表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約した瞬間に破滅未来を思い出した悪役公爵令嬢ですが、婚約解消を目指しているだけなのに何故か好感度が上がっていきます  作者: 翡翠


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/11

第2話 シスターになる準備を始めましょう

 目を覚ました瞬間、エウフェミアは天蓋を見上げた。


 白を基調に金糸で縁取られた布。豪奢な柱。やわらかく香る寝室。


 どうやら夢ではなかったらしい。


「……終わりましたわ」


 七歳の公爵令嬢としてはあまりにも後ろ向きな第一声だった。


「お、お嬢様?」


 脇で控えていた侍女見習いが、ぎょっとしたように目を見開く。


 エウフェミアははっとして口元を押さえた。


「い、いいえ。なんでもありませんの」


 なんでもなくはない。


 とんでもない。


 婚約の場で前世の記憶を取り戻し、自分が将来“悪役公爵令嬢”として婚約破棄・断罪される未来まで思い出してしまったのだ。


 なんでもないわけがない。


 エウフェミアはそろそろと身を起こした。


 身体は少し重いが、大きな痛みはない。どうやら倒れたこと自体はたいした問題ではなかったようだ。


 問題は未来である。


 このまま何もしなければ、自分は高慢で嫉妬深い悪役公爵令嬢へと成長し、婚約者であるアルベルト第三王子から婚約破棄され、社交界で断罪される。


 嫌だ。


 絶対に嫌だ。


 というか、それを婚約成立の瞬間に思い出すのはあまりにも遅い。


 神様、もう少し早くお願いしたかった。


 せめて婚約の話が出る前とか、五歳くらいとか、そのくらいで。


 だが嘆いていても仕方がない。


 前世の記憶が戻った以上、やるべきことははっきりしている。


 悪役令嬢ルートを回避する。


 できれば婚約も穏便に解消する。


 最悪の場合でも、断罪だけは避ける。


 そしていざとなったら――教会だ。


 そう、教会である。


 前世の物語知識を思い返す限り、教会は権力闘争の外側に寄れる可能性がある。修道院や教会に身を置けば、少なくとも華やかな断罪舞台のど真ん中に立たされる危険は減るのではないか。


