろしいですか?」
セシルが差し出したのは、淡い水色のドレスだった。清楚で愛らしいが、公爵令嬢としてはやや控えめな色味である。
エウフェミアはすぐに頷いた。
「ええ、それでお願いしますわ。できるだけ……そう、目立たない感じで」
「まあ!」
セシルはまたしても感動した顔になった。
「お嬢様は本当に慎ましくていらっしゃいます……!」
違う。
ただ存在感を消したいだけである。
だが説明しても無駄だろう。最近のセシルは、エウフェミアのどんな行動もだいたい高潔な方向へ解釈する。
ある意味、とても厄介な侍女である。
着替えを終え、鏡の前に立つ。
水色のドレスは確かに控えめだ。髪飾りも小粒の真珠のみ。装いとしては完璧に 『慎ましい公爵令嬢』 である。
……あら。
それ、もしかして駄目ではなくて?
エウフェミアはじわりと嫌な予感を覚えた。
だが今さら別案もない。
お茶会の場で目立たなければよいのだ。そこで挽回できる。たぶん。
たぶん、であるけれど。
会場となるサロンには、すでに数名の貴婦人と、その娘たちが集まっていた。どれも公爵家と親しい家の者ばかりで、年齢もエウフェミアより少し上の令嬢から、母世代の夫人まで幅広い。
いわゆる、気心の知れた小さな社交の場である。
最悪だ。
こういう場は、あからさまな失敗が起こりにくい。
皆が優しいからだ。
つまり、うっかりすると無難にこなしてしまい、そのまま評価だけが上がる。
「エウフェミア、そんなに硬くならなくてよいのよ」
ロザリーが穏やかに微笑む。
「今日は楽しんでちょうだい」
「……はい、お母様」
楽しむ余裕があればよいのだけれど。
エウフェミアは慎ましく礼をし、席へ着いた。
開始直後の数分は、特に問題なかった。
母たちの会話が中心で、令嬢たちは相槌を打ったり、小さく感想を挟んだりしている。エウフェミアはその流れに紛れ、目立たぬよう静かに紅茶へ口をつけた。
よし。これでいい。
今日は空気になるのだ。
そう思ったのも束の間。
「エウフェミア様は、最近教会へ通っておられるのですって?」
向かい側に座っていた伯爵令嬢が、興味深そうに尋ねてきた。
しまった。
その話題はまずい。
教会ネタは高確率で 『敬虔』 『慈悲深い』 『王妃に相応しい』 方面へ飛ぶ。
「ええ、少しだけ」
できるだけ短く答える。
それ以上広げないでいただきたい、という気持ちを込めて。
だが伯爵令嬢は、きらきらと目を輝かせた。
「すごいですわ! わたくし、朝のお祈りですら時々忘れてしまいますのに」
「まあ、そういうこともございますわ」
エウフェミアは、なるべく無難に返した。
自分の敬虔さを強調しない。相手を否定しない。話を広げすぎない。
完璧である。
だが隣の侯爵夫人が、やさしく微笑んで口を挟む。
「そうやって、相手を気詰まりにさせない言い方ができるのは素敵ね」
あ。
また駄目な方向へ評価されましたわね。
エウフェミアは心の中で机に突っ伏した。
こちらは会話を終わらせたいだけなのに、 『相手への配慮が自然』 に変換される。
社交とは恐ろしい。
少しすると、今度は別のご婦人が、家庭で飼っている犬の話を始めた。
「もう本当にやんちゃで、昨日なんて庭の花壇を掘り返してしまって」
周囲に小さな笑いが起こる。
ここでエウフェミアは、あえて黙っていようとした。
話を拾わない。
前に出ない。
目立たない。
だが、犬の話をしている夫人が、どこか困ったように笑っているのを見てしまった。
それはきっと、本気で困っていたのだろう。
前世の自分は、そういう「笑っているけれど少し疲れている人」を見ると、どうにも放っておけなかった。
「でも、きっと奥様がお好きだからこそ、甘えてしまうのですわ」
気づけば、口が動いていた。
夫人が瞬きをする。
「花壇は大変でしたでしょうけれど……犬は、好きな相手には元気が出すぎてしまうこともありますもの」
一瞬、場が静まった。
あら。やってしまいましたかしら。
だが次の瞬間、夫人がふっと頬を緩めた。
「……まあ。そう言っていただけると、叱ってばかりでは可哀想に思えてしまうわね」
周囲にも、やわらかな空気が広がる。
「エウフェミア様はお優しいのね」 「物事の見方が柔らかいのだわ」
そんな声が聞こえてきて、エウフェミアは内心で天を仰いだ。
違います。
ただ困っている方を見ると、ついフォローしたくなってしまうだけです。
それにしても、なぜ全部が好印象になるのか。
前世の自分は、別にこんなに評価されるタイプではなかったはずなのだけれど。
だが、ここでようやくひとつ気づいた。
前世では、自分はただの一般人だった。
この世界では、公爵令嬢である。
つまり、高い身分の者が少し相手を気遣うだけで、何倍にも美徳として見えてしまうのだ。
これはまずい。
かなり構造的にまずい。
そんなことを考えているうちに、話題は花やお菓子から、最近の王都の流行へと移っていった。
令嬢たちは、それぞれ楽しげに話している。
エウフェミアは、ここなら引けるかもしれないと思った。
