第40話:街医者ジゼル・ヴァッカス
「ほらよ、これでどうだ?」ジゼルは手際良く傷を消毒し、擦りむいたところも一緒に覆えるくらいの布を当てて、テープで止めた。
エミリアの膝の切り傷は本当に小さかったが、床に擦った場所が熱を持って赤くなっていた。ほんの少し不便さを感じるものの、まともに人に看病されたのはいつぶりだろうかと、エミリアはその手際の良さを見ながら考えていた。
「はい、ありがとうございます!これで大丈夫そうですね!」エミリアはジゼルに礼を言った。
「あぁ、とりあえずはな。まだ大げさな傷じゃなくてよかったが、流水で洗い流す手間を省略した。あとでちゃんと洗った方がいい。……言うまでもないとは思うが。」ジゼルの説明はエミリアにとっては丁寧すぎるほどに思えるが、その渋い顔を見て、エミリアは素直に頷いた。
「よし、あんたは大丈夫そうだな。……はぁ、マドニア、そっちはどうだ?」ジゼルが溜め息交じりに問いかける。
「えぇ、何人かはいたたまれなくて気絶するふりをしてるだけでしてよ。まぁ、ど下手ではありますが、ちゃんと加減はされてますし、打撲……程度ですんでよかったですわね?」マドニアがカツカツとヒールを鳴らしながら歩き回っている。
エミリアは膝のテープがはがれないように注意しながら、パンツの裾を直す。そのまま様子を見ていると、床に転がっている男の一人が、マドニアの足に小突かれ「いてっ。」と小さく声を上げた。
「さぁ、治療して差し上げますから、起きられる人は起きてくださいね。」マドニアが声をかけると、リーダー格だった大柄な男を含めて数名が、渋々という体で起き上がった。
「基本的には自己申告制でお願いしますわ。……頭を打たれた方はいらっしゃいます?」マドニアは男たちから怪我や痛みの箇所を聞き出していった。
時折ちらちらとこちらを窺っている男たちの視線が気になったが、その視線の先を見るに彼らはカワセミが気になっているのだろうとエミリアは推測した。一部の男は、カワセミよりもエレの方に恐怖心を感じているらしかったが、エレの方はそれを知ってか知らずか、笑いながら手を振り返している。
「あ、……ドクター、ジゼル?」
「何だ?」エミリアがおずおずと声をかけると、箱の中身を確認していたジゼルが顔を上げた。
「えっと、そういえば今日はどうしてここに?」ジゼルが教室に来るタイミングがよかったことを思い出し、エミリアは尋ねた。
「……あぁ、そのことか。それなら俺を呼びに来た奴がいたんだよ。この辺りで喧嘩があるとな、仲裁が必要な場合もあってな。」ジゼルはやれやれといった様子で頭を搔いた。
「仲裁が?」
「あぁ。この辺りにも気性の荒いのが少なくなくてな。些細な言い合いだったのが大乱闘に発展することもあるし……。……そうなる前に、マドニアが止める。」ジゼルが顎でマドニアを差し示す。
「怪我人が出ないに越したことはない……。」言葉とは裏腹に、ジゼルは妙に苦い顔をした。
「すみません。怪我人がたくさん出てしまって……。」申し訳なく思ったエミリアがジゼルに謝る。
「いや、最初は何事かと思ったが……、このメンツじゃあ仕方がないな。ディウあたりが上手く収めそうではあるんだが……どうしたことやら。」ジゼルは呆れの混ざったような口調で少し笑った。
「ドクター・ジゼル?こちらの軽傷の方々は終わりましたわ。次はそこの丸テーブルの下に挟まってる方々をどうにかしないといけませんわね。」マドニアからジゼルに声がかかる。
エミリアも座ったまま顔を向けると、目が合ったマドニアが微笑みながら首を傾げた。教室の中央より右側、窓の近くに軽傷の男たちが集められている。あれだけ荒れていた男たちだったが、今はすっかりリラックスした様子に見えた。
一体どうして喧嘩になったのか、そう思うと、エミリアは思わずため息をつく。ついでに窓に寄りかかっているカワセミを見ると、これまでのように猫背になりながらぼんやりと俯いている。エミリアは、ずっと感じずにいた疲労がここにきてどっと押し寄せてくるように感じた。
「あー、すまん!力自慢は手伝ってくれ。」丸テーブルのはまっている扉の方からジゼルが呼びかけている。
「はぁーい!」元気な返事をして、エレがパタパタと小走りで向かった。
エミリアはふぅと息を吐くと、立ち上がり、両腕を上げて伸びをした。自分も何かした方がいいんじゃないかと辺りを見回す。しかし、医療従事者でもない自分に、医者の手伝いはできそうになかった。
「エミリアさんと言ったか?」浮浪者の1人が立ち上がって言った。
