第39話:荒くれ者と街医者
エミリア・バートンが、服を整えながら戻ってくるカワセミを見つめていると、ちらりとこちらを見たカワセミと目が合った。
「何。」カワセミは、先ほどまでとは打って変わってぼんやりした目でそう言うと、そのまま気まずそうに顔を逸らした。
カワセミの視線が向く方には、疲れたように教卓に突っ伏しているディウと、鉄の棒で遊んでいるエレがいる。カーテンの隙間から差し込む日差しが、埃の舞う室内を穏やかに見せている。丸テーブルは端の方に寄せられ、積み上げられた椅子の山も、先ほどまでの騒ぎで少し崩れている。
「エミリアさん、大丈夫?」隣にいたレイが咳き込みながらエミリアの袖を掴んだ。
「だ、大丈夫ですよ?ほんとすごいことになっちゃいましたね!?」静まり返った室内に、エミリアの明るい声が響く。
「あ、あはは……。」エミリアはレイの背中をさすりながらも、それ以上はどう言葉を紡げばいいか分からずに、ふぅと小さくため息をついた。
「あ!!その、みなさんお怪我はありませんか!?」
カワセミもそうだが、エレはまだ未成年なのに危ないことをしているのでエミリアとしては気がかりだった。例え彼女の体術がアイン由来のもので、彼女たちがこの状況に慣れきっているのだとしても、我に返ると見過ごしてはならない出来事だろう、とエミリアは思った。
「ん〜。私たちより、そこで伸びてる人たちのことを心配すべきかなぁ。……加減はしたけど、正直自信ないんだよねぇ。」エレが照れくさそうに頭を触って、笑いながら返答した。
「ん、それもそうですが……。」エミリアとしてはエレの方が心配だったし、あまりその周辺の床に転がっている人たちのことを、思い出すのも苦しい気がした。
―ガタン
急に入口の方から音がした。扉ではなく丸テーブルで封じられている方の入口だ。また何か起きるのかと思うと気が気ではなく、エミリアは思わず体を強張らせた。しかしそれとは裏腹に、目の前で髪を整えているカワセミは特に興味を示していない。
「お邪魔しますわ〜?」高く上品な女性の声が入口の方から聞こえてくる。
「あらまぁ、ガッチリハマってしまっていますわね。……どうしましょう?」
「どうもこうも外すしかないだろう……。あ、待て、マドニア。乱暴は、するなよ?」
入口に挟まった丸テーブルの向こうで、男女と思われる一組が、何やら話し合っている声が聞こえてくる。丸テーブルは、天板の広い面が扉口にぴったり食い込む形で嵌っており、エミリアには彼らの姿は足元しか見えていない。
スラックスに、まだ艶のある革靴を履いた男の足と、ヒールの高い薄ピンク色の靴を履いた女性の足だ。
「あれま、ジゼル先生とマドニアさんでねぇか?」
「そっちの扉が開くはずだがね。」浮浪者たちが口々に話すのを聞いて、エミリアは勢いよく立ち上がる。
「あの!こっちにも扉が!……あいてっ。」エミリアが扉に向かって足を踏み出すと、ガタンと大きな音を立てて前のめりに転んだ。
「あらまぁ、大丈夫ですか?大きな音がしましたけれど……。」廊下にいる女性の、心配そうな声が聞こえる。
足元には、人一人分の幅の段差があった。いつもは教卓が置いてある段差だが、忘れて足を踏み外したようだ、とエミリアは顔を赤らめた。
「だ、大丈夫です!ちょっと転んだだけですので!」エミリアはサッと立ち上がって服の埃を払うと、もう一つの扉に手をかける。
―ギッ
鍵がかかってはいないかと一瞬不安にはなったものの、エミリアが取手を引くと、軋みながらも扉は開いた。
「あ、開きました!こちらから入りませんか?」エミリアがそう言うと、目の前にはすでに二人の男女が立っていた。
「あぁ、すまない。ありがとな。」無精ひげを生やし、険しい顔立ちをした白衣の男が部屋の中へと一歩踏み込む。
微かに漂ってくる消毒液の匂いに驚きつつ、エミリアが入口を開けるように扉を引いて後退ると、白衣の男に続いて、薄ピンク色のナース服に身を包んだ背の高い女性が入ってくる。平均よりは高そうに見える男の隣で、女はさらにもっと背が高く見え、エミリアは失礼だとは思いつつも、思わずじっと見つめてしまった。
