SS8:Bloody Hands
アイン・ザードの苦悩
第1部第2章第56話後のお話です
久しぶりの自宅でのディナーを終えて、アイン・ザードは2階の自室へと戻ってきた。すでにシャワーは浴びているし、その時脱いだ戦闘服は、エレたちの汚れた衣服と一緒に洗濯機にかけている。
本当は日の出ている時に干した方がいいのだが、自分が極端に不規則な生活をしているために、こんな夜中に回すようなことになっている。まぁいい、銃の手入れをしている間に終わるだろう。そう思ってアインは、自分の自室のドアに手をかけた。
まだドアノブを握ったままで自室を見ると、嫌に殺風景な自分の部屋が目に入る。締め切られたままのカーテン、小物の置かれていないデスクに、対して大きくもないクローゼット、紺色のカバーがかけられたベッドに、そして立てかけられたガンケース。まだ明かりをつけていないせいもあるのだろうが、キッチンにあったピンクの布巾や、黄色の鍋掴み用ミトンのような彩りを見た直後では、この自室の風景がなぜか妙に寒々しく思えて仕方がない。
そのダイニングルームにある小物たちは、少し前まではこの家には存在していない彩りだった。おそらくエミリア・バートンが持ち込んだのであろうそれらの色に、アインはなぜか心が落ち着かなかった。
自分が月影に入り浸っているせいだ。そんなことはわかっているものの、アインはふぅとため息をついて、自室の扉をゆっくりと閉めた。玄関から持ってきたツールケースを、ベッド前に置いておいたガンケースの横に置く。
今日は非番の予定だったため、いつものセットをそのままバイクに積んできたのが功を奏した。アインは置いてある複数のカバーの中から、ハンドガン入りのホルダーを手に取ると、今思い出したかのように明かりをつけた。
ホルダーとツールケースを持って、壁に面したデスクに向かうと、そのままデスク上にホルダーを置き、ツールケースの中身を広げた。先ほど撃った弾は二発。腕と足に一発ずつだ。捕縛を基本とする原則に則り、ナタを持った女の無力化を試みたものの、最後はナタを投げつけられて逃してしまった。
自分に飛んできたそのナタを、アインは腰のナイフで軽くいなしたが、その一瞬の隙を利用して女は逃げた。血と凶器をその場に残して、立ち去る余力だけはあったらしい、とアインはハンドガンをホルダーから取り出しながら考えた。
まずはデスク上に、ツールケースから出した布を広げる。デスクライトをつけ、ホルダーから出したハンドガンーーShade-M9(SHM9)を光にかざして、その表面の塗膜やグリップを確かめる。女は現場に凶器を残していった。
アインはそのナタを回収し、エミリアたちには見えない形で保管してある。明日はまずそのナタと、地面から採取した血液を持って、科学セクションへと行かなくてはならない。そうすれば凶器や血液の解析は、彼らの方でやってくれるだろう、とアインは思った。
目立った歪みや傷は増えていないため、アインはマガジンを抜き、銃をパーツごとに分解していく。スライド、バレル、リコイルスプリングなどにバラしていくと、ブラシや布を使って煤や埃を落としていった。
慣れた手つきで手入れを進める最中、廊下を誰かが歩いている音が聞こえてくる。方向と音からして、エレとディウが部屋から抜け出したのだろう、とアインは推測した。同時に、アインの意識は今晩の襲撃へと向いていた。まだ自分が来るまでの間に何があったのかは聞いていなかったが、自分が見た範囲だけでも気になることがいくつかあった。
まずなぜ自分の家だったのか。この家に住んでいるのが月影の局員であることは、付近の住民ならばみんな知っていることだった。アイン自身も特に隠してはいないため、住民の口から広まることもあるだろうことは、理解している。むしろ、狙いは自分だったのか?と疑わざるを得ない。なぜなら、自分がいない間に襲撃しているからだ。
ならばいったい誰が狙われたのか?アインの頭には、一瞬放火魔事件のことがよぎったが、今回も同じとするのはいささかこじつけだろうと、いったん考えを振り払う。一通り手入れを終えたハンドガンの、マッドブラックの肌を親指で撫で、また元のように丁寧にホルダーに差し込んだ。
エミリアを狙っていたなら、どうして昼間に襲わなかったのだろう。そう考えながら、アインはハンドガンのホルダーをベッドに置き、代わりにスナイパーライフルーーShade-SR7のガンケースに手を伸ばす。また同じようにデスクに向い、ガンケースからライフルを取り出した。
本来支給品だった銃だが、自分のスタイルに合わせてカスタマイズしたそのライフルには、手彫りで「A-Mod」の刻印がしてあった。軽量化されたカーボンファイバーストックの少しざらついた質感は、この街での戦闘において、他にないほど手に馴染む。
