第70話:ターゲットは誰
ソルティノースの自宅で、アイン・ザードは襲撃者がスラッシャーであるということを、ひとまず報告しようと考えていた。エレの発言が確かならば、自ら名乗りを上げて襲撃してきたことになる。自分の正体がバレたところで構わないというならば、それ相応の計画性を持った敵である可能性があるからだ。
「ちょっと待て。ひとまず局長に報告する。」アインがエレとディウにそう言うと、勢いで立ち上がっていたエレはゆっくりと椅子に座り直した。
―rrrrrr……
アインが携帯端末を取り出すより先に、通話の通知音が鳴り始めた。3コールも経たないうちに端末を取り出し通話に出る。
―ピッ
「はい、こちら、アイン・ザードです。」通話に出る前に確認した通知相手の名前は「Human-Resources:Riona」だった。
相手の番号は知らなかったが、今朝のミーティング中の話から察するに、この相手が人事セクションのリオナ・フェティスである可能性が高いだろう、とアインは思った。
―初めまして、治安管理局・月影、人事セクションのリオナ・フェティスと申します。
「初めまして、戦術セクションのアイン・ザードです。」やはり、通話相手は想像通りで、粗雑なジーナとは違う、柔らかい女性らしい声音が通話口から聞こえてくる。
―存じ上げております、アイン・ザードさん。私、この度レオン隊に正式所属となりましたので、人事セクションのものとしてオペレーターを担当することになりました。ですから何かご報告等ございましたら、今この場でお伺いいたしますがいかがでしょう?
「はい……、お願いします。」あまりの話の早さに、アインは一瞬困惑したが、同時にアインに対して職務以上の関心を見せることなく、端的に要件を話す彼女の姿勢が、彼にとってはとても好ましいものに思えてしまう。
「あの、その前にレオン……リーダーは?」複数の役職を持つレオンに対し、なんと呼ぶべきか一瞬だけ迷ったものの、リオナは特に気にしていないようだった。
―リーダー・レオンは、ただいまお休みになられています。理由はお察しのことと思いますが、シフト無視の勤務形態の弊害です。オペレーターとしての配属もレオン隊の運用を安定させるためですので、ご了承くださいませ。
「すみません、理解しました。」アインは素直に謝罪した。
―構いません。話が早くてとても助かります。すでにジーナさんの方には連絡したのですが、面倒臭がられてしまいましたので。
リオナは淑やかに笑い声と共にそう言った。
「はい、俺は気にしません。職務に滞りがなければ構いませんので。」
―はい。そうおっしゃると思っていました。有名ですものね。職務に忠実な局長補佐だって。
「あの……、それはどういう……。」アインは皮肉を疑ったものの、リオナは即座に否定した。
―いえ、そういう意味ではありません!単に、優秀な方だと聞いていましたもので、少しはしゃいでしまいました。申し訳ありません。
「そうですか……。いえ、大丈夫です。」リオナの咄嗟の返しは、アインがタグ付きであることを知っての反応なのだと理解はしたが、彼女には他意がないようなので、アインは特に気にしなかった。
―ありがとうございます。では、報告をお受けいたします。
リオナは切り替えも早く、即座に本題に戻したために、アインは内心でさらに驚いた。
「はい。俺の自宅への襲撃の件ですが、襲撃者がスラッシャーを名乗ったそうです。まだ確定ではありませんが、重要事項であると判断しました。さらに、シュナイダーが遭遇した赤いドレスにブロンドの女の件ですが、あれもスラッシャーであった可能性が高いです。こちらの襲撃者と、特徴が被っていますので。」アインが一息で報告する間、通話口からはカタカタとタイピングする音が聞こえてきていた。
「それともう一つ、襲撃者の逃走経路をソルティノースの港の方、あるいはパージウェスト方向であると推測し、別働のA班に追わせています。」
―はい、承知いたしました。すぐにシュナイダーに共有します。リーダー・レオンには、追ってご報告を。問題ありませんか?
