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婚約した瞬間に破滅未来を思い出した悪役公爵令嬢ですが、婚約解消を目指しているだけなのに何故か好感度が上がっていきます  作者: 翡翠


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10/11

第10話 王妃教育が始まるなんて聞いておりません

 孤児院から戻った翌々日、エウフェミアは朝食の席で妙な違和感を覚えていた。


 父ヴィクトル公爵も、母ロザリー夫人も、やけに機嫌がよいのである。


 こういう時はだいたい危ない。


 経験則が告げていた。


 いや、七歳の公爵令嬢としての経験ではなく、ここ最近の 『両親が嬉しそうな時ほど、婚約解消から遠ざかる』 という不本意な経験則である。


「エウフェミア」


 やはり来た。


 ヴィクトル公爵がナイフとフォークを置き、娘へ向き直る。


「本日から、少しずつお前の教育内容を増やすことになった」


 エウフェミアは上品に微笑んだまま固まった。


「……教育内容、でございますか?」


「ええ。礼儀作法や歴史、宗教観に加えて、王家へ嫁ぐ者として必要な基礎も、ゆるやかに学んでいきましょうという話になったの」


 ロザリー夫人が、実に穏やかに言う。


 その声音が穏やかであればあるほど、内容は穏やかではない。


 王家へ嫁ぐ者として必要な基礎。


 それはつまり。


 王妃教育の前段階ではなくて?


 まずい。


 非常にまずい。


「もちろん、まだ本格的なものではない」


 ヴィクトル公爵が言葉を足す。


「だが、お前は最近、周囲を見る目も落ち着きも出てきた。今のうちから少しずつ学んでおくのは悪くない」


 違います。


 それは断罪を避けたくて必死なだけです。


 だが当然、その説明はできない。


 エウフェミアは慎ましく目を伏せた。


「……わたくしには、まだ早いのではございませんか」


 よし。


 これは自然なはずだ。


 自信のなさ。荷の重さ。前へ出たくない気持ち。王妃向きではない空気。


 今度こそ、少しは 『この子には重い』 に寄るのではないか。


 ところがロザリー夫人は、やわらかく微笑んだ。


「そう思えること自体が大切なのよ」


 なぜですの。


「自分なら何でもできると思い込む子より、きちんと重みを分かっている子の方が、ずっと良いわ」


 ああ、またその方向ですのね。


 もう最近は、少し先の反応が読めるようになってきた。


 自己主張しない  →慎み深い


 自信がない  →真面目で堅実


 荷が重いと言う  →責任感がある


 どうして全部そうなるのだろう。


 朝食の味が少し分からなくなった頃、ロザリー夫人が楽しげに続けた。


「今日はまず、軽い座学と、お話の受け答えから始めましょうね」


 その日の午前。


 エウフェミアは小さな学習室に座らされていた。


 窓からやわらかな光が差し込み、机の上には数冊の本と紙、インク壺が並んでいる。


 向かいに座るのは、母が選んだ女性教師だった。年の頃は三十代後半ほど。厳しさよりも、よく整った理知的な雰囲気を感じる。


「本日より、エウフェミア様の基礎教育を少しお手伝いさせていただきます、アデルと申します」


「よろしくお願いいたします、アデル先生」


 エウフェミアは礼儀正しく頭を下げた。


 礼儀そのものは大切だ。ここで無礼にしても断罪ルートへ近づくだけである。


 問題は、できるだけ目立たず、しかし無能すぎるとも思われない範囲で乗り切ることだ。


 この塩梅が難しい。


 アデルはまず、穏やかに確認するような質問から始めた。


「王族の方とお話しする際に、最も大切なことは何だと思われますか?」


 エウフェミアは慎重に考える。


 ここで模範解答を出してしまうのはよくない。


 かといって的外れすぎるのも困る。


 必要なのは、無難で、目立たず、それっぽい答えである。


「……礼を失しないこと、でしょうか」


「ええ。正しいですね」


 まずい。


 まずいというほどではないが、無難に当たってしまった。


 アデルはさらに問う。


「では、礼を尽くすとはどういうことでしょう?」


 エウフェミアは内心で小さくうなった。


 これは少し難しい。


 だが、前世の感覚が邪魔をする。


 礼儀とは形式だけではなく、相手を不必要に不快にさせないことでもある――などと、つい考えてしまうのだ。


 でもそれを言うと、少し賢く見えすぎる気がする。


 どうするべきか。


「型通りの言葉や所作を守ることも大事ですが……」


 しまった、出だしから少し踏み込んだ。


「相手のお立場をきちんと考えて、失礼のないようにすることかと……思います」


 アデルが、一瞬だけ沈黙した。


 あ。


 これ、ちょっとやってしまいましたわね?


