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婚約した瞬間に破滅未来を思い出した悪役公爵令嬢ですが、婚約解消を目指しているだけなのに何故か好感度が上がっていきます  作者: 翡翠


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第4話 王子に嫌われる作戦は、だいたいうまくいきません

 エウフェミアは机に向かい、真剣な顔で紙を見つめていた。


 そこには、たどたどしくも整った字でこう書かれている。


 婚約解消に向けた方策一覧


「お嬢様……?」


 後ろからそっと覗き込んだセシルが、小首を傾げた。


 エウフェミアははっとして紙を伏せる。


「な、なんでもありませんの」


 危ないところだった。


 婚約解消を目指す計画書など見られたら、公爵家がひっくり返る。いや、まず自分の人生がひっくり返る。


 けれど、やるべきことははっきりしている。


 教会で分かった。


 慎ましくしているだけでは駄目だ。


 前世由来の善良さも、この世界ではどうやら 『慈悲深い理想の令嬢』 という評価に変換されてしまうらしい。


 ならば次の作戦は、王子にだけ距離を取ることだ。


 あからさまに嫌うのは駄目である。不敬だし、子どもの態度としても不自然だ。


 だが必要以上に目を合わせず、親しげにせず、あくまで礼儀正しく、しかし明確に壁を作る。


 そうすればアルベルト第三王子も 『この婚約者はあまり自分に懐いていないな』 と思うかもしれない。


 情緒的な接続を最小限にする。


 合理的である。


 完璧である。


 少なくとも理論上は。


「本日、王城より使者が参りました」


 執事が恭しく告げたのは、そのすぐ後だった。


「第三王子殿下が、先日のご様子を案じておられまして。ご機嫌伺いにお越しになるとのことです」


「……はい?」


 エウフェミアは目を瞬かせた。


「本日?」


「はい」


「ご本人が?」


「はい」


「こちらに?」


「はい」


 嫌な予感しかしない。


 いや、もう嫌である。


 婚約直後に倒れたのだから、王子側が様子を見るのは不自然ではない。礼儀として当然だろう。


 だが、心の準備というものがある。


 こちらはまだ 『王子にだけ距離を取る作戦』 を脳内で立ち上げたばかりなのだ。


 いきなり本番は聞いていない。


「お嬢様、お召し替えを」


 セシルがきびきびと動き出す。


「お髪も整えましょう。あまり華やかすぎず、ですが公爵家として失礼のないように……」


 その言葉に、エウフェミアはぴんと来た。


 あまり華やかすぎない。


 そう、それだ。


 過度に飾り立てず、落ち着いた装いで臨めば、 『王子に好かれる気満々ではない』 『華やかな王妃向きの令嬢ではない』 と印象づけられるかもしれない。


「セシル」


「はい、お嬢様」


「できるだけ控えめにしてくださいな」


「まあ……なんて慎ましい……」


 違います。好かれたくないだけです。


 だがそんな事情を知らぬセシルは、ますます感動した顔になった。


 着替えの結果、エウフェミアは淡い藤色のドレスを選んだ。上質ではあるが派手さはない。髪飾りも小さな真珠だけ。


 鏡を見たセシルが、うっとりと息をつく。


「なんてお可愛らしいのでしょう……飾り立てないほうが、かえってお嬢様のお美しさが際立ちます……」


 それ、駄目な方向ではなくて?