光学サイトやサプレッサー(消音器)などのパーツを丁寧に外していく中、再び廊下を誰かが歩く音がした。気をつけていても、アインがデスクにパーツを置く度にゴトン、ゴトンと重ための音が鳴る。方向からしてエレやディウの部屋に向かっているのだろうと推測したが、行きとは違い、1人分音が増えている。その正体を考えて、アインは1人でにふっと笑った。
明日、エレから詳しい話を聞かなくてはならない、とアインは思った。いつもなら何も気にせずに尋ねるのだが、今夜はどうしてもその気になれなかった。それはアインだけのことではなく、意識的ではなかったにしろ、全員が同様に口に出さなかった結果でもある。
引き抜いたボルトに油を刺し、滑りを確認した後、再び差し戻す。パーツ内部の汚れも十分に落とした後で、再び銃を組み上げる。ディウにナタを振り上げていたあの女は、どうにも気にかかる格好をしていた。
赤いドレスにブロンドの髪。ただの推測に過ぎなかったが、その容姿はあまりにも、シュナイダーの双子が遭遇したという例の女に酷似している。はっきりと細部まで見えたわけではなかったが、夜目が効くアインにとっては、それでも十分すぎるほどによく見えた。
しかしそうなると今度は、また最初の疑問に戻ることになる。なぜ、自分の家を襲撃したのか、だ。凶器は大ぶりのナタだった。赤いドレスの女に凶器の情報はなかったが、ナタを凶器とする女からは、例の連続殺人鬼のことが思い浮かんだ。
アインはズボンのポケットから、自分の携帯端末を取り出し、アドレス帳からレオン・クラッドの連絡先を呼び出す。断定すべきでないとはいえ、今後の捜査に影響するような情報であることには変わりない。しかしアインは、あと少しでコールできる状態の画面を見つめながらも、何もしないまま電源を落とした。
やはり表だった不調もなく、手入れの終わったスナイパーライフルを見ていると、この街に来てから長い付き合いになったこの銃に対して、少なくない情のようなものが湧き上がってくるのを感じた。
この街に来たのは4年前だが、感覚としてはもっと長い月日が流れているようにすら思われる。あの頃の自分たちはまだ頼るべき人の顔すら知らず、兄妹2人だけで生きていかなければならないことに、言いようのない不安と喜びを感じてもいた。そこからここまで、どうにかこうにか生きてきた。
その回想の最中、アインは左手で自分のうなじに触れ、その皮膚の下にあるであろう感触を密かに探す。Location-Oriented-Signal(GPS内蔵タグ)、通称LOSタグ。その薄いチップのようなタグの感触は、しかしどれだけ探ってもアインの指には引っかからず、代わりに自分の乾燥した皮膚の表面をなぞっているだけになっていた。
はぁとため息をついて左手を再び銃へと戻す。自らの手でカスタマイズし、長いこと使い続けたその銃は、自分が軍にいた頃に使っていたものよりも、ずっとよく手に馴染んでいるような気がした。
しかし自分が銃を使用した時の、あのエミリアの表情が忘れられない。これまで考えたことはなかったが、自分に課せられた職分により、彼女の体、あるいは精神を、すでに脅かしてしまったのではないかと考えてしまう。
途端にくっと喉がつまり、思わずアインは咳き込んだ。大きな声を出さないように気をつけつつも、薄い壁1枚を挟んで向こう側にいる彼女の存在を思うと、どうしようもなく苦しさを感じる。
アインはスナイパーライフルを丁寧にガンケースへとしまい、片付けるために立ち上がる。振り返った視線の先には、壁のフックにかけられているゴーグルがあった。それはアインが、人を殺しそうで恐ろしいと言われた自分の目を、覆い隠すためにつけているものだ。そのこと自体は今更どうにも思っていないが、この家ではつける必要がないことに、アインはなぜか少しだけ安堵していた。
ガンケースをフック下の壁に立てかけ、ガンホルダーをベッド脇のサイドテーブルへと移動する。そして代わりに、最後に残っていたアーミーナイフーーVintage-Navyに手を伸ばす。
これが終われば全部だと思ったその時、何度目かわからないフラッシュバックに息を呑み、アインは思わず床に膝をついた。脳内で濁流となって襲いかかるその映像は、部屋の中に横たわっている、痩せ細って今にも死にそうな状態のエレと、自分がたった今手にかけたばかりの、まだ生暖かい父と母の肉体、そして何よりも、軍の支給品であったVintage-Navyを持ち、真っ赤に染まった自分の手。
とても遅刻してしまい、申し訳ありませんでした。




