第52話:待ち人
レオン・クラッドは治安管理局・月影のビルにある執務室で、事件の整理をしているところだった。タブレット型端末で、新しく増えた遺体の記録を読みながら、濃いめに淹れたコーヒーを飲む。モニターの時刻表示はすでに17時を過ぎている。一般企業なら定時に近い時間だが、月影にはほとんど関係のない話だな、とレオンは口角をわずかに上げた。
―ポーン
インターフォンが鳴り、レオンが返事をする前に扉のロックが開く音がした。電子ロックにつながっている端末上には、アインの認証コードNo.が表示されている。記録はすでに読み終わっていたので、レオンは月末締めの資料の整理に取り掛かる。
Liberty Moon連合の事務官に提出する書類だ。各セクション長からの承認ももらわないといけないため面倒な仕事ではあるのだが、儀式的とはいえやっておかないと面倒なことになりかねない。
レオンはコーヒーをまた一口飲んでため息をついた。来月には年末の決算も考えなければならない。組織としても忙しい時期で、考えることは山積みだった。
―ガチャ
「レオン、退勤前に報告を。」扉を開けて入ってくるなり、アイン・ザードはそう言った。
デスクの近くまで向かってくるアインだが、今日はどうも、少しソワソワしているようにも見える。普段は自分のシフトが終わっても、遅くまで居残っていることが多いのだが、今日は珍しいな、とレオンは思った。
「あぁ、ご苦労。……今日は早いんだな。」レオンは特に嫌味でもなくそう言った。
ここ最近は事件が多い。あれ以来ぱったりと姿を見せなくなった放火魔ライターの件もそうだが、通常の取締りや新人教育まで任せていることに、レオンも多少の負い目を感じている。まだ未成年の妹や、元孤児たちを養っているのだから、早く帰って休めるのならいいことだ、と感じてもいる。
「そうですか?」少し考え込んだ後でアインが言った。
「なんだ、何か予定でもあるのかと思ったが、違うのか?」
「あぁ、いえ、そうですね。……今日は何もなければ早く帰ると、言ったので。」アインは頭に手をやりながら顔を逸らした。
「珍しいな。妹たちか?」
「あ……いえ、エミリアさんです。その、妹たちは、普段あまりそういうことを言いませんので。」アインはデスクのすぐ目の前まで来ると、片方の足に体重を乗せた状態で腕を組んで立っている。
「そうか。ま、どちらにせよ、いいことだ。」レオンはいつの間にか空になったコーヒーカップをくるりと回しながら口角を上げた。
不意な人員配置でやってきたエミリア・バートンだったが、アインには何やら予測し得ない影響を及ぼしているらしいことを、レオンは少し面白いと思っている。
「……そうですか。」しかし、当のアインはやや困惑しているようだった。
「あの、報告ですが、放火魔ライターはあれ以来姿を見せません。追跡は困難です。」アインはややスムーズすぎるくらいに切り替えて報告を始めた。
「そうだろうな。」
「はい。」
実際、足取りも掴めていなければ追加情報も出ていない。ITセクションに監視カメラの解析や過去情報との解析を依頼したが、目ぼしい情報は上がってこない。
最新の新聞にも一通り目を通しているものの、最大手であるThe Lost City Gazetteを筆頭に、ゴシップ好きなタブロイド紙――The Echoでさえ、もはや放火魔事件を扱わなくなっていた。代わりに紙面を賑わせているのは、やはり「切り裂き娼婦連続殺人事件」だろう、とレオンは思った。
「それで、代わりに気になることが。」デスクの上に置かれている新聞の束を見つめながら、アインが続ける。
「なんだ?」
「女性の遺体が見つかりました。」アインの言葉に、レオンはふぅとため息をついた。
「そうだな。」それはまだ新聞の一面を占めるほどのものではないが、中小のCentral Dailyや、Quartz Researchなどはすでに目をつけていた。
「スラッシャーは男性を主に狙うはずでは?」
「あぁ、そう思っていた。」
「ターゲットが変わったのでしょうか。」
「関連性は、わからない。……関係を持った後に殺す、という点は共通だが、死因に関わる部分が違うらしい。」レオンは正式にレオン隊になったジーナ・ノルディのレポートと、医療セクションから上がってきた検死結果を思い出す。
「別の犯人の可能性もあるが、現場に残されていた服の繊維から、全く切り離すのも難しいと言われている。……つまり、追加情報待ちだ。」
「なるほど。DNAは?」アインは体液が残されている可能性を示唆したのだろうとレオンは思った。
「あぁ、そのあたりも含めて、科学セクションと医療セクションにさらなる分析を依頼してる。」
「わかりました。それから……。」アインはレオンの目の前にタブレット型端末を置いた。
「黒煙瓶の分析結果か。」それはルークとジークが刺客の少年を取り逃がした時に、廃墟に放り込まれた爆発物のようなものについてのレポートだった。
「どうしてこれを?」レオンは姿勢を直すと端末を手にとり、レポートの内容にサッと目を通した。
「なるほどな。」
「はい。端的に言うと、市場に流通している黒煙弾ではありません。中身の入手経路はさておきとして、物自体は手作りされたものだと思われます。」
「確かに、不可能ではないな。」
「えぇ、これ単体ではそこまで不思議でもないのですが、自分とジーナとの間で気になることがありました。」アインは追加で別のレポートファイルを展開する。
「これです。」そこには、放火魔ライターの使用していた、手製の火炎瓶との比較分析が載っていた。
「……。」レオンはその内容に目を通しながら眉間に皺を寄せる。
「確かに、似ているな。」
「はい、俺とジーナさんも、同じ意見でした。」アインは小さく頷いた。
工場の既製品なら型は基本同一になるが、こと手製のものにおいては、作り手の癖や思想が出るものだ。ましてやこれは、瓶の形状や材料の配分こそ違えど、着火装置のギミックには簡単に扱えるようにとの思想が見え、一般的なものからは少しずらしたような配合には、実験者気質が窺える。
「……流石に、サインを残すほど愚かではない、か。」作ることにこだわる人間ならば、とレオンは考えたが、レポートにはそれについての記載はなかった。
「はい、ジーナさんと回収された残留物の確認をしましたが、共通の作者を表すサインのようなものは、見つけられませんでした。」
「そうか。」レオンはタブレット型端末をアインに返すと、凝り固まった体を伸ばすために、一度席から立ち上がることにした。
「それで、今後の動きについてですが。」
「あぁ、君は一度、帰りなさい。」アインの言葉の続きを軽く止めるようにして、レオンが言う。
「はい、あの、それはどういうことでしょう。」アインは少し戸惑うような顔をした。
「そのままの意味だ。君は、今夜は約束があるんだろう?なら、まずは一旦帰って休みなさい。あまり働き詰めでは、妹たちも心配する。」レオンの言葉に、アインはむっと何かを堪えるように唇を噛んだ。
「あまり、人のことは言えないのでは?」
「ふむ。」痛いところをつくな、とレオンは思った。
「そういう反論をするのも、珍しいじゃないか。」レオンはゴーグルをしているアインの目元を軽く睨んだ。
「いえ、そういうつもりでは。」
「はは、冗談だ。私ももう少ししたら休む。」レオンは軽く腕を回した。
「そうですか。」アインはあまり信じてなさそうな顔をした。