 だがアデルはすぐに表情を整え、静かに頷いた。


「とてもよくお考えです」


 だめでした。


 エウフェミアは心の中でそっと机に額をつけた。


 無難にしたつもりが、普通に考えて答えたせいで、少し評価されてしまった。


 やはり前世の人格が前に出ると、この手の“バランスを取る答え”が自然に出てしまう。


 その後も似たような調子だった。


 宗教に関する軽い問いには、教会へ通っている経験が邪魔をして、あまりにも雑な答えが出せない。


 礼儀作法の意味を問われれば、ただ形を守るだけではなく相手への敬意が要ると、つい思ってしまう。


 そしてそのたびに、アデルの評価がほんの少しずつ上がっていくのが分かる。


 まずい。


 この流れは、かなりまずい。


 午前の終わり頃、アデルはひとつの簡単な事例を出してきた。


「では、少しだけ考え方を見てみましょう」


 紙に書かれていたのは、こういう問いだった。


 “お茶会の席で、二人の令嬢が同じ話題で言い争いそうになっている。あなたならどう振る舞うか”


 エウフェミアは、その紙を見て固まった。


 ええと。


 それはかなり、前世の自分がよくやっていた“面倒ごとを荒立てずにやり過ごす”分野ではなくて?


 まずい。


 非常にまずい。


 こういう時の自分は、損得と空気と相手の感情を天秤にかけて、なるべく被害の少ない位置を探してしまう。


 だがそれをそのまま出すと、おそらく教育係としては好印象だ。


 ここは少し控えめにしなければ。


 目立たず、しかし幼すぎず、無難に。


「……わたくしでしたら」


 エウフェミアはゆっくり言葉を選んだ。


「すぐにどちらが正しいかを決めようとはせず、まずは別の話題を差し入れるかもしれません」


 アデルが目を上げる。


「その場で白黒をはっきりさせるより、気持ちが少し落ち着いてからの方がよいこともございますでしょうから」


 言ってから、しまったと思った。


 これ、かなり無難でありながら、それなりに実務的ではなくて?


 案の定、アデルは静かに息をついた。


「……お見事です」


 だめでしたわ。


「争点をその場で断ち切るのではなく、まず感情の高ぶりを下げる。とても穏当な考え方です」


 穏当で結構。


 だが婚約解消からは遠ざかっております。


 エウフェミアは顔には出さず、内心でがっくり肩を落とした。


 昼食後、ロザリー夫人が学習室を覗きに来た。


「どうだったかしら、エウフェミア」


「……先生が丁寧に教えてくださいましたので」


 できるだけ控えめに答える。


 ここで自分から何か言うと危ない。


 だがアデルは、きっちり横から補足してきた。


「大変飲み込みが早くていらっしゃいます。考え方も落ち着いておられますし、何より相手の立場を想像する癖が自然にございます」


 やめてくださいませ。


 それはかなり、王妃候補寄りの褒め方です。


 ロザリー夫人の瞳が、目に見えて輝いた。


「まあ……!」


 やめてほしい、その“まあ”は危険です。


「エウフェミア、あなた本当に」


「お母様」


 エウフェミアは思わず、いつもよりほんの少しだけ強めに口を挟いてしまった。


「まだ、基礎の基礎でございますわ」


 これ以上加点しないでいただきたい。


 その気持ちを込めたつもりだった。


 しかしロザリー夫人は、むしろ深く頷いた。


「そうね。そこで驕らないところが良いのよ」


 だめだ。


 今日は完全に、何を言っても加点される日らしい。


 夕方、自室へ戻ったエウフェミアは、机に向かうなり例の紙を開いた。


 婚約解消に向けた方策一覧。


 そこへ、重い気持ちで書き足す。


 王妃教育の前段階に臨む

 →飲み込みが早く落ち着いていると評価


 無難な答えを出す

 →穏当で調整力があると評価


 謙遜する

 →驕らず真面目だと評価


 しばらく見つめてから、エウフェミアは静かに呟いた。


「……やればやるほど、だめですわね」


 もちろん、不真面目に振る舞うことはできない。


 それは断罪ルートに近づくだけだ。


 だが真面目にやればやるほど、今度は 『王妃教育に向いている』 方向の評価が積み上がる。


 どうしろというのか。


 少しだけ遠い目になりながら、エウフェミアは椅子の背にもたれた。


 その時、扉がこんこんと叩かれる。


「お嬢様、セシルでございます」


「どうしましたの」


「奥様が、明後日にもう一度教会へご挨拶に行くのもよいのではないかと仰っておられます」


 教会。


 エウフェミアははっとした。


 そうだ。


 王妃教育方面が加速している今だからこそ、教会との繋がりも保っておくべきではないか。


 いざという時の逃げ道は、細くても繋いでおいた方がいい。


 それに、教会方面からヒロイン候補が現れる可能性だってある。


「……行きますわ」


 そう答えると、扉の向こうでセシルの声が明るくなった。


「はい!」


 エウフェミアは小さく息を吐く。


 今のところ、王妃教育では不本意に加点されてしまった。


 だが、まだ終わっていない。


 教会ルートも、ヒロイン候補探しも、諦めるには早い。


 少なくとも本人は、そう前向きに結論づけた。


 一方その頃、王城では。


「エヴァルディ公爵令嬢の教育が始まったそうです」


 側仕えの報告に、アルベルトは静かに視線を上げた。


「最初の基礎だけでも、非常に落ち着いて受け答えしていたとか」


「……そうですか」


 短く答えたあと、アルベルトはほんのわずかに笑った。


 婚約の場では、あれほど怯えていた。


 それなのに今は、重さに戸惑いながらも逃げずに立っている。


 しかも、誰かを押しのけるような形ではなく、穏やかに。


「やはり」


 七歳の王子は、小さく呟いた。


「私の婚約者にふさわしい方ですね」


 もちろん、その評価がエウフェミアにとって全く嬉しくないことは、言うまでもなかった。

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