「初めまして、こちらはドクター、ジゼル・ヴァッカス。私はナースのマドニアと申しますわ。」黒髪を後ろで丸くまとめたマドニアが、丁寧にあいさつをする。
「あ!ジゼル先生だ!やっほー!!」エレが元気よく挨拶をした。
エミリアが見ると、エレはいつの間にか鉄の棒をどこかに置いて、ジゼルに手を振っている。先ほどまで突っ伏していたディウも、頬杖をしながらこちらを見ていた。対してレイは、少し疲れたのか、まだ浮浪者たちの中で膝を抱えて座っている。どうやら彼女たちはこの二人と面識があるらしい、とエミリアは思った。
「は、初めまして。……エミリア・バートンです。」エミリアはそのたくましい体つきと淑やかなふるまいに戸惑いながらも、にこやかに微笑んでいるマドニアとその隣のジゼルに頭を下げた。
「……あらま、あなた、先ほど大こけしてた子じゃありません?お怪我はございませんか?」マドニアは少し前かがみになると、エミリアを上から下まで念入りに確認する。
「あら、お膝のところが破れてますわよ?」上品なのにどことなくチグハグな様子のマドニアに戸惑いながらも、エミリアは自分の膝を確認する。
「あ、ほんとだ。」歩くことを想定して履いてきた柔らかいパンツの膝部分を見ると、どこかに引っ掛けたのか、縦に布が破れていた。
「ふむ、先ほど転んだ時に、釘か何かに引っ掛けたのでは?確認した方が良さそうですわね。」マドニアが目を細めながら言った。
「あ、いえ!特に痛みとかありませんし、安物の服なので大丈夫です!!その、それよりもそこに転がっている方々をですね……。」エミリアが目を泳がせながら答えると、間髪入れずにジゼルが言った。
「それもそうだがあんたも手当の対象内だ。服が破れてるだけならいいが、できるときにやっておかねぇと悪化すんぞ。たく、……そこの野良坊主みたいにな。」ぶっきらぼうに吐き捨てたジゼルの視線の先には、ぼんやりと立っているカワセミがいた。
「……何のこと。」
「お前、その顔はわかってんじゃねぇか。」しらを切りたそうにしているカワセミに対して、ジゼルはさらに問い詰める。
「まだ治り切ってもいねぇくせに他所と喧嘩か?あんまり医者を舐めんじゃねぇぞ。」からかうような口調ではあるが、鋭い眼差しでジゼルが言った。
「……。」カワセミは何も言わずに不服そうな顔でそっぽを向いた。
「それはそうとドクター・ジゼル?」いつの間にか教室の中央付近にいるマドニアが声をかける。
「……何だ?」怪訝そうに眉根を寄せたジゼルに対して、マドニアが続ける。
「本当にめっためたのぎったぎたでしてよ、この方たち。……骨が折れてたりしませんか?」
「……意識のあるやつはいるか?さすがに全員を運んでいくのは無理があるぞ。歩ける奴には歩かせろ。」ジゼルが言うと、マドニアは「起きてくださ~い。」と声をかけ、ヒールを履いた足で倒れている男たちを小突き始めた。
エミリアはこの状況をどう解釈していいのかわからず、ただ黙ってその様子を見守っている。しかし、徐々に緩み始めた空気に少しずつ緊張感が薄れていくのもまた事実ではあった。
「それで、エミリア、あんたの膝を見せてみろ。」ジゼルがエミリアの方を見て言った。
「あ、あの……はい。えっと。」
「はぁ、いいからそこの段差に座れ。立ったままだとやりづらい。」おどおどしているエミリアに対し、ジゼルは黒板の前の段差を指し示した。
「はい、よろしくお願いします。」エミリアが座ってパンツを膝まで捲って見せると、ジゼルはふんと鼻で笑う。
「皆があんたぐらい素直だったらいいんだがな……。」ジゼルはそう呟きながら準備を始めた。
しかし、呟きというには声が大きく、エミリアにはあえて誰かに聞かせたいかのように聞こえる。ジゼルが屈みながら手に持っていた箱を地面に置くと、中から何かの液体が入った小瓶や、ガーゼのような布を取り出した。
さっき嗅いだよりも一層強く、病院で嗅ぐような薬品の匂いが漂ってくる。箱の中には、小さなハサミやピンセット、折りたたまれた布やラベルの張られた透明な小瓶などが入っているのが見える。
「まぁ、処置と言っても大したもんじゃないが、やらんよりはましだ。あんたも大人なら、よくわかるだろ?」ジゼルはそう言うと、何かを確かめるように頷いた。




