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路地裏の亡霊たち――犯罪都市で交錯する事件と人々の群像劇  作者: Nova
02:Cut the Skin, Cut the Bones

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第54話:Two Red & Wind

 エレがシャワールームから出ると、ほんのりと焼いた肉の匂いが漂っていることに気がついた。なんだろうと少し考えて、エミリアがシチューを作ると言っていたことを思い出す。今日はアインが早く帰ってくるかもしれないと言っていた。自分の兄ではあるものの、普段はあまり気にしたことがないため、新鮮だなとエレは思った。


 先にシャワーを終えたディウが、エミリアと話しているような声が聞こえる。エレがいるところからでは内容まではわからないものの、なんとなくその声に耳を傾けながら、エレは自分の濡れた体をタオルで拭いた。

「危ない!」


 ーバコン


 階下でドタバタと音が聞こえてしばらくすると、何かを思いっきり打ちつけるような音が聞こえてくる。エレがちょうど上の服に首を通した直後だった。さっきの声はディウだろうなと思うと、状況をよくわかっていないエレにも、よくないことが起きていることがなんとなくわかる。


 手早く服を整え、その辺にあったディウのヘアゴムで濡れた髪を結ぶと、足音を立てないように階段まで近づいた。近づいている間に、何やら聞きなれない女の声が聞こえてくる。この家に人が入るのはすでに何度目かのことだったが、その女の甘ったるく頭に響くような声音は、エレの好きな女の声では全然なかった。


 ひひひと女の笑う声が階下から聞こえる。それはエレのちょうど真下から聞こえてくる。気づかれないように足音を消して、エレは階段のところまで辿り着くと、手すりと天井の間からわずかに顔を覗かせ、その女を見下ろした。


 ーコツン


 女は背の高いヒールの音を鳴らし、ナタを肩に担ぎ上げたままエミリアとディウに一歩近づいた。くすんだブロンドのロングヘアに、裾の擦り切れた赤いドレス。エミリアはどうにかして逃げないとと思い、階段の方をチラリと見た。上階の方に、息を潜めて身を屈めている赤い髪の少女を見た時、エミリアはそのルートを無意識に頭から消した。


「ふふふ、私あんまり長居したくないのよ。……抵抗しないでね?」赤いドレスの女は、階段の手すりに当たらないよう大きくナタを振り上げる。

 そのあまりの展開の速さに、まだ考えもまとまらないまま、エミリアはディウを庇うように抱きつくと、振り下ろされるナタが風を切る音が聞こえた気がした。


 ーゴッ!


 エレは階段の手すりを掴んで乗り越えると、そのまま大きく体を捻り、足を振って女の顔面に叩き込む。今にもナタを振り下ろそうとしていた女は、驚いたように顔を押さえて数歩下がった。その間に玄関前の廊下に着地したエレは、壁を意識してコンパクトに右足を胴体へと引き寄せ、勢いをつけて蹴り出した。


 ーバキッ!!


 エレの踵は女の鳩尾あたりにめり込んだ。女は大きく弾き飛ばされ、玄関扉の木枠に肩を打ちつけたものの、そのままのけ反って家の外へとふらつきながら飛び出した。

「エミリアさん、大丈夫?」そう言ってディウは、女を追って外へと出ていったエレを見ながら、エミリアの背中を軽く叩いた。

「あ、え?」


「エレが女を外に蹴り出したんだ。」今ひとつ状況を飲み込めていないエミリアに、ディウが早口で説明した。

「え、エレさんは?」

「女と一緒に外にいる。」ディウの言葉を聞いて、エミリアはすぐさま玄関扉の方へと駆け寄る。

「待って!ダメだよ、下手に手を出すと!!」ディウも追ってきてエミリアの腕を掴んだ。


「それで?……邪魔する悪い子はだぁれ?」女が血痰を吐き、血と口紅で真っ赤になった唇を拭う。

「私だけど、あんたは誰?」エレは女の前に立つと、少しだけ履き損ねたスニーカーの踵を直し、腰に手を当てた。


「私?私ね……あはは。」

「何がおかしいの?」

「あなた……、新聞とか読まないのかしら。」女は不敵に笑うと、片手でぐるぐるとナタを回す。


「新聞?」エレは意味がわからず眉を寄せる。

「そう、新聞。今、巷を騒がせている切り裂き娼婦スラッシャー。」いひひひと女は再び笑った。

「……あれ、私のことなの。」女はぐるぐると回していたナタをしっかりと握り直すと、赤いドレスのスリットから細長い足を覗かせ、目の前の少女を睨みつける。


 ただならぬ雰囲気を感じて、エミリアとディウは玄関から顔を覗かせたまま立ち止まった。2人の目の前には、苛立ちを目に込めながら笑っている赤いドレスの女と、伊ポンに結んだ赤い長髪を靡かせて立つエレの背中が見える。

