第67話:違和感の正体
月影でのミーティングの後、アイン・ザードは車両に乗って、一度帰宅したところだった。エミリアたちとの約束の件もあるが、まずは昨夜の襲撃についての現場検証もしなくてはならない。そのために、数人の戦術セクション局員を連れて、ソルティノースの自宅まで戻って来ていた。
「班長、我々は周囲の調査と住人への聞き込みを行います。何かあったら、お声がけください。」アインと連れ立ってきた数人の班員のうち、1人が代表でアインに告げた。
「あぁ、頼んだ。こちらは関係者に事情聴取をする。そちらも何かあったら呼ぶように。」
「了解しました。」班員たちはアインの指示に答えると軽く礼をして、周囲の調査へと向かっていった。
アインは改めて自宅の周囲を調べようとあたりを見回す。回収できる遺留物は昨夜のうちにも回収したが、夜間には見落としているものがあるかもしれない。昼間の明るい時間帯に、改めて調査するのは鉄則だった。
「ふむ……。」実際、よく見渡してみると複数人の足跡と、わずかに血痕が地面に残っているのが見て取れる。
アインはジャケットの胸ポケットから端末を取り出すと、それらの痕跡をフレームに入れ、シャッターを切った。さらに追加で足跡と血痕を個別で撮影する。ソルティノース住宅街の地面は石敷きで、その上に積もっている砂埃はいつ風で散ってもおかしくない。正直、足跡まで残っているのは奇跡に近いな、とアインは思った。
複数の足跡は、互いに絡み合いながらあたり一帯の砂を平らにしている。特に密集している部分は、もはやどれが誰のものかが判別できない状態だ。しかし、少なくない量の血痕が落ちているあたりから、一揃いの靴跡が家の裏手へと外れていくのがアインには分かった。
「あの女の逃走経路か……。」アインは一度膝を屈め、地面に顔を近づける。
「他の班員に共有すべきだな。」周囲を調査しているであろう班員への情報共有と、レポートへの記載のため、アインは再び端末で画像をいくつか撮影した。
画像はそのまま班員の端末へと送付し、無線を繋ぐ。
―こちら、アイン・ザード。A班、応答せよ。
―こちらA班、ソネット。どうぞ。
―ターゲットの逃走経路に関する手がかりを得た。画像は端末に送付済み。家の裏手に向かって足跡と血痕が続いている。方角は北西。真っ直ぐ行くと港に出るが、西側にあるパージウェストへの逃走も考慮したほうがいいだろう。こちらは少し家の周囲を見た後、被害者・関係者への事情聴取を行う。
―了解。情報確認しました。こちらも引き続き周辺調査を進めます。
―了解。通信終了。
アインは無線を切断すると、再び立ち上がって足跡の続く方へと目を向けた。EVCホルダーのジーナ・ノルディならば、とアインは一瞬考えたが、自分にもまた訓練を受けた兵士としての経歴がある。ある程度ならば追跡可能だろう、と思い直した。
点々と続く血痕を見落とさないようにゆっくりと追いながら、アインは昨夜の記憶をなぞるように思い返す。それは些細な違和感だった。いくつもの理屈で固め、自分を納得させようと試みていたが、一度芽生えた疑念はそう簡単に消せるものではない。
それは、これまでの自分では取り得ないような選択を、自分が取ったことに対しての後悔のようなもどかしさだった。――なぜ、自分はあの女を追わなかったのか。いつもであれば、目の前に手負いのターゲットがいるような状況で、自分がそれを追わないということはあり得なかった。これは放火魔ライターの時とは違う。明確に有利な状況で、なぜ自分は女を追わなかったのか。
いつの間にか家の裏手まで辿り着いてしまったアインは、そこから先の血痕を追う前に、一つ大きくため息をついた。考えなくともわかりきったことだ。昨夜の自分は、どうかしている。厳密に言えば、彼女――エミリア・バートンが近くに来てから。アインは縮こまっていた自分の背筋を伸ばすと、目の前にある血溜まりに目を止めた。
ここは住宅地で、家の裏にも家がある。基本的にはそうなのだが、ここはセントラルスクエアほど家同士が密集していないので、人に見つからずに家同士の間を縫って行くこともできただろう。現に、ここに血溜まりがあるということはそういうことではないか、とアインは推測する。
