第45話:廃病院にて
「あの、正直、こんな場所があったなんて驚きです……。」エミリア・バートンはジゼル・ヴァッカスを目の前にして、緊張しながら口にした。
エミリアがいるのはオールドサウスの病院だ。かつてはかなり規模の大きい病院だったことが伺えるほどの広さがある。さらに、ここが5階建の建物であり、複数の棟に分かれていることもまた、入口の館内マップから読み取れた。
「それは、どういう意味でだ?」ジゼルはやや困惑したように言葉を返す。
エミリアは、レイ、エレ、ディウ、そしてカワセミと一緒に、ジゼルの病院へと訪れている。先ほど彼女たちがいた廃校からもそう遠くなく、さらに30分ほど歩くだけで辿り着けるような距離だった。
「えっと、まぁその、色々思うところはありますが……まずそう遠くないところにあったんだなと。」以前なら30分程度の距離を近いとは感じなかったかもしれないが、自分がこの街の距離感覚に慣れてしまったことにも、エミリアは少し驚いていた。
「人担いで歩くには向かない距離だけどね。」しかしカワセミが間髪入れずに付け足した。
カワセミはジゼルに頼まれて、怪我が酷く意識のない人間を、学校からここまで運んできていた。今はもう患者をベッドへと運び終わり、ドクター・ジゼルとそのナースであるマドニア・オースティンの処置が済んだ後ではあるが、彼としてはまだ文句が言い足りないらしい、とエミリアは少し苦笑した。
「やっぱり私が運んだ方がよかったかなぁ。」そう言ってエレは、座っている回転イスをクルクル回した。
今マドニア以外の全員は、応接室のような小部屋にいる。ソファはあるが全員が座るには少し足りないため、近くの空き部屋から椅子を調達してくる必要があった。全員に椅子を用意した後でも、カワセミだけは壁に寄りかかって立っている。人を運んで疲れたのならカワセミも椅子に座った方がいいだろう、とエミリアは思ったが、当の本人が座りたがらないため諦めていた。
「いや、こちらとしては十分助かったぞ?というか、あいつはこっちに借りがあるんだ。手伝いぐらいはしてもらわないとな。」なぁ?と言いながら、カワセミをからかうようにジゼルは軽く鼻で笑った。
カワセミからの返答は特になかったが、「チッ。」と小さく舌打ちのような音が聞こえた。ジゼルの前ではカワセミも不貞腐れたような態度をとることに、エミリアはまたしても驚いた。
「でもまぁ、驚いたのはもっと別の話だろ?」ジゼルがエミリアを不敵な顔で覗き込む。
「えっと、はい、そうですね。」エミリアは目を泳がせながら言葉を探す。
病院として使ってはいるようだが、その実態はここも廃校と大差なかった。外観はまだ立派なものだったが、やはりところどころにひび割れがあり、蔦植物が絡まっている。外壁への落書きも多く、白い壁が、今はすっかりくすんでクリーム色になっている。
「ここって廃病院ですよね?」エミリアが聞くと、ジゼルの瞳が険しさを帯びたように見えた。
「あぁ、まぁな……。今この街には、この規模の大病院は存在しない。コストの関係で維持できなくて閉鎖されたんだ。」ジゼルは驚くほどさらっと事情を打ち明けた。
「今ではほとんどの医療者が個人経営に移行していてな。探せば治療してくれる医者はいるが、ライセンスの証明ができないせいでヤブ医者まがいのやつも多いし、法外な値段を提示されることも少なくないな。」ジゼルは無精髭を手で触りながら、ソファに深く座り直した。
エミリアは動悸がする胸を抑えながら唾を飲み込んだ。病院と聞いて浮かれはしたものの、その現状はあまりに酷い。肩を落として意気消沈するエミリアをよそに、部屋の外からマドニアの声がした。
「紅茶を持ってまいりましたよ。……あら、なんだかものすごく沈んでますわね。部屋の換気でもいたしましょうか?」マドニアはカップとポットの乗ったトレーを持ちながら、部屋の様子を見渡している。
「ふん、沈んでいるのはそこのお嬢さんぐらいだな。他は大して気にも止めちゃいない。」ジゼルが皮肉を混ぜたようにそう言ったが、マドニアは首を傾げて「そうですか?」と返しただけだった。