「ワシらは次があるけ、そろそろ行くわい。後のことはジゼル先生とマドニアさんが上手いことやってくれるでね。」少し訛りの混じったような口調で男が言うと、そのまま他の浮浪者たちと一緒にもう一つの扉の方へと向かった。
「ではジゼル先生、マドニアさん、あとはよろしく頼みますんで!そいじゃあの。」浮浪者たちは各々軽く頭を下げて出て行った。
―バキッ
小さくはない音がして、エミリアがその方を見ると、ちょうどエレとマドニアが丸テーブルを外し終えたところだった。外した丸テーブルは、大柄な男が2人から受け取り、倒れないように別の丸テーブルの上に積み上げている。
「あー……こりゃ、ひでぇな。痛みはどうだ?」ジゼルが屈みながら聞くと、入り口近くに倒れている男がうんうんと何か唸っているのが聞こえた。
エミリアが近づきつつよく見てみると、3人の男のうち2人は意識が無さそうであり、1人は鼻から血を流して唸っていた。腕は大きく腫れて、青くなっている。
「視認した限りでは、折れててもおかしくはない腫れ具合だな……。全く……、丸テーブルがめり込むぐらいの衝撃に巻き込まれたんじゃあな。」ジゼルが頭を軽く振りながらため息をつく。
エミリアが邪魔にならないような場所で見ていると、ジゼルが患部を確認しようと男の腕に触れるたび、男は唸りながら苦悶の表情を浮かべていた。
「あれ、そんなに!?悪いことしちゃったかな。」エレは少しだけ申し訳なさそうな顔をした。
「まぁ、状況が状況だったし、仕方がないよ!俺が指示したってのもそうだし……。でもまさか丸テーブルをぶん投げるとは、思わなかったけど……。」エミリアがディウの声に振り向くと、いつの間にかレイと一緒に近くに来ていた。
「……うへぇ、痛そ……。」ディウが大袈裟に顔を顰める。
「1人は経過見て歩けそうなら歩いてもらうが、残り2人は……はぁ、意識がないんじゃしょうがない。」ジゼルはそんな彼らの言い分を半分聞き流したようにそう言った。
「どうするんですか?」自分に何ができるかもわからなかったが、エミリアはジゼルに問いかけた。
「あぁ……。とりあえず、この3人は病院に連れていく。」
「え!?」ジゼルの一言を聞いて、エミリアは反射的に驚きの声を上げた。
今病院と言ったのだろうか。普段なら当たり前すぎて特に何も思わなかっただろうが、この学校のありさまを見た後だからこそ、エミリアはひどく驚いてしまった。
「病院!?あるんですか!?」
「ん?あぁ……まぁ、一応、な?」ジゼルはエミリアの驚きに一瞬戸惑いを見せたものの、すぐに何かを察したのか、ためらいがちに肯定した。
「月影の医療セクションではなく?」
「……おい、あんたなんでそれを知っている?」エミリアの言葉に、ジゼルが警戒したような顔をする。
「あ、……いえ、その……。」またやってしまった、と落ち込みながら、エミリアはなんと説明すべきか考え始めた。
しかし、これまでのことを思い返すと、このジゼルという人にはどこまで明かしてもいいのか、その指標を自分が全く持っていないことにエミリアは気が付く。そうして言葉を探しあぐねて、口を開いたまままごまごと目を泳がせているエミリアを見ると、ジゼルはふぅとため息をついた。
「いや、すまない。そういう意味ではなかったが。」ジゼルは少し考え込む素振りを見せると、すっと立ち上がってエミリアを見た。
「あんたにはどうも事情があるらしい。少し話をしようじゃないか。うちの、病院でな。」ジゼルはそう言うと、すっと目を細めた。
「はい!」エミリアは当然のように頷いた。
「まぁそれはともかく、どうせうちに来るなら少し手伝え。重傷者3人はいくら何でも手が余る。おいカワセミ。」
「何。」ジゼルの呼びかけに応じて、カワセミが窓の前から返事をした。
「けが人とはいえ、男一人担ぐぐらいはできるだろ。」
「……。」ジゼルの言葉に、カワセミは遠くからでもわかるぐらい嫌そうな顔をした。
カワセミがここまで大きく、その表情を動かすことがなかったために、エミリアは言葉にしないまでも、内心大きく驚いた。
「あ、私が担ぐよ?」
「分かった。」助け舟を出そうとしたエレの言葉を遮って、カワセミが一言で了承した。
「あぁ、助かるよ。」ジゼルはにやりと口の端を上げて笑った。
「あとそこのでかいの、お前もだ。お前も手伝え。」
「あ、あぁ、わ、わかった。」急に降られると思っていなかったのか、棚の前で体を縮こまらせていた大柄な男が驚いたように頷いた。