 シスター。悪くない。


 むしろかなり良い。


 静かで慎ましく、祈りと労働に生きる人生。断罪されて社交界で笑いものにされるより百倍ましだ。


 よし。


 方針は決まった。


 慎み深く生きる。


 高慢な令嬢にはならない。


 婚約解消を目指す。


 最悪でも教会へ逃げる。


 完璧である。


 少なくとも、方向性だけは。


「お嬢様、お加減はいかがですか?」


 侍女見習いが、おずおずと尋ねてくる。


 まだ少し年上だろうか。緊張がそのまま顔に出ていた。前のエウフェミアなら、もっときびきびしなさいと言っていたかもしれない。


 けれど今のエウフェミアは違う。


 前世の記憶があるせいで、目の前の少女がただ必死に務めを果たそうとしているだけだと分かってしまう。


「心配をかけてしまってごめんなさい。あなたも驚いたでしょう」


「え……」


「わたくしはもう大丈夫ですわ。ありがとう」


 侍女見習いはぽかんと口を開けた。


 それから、みるみるうちに目を潤ませる。


「も、もったいないお言葉です……!」


 しまった、とエウフェミアは思った。


 今のは前世基準では普通の礼だ。だが、以前のエウフェミアなら絶対に言わなかっただろう。


 しかしもう仕方がない。


 高慢な悪役令嬢にならないためには、これまで通りでは駄目なのだ。


 ならば、いっそ徹底するしかない。


 そう決めたエウフェミアは、ひとつ大きな布石を打つことにした。


「……あの」


「はい、お嬢様!」


「今度、教会へお祈りに行きたいのです」


 侍女見習いが固まった。


「きょ、教会、でございますか?」


「ええ。婚約という大きなお役目をいただいたのですもの。神に感謝をお伝えしたくて」


 半分は本心だ。残り半分は避難先の下見である。


 だが、そんな事情を知らぬ侍女見習いは、すっかり感動した顔になった。


「なんてご立派なお考えなのでしょう……!」


 方向性としては良い。非常に良い。


 ここで最初に 『敬虔で慎ましい公爵令嬢』 という印象を作れれば、その後の行動もその文脈で解釈されやすくなる。


 つまりこれは、断罪回避のための初期設定である。


 その時、部屋の外が慌ただしくなった。


 扉が開き、ヴィクトル・エヴァルディ公爵と、ロザリー公爵夫人が揃って入ってくる。


「エウフェミア!」


 真っ先に駆け寄ってきたのは父だった。厳格な公爵とは思えぬほど心配そうな顔である。


「気分はどうだ。頭は痛まないか。吐き気はないか」


「落ち着いてくださいませ、あなた。エウフェミアが驚いてしまいますわ」


 母ロザリーは優雅にたしなめつつ、娘の頬にそっと触れた。


「本当に心配しましたのよ」


「……申し訳ございません、お父様、お母様」


 エウフェミアは素直に頭を下げた。


 その瞬間、公爵夫妻は揃って固まった。


 しまった。


 またやってしまった。


 以前のエウフェミアなら、真っ先に謝るような子ではなかったのだろう。


 ヴィクトル公爵は低い声で侍女見習いに確認した。


「……今、エウフェミアが謝ったか?」


「は、はい……」


「自分から?」


「はい……」


 確認しないでほしい。


 ロザリー公爵夫人は胸元に手を当てた。


「まあ……婚約を機に、こんなにも……」


 違います。断罪が怖いだけです。


 だが当然、その叫びは届かない。


 ヴィクトル公爵は娘の前に膝をついた。


「エウフェミア。お前は幼いながらに、婚約の重みを理解したのだな」


 違います。破滅未来の重みを理解しただけです。


「立派だ」


 ただの生存本能です。


「私はお前を誇りに思う」


 やめてほしい。罪悪感がすごい。


 しかしここで否定するのも不自然である。誤解は誤解として使わせてもらった方がいい。


 エウフェミアは慎ましく目を伏せた。


「わたくし、未熟ではございますけれど……これからは、きちんとした者になりたいのです」


 それは本音だった。断罪されないために。


 だが両親の胸には別の意味で刺さったらしい。


 ロザリー夫人は感極まったようにハンカチを当てた。


「なんて健気なのかしら……」


 ヴィクトル公爵も大きく頷く。


「必要な教育も環境も、すべて整えよう」


 そこまで求めてはいないが、断罪回避のためには学びも必要だろう。ここは受けておくべきだ。


 そして今だ、とエウフェミアは思った。


「それと、お父様、お母様」


「なんだい、エウフェミア」


「教会へお祈りに行きたいのです」


 再び沈黙が落ちた。


 侍女見習いは、なぜかもう泣いていた。


「婚約という尊いご縁をいただいたのですもの。神に感謝をお伝えしたくて……」


 静かにそう告げると、ヴィクトル公爵はとうとう片手で目元を押さえた。


「七歳にしてその信心深さ……」


 ロザリー夫人も深く頷く。


「ええ、すぐに手配させましょう。きっと王家にも、あなたの誠実さは伝わるわ」


 伝わらないでほしいのですが。


 エウフェミアは心の中だけで呟いた。


 教会へ行くのはあくまで避難先の確保である。敬虔な印象は欲しいが、未来の王妃に相応しいなどと思われては困る。


 とはいえ今はまだ婚約直後だ。いきなり解消を願い出るのは危険すぎる。


 まずは慎み深い令嬢として地盤を作る。


 そして教会ルートを確保する。


 そこから先は、その時考えればよい。


 その夜。ひとりになった寝台の上で、エウフェミアは小さく拳を握った。


「……よし」


 まずは教会。


 次に、王子との距離の取り方。


 そのうえで、少しずつ 『この令嬢は王妃には向かない』 と思っていただけるように動くのだ。


 完璧である。


 少なくとも本人はそう思った。


 なおその頃、王城の一室では。


「婚約の直後に意識を失い、その後は別人のように落ち着いた、ですか」


 アルベルト第三王子が、静かに報告を聞いていた。


「はい、殿下」


「……興味深いですね」


 七歳の少年らしからぬ落ち着きで、アルベルトは窓の外を見やる。


 婚約の喜びで倒れた、というには様子がおかしかった。


 あれはまるで。


 祝福ではなく、何か恐ろしいものを見た者の顔だった。


 アルベルトは小さく目を細める。


「エウフェミア・エヴァルディ」


 その名を口の中で転がし、静かに呟いた。


「あなたは、いったい何をそんなに恐れているのですか」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