 エウフェミアは嫌な汗をかいた。


 どうも最近、 『目立たないようにする』 が 『素材の良さが際立つ』 に変換される傾向がある。


 まずい。


 応接間では公爵夫妻が揃って待っていた。エウフェミアは両親の間に座り、膝の上で手を重ねる。


 大丈夫。落ち着いて。礼儀正しく、しかし親しくなりすぎない。それだけだ。


 やがて扉が開いた。


「アルベルト・ルヴァンシュ第三王子殿下のご到着です」


 現れたのは、先日と変わらぬ金髪と蒼い瞳の少年だった。


 七歳とは思えぬほど整った立ち姿。柔らかな礼を尽くす所作。やはり、この年齢で既に完成度が高い。


 怖い。


 成長したら絶対に厄介なタイプである。


「本日は突然の訪問をお許しください、エヴァルディ公爵、公爵夫人」


「とんでもございません、殿下」


 父ヴィクトル公爵が応じ、母ロザリーも優雅に微笑む。


 そしてアルベルトの視線が、エウフェミアに向いた。


「エウフェミア嬢。お加減はいかがですか」


「……もう問題ございませんわ。ご心配をおかけし、申し訳ございませんでした」


 ここまでは完璧だ。


 丁寧だが簡潔。余計な親しみはない。


 エウフェミアは密かに手応えを覚えた。


 だがアルベルトは、そんな彼女をじっと見つめたあと、ほんの少しだけ目を細めた。


「そうですか。それは何よりです」


 声音は穏やかだった。


 けれど、なぜか探るようでもある。


 お茶が運ばれ、当たり障りのない会話が始まる。体調のこと、最近の学びのこと、今後の顔合わせのこと。


 そのひとつひとつに、エウフェミアは慎重に答えた。


 必要以上に笑わない。


 無礼にはならない。


 だが親しみも見せすぎない。


 順調だ。少なくとも本人はそう思った。


「先日、教会へ行かれたとうかがいました」


 アルベルトが何気ない調子で言った瞬間、エウフェミアの背筋が固まった。


 なぜご存じなのですか。


 いや、公爵家の令嬢が王子の婚約者になってすぐ教会へ行けば、王家に情報が入ってもおかしくはない。おかしくはないが、心臓に悪い。


「はい……婚約という大きな節目でしたので、お祈りを」


「立派なお心がけですね」


 アルベルトは穏やかに続けた。


「迷子の子どもにも優しく声をかけておられたとか」


 情報が細かい。


 どこまで見ているのかしら、この方は。


「大したことではありませんわ。たまたま近くにいただけですもの」


「ですが、近くにいても、皆がすぐに動けるわけではありません」


 アルベルトは静かに微笑んだ。


「あなたはお優しいのですね」


 その瞬間、エウフェミアは理解した。


 駄目だ。


 これは距離を取るどころか、観察対象としての興味を深めてしまっている。


 まずい。非常にまずい。


 何か、婚約者向きではない要素を出さなければ。


 エウフェミアは咄嗟に考えた。


 そうだ。俗世への関心の薄さを見せればいい。


「……わたくしは、その」


 少し迷うように言葉を置く。


「賑やかな場より、静かな場所のほうが落ち着きますの。教会のような場所は、心が整いますから」


 よし。これは良い。


 社交界や王宮の華やぎより静謐を好む。婚約者としては少し物足りない性質に映るはずだ。


 だがアルベルトは、なぜか感心したように頷いた。


「それは素晴らしいことですね」


 どこが。


「浮ついた華やかさに流されず、自分の心を律する場を大切にできるのは、美徳だと思います」


 そちらに解釈されますの?


 エウフェミアは心の中で机に突っ伏した。


 この王子、こちらが 『王妃に向かない要素』 として出した札を、ことごとく 『王妃に必要な資質』 として回収していく。


 非常に相性が悪い。


 会話は続いた。


 エウフェミアが控えめにしていれば 『慎み深い』  短く答えれば 『軽率に言葉を重ねない』  王子を見つめすぎなければ 『礼節を守って節度がある』


 なぜだ。


 どうしてそうなる。


 行動と評価のズレがひどい。


 しかも公爵夫妻まで満足そうなのだ。父は娘の慎ましさに頷き、母は微笑みながら 「この子ったら本当に変わって」 という顔をしている。


 違うのです、お父様、お母様。


 これは婚約を壊しにいっているのです。


 やがて、子ども同士で庭を少し歩いてはどうか、という流れになった。


 エウフェミアは内心で青ざめた。


 二人きりに近い状況は困る。距離が縮まる。非常に困る。


 だがここで露骨に断るわけにもいかない。


「少しだけでしたら」


 仕方なく頷く。


 庭園は春の陽気に満ちていた。花壇には色とりどりの花が咲き、小道には若葉の影が揺れている。


 最悪である。


「お加減が戻られたようで安心しました」


 アルベルトが言う。


「ありがとうございます」


「ですが、婚約の宣言の瞬間は、よほど驚かれたようでしたね」


 ひやりとした。


 核心に近い。


「……突然のことで、心の準備が追いつきませんでしたの」


 半分本当だ。


 婚約そのものより、前世記憶の復活が突然だった。


「そうですか」


 アルベルトは短く答えた。


 だが、それだけでは終わらない。


「私との婚約が、お嫌でしたか?」


 直球だった。


 七歳でそんな聞き方をするの?