「問題ありません。」リオナの判断は適切であると判断し、アインはすぐに了承した。
―それから、今後の動きについてはいかがいたしますか。
「そうですね……。」アインは少し思案した。
逃走経路は推測できたものの、新たな情報が出ない以上は手詰まりとなる。ダイニングにある時計を見れば、時刻はすでに昼前だ。予定通りであれば、そろそろエミリアの買い物が終わる頃だろう、とアインは考えた。
「それに関してですが、予定通り、一度シフトを上がります。後ほどエミリア・バートンと合流し、彼女からも昨夜のことを伺いますが、非番に移行しても構いませんか。」
―はい、問題ありません。切り裂き娼婦スラッシャーの件に関しては、追加情報がない限り手詰まりですし、情報が確かであれば深手を負っていてすぐには動けないはずです。であれば、アインさんが取れる行動は現状特にありません。そのように判断しますが、よろしいですか?
「はい、それで構いません。」
―ありがとうございます。こちらも引き継ぎをしておきますね。……念の為の確認ですが。こちらに何か、ヘルプの要請はあるでしょうか。
「いえ、特には。」
―承知いたしました。最後にこちらからの共有事項となりますが、ジーナ・ノルディとシュナイダーの調査により、フェイド関連と思しき事件の被害者が、人事セクションの行方不明者と別人であることが確定しました。こちらは引き続き調査中の件となります。
「了解しました。共有ありがとうございます。」それはアインの動きには特に影響しない内容だったが、ひとまず頭の片隅に入れておくことにした。
―ではまた、何かあったらご連絡を。
そう言ってリオナの通話は切れた。
「誰だったの?相手。」ディウがやや控えめに尋ねる。
「新しい、オペレーターだ。運用上は合理的だろう。むしろ今までのが非合理だった。」アインは端末を胸ポケットへしまいつつ、彼に対して職務上の態度を崩さなかったリオナの振る舞いを思い出す。
「だが、後輩が肝が据わった人と言っていた理由もよく分かる。さすがの采配と言わざるを得ない。」それはアインにとってはなかなか高い部類の評価だった。
「エミリアさんのこと、迎えに行くの?」ディウは彼女のことを心配しているようだった。
「あぁ、できればそうしたいところだ。まだ彼女からの連絡はないが、あまり1人で出歩いて欲しくはない。」アインは素直にそう言った。
「でもさ……、敵がわざわざこの家を狙ったんならさ、この家の方が危ないんじゃない?」ディウの言葉に、アインは返す言葉が見つからなかった。
実のところ、それはアインにも気になっていたことだった。スラッシャーはなぜこの家を狙ったのか。それは本人に聞かなければわからないようなことではあるが、何か推測するための材料が欲しい。アインはゴーグルの下で顔をしかめた。
「そうだな、なぜあいつは、この家を狙ったのか……、それを確認しなければならない。」アインは静かにそう言った。
「あの……、それについて、なんだけどね?」エレがおずおずと話し出す。
「どうした、エレ。」アインは彼女に話の続きを促した。
「あのさ、戦ってる時スラッシャーが言ってたんだけど……、ついでにもう1人殺っていくぐらい許されるだろうって。その、これは推測なんだけど……。」そこまで聞いて、アインの中で何か嫌な予感がした。
「あいつの標的ってエミリアさんじゃ……。」エレの言葉を終わりまで聞く前に、アインは再び携帯端末を取り出し、即座にエミリアをコールする。
―rrrrrr……
3コール経っても、彼女はなかなか出なかった。アインは端末をコールしたまま、どうするべきか頭を回転させながら、思わず指で唇を触る。
「どうしよう、出ない?」エレの心配そうな言葉とともに、ディウもまた不安げな顔をしていた。
「……。」いくら待ってもエミリアは出ず、留守番サービスの音声が流れ始めた。
「くっ……。少し、行ってくる。お前たちは家で待ってろ。」アインは端的にそう言うと、エレとディウが頷くのだけを確認し、急いで外へと出て行った。