「ど、どうしましょう!……助けを呼ばないと。」エミリアは慌てて自分の服のポケットを探り、携帯端末を取り出した。


「でも、誰に?」普通なら公的機関を頼るところだが、ここではどこに頼ればいいのか、エミリアは知らないことに気がついた。

「えーっと……、どうしようかな……。」一触即発の空気を前にして、ディウが悩ましそうに顎に手を当てている。

「通報する……月影に。」

「何番ですか!?」苦々しく顔を歪めたディウに対して、エミリアはすかさず食いついた。


「どうでもいいんだけど、何が目的?」赤いドレスの女ーースラッシャーを前にして、エレは鬱陶しそうに問いかける。

 辺りはうっすらと灯る街灯の光に照らされているが、それでも少し視界がおぼつかない。海の近い港湾街らしく、部屋着の体にはやや堪えるぐらいの冷たい風も吹いていた。


 月影局員の兄には、無理な状況では戦うなと、散々言い含められていたものの、直接殴り込んできたスラッシャーを目の前に、どうにかしないといけないとエレは思った。軽く拳の骨を鳴らし、トントンとフットワークを確認して腰を落とす。


「ふぅ……、どうだっていいでしょ、そんなこと。」スラッシャーもまた足を引いて深く腰を落とし、左手で髪を掻き上げる。

「全く、とんだ邪魔が入ったわ。」そしてヒールの足で地面を蹴り、体の左側にナタを引いて、目の前の少女に向かって振り抜いた。


 ーヒュン


 ナタは少女の首筋を掠めて空を切る。少女は低く腰を屈めてそれを躱し、女の左頬を目掛けて回し蹴りを放った。スラッシャーはそれを左手で受けていなし、少女にしては骨に響く力強さに驚きつつも、右手のナタの刃を返して振り下ろす。足を断つはずだったナタは地面に突き刺さり、少女は引いた左足で女の首筋を蹴り上げる。


 ーバキッ


 流石に隙を突かれたスラッシャーは大きく顔を歪めるも、再び突き刺さったナタを抜いて、下から上へと振り上げた。


 ーブォン


 エレの赤い髪が少し切られて風に舞う中、一度大きく距離を取って体勢を変える。タラリと何かが滴る感触がして頬を拭うと、少女の顔には一筋の切り傷がついていた。


「だ、大丈夫でしょうか!」下手に介入できないと知りながらも、いきなり始まったエレと女の戦いにエミリアは気が気でなかったが、ディウに教えられた番号に通話をかけ、月影の情報セクション長を名乗る男に急いで事情を説明する。


 ーへぇ、あんたが……、なるほど。ま、初めましてで惜しいとこだが状況が状況か。……今そっちに一番近い局員を探している……が、おっと……ふぅん?


「あの……どうかしましたか?」


 ーいやね、今そっちに一番近いのは、非番で帰宅中のアイン・ザードだ。……じゃ、そういうことなんで、連絡しとくから少し待ってな。


 アインの名前を聞いたエミリアは、少しの希望を感じつつも、申し訳なさに胸を締め付けられるのもまた確かだった。

「それまではどうすれば!」


 ーどうすればって?それはそっちでどうにかしてくれ。


「戦ってるのは未成年ですよ?」


 ー知ってるよ?


 焦ってどうしようもないエミリアに、電話口の男は冷ややかに言い放つ。一気に冷水を浴びせられたようにゾッとして、この街の基準を思い出す。


 ー知っている。だから大人しくしとけって言ってんだ。時間稼ぎくらいはできんだろ?


 男はふんと鼻で笑った。その後深く息を吸い込む音がして、さらにゆっくりと吐きだす音が聞こえた。少し下品だと思ったが、痰を吐き出す音も聞こえて、エミリアは思わず顔を顰める。


 ーそれにな、この街じゃあ、生き残れなきゃ、それまでだ。


 男のガサついた声とぶっきらぼうな物言いに、沸々と怒りが込み上げてきたエミリアだったが、男の言うことも致し方ないと思って飲み込んだ。

「そうですね、……わかりました。」


 ーあぁ、いい子だ。……それじゃあ、またな。


 そう言って通話は向こうから切れた。

「大丈夫?やることはやったよ。」そう言ってエミリアの肩を叩く少年の手を優しく握り返しながらも、今はただ祈って待つしかないこの状況に、エミリアはどうしようもないいたたまれなさを感じていた。


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