 だが、これはある意味好機でもあった。


 ここで少しでも 『乗り気ではない』 と伝えられれば、将来の婚約解消に繋がるかもしれない。


「……嫌、というより」


 エウフェミアは小さく息を吸った。


「わたくしには、あまりにも重い役目に思えましたの」


 これも本音だ。


 婚約者として自信がない、向いていない、と受け取られる余地がある。


 完璧である。


 だがアルベルトは、しばらく黙ったあと、意外なほど柔らかな声で言った。


「あなたは真面目なのですね」


「え」


「重いと感じるのは、それだけ真剣に受け止めているからでしょう」


 違う。断罪が怖いだけです。


「軽く考えるより、ずっと信頼できます」


 信頼しないでいただきたいのですが。


 エウフェミアはついに思った。


 この王子、判定基準が特殊なのではなくて?


 普通の王子なら、婚約者が自分との未来にあまり浮かれていなければ多少は引っかかるはずだ。


 だがアルベルトは、そこをむしろ誠実さとして読む。


 まずい。かなりまずい。


「エウフェミア嬢」


 不意にアルベルトが立ち止まり、こちらを見た。


「あなたは、私を避けておられますか?」


 ぎくり、とした。


 やっぱり気づいている。


 気づいていて、なお距離を詰めてくる。恐ろしい子。


 だが取り繕えば見抜かれる気がした。


「……少し、怖かったのです」


 それは本音だった。


「殿下はとても立派で、落ち着いていらして……わたくしは、どう振る舞えばよいのか分からなくて」


 これなら、幼い婚約者として自然だろう。


 アルベルトはしばらく何も言わなかった。


 それから、ほんの少しだけ表情を和らげた。


「……なるほど」


 声音に、先ほどまでとは違う柔らかさが混じる。


「では、急がなくてよいです」


 エウフェミアは顔を上げた。


「私たちはまだ七歳です。すぐに何かを決める必要はありません。少しずつ慣れていけばいい」


 優しい言葉だった。


 優しい。優しいのだけれど。


 婚約解消の余地を残すどころか、関係を丁寧に育てる前提の発言である。


 困る。非常に困る。


「……はい」


 としか返せなかった。


 帰り際、アルベルトはそれ以上無理に距離を詰めようとはしなかった。ただ一定の歩幅で隣を歩き、花壇の段差でエウフェミアが少しよろけかけた時だけ、自然に手を差し出した。


 その所作がまた腹立たしいほど洗練されている。


 七歳でしょう、あなた。


 なぜそんなに完成しているの。


 王子が帰ったあと、エウフェミアは机に戻り、紙を開いた。


 婚約解消に向けた方策一覧


 そこへ、新たに書き足す。


 王子に距離を取る

 →誠実さと慎み深さに変換され失敗


 静かな場所を好むと伝える

 →内省的で高評価


 婚約を重いと言う

 →真面目で信頼できると評価


 しばらくその文字列を見つめ、エウフェミアは静かに呟いた。


「……相性が悪すぎますわ」


 王子の解釈傾向と、自分の逃げの行動がことごとく噛み合わない。


 これは戦略を変える必要がある。


 王子にだけ距離を取る作戦は、むしろ興味を深める危険がある。


 ならば次は別方向だ。


 必要なのは 『王妃には向かない』 と示す札。


 たとえば、社交だ。


 王妃に必要なのは、人前での華やかさと多くの貴族を捌く社交性でもある。


 ならば社交の場で、あまりにも控えめすぎる様子を見せればどうだろう。


 華やかな会話が苦手。目立つのも苦手。前に出るより後ろに下がる。


 これなら 『良い子ではあるが、王妃向きではない』 という評価に繋がるかもしれない。


 よし。次はこれだ。


 少なくとも本人は、そう確信した。


 だがその頃、王城に戻ったアルベルトは、自室で静かに考えていた。


「避けられているのではなく、怖がられていた……」


 小さく呟き、窓辺に手を置く。


 婚約を喜んでいる様子はない。だが、拒絶しているわけでもない。


 むしろ真面目すぎるほど真面目に受け止め、その重さに怯えている。


「面白い人ですね」


 アルベルトはそう言って、微かに口元を緩めた。


 婚約の場で見た、あの絶望したような顔。


 それが演技でないことはわかる。


 ならば本当に何かを恐れているのだろう。


 そして彼は、その恐れを隠しながら、礼を守り、品位を保ち、自分なりに懸命に立っている。


「やはり、手放す理由がありませんね」


 その判断が、今後エウフェミアをどれほど困らせるか、本人はまだ知らない。

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