流行に強い関心がない。社交界の華やかな話題についていけない。そう見せれば、少なくとも 『王妃向きではない』 寄りの評価がもらえるかもしれない。
よし。
今度こそ。
「エウフェミア様は、どのような色や意匠がお好きですの?」
令嬢のひとりが尋ねてきた。
チャンスである。
ここで極めて地味な答えを出せばよい。
派手な流行には興味がない。きらびやかな装いを競う気もない。そう伝えれば――
「……落ち着いたものが好きですわ」
慎重に答える。
「派手すぎず、着ていて心が静かになるようなものの方が、わたくしは落ち着きますの」
完璧である。
華やかさへの執着の薄さ。王妃向きのきらびやかさからの距離。今度こそ、これはいけるのではないか。
だが、令嬢たちは顔を見合わせたあと、なぜかそろってうっとりした表情になった。
「素敵……」 「自分に似合うものを知っていらっしゃるのね」 「派手に飾らなくても気品がある方って、本当に憧れますわ」
なぜ。
どうしてそうなる。
ロザリー公爵夫人まで、満足そうに紅茶を口にしている。
やめてほしい。
その微笑みは、明らかに 『この子、ちゃんと自分を分かっているわ』 の顔である。
違うのです、お母様。
こちらは今、必死で王妃候補ポイントを下げようとしているのです。
それなのに、なぜ自己理解と品位の話になるのですか。
お茶会は穏やかに、そして着実に、エウフェミアの不本意な高評価を積み上げながら進んでいった。
誰かの話を丁寧に聞けば聞くほど、 『聞き上手』 『場の空気を柔らかくする』 『相手を立てるのが自然』 と評価される。
つまり、目立たないようにしているのに、目立たずに評価されるという最悪の状態である。
社交とは、なんて理不尽なのだろう。
やがて会がお開きになる頃には、エウフェミアはすっかり精神力を削られていた。
だが周囲の夫人たちは、みな満足そうだった。
「エウフェミア様は、本当にお話ししやすい方ね」 「無理に前へ出ないのに、ちゃんと場が華やぐのが不思議だわ」 「将来が楽しみですこと」
やめてくださいませ。
その“将来”の方向性が困るのです。
伯爵令嬢のひとりが、帰り際に少しはにかみながら言った。
「エウフェミア様、わたくし、最初は緊張していたのです。でも、とても優しくお話ししてくださって……嬉しかったですわ」
その一言に、エウフェミアは一瞬だけ言葉を失った。
こういうのは、ずるい。
前世でもそうだった。誰かが安心した顔をすると、それだけで「まあいいか」と思ってしまう部分があった。
だから困るのだ。
婚約解消のためには失点したいのに、目の前で喜ばれると、それを無視しきれない。
「……それなら、よかったですわ」
そう返すと、令嬢はふわりと笑った。
やっぱり、だめだった。
たぶん今のも加点だ。
会が終わり、部屋へ戻るなり、セシルがほうっと熱っぽいため息をついた。
「お嬢様、本日もお見事でございました……!」
「見事ではありませんわ」
「でも皆さま、とても楽しそうにしていらっしゃいました」
「それは皆さまがお優しいからですわ」
「それもございます。でも、お嬢様がいらっしゃると場の空気がふんわりいたします」
やめてほしい。
その分析はわりと正確そうで、余計に困る。
エウフェミアは机に向かい、例の紙を開いた。
婚約解消に向けた方策一覧。
そこへ、新たに書き足す。
小さなお茶会で目立たない
→話しやすく場が和むと高評価
しばらくその文字を見つめる。
「……だめですわ」
静かに呟いた。
「目立たなくても、高評価されますわ」
つまり問題は、目立つかどうかではない。
好かれてしまう構造そのものが問題なのだ。
前世の自分は、困っている人を放っておけない。相手に気を遣う。強く出るのが得意ではない。
それがこの世界では、慎み深さや慈愛や品位に見えてしまう。
そして公爵令嬢という立場が、それを何倍にも増幅する。
まずい。
かなりまずい。
では、次はどうするか。
エウフェミアは真剣に考え込んだ。
社交そのものができるかどうかではなく、婚約者の座に執着していないことを示す方が良いのかもしれない。
たとえば、王子に相応しい別の令嬢をさりげなく立てるとか。
自分よりももっと華やかで、もっと社交的で、もっと王妃らしい方がお似合いだと示せば、少しは婚約解消の余地が見えるのではないか。
よし。
次はそれでいこう。
少なくとも本人は、そう決めた。
だがその頃、王城では。
「エヴァルディ公爵令嬢は、小さなお茶会でも好評だったそうです」
報告を受けたアルベルトが、静かに視線を上げた。
「自分から前へ出ることはないのに、場が自然と和やかになるとか」
「……そうですか」
アルベルトは短く答え、微かに笑った。
婚約の場であれほど怯えていた少女が、その後はどこへ出しても評判がよい。
慎ましく、優しく、しかも無理に目立とうとしない。
「ますます興味深いですね」
七歳の王子は、窓辺に立ったまま小さく呟く。
「逃げたがっているように見えるのに、誰よりも人を安心させる」
その評価が、当のエウフェミアの望む方向と完全に真逆であることは、言うまでもなかった。