「まぁそれはさておき、あんたはどうしてあんなところにいたんだ?どうもまだ、この辺りのことを良く知らないように見えるが。」ジゼルは大したことではないかのように話題を変えると、今度はエミリアに話を促した。
「あ、私は、その……。」話を振られたのはいいものの、エミリアはどう自分の状況を切り出すか、むしろ誤魔化さずに切り出してもいいものなのかと悩ましく思った。
しかし、その間もジゼルはエミリアを試すように見つめたままで、全く視線を逸らそうとしない。その視線から逃げても仕方がないなとエミリアは思って、自分の立場を正直に打ち明けることに決めた。
「あの!実は私、教師なんです。」エミリアの言葉に、一瞬場が静まり返ったように感じたが、ひとまずエミリアは話を続けた。
1週間ほど前にLiberty Moon連合の指令でLost Cityへとやってきたこと。月影で手続きをしたが結局はソルティノースにすみ始めたこと。しかし最初に契約した家は放火で燃えてしまい、今は月影局員アイン・ザードの家に居候していることなども一緒に話した。最後にジゼルの質問について、学校にいたのは自分の働くはずだった場所を確認するのが目的だったと、エミリアは答えた。
目の前のジゼルは大きく目を見開いた後、しばらくすると口元に手を当てて何かを考え込むような仕草をした。紅茶を淹れていたマドニアは、「あらまぁ」と小さく声をあげたものの、またすぐに紅茶を淹れて配り始めた。
「エミリアさん、お茶をどうぞ?」
「あ、ありがとうございます。」
「ドクター・ジゼルもどうぞ?」
「あぁ、ありがとう。」
なんだか微妙な空気になってしまったなぁ、と思いながらエミリアが紅茶に口をつけると、ジゼルが渋い顔をしながら口を開いた。
「すると、なんだ。……あんたはあの廃校で働く予定だったと?」
「はい、そうです。……閉鎖されていたのには驚きましたが。」
「知らなかったのか?」
「はい。場所も何も知らされてなくて、ただ行ってこいとだけ……。今はちょっと浅はかだったかなぁと反省しています……。」ジゼルの質問に答えながら、エミリアが項垂れて肩を落とすと、ジゼルは少し申し訳なさそうな顔をした。
「いや、すまない。あんたの事情はよくわかった。」ジゼルは大きくため息をついた。
「しかしだな、あんたは月影の世話になるルートもあったし、それこそ指令を放棄して帰ると言う選択肢もあったんじゃないか?」ジゼルは白衣の胸元からタバコの箱を取り出そうとしたが、何かにハッとしたようにその手を戻し、代わりに紅茶を一口飲んだ。
「……考えたこと、ありませんでした。」エミリアはジゼルに言われたことについて深く考え、そして素直に口にした。
「連合の指令を放棄することについてもそうですが、自分の仕事から逃げてもいいなんて、そういえば考えつきませんでした。」エミリアの言葉に、ジゼルは少し驚いたような顔をしたが、すぐに何かに納得したように何度か頷き、そしてエミリアに対して鋭い眼光を向けた。
「現状、あんたの仕事はここにはないし、誰もお呼びじゃないかもしれんぞ?それでもやるのか?ん?……帰るって選択肢は、あるわけだしな。」ジゼルの言葉には、エミリアが今まで感じていた全ての不安が丸ごと乗っているかのような重みがあった。
自分の仕事はここにはない。それは先ほど自分の目で確認したばかりだったし、思いつかなかっただけで帰ること自体はできるだろう。しかしエミリアは、すでにこの街で会った人々の顔と、自分の後ろで静かにしている少年少女たちのことを考えた。そしてなぜか、少しだけアインのことが気がかりだった。
「はい、私、まだ帰りません。」下を向いていたエミリアが顔をあげて答えると、ジゼルはより一層険しい顔をした。
「それはなぜだ?」
「まだ、私の仕事をしていないからです。」エミリアの回答は単純だったが、この街の現状を思えばそれが簡単なことではないことは、誰の目にも明らかだった。