犯人は一度家の裏手に回り、体勢を整えた後で住宅地の中を逃げて行った。つまり、追いついて捕まえる時間は十分にあったはず。そう思うとますます、自分が何に気を取られていたのか、疑問に思えて仕方がない。
しかし、今は後悔しても仕方がない。そう思うとアインは、携帯端末でその血溜まりも画像に収めた。調査しながらレポートを打ち込むジーナと違い、アインは一通り落ち着いてからレポートを作るのが常だった。
「お兄ちゃん、何か見つかった?」後ろから聞こえる声に振り向くと、妹のエレが立っていた。
「あぁ。……それよりお前、寒くないのか?」アインはエレの服装を見ながら怪訝そうな顔をする。
エレはジッパー付きのパーカーの上に、さらに大きめのジャケットを着ている。しかしその足元は無防備に晒され、短めのスカートが風で小さく揺れている。その下の太ももには、昨夜まいたばかりの包帯が見え、まだ治りきらない傷を連想させるには十分だった。
「寒くないよ?うそ、寒いけど、おしゃれに犠牲はつきものって言うし。」エレがアインの視線を覗き込むように顔を上げた。
「なるほど……。」どこでそんな言葉を、と言いそうになったが、アインはそれをほんの寸前で飲み込んだ。
そういえば、自分は昼間のエレをあまり見たことがない。3人で何かをしているらしいとは聞いていたが、こうして明るい場所で会ってみると、つくづく自分は彼らのことを何も知らないのだな、とアインは眉間にシワを寄せた。
「あ、怒ってる?」エレが心配そうにそう言った。
「いや、怒る理由は特にない。……ただ少し、心配だっただけだ。」アインは10歳年下の妹を安心させるように、首を横に振る。
「なぁんだ、びっくりした。」エレは取り繕うようにそう言った。
「それで、何かわかった?」
「あぁ、逃走した方向は概ね割り出した。今別の局員が調査中だ。」アインは言える範囲のことだけ伝え、エレを家の表に戻るように促した。
「それで、だ。エミリアさんと合流する前に、エレとディウに話を聞きたい。」
「事情聴取だ!りょーかいです!」エレは少し大袈裟な言い方と共にニコッと笑う。
「そういうことだ。……ディウはいるよな?」アインが言うと、「いるよ!」と言う声と共に、ディウが玄関口から顔を出した。
3人でダイニングへと移動し、ひとまずそれぞれ椅子に座った。話すこと自体はわかっているものの、どこか緊張したような空気が漂っている。
「えっと、昨日のことだよね……。」ディウが本題を促すようにそう言った。
「あぁ……。詳しく聞きたいのは、特に俺が来る前の話だ。」アインがそう言うと、エレとディウは軽く顔を見合わせた。
「昨日はね、エミリアさんと夕食の準備をしてたんだよ。」まず話し始めたのはディウだった。
「急に誰かがドアを叩いて、エミリアさんと2人で怪しいって話はしてたんだけどね。」ディウは少し申し訳なさそうな顔をしている。
「開けた途端にナタが降ってきて……。」ディウは女が訪れた時のことを簡潔に話した。
「なるほど、第1撃は間一髪で躱し、続く第2撃は存在に気づかれていなかったエレの蹴りによって回避した……と。」アインが脳内にインプットしながら軽くまとめた言葉を、ディウが肯定する。
「そう!そんな感じ!その後はエレと女が交戦してたから……、特に何もなかったと思うけど。」ディウはまだ何かを思い出せないかと顔を顰めている。
「女と何か話したりはしなかったか?何か、自分の素性に関わるようなことを、喋っていたら助かるんだが。」アインが助け舟を出すと、エレがハッと何かを思い出したように身を乗り出す。
「待って!?ごめん、今思い出したんだけど!!」エレの声は非常に大きく、ガタンと音を立てて立ち上がったのも相まって、滅多なことでは驚かないはずのアインも、少し意表をつかれてしまった。
「なんだ?どうした?」アインの言葉に、エレはほんの僅かに落ち着きを取り戻したように見えたが、そのまま興奮したようにアインに告げた。
「あいつ!自分は切り裂き娼婦スラッシャーだって、言ってたの!!」その言葉に、アインは心臓の鼓動が大きく跳ねた。
「スラッシャー……、まさかとは思っていたが……。」嫌な予想が的中したと言うよりも、睨んでいたことが確かだったことにより、アインは思わず目を細めた。
「お兄ちゃん?大丈夫?」エレの心配そうな声を近くで聞いて、自分が殺気を漏らしていたことに気づいたアインは、すぐになんでもないと頭を振